光GENJI
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光GENJI | |
---|---|
出身地 |
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ジャンル | アイドル歌謡曲 |
活動期間 |
GENJI |
レーベル |
キャニオン・レコード →ポニーキャニオン |
事務所 | ジャニーズ事務所 |
メンバー |
GENJI 諸星和己 佐藤寛之 山本淳一 赤坂晃 佐藤敦啓 |
旧メンバー |
GENJI 田代秀高 |
光GENJI(ひかるゲンジ)は、1980年代終盤から1990年代前半に活動していた日本の男性アイドルグループで、[1]1987年にジャニーズ事務所からデビューし[1]、1995年に解散した、内海光司、大沢樹生、諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤アツヒロからなる7人編成のアイドル、メディア等では「最後のスーパーアイドル」など称される。
メンバー[編集]
以下のうち、2019年現在もジャニーズ事務所に所属しているのは内海光司と佐藤敦啓(現:佐藤アツヒロ)のみである[2][3]。大沢樹生、佐藤寛之は、「光GENJISUPER 5」結成に伴い、グループを脱退し、事務所も退所。諸星和己は「光GENJISUPER 5」が解散した1995年に退所。山本淳一と赤坂晃は、ジャニーズ事務所に所属していたが、山本は2002年に退所。赤坂は2007年に重大な不祥事を起こし、ジャニーズ事務所を解雇され、その後現在の事務所に所属している。
光 | プロフィール | 備考 | 2019年現在の所属事務所 |
---|---|---|---|
内海光司 (うちうみ こうじ[2]) |
1968年1月11日(51歳)[2]、A型[2]、 東京都出身[2] |
AKIRA & KOHJI | ジャニーズ事務所[2] |
大沢樹生 (おおさわ みきお[4]) |
1969年4月20日(49歳)[4]、A型[4]、 東京都出身[4] |
1994年脱退[5] | ミキオオフィス[4] |
GENJI | プロフィール | 備考 | 2019年現在の所属事務所 |
---|---|---|---|
諸星和己 (もろほし かずみ[6]) |
1970年8月12日(48歳)[6]、A型[6]、 静岡県出身[6] |
スターズクルー[6] | |
佐藤寛之 (さとう ひろゆき[7]) |
1970年11月2日(48歳)[7]、AB型[7]、 千葉県鎌ケ谷市出身[8] |
SAY・S 1994年脱退[7] |
GENJI GURUMA[7] |
山本淳一 (やまもと じゅんいち[9]) |
1972年2月28日(46歳)[9]、B型[9]、 東京都八王子市出身[9] |
SAY・S | WING RUN[9] |
赤坂晃 (あかさか あきら[10]) |
1973年5月8日(45歳)[10]、B型[10]、 東京都出身[10] |
SAY・S AKIRA & KOHJI |
GOLD STAR[10] |
佐藤敦啓 (さとう あつひろ[3]) |
1973年8月30日(45歳)[3]、A型[3]、 神奈川県出身[3] |
SAY・S 現:佐藤アツヒロ |
ジャニーズ事務所[3] |
「GENJI」 元メンバー |
備考 |
---|---|
田代秀高 (たしろ ひでたか[11]) |
GENJIの結成メンバー[11]。1987年に赤坂晃と交替で脱退[11]。 |
来歴[編集]
デビュー〜1980年代[編集]
1987年6月[12]、既存グループだった5人組の「GENJI」と、内海光司、大沢樹生の2人による「光」の2つのグループが合体して、「光GENJI」が結成[12]。
1987年8月19日にチャゲ&飛鳥(現・CHAGE and ASKA)が楽曲提供した「STAR LIGHT」でレコードデビュー[13]。ローラースケートを履いて踊り、バック転などもこなすアクロバティックなパフォーマンスがうけ、デビューしてすぐに人気が上昇[14][15]、爆発的なブームを生み「最後のスーパーアイドル」と呼ばれ、その人気は経済誌などでも社会現象として取り上げられる。[14][15]同年、テレビ東京系『あぶない少年』でドラマ初主演を務める[1]。
1988年12月31日、「パラダイス銀河」で第30回日本レコード大賞を受賞。また、同年のオリコン年間シングル売上第1位~3位を光GENJIが独占し、1978年のピンクレディ以来の快挙を達成した(ベスト10内には4曲ランクイン)。オリコン年間アルバム売上も第1位と第9位を獲得。
1990年代〜卒業[編集]
1992年JOC日本オリンピック委員会広報アドバイザーに任命され、バルセロナオリンピックの応援ソングとして「リラの咲くころバルセロナへ」をリリース。
1994年1月、バルセロナ夏季五輪に引き続き、リレハンメルオリンピックの応援ソングとして「BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜」をリリース。同年8月、大沢樹生・佐藤寛之が脱退し「光GENJI SUPER 5」にグループ名を変更する[16]。
