ずうとるび
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| ずうとるび | |
|---|---|
| 出身地 | |
| ジャンル | アイドル歌謡 |
| 活動期間 | 1974年 - 1982年 |
| レーベル | エレックレコード (1974年 - 1976年) 東芝EMI(1976年 - 1980年) |
| 共同作業者 | 三波伸介 |
| メンバー | 江藤博利 新井康弘 今村良樹 池田善彦 |
| 旧メンバー | 山田隆夫 |
ずうとるびとは、1974年から1982年の間に活動した日本のバンド、男性アイドルグループ。
目次
略歴[編集]
日本テレビの番組「笑点」のコーナー「ちびっ子大喜利」にて、山田隆夫が座布団10枚を獲得したことがデビューのきっかけとなった。
元々ギターが弾けた山田以外はまったく楽器が出来ず、パート決めでは楽譜が読めなくても演奏できそうなドラムパートの奪い合いになったと当時の芸能雑誌に紹介されていた。1974年2月に『透明人間』(作詞・作曲:山田隆夫)でデビューして以来、通算でシングル20枚、アルバム9枚などを発表した。
「ずうとるび」という名前は本人たちは、「ビートルズをひっくり返した」と言っている。ずうとるびの代表的なヒット作品には、『みかん色の恋』『恋があぶない』『初恋の絵日記』などがある。また、多数のバラエティ番組出演でも高い人気を持っていた。
歌番組では、4人並んで踊りながら歌う姿と、バンドとして演奏する姿の両方が見られた また、NHKの人気歌番組「レッツゴーヤング」の司会としても活躍し、その際にはバンド形式で演奏する姿もよく見られた。
紅白歌合戦に1度(1975年)出場している。
解散後[編集]
一度だけテレビ番組で山田、江藤、今村、新井のずうとるびが再結成された。
2012年6月、山田の芸能生活45周年パーティーに、江藤、今村、池田が出席した。
メンバー[編集]
江藤博利[編集]
- 1958年9月5日生まれ。血液型B型。宮崎県都城市出身。リードギター&リードボーカル担当。
- 結成当時は最年少だったことから、「ずうとるびのジョージ・ハリスン」と言われていた。また、当時メンバーの中でも甘いマスクを持つことから、断トツの人気を誇った。
- 山田隆夫脱退の後を受けてボケ役を担当するようになったが、山田が何かとシャカリキしており、コントの内容と関係ないポジションでボケるのに比べ、こちらは幾分「天然ボケ」の趣があり、あくまでコントの内容に沿った役柄で周囲とやり取りする中でボケることが多かった。
詳細は「江藤博利」を参照
新井康弘[編集]
- 1956年12月5日生まれ。血液型A型。東京都出身。ドラム&ボーカル担当。弟は新井つねひろ。
- 1977年、ずうとるび在籍中に「岸辺のアルバム」(TBSテレビ)に出演し注目される。
- 山田隆夫在籍中は暴走族風の髪型の不良キャラで売っていたが、山田が脱退し、自身がリーダーになってからは、髪型もキャラクターも等身大の青年風に変わる。
- 解散後は本格的に俳優の道に進む。俳優としての代表作は「大好き!五つ子」他。
詳細は「新井康弘」を参照
今村良樹[編集]
- 1957年9月19日生まれ。血液型A型。東京都目黒区出身。
- ベース&リードボーカル担当。グループ名がビートルズのパロディということからか、ポールマッカートニーばりに左利きでベースを構えていた姿が印象的。
- マンガやイラストが得意で、実際にコミック雑誌「デュオ」に読み切りのギャグマンガ「くるくるパーニック」を掲載したことがある。また、アイドル雑誌「明星」に刑事を兄に持つ男子高校生を主人公にした前後編の学園ミステリーを発表、シリアスな内容で完成度も高く周囲を驚かせた。
- アメリカへ留学のために芸能活動休止、これがきっかけで、ずうとるびも解散した。
- 帰国後は放送作家として「全国高等学校クイズ選手権」「マジカル頭脳パワー」などの人気番組の構成を担当。「お笑いマンガ道場」では構成を担当するとともに、自身も何度かゲスト出演していた。また、文化放送A&Gゾーン創成期に様々な番組を手がけて同枠の定着に功績を残した。2009年3月まで、日本テレビ系お昼の人気番組おもいッきりイイ!!テレビに出演していた。
- 2012年5月25日に出版された山田の著書『ボクに運が巡ってくる55の理由 座布団運び山田くんの法則』の企画・構成を担当している。
- 現在は紙芝居師の集団「渋谷画劇団」を旗揚げしプロデュースする一方、LINEのスタンプ作家として活躍。また、心療回想師として講演をこなしている。
池田善彦[編集]
- 1959年2月10日生まれ。血液型A型。兵庫県神戸市出身。
- 1977年、山田隆夫の脱退後、一般公募による新メンバー。サイドギター&ボーカル担当。
- メンバー加入直後に始まった東京12チャンネル系「三波伸介の凸凹大学校」にレギュラー出演。並行して役者としても数本単発ドラマに出演していた。
- 現在は、東京都中野区内で飲食店のオーナーを務める一方、closemeとアコースティックユニット「IKECLO」を結成、ライブ活動を始める。
