世界歌謡祭

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世界歌謡祭
World Popular Song Festival
世界歌謡祭会場として行われた日本武道館
世界歌謡祭会場として行われた日本武道館
通称・略称 WPSF
開催時期 毎年10月
初回開催 1970年
最終開催 1989年
会場 日本武道館
主催 ヤマハ音楽振興会
後援 外務省文化庁東京都、日本航空、フジテレビジョン、ニッポン放送、ヤマハ発動機、ヤマハ、ヤマハレクリエーション
備考
1988年は諸事情で中止。

世界歌謡祭(せかいかようさい、World Popular Song Festival)は、ヤマハ音楽振興会が主催し1970年から1989年まで毎年秋頃に日本武道館で開催されたポピュラーソングコンテスト。通称「東洋のユーロビジョン・ソング・コンテスト」。

解説[編集]

1970年に東京国際歌謡音楽祭として開始され、翌年からは世界歌謡祭に改称された。日本からも弘田三枝子などの実力派歌手が出場している。1987年からはネッスル共催のBAND EXPLOSIONとの併催で行われていた。

1988年の第19回大会は昭和天皇の容態悪化を考慮し開催を中止。1989年の第20回大会はユニセフとの共催で歴代グランプリ受賞者によるチャリティーコンサートとし、20年の歴史に幕を下ろした。

テレビはフジテレビ日本テレビコッキーポップ)、ラジオはニッポン放送(コッキーポップ→ぽっぷん王国)でそれぞれ放送されていた。グランプリ受賞曲はフジテレビ『夜のヒットスタジオ』にて披露された。TBS東京音楽祭と並ぶ国際ポピュラー音楽コンクールとなった。

本大会は3日間にわたって開催。末期には2日間、1986年以降は1日開催となっており、最終日に本選が行われ、グランプリにはメダリオンと賞金10000ドルが授与されるほか、ほかに最優秀歌唱賞、金賞、川上賞、オーディエンス賞などがあった。

エピソード[編集]

当大会の司会は第1回から第15回まで坂本九が担当しており、大口のスポンサーとして日本航空ハウス食品工業が名を連ねていた。

しかし、1985年8月12日に起こった日本航空123便墜落事故により、坂本(過去ハウスのCMに出演歴あり)と当時のハウス社長・浦上郁夫がその犠牲となった。そのため、同年の第16回大会(司会はこの回から第2回グランプリ受賞者の上條恒彦)では大会中坂本の追悼コーナーも設けられた。

なお、同事故の影響により日航は第16回大会のスポンサードを辞退したが、第17回からスポンサーに復帰している。

歴代グランプリ[編集]

本選日時 作品
(得点順)
歌手
第1回 1970年11月22日 ナオミの夢 ヘドバとダビデ イスラエル
第2回 1971年11月27日 ただ愛に生きるだけ
出発の歌
マルティーヌ・クレマンソーフランス語版
上条恒彦六文銭
フランス
日本
第3回 1972年11月19日 恋のフィーリング
生きることが人生さ
カプリコーン
アーニー・スミス英語版
イギリス
ジャマイカ
第4回 1973年11月18日 あなた
パリは不思議
遥かなる道
恋に有頂天
小坂明子
ジルダ・ジュリアーニイタリア語版
ショーン・フィリプス英語版
キーリー・フォード
日本
イタリア
アメリカ
イギリス
第5回 1974年11月17日 夢みる心地
いつのまにか君は
エレン・ニコライセン英語版
浜田良美
ノルウェー
日本
第6回 1975年11月16日 ラッキー・マン
時代
ミスター・ロコ英語版
中島みゆき
メキシコ
日本
第7回 1976年11月21日 せつなく甘く
グッドバイ・モーニング
フランコ&レジーナ
サンディー
イタリア
日本
第8回 1977年11月13日 あんたのバラード
燃える想い
世良公則&ツイスト
ラッグス
日本
イギリス
第9回 1978年11月12日 夢想花
ラブ・ロック
円広志
ティナ・チャールズ英語版
日本
イギリス
第10回 1979年11月11日 哀しみのオーシャン
大都会
ボニー・タイラー
クリスタルキング
イギリス
日本
第11回 1980年11月16日 風に消えた恋
街が泣いてた
メアリー・マッグレガー英語版
伊丹哲也&Side by Side
アメリカ
日本
第12回 1981年11月1日 完全無欠のロックンローラー
希望への道
アラジン
オズヴァルド・ロドリゲス英語版
日本
キューバ
第13回 1982年10月31日 花ぬすびと
孤独の扉
明日香
アン・ベルトゥチ
日本
アメリカ
第14回 1983年10月30日 愛のゆくえ
冬の華
ニュートン・ファミリー
磨香
ハンガリー
日本
第15回 1984年10月28日 パーティー・ライツ
ふられ気分でRock'n' Roll
フランス・ジョリ英語版
TOMCAT
カナダ
日本
第16回 1985年10月27日 …洋子
恋のパズル
尾崎和行 & コースタルシティ
ヴァレリア・リンチ英語版
日本
アルゼンチン
第17回 1986年10月26日
(本選のみ)
明日行きの列車
ロングショット
小野健児
ステイシー・ラティソウ英語版
日本
アメリカ
第18回 1987年10月31日
(本選のみ)
テイク・オン・ザ・ワールド
No, No, No[注釈 1]
スード・エコー英語版
武内千佳
オーストラリア
日本

出典[1]

その他の主な出場者[編集]

商標[編集]

世界歌謡祭」は商標として登録されている。

称呼 登録番号 登録日 権利者
ワールドポピュラーソングフェステバル,
セカイカヨーサイ
第3023053号[2] 1995年(平成7年)2月28日 ヤマハ株式会社

注釈[編集]

  1. ^ 湯川れい子作詞。1989年6月に売野雅勇作詞で荻野目洋子が「湘南ハートブレイク」として発表した。

出典[編集]

  1. ^ 世界歌謡祭
  2. ^ 商標「世界歌謡祭」の詳細情報”. Toreru商標検索. 株式会社Toreru. 2022年1月7日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]