1995年9月、名古屋市総合体育館・レインボーホール(現・日本ガイシホール)でのライブを最後に「卒業」(明確には解散)した[1][17]。卒業について、諸星は後年、「仲が悪かった」「みんな疲れていた」と語っているほか[17]、2015年11月に出演した番組で当時の状況について山本が「当時のアイドルは、20代後半になったら『それぞれの道に行く』みたいなスタイルがあった」と語り、光GENJIの中の年長者のメンバーが、独立に進みたがっていたという内情を明かしている[16]。
概要[編集]
記録[編集]
- 「明星(現Myojo)」の歴史の中で最高の売上部数を記録したのは、光GENJIの絶頂期だった。光GENJIの人気がピークを過ぎて、SMAPが人気を獲得するまでの数年間、「明星」は苦難の時代だった[18]。
- ラジオ番組においても来るはがきの枚数が記録的であり、ニッポン放送で放送されていた番組『GENJI GENKI爆発!!』では毎週10万枚超のはがきを集め[19]、また、フジサンケイグループが企画製作した非売品ビデオ『あ・き・す・と・ぜ・ね・こ』(ニッポン放送開局35周年・フジテレビ開局30周年記念作品)の10万本プレゼントには約250万通のはがきが集まった(1988年6月27日に、募集を行ったニッポン放送で当時一番大きかったスタジオ「銀河スタジオ」において大抽選会が行われた)[20]。
ミュージックステーションレギュラー出演の経緯[編集]
1988年から1992年までの5年間、テレビ朝日の音楽番組『ミュージックステーション』にレギュラー出演していた。総出演数は234回と、歴代アーティストの中でトップである。『ミュージックステーション』は、『夜のヒットスタジオ』・『ザ・ベストテン』・『歌のトップテン』など他局の音楽番組に比べ後発であり、非常に苦労していた。その頃の音楽番組の1つ『ザ・ベストテン』が成功した理由の一つに、キャンディーズの解散を追って毎週放送したことがあり、そこで『ミュージックステーション』は、光GENJIを毎週出そうということになり、レギュラーになった[21]。
労働基準法[編集]
デビュー当初、赤坂晃と佐藤敦啓は労働基準法(第61条)により、原則夜8時以降〜翌朝5時までの生出演ができないとされていて、当初は「歌の部分のみ事前収録する」「メンバー5人が歌っている生映像に出演できない2人のVTRを合成する」「当時バックで踊っていたSMAPの中居・木村が代わりに入る」等の工夫をしていたが、当時出演していた『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』などの生放送番組に時々メンバー全員で出演したときもあり、夜8時以降に出演したり出演しなかったりという状況が続いていた(労働基準法に関しては、伊藤つかさが『ザ・ベストテン』にランクインした際、番組側の自主規制により生出演できなかったというエピソードがある)。
この状況に関して、当時14歳のメンバーが深夜の歌番組に出演した疑いで管轄する労働基準監督署が1988年6月に事務所へ調査に入った際、「報酬面」「税法上の取り扱い」「事業所所得として課税されている」などの実態を確認して考察した結果、メンバーは「労働者とは認められない」(=労働基準法は適用されない)という判断を下した[22]。さらに光GENJIの出演に関する諮問があって国会や関係機関で議論が行われ、芸能人において一定の条件(他人によって代替できない、“人気”等当人の個性が重要な要素となっている、契約形態が雇用契約でない、など)を満たした者は「表現者」とみなし労働基準法を適用しない(端的には「人気の無い者は労働者とみなす」)という結論になり、1988年7月30日に通達(いわゆる「芸能タレント通達」「光GENJI通達」昭和63年7月30日、基収355号)[23]が出され、それ以降は夜9時以降であっても、メンバー全員で出演することが多くなった。
この通達を基に若年層芸能人の深夜活動が行われていたが、1999年12月に若年層芸能人が絡んだ深夜労働に関する書類送検(当時15歳の女性タレントを当時の所属事務所と放送局は「表現者に該当する」と考えていたが、当局では「労働者に該当する」と判断したため、ラジオの深夜生放送出演が問題化し、当時の所属事務所と放送局の関係者が書類送検[22])が発生し、それについて2000年4月13日に行われた特別委員会で取り上げられたこと[22]などが契機となり、各テレビ局ともに概ね「たとえ“表現者に該当する人”であっても、15歳未満の芸能人は21時以降に生出演させない」という自主規制を定めている[24]。
ディスコグラフィ[編集]
光GENJI[編集]
シングル[編集]
タイアップについてはジャニーズ タイアップ一覧#解散あるいは退社したアーティストを参照。
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 最高 順位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1987年8月19日 | STAR LIGHT | ROLLING STOCK | 1位 |