脱退メンバー[編集]
山田隆夫[編集]
- 1956年8月23日生まれ。血液型A型。東京都深川出身。初代リーダーで、サイドギター&ボーカル担当。
- ずうとるび結成以前から作詞・作曲が趣味であった。また、ギターに関してはかなりのコレクターとして知られていた。
- 1977年、吉川圭子との結婚を機に脱退。現在は、かつて出演し、グループ結成のきっかけを作った笑点の座布団運び役として活躍中。
詳細は「山田隆夫」を参照
ディスコグラフィ[編集]
シングル[編集]
- エレックレコード時代
- 透明人間(1974年2月10日) - デビューシングル。作詞・作曲は山田隆夫が担当。
- 恋のパピプペポ(1974年8月10日)
- みかん色の恋(1974年11月10日) - アルバム「ずうとるびセカンド みかん色の恋」と同時発売。
- 恋があぶない(1975年3月25日) - アルバム「ずうとるびサード 恋があぶない」と同時発売。
- 太陽の季節(1975年7月1日)
- 初恋の絵日記(1975年9月5日) - NHK紅白歌合戦出場楽曲。
- 恋の夜行列車(1975年12月20日)
- ペチャパイブギ(1976年5月10日)
- 愛の反逆(1976年7月10日)
- 東芝EMI(現・EMI Records Japan)移籍後
- 大した娘だよキミは(1976年9月20日)
- ふとしたはずみで(1976年12月20日)
- 明日の花嫁さん(1977年5月5日) - この作品をもって山田はずうとるびを脱退。
- 青春のひらめき(1977年10月5日) - この作品から山田に代わり池田善彦が加入。
- 止めるならいまのうち(1977年12月20日)
- スカイランデブー(1978年3月20日)
- あの娘は宇宙人(1978年6月5日)
- Dr.スロットマシーン(1978年9月5日)
- Love Trip(1979年3月20日)
- ウッカリBOY チャッカリGAL(1979年8月20日)
- マルガリータ(1980年2月5日) - ラストシングル。
オリジナルアルバム[編集]
- エレックレコード時代
- ずうとるびファースト(1974年4月10日)
- ずうとるびセカンド みかん色の恋(1974年11月10日) - シングル「みかん色の恋」と同時発売。
- ずうとるびサード 恋があぶない(1975年3月25日)シングル「恋があぶない」と同時発売。
- ずうとるびフォース 愉快な仲間たち どりーむらんど(1975年8月1日)
- 恋の夜行列車〜愛と冒険の旅〜(1976年3月25日)
- 東芝EMI移籍後
- ずうとるびファイト!(1976年10月20日)
- 明日の花嫁さん ビバ・ジャパン'77(1977年7月5日)
- Beginning(1978年2月5日)
- 真夜中のピクニック(1978年8月5日) - ラストアルバム。
企画アルバム[編集]
- ずうとるびファースト・ライブ(1975年9月25日・エレックレコード) - ライブ・アルバム。
- ずうとるびとその仲間たち(1976年2月25日・エレックレコード) - キャシー&カレン、ジミー、レモンパイ、まりちゃんズの楽曲も収録したオムニバス・アルバム。
- ずうとるび すとうりい(1977年2月10日・東芝EMI) - 2枚組ベスト・アルバム。
- ずうとるび すとうりい ぱあとII 山田隆夫卒業アルバム(1977年9月5日・東芝EMI) - 山田隆夫の結婚脱退により急きょ発売された企画アルバム。
- ずうとるび ゴールデン☆ベスト〜エレック・セレクション〜(2011年3月16日・ポニーキャニオン、2013年11月20日・ワーナーミュージック・ジャパン)
出演[編集]
テレビ番組[編集]
- ちびっ子大喜利に出演。
- 三波伸介の凸凹大学校(東京12チャンネル→テレビ東京)
NHK紅白歌合戦出場歴[編集]
| 年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
|---|---|---|---|---|
| 1975年(昭和50年)/第26回 | 初 | 初恋の絵日記 | 04/24 | キャンディーズ |
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
エピソード[編集]
「ずうとるび」結成のきっかけを作った「笑点」のプロデューサーは、「ずうとるびを通じてブームの怖さとはかなさを知った。ブームに便乗するとブームが去った時に番組も終わってしまう」と雑誌の対談で語っていたことがある。この判断は1980年前後の漫才ブームの時に、ブームの中心となった漫才師達をほとんど出演させずブームからは距離を置くという形で現れている[1]。
脚注[編集]
- ^ 『笑点の謎』(河出書房新社刊、笑点探偵団著)p206〜p208より
外部リンク[編集]
- ずうとるびファンサイト(このサイトは事前に山田、新井、今村、江藤、池田の五人から承諾を得ている。)
|
||||||||||||||||||