2 | 1987年11月25日 | ガラスの十代 | Graduation | 1位 |
3 | 1988年3月9日 | パラダイス銀河 | LONG RUN | 1位 |
4 | 1988年6月21日 | Diamondハリケーン | Welcome | 1位 |
5 | 1988年10月10日 | 剣の舞 | 涙の輝き | 1位 |
6 | 1989年3月6日 | 地球をさがして | NEW! 青春にはまだ早い | 1位 |
7 | 1989年7月20日 | 太陽がいっぱい | 時をこえたフェスティバル | 1位 |
1989年10月28日 | 時をこえたフェスティバル | 太陽がいっぱい | - | |
8 | 1990年2月7日 | 荒野のメガロポリス | PLEASE | 1位 |
9 | 1990年5月16日 | Little Birthday | なななのなの時間割 | 2位 |
10 | 1990年8月17日 | CO CO RO | みつめていたい | 1位 |
11 | 1990年11月3日 | 笑ってよ | 水彩画 | 1位 |
12 | 1991年2月7日 | 風の中の少年 | TVの中のHERO | 2位 |
13 | 1991年4月26日 | 奇跡の女神 | もっと近づきたい | 2位 |
14 | 1991年8月30日 | WINNING RUN | 熱帯夜 | 3位 |
15 | 1991年11月7日 | GROWING UP | 若さのゆくえ | 5位 |
16 | 1992年2月20日 | TAKE OFF | 君にCheer Up! | 5位 |
17 | 1992年4月29日 | リラの咲くころバルセロナへ | I'LL BE BACK | 2位 |
18 | 1992年8月8日 | Meet Me | クレヨンで描いたタイムマシン | 6位 |
19 | 1992年11月6日 | 愛してもいいですか | 夢で逢えるから | 6位 |
20 | 1993年2月19日 | 君とすばやくSLOWLY | サヨナラと言えなくて | 9位 |
21 | 1993年5月13日 | 勇気100% | 微笑みをあずけて | 7位 |
22 | 1993年8月4日 | BOYS in August | 恋する気持ち | 5位 |
23 | 1993年10月27日 | この秋‥ひとりじゃない | きっと愛しあえる | 5位 |
24 | 1994年1月20日 | BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜 | 君は世界を夢見て | 7位 |
25 | 1994年4月28日 | ヨーソロー! 未来へよろしく | 僕らのREASON | 10位 |
26 | 1994年7月21日 | TRY TO REMEMBER | LUNAR PARK-GO-ROUND | 9位 |
オリジナルアルバム[編集]
# | 発売日 | タイトル | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 1988年1月1日(限定盤) | 光GENJI | 「STAR LIGHT」「ガラスの十代」のLPバージョンを収録。 |
1988年1月21日(通常盤) | |||
2 | 1988年7月28日 | Hi! | 「パラダイス銀河」収録。 |
3 | 1989年2月20日(限定盤) | Hey! Say! | デビュー以来3作連続で、オリコンアルバムチャート1位を獲得。 |
1989年4月7日(通常盤) | |||
4 | 1989年10月25日 | Hello…I Love You | 初めてメンバー3人(諸星、佐藤敦啓、佐藤寛之)のソロ曲を収録。 |
5 | 1990年1月31日(限定盤) | ふりかえって…Tomorrow | 「STAR LIGHT」から「太陽がいっぱい」まで全シングルを新たに録り直して収録。 テレビでのみ披露されたアレンジ、歌詞、ソロパート割りなどを曲に取り入れている。その他新曲を3曲収録。 |
1990年2月28日(通常盤) | |||
6 | 1990年7月25日 | Cool Summer | 「荒野のメガロポリス〜PLEASE」をアレンジと歌詞を変えて収録。 前々作でソロ曲が収録されなかったメンバー4人(内海、大沢、山本、赤坂)のソロ曲を収録。 |
7 | 1990年11月21日 | White Dreaming with 光GENJI | くつ下の中に8cmCDを封入した装丁の、4曲入りミニアルバム。 |
8 | 1991年3月3日(限定盤) | (333) Thank You | 10曲入りの初回盤(別添カレンダー付)と、12曲入りの通常盤がある。 |
1991年3月20日(通常盤) | |||
9 | 1991年7月7日 | ひと夏ひと夜 | 4曲入りミニアルバム。 |
10 | 1991年10月2日 | VICTORY | 「WINNING RUN」を新アレンジで収録。 |
11 | 1992年7月1日 | Pocket Album -7つの星- | メンバー7人のソロ曲を1人2曲ずつ収録した8cmCDの7枚組。全14曲。 |
12 | 1992年12月3日 | DREAM PASSPORT | 初回盤は8cmCD「クリスマス組曲」が付属するBOX仕様。 |
13 | 1993年3月3日(限定盤) | SPEEDY AGE | |
1993年3月19日(通常盤) | |||
14 | 1993年9月15日 | WELCOME | 各メンバーがプロデュースした楽曲7曲と光曲・GENJI曲・全員曲を1曲ずつの計10曲収録。 |
15 | 1993年12月8日 | 宇宙遊詠 | |
16 | 1994年3月2日(限定盤) | HEART'N HEARTS | 初回プレス特典としてカレンダーが同梱された。Disc1は各メンバーソロ曲。Disc2は「BEST FRIENDS」の続編で「TAKE OFF」から「この秋‥ひとりじゃない」までの全シングルA面と、新曲3曲を収録。 |
1994年3月18日(通常盤) | |||
17 | 1994年7月21日 | FOREVER YOURS | 7人グループとして発表した最後のオリジナル・アルバム。 |
16 | 1995年8月19日 | See You Again | 事務所の先輩・後輩タレントからのメッセージや秘蔵写真、ディスコグラフィーなどを掲載した書籍形態の「卒業アルバム」。CD3枚組、完全限定生産。なお、公式サイトでは光GENJI SUPER 5名義。 Disc1 オリジナル・アルバム。参加メンバーは光GENJI SUPER 5。 Disc2 コンサート披露のみだったソロ楽曲やシングル曲のリアレンジ版などを収録。参加メンバーは光GENJI SUPER 5。 Disc3 過去のリリース楽曲からのベストセレクション。メンバー5人による曲の解説も掲載。 |
ベストアルバム[編集]
# | 発売日 | タイトル | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 1992年3月4日(限定盤) | BEST FRIENDS | 「STAR LIGHT」から「GROWING UP」までの全シングルA面と「PLEASE」を収録した2枚組。 「荒野のメガロポリス」はシングルではカットされた2番が挿入されフルサイズで初収録。Disc2にはカラオケ音源を収録。 |
1992年3月21日(通常盤) | |||
2 | 1994年8月2日 | SUPER BEST TRY to REMEMBER | 「STAR LIGHT」から「TRY TO REMEMBER」まで、7人体勢でリリースした全シングルA面と「PLEASE」を収録した3枚組。ジャケット用スチール写真を掲載したフォトブック付き。 「剣の舞」はシングルとはアレンジが大きく異なる。「荒野のメガロポリス」「リラの咲くころバルセロナへ」はシングルではカットされた2番が入ったフルサイズで収録されている。「風の中の少年」のアウトロ、「WINNING RUN」「Meet Me」のイントロなどにもわずかながら編集が施されている。 |
3 | 2001年12月5日 | MY これ!クション 光GENJI BEST | 解散後に発売された。 シングル曲からセレクトし、リリース順に収録。 |
4 | 2002年10月17日 | 光GENJI All Songs Request | 2枚組。 ファンからの投票により上位30位までに入った楽曲(30位が同票だったため計31曲)をリリース順に収録。 |
企画アルバム[編集]
# | 発売日 | タイトル | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 1988年6月5日 | 光GENJI オリジナル カラオケ | アルバム『光GENJI』収録曲全8曲と、「STAR LIGHT」から「パラダイス銀河」までのシングルA面3曲および「LONG RUN」の計12曲のカラオケを収録。 ジャケットはアニメ仕様。 |
2 | 1989年3月21日 | 光GENJI オリジナル・カラオケ・コレクション | 「STAR LIGHT」から「地球をさがして」までのシングル6枚のA・B面全12曲のカラオケを収録。 |
ビデオ[編集]
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 1988年1月16日(VHS) | 太陽がいっぱい |
2004年5月19日(DVD) | ||
2 | 1988年3月18日(VHS) | 少年武道館 〜少年御三家新春一番歌いぞめ〜 |
3 | 1988年5月25日(VHS) | 光GENJI ファーストライブ |
2003年7月16日(DVD) | ||
4 | 1988年6月(VHS) | あ・き・す・と・ぜ・ね・こ(非売品) |
5 | 1988年10月30日(VHS) | 少年武道館II |
6 | 1989年3月20日(VHS) | 光GENJI TOKYO DOME CONCERT Hey!Say! |
7 | 1990年5月5日(VHS) | …これから物語 〜少年たちのブルース〜/ふ・し・ぎ・なBABY |
8 | 1990年9月21日(VHS) | 虹色夏物語(にじいろサマーストーリー) |
2003年7月16日(DVD) | ||
9 | 1991年1月1日(VHS) | ウォルト・ディズニーワールド7日間の旅 |
10 | 1991年6月21日(VHS) | コンサートであおう! |
2004年5月19日(DVD) | ||
11 | 1992年7月17日(VHS) | 独逸旅情 -素顔になって- |
2003年7月16日(DVD) | ||
12 | 1993年11月2日(VHS) | 7番目の夏 |
2003年8月20日(DVD) | ||
13 | 1994年4月6日(VHS) | '93 WINTER CONCERT BRAVO!Nippon |
2003年8月20日(DVD) | ||
14 | 1994年11月18日(VHS) | '94 SUMMER CONCERT FOREVER YOURS |
2003年8月20日(DVD) | ||
15 | 1995年8月19日(VHS) | P/S I LOVE YOU |
GENJI[編集]
ビデオ[編集]
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 1990年6月21日 | な・な・なのなの時間割 |
光GENJI SUPER 5[編集]
シングル[編集]
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 最高 順位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1994年10月7日 | Melody Five | JOYFUL RHAPSODY | 6位 |
2 | 1994年10月21日 | DON'T MIND涙 | SHAKING NIGHT | 7位 |
3 | 1995年8月2日 | Bye-Bye | レディーはそよかぜ | 13位 |
アルバム[編集]
# | 発売日 | タイトル | 収録曲 |
---|---|---|---|
1 | 1995年3月1日 | Someone Special |
|
2 | 1995年8月19日 | See You Again |
Disk 1(オリジナルアルバム)
Disk 2(ソロ、ニューアレンジ)
Disk 3(ベストセレクション)
|
ビデオ[編集]
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 1996年1月 | Bye-Bye for Tomorrow See You Again P/S I LOVE YOU(ファンクラブ限定販売) |
SAY・S[編集]
シングル[編集]
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 最高 順位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1993年4月22日 | 曇りのち晴れ | STARDUSTに乗って | 11位 |
2 | 1993年7月14日 | WE ARE THE CHAMP (SAY'S and J.World名義) |
- | 8位 |
3 | 1994年3月25日 | HAPPY ROAD | - | 10位 |
ベストアルバム[編集]
# | 発売日 | タイトル | 収録曲 |
---|---|---|---|
1 | 2002年8月21日 | MY これ!クション SAY'S BEST |
|
ビデオ[編集]
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 1994年6月2日 | HAPPY ROAD SHOW! |
AKIRA & KOHJI[編集]
シングル[編集]
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 最高 順位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1994年12月8日 | MR.MIRACLE | - | 15位 |
参加作品[編集]
※=忍たま関連の作品にのみ収録。光GENJI関連の作品には未収録
発売日 | アーティスト | 作品 | 参加曲 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1990年8月22日 | 忍者 | お祭り忍者(水雲SINGLE) |
|
少年隊、光GENJI、SMAPからのデビューに際しての応援コメントが、2コーラス後の間奏に挿入されている。 |
1993年7月20日 | Various Artsits | 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック | M-1の「勇気100%」は、ここに収録されているテイクのみ、曲の終わりにシングルや他のアルバムにはないアニメと同様の「ヘイヘイヘイ」という掛け声が入っている。 | |
1994年12月8日 | Various Artsits | 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック |
|
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1996年1月19日 | Various Artsits | 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック其の参 |
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1996年6月5日 | Various Artsits | 忍たまテーマソングコレクション |
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1999年3月3日 | Various Artsits | 忍たまスーパーベストテーマ集 |
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2012年9月19日 | Various Artsits | 忍たま乱太郎 20th アニバーサリーアルバム オープニング&エンディング集 |
|
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2015年6月17日 | Various Artsits | 忍たま乱太郎サウンドトラック 昨日・今日・明日 〜from Nintama with Love〜 |
|
ここに収録されているテイクのみ、曲の終わりにシングルや他のアルバムにはないアニメと同様の「ヘイヘイヘイ」という掛け声が入っている。 |
その他のアルバム[編集]
発売日 | アーティスト | 作品 | 参加曲 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1992年6月19日 | ビクトリー・マーチング・バンド | 光GENJI マーチ・コレクション リラの咲くころバルセロナへ |
|
光GENJIの楽曲をマーチにアレンジ。 |
1994年8月21日 | チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 | 2001 CLASSICS 光GENJI ORCHESTRA VERSION |
|
光GENJIの楽曲をオーケストラにアレンジ。マリオ・クレメンツ指揮、千住明編曲。 |
CD化されていない楽曲[編集]
- 今、君と歌いたい (結成初期のGENJIによる『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』のテーマ曲)
- 哀しみのレスキュー
- どうもありがとう (初期のコンサートでエンディングに歌われていた)
- LOVE AND DREAM
- Loving G (ゼネラル石油 CMソング)
- 7th Door - 7つ目の扉 - (結成7周年を記念して制作された楽曲)
- Shake Again (1994年春コンで披露)
主な出演作品[編集]
バラエティ番組[編集]
- サブロー・シローの歌え!ヤング大放送 (1987年4月5日 - 9月、TBS)
- 番組開始当初はGENJIの5名のみのレギュラー出演だったが、途中から7人全員で出演するようになった。
- あぶない少年番外編 (1987年、テレビ東京)
- あぶない少年周年 (1988年、テレビ東京)
- スーパージョッキー (日本テレビ)
- 歌のトップテン (日本テレビ)
- ザ・ベストテン (TBS)
- 夜のヒットスタジオ (フジテレビ)
- 歌謡びんびんハウス(テレビ朝日)
- ミュージックステーション (テレビ朝日)
- アイドル共和国 (テレビ朝日)
- 歌え!アイドルどーむ (テレビ東京)
- ヤンヤンもぎたて族 (テレビ東京)
- 満員御礼!学園キッズ→SMAPの学園キッズ(テレビ東京)
テレビドラマ[編集]
- 連続ドラマ
- 桃色学園都市宣言!!・St.月桂寺HighSchool(フジテレビ) - 内海・大沢
- あぶない少年I(1987年10月7日〜12月30日、テレビ東京)
- あぶない少年II(1988年1月6日〜9月28日)
- あぶない少年III(1988年10月12日〜1989年3月29日) - 赤坂晃・佐藤敦啓
- ワイルドで行こう! BORN TO BE WILD (1988年10月17日〜1989年3 月20日、フジテレビ) - 内海・大沢
- HOTEL(TBS) - 赤坂
- 想い出にかわるまで(TBS) - 大沢
- 若さま侍捕物帖(テレビ朝日) - 内海・佐藤敦啓
- 名奉行 遠山の金さん(テレビ朝日) - 内海
- 素敵な人! (テレビ朝日) - 佐藤寛之
- アンバランス(テレビ朝日) - 大沢
- 単発ドラマ
- 「火曜ロードショー特別企画 光GENJIドラマスペシャル」スターライト・キッズ 新・北斗七星伝説(1988年10月11日、TBS) - メンバー主演
- 源義経 (1990年1月1日、TBS) - 内海・大沢・諸星
- 天と地と〜黎明編 (1990年4月20日、日本テレビ) - 大沢
- 評論! 家族 (1990年7月22日、TBS) - 赤坂
- ダンナ様は18歳 (1990年8月4日、TBS) - 諸星
- 世にも奇妙な物語(フジテレビ)
- 「時間よ止まれ」(1991年1月17日) - 山本
- 「愛車物語」(1991年4月18日) - 佐藤寛之
- 非行少年たち (1992年10月15日、日本テレビ)
- 映画みたいな恋したい(テレビ東京)
- 「トップガン」(1992年12月19日) - 佐藤敦啓、佐藤寛之
- 「メリークリスマスを君に」(1992年12月26日) - 山本
- 清水次郎長物語 (1995年3月3日、フジテレビ) - 諸星
映画[編集]
- ロックよ、静かに流れよ(1988年2月20日公開、東宝、【主演:男闘呼組】)※友情出演
- 少年武道館(1988年2月20日公開、東宝、【主演:少年御三家】)
- ふ・し・ぎ・なBABY(1988年12月18日公開、東宝、【主演:GENJI、出演:光】)
- …これから物語 〜少年たちのブルース〜(1988年12月18日公開、東宝、【主演:光】)
- 新極道の妻たち 惚れたら地獄 - 赤坂
- 極道の妻たち 赫い絆 - 赤坂
ラジオ[編集]
- 光のスターライトキッス(1987年 -1991年 、ニッポン放送) - 光
- GENJI GENKI爆発!! (当初の仮タイトルは『GENJI爆発百点満点』)(1987年10月17日 - 1991年、ニッポン放送) - GENJI
- All about 光GENJI (1991年 - 、ニッポン放送)- 光GENJI
紅白歌合戦[編集]
- 第39回 (1988年) 「光GENJI '88メドレーガラスの十代〜パラダイス銀河〜Diamondハリケーン〜剣の舞」
- 第40回 (1989年) 「太陽がいっぱい」
- 第41回 (1990年) 「CO CO RO」
- 第42回 (1991年) 「WINNING RUN」
- 第43回 (1992年) 「リラの咲くころバルセロナへ」
- 第44回 (1993年) 「勇気100%」
受賞歴[編集]
- 1987年 第25回ゴールデン・アロー賞・最優秀新人賞
- 1988年 第26回ゴールデンアロー賞・話題賞
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Grand Prix New Artist of the Year
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Best New Artist of the Year
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Grand Prix Single of the Year「ガラスの十代」
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Best Single of the Year「ガラスの十代」「STAR Light」
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Best Album of the Year ヤングアイドル(グループ)部門「光GENJI」
- 1988年 日本レコードセールス大賞(オリコン年間ランキング)
- 1988年 第30回日本レコード大賞・大賞
- 1989年 第3回ゴールドディスク大賞・The Best 5 Artist of the Year
- 1989年 第3回ゴールドディスク大賞・Grand Prix Single of the Year「パラダイス銀河」
- 1989年 第3回ゴールドディスク大賞・The Best5 Single of the Year「パラダイス銀河」「Diamondハリケーン」「剣の舞」
- 1989年 第3回ゴールドディスク大賞・The Best Album of the Year ヤングアイドル(グループ)部門「Hi!」
- 1989年 第15回日本テレビ音楽祭・グランプリ
- 1989年 第15回全日本歌謡音楽祭・ゴールデングランプリ
- 1989年 第18回FNS歌謡祭・グランプリ
- 1989年 第20回日本歌謡大賞・大賞
- 1989年 第31回日本レコード大賞・金賞
- 1990年 第4回ゴールドディスク大賞・The Best5 Single of the Year「太陽がいっぱい」
- 1991年 第5回ゴールドディスク大賞・アルバム賞 アイドル部門(男性)「ふりかえって・・・Tomorrow」
- 1992年 第6回ゴールドディスク大賞・アルバム賞 アイドル部門(男性)「(333) Thank you」
- 1993年 第7回ゴールドディスク大賞・アルバム賞 アイドル部門(男性)「BEST FRIENDS」
関連項目[編集]
- 光源氏
- SAY・S
- 少年御三家
- 近藤真彦
- 少年隊
- スケートボーイズ (SMAPの前身グループ)
- 平家派
- 微熱DANJI
- 紫SHIKIBU
- 飛鳥涼(現:ASKA)
- チェッカーズ
- Yacha韓国では、90年代初頭に光GENJIに影響を受けて結成されたYachaというローラースケートを履いて歌って踊る男性アイドルグループが活動していた。
脚注[編集]
- ^ a b c d “光GENJIのプロフィール”. ORICON STYLE公式サイト (2010年8月17日). 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e f “内海光司”. Johnys-net公式サイト. 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e f “佐藤アツヒロ”. Johnys-net公式サイト. 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e “MIKIO OSAWA PROFILE”. MIKIO OFFICE公式サイト. 2016年12月1日閲覧。
- ^ 週刊女性プライム (2016年12月11日). “大沢樹生が「光GENJI」脱退を語る「君とはもう仕事できないよ」”. livedoor news 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e “Profile”. KAZUMI MOROHOSHI Official Site. 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e “佐藤寛之 Profile”. Satoh Hiroyuki Official Site. 2016年12月1日閲覧。
- ^ “SATOH HIROYUKI OFFICIAL FACEBOOK”. 2018年11月17日閲覧。
- ^ a b c d e “Profile”. 山本淳一オフィシャルブログ. Diamond Blog. 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e “赤坂晃”. GOLD STAR公式サイト. 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c “グループの解体から、3P大麻事件まで全てを追った『 ジャニーズの歴史』”. サイゾーウーマン (cyzo). (2010年11月6日) 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b “光GENJI、元メンバー集合ショットに反響「泣きそう」「感動しました」の声”. modellpress. (2016年11月25日) 2016年12月1日閲覧。
- ^ “諸星和己、ASKAを「信じたい」 デビュー曲の“恩師”に複雑”. デイリースポーツ (神戸新聞). (2016年12月24日) 2016年12月25日閲覧。
- ^ a b 柴那典 (2016年11月17日). “なぜアイドルの「寿命」は2010年代に入って劇的に伸びたのか”. 現代ビジネス (講談社) 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b 松下博夫 (2013年12月25日). “SMAP成功の影に光GENJIあり “最後のスーパーアイドル”がジャニーズに残したもの”. Real Sound 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b トピックニュース (2015年11月7日). “元光GENJIの諸星和己「山本淳一が裏切った」 解散を振り返る”. livedoor news 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b “過去の解散劇…光GENJIは不仲、シブがき隊は少年隊が脅威に”. スポーツニッポン. (2016年1月13日) 2016年12月1日閲覧。
- ^ 明星編集部編/橋本治解題『「明星」50年 601枚の表紙』集英社新書 2002年。
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1988年4月号特集「ラジオ界面白大百科事典 これがラジオのNo.1」(46ページ)
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1988年9月号特集「ラジパラタイムス」(68ページ)
- ^ 2007年度 JASRAC寄附講座 音楽・文化産業論Ⅱ
- ^ a b c 第147回国会 青少年問題に関する特別委員会 第5号 平成十二年四月十三日(木曜日) 衆議院会議録 2000年4月13日
- ^ 労働省労働基準局『労働基準法解釈総覧』労働調査会、第8版、2000年9月、ISBN 978-4897826271、pp.60
- ^ 「モー娘。だけが特別か」子役の労働時間問題(インターネットアーカイブ) asahi.com・週刊朝日 2003年9月19日号
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