スリーヤンキース

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スリー・ヤンキースとは、1978年ジャニーズ事務所からデビューした女性トリオである。

メンバー[編集]

  • 橋本美砂子(愛称:ミチャ。当時21歳。ファースト担当) - リーダー
  • 川崎志津子(愛称:アンパン。当時16歳。セカンド担当)
  • 松尾貴子(愛称:ブヒ。当時17歳。キャッチャー担当)

来歴[編集]

  • 1978年3月、フジテレビの女子野球番組『ニューヤンキース』の企画として、同名の女子野球チームが作られた。視聴者から選手を一般公募し、約2,500人の応募者の中から選ばれた35人(平均年齢18歳)を女子野球選手として鍛え、芸能人の野球チームと対戦させるという内容で、同年4月から放映が開始された。
  • ニューヤンキースのコーチには、元女子プロ野球選手の近藤信子中村桂子らが就任。この番組企画は、当時人気だった女子プロレスの「ビューティ・ペア」の野球版を狙ったもので、テレビという新しいメディアを通じて「興行としてのプロ」を目指したものであった。選ばれた選手の中には、ヤクルトスワローズ西武ライオンズの監督を務めた広岡達朗の長女も居たが、チームが芸能活動を始めると、父である広岡の意向で退団となった。
  • 当初は土曜日の19:30~20:54というゴールデンタイムに放映されたが、平均視聴率が10%に届かず、半年後の9月からは、放映時間がゴールデンから格下げとなった。
  • その後、メンバーから選抜した3人を「スリーヤンキース」としてジャニーズ事務所から歌手デビューさせたり、女子プロレスにならって悪役軍団(「ブラックイーグルス」)を登場させるなどのテコ入れを行ったが実らず、2年後には放映が終了。「ニューヤンキース」もしばらくして解散となった。
  • ジャニーズ事務所所属グループとしては当時でも数少ない女性タレントであった。

主な出演番組[編集]

テレビ番組[編集]

なお橋本は、解散後も『600 こちら情報部』(NHK総合)のレポーター、『3時のおじゃまクイズ』(東京12チャンネル)の初代アシスタント、『全日本女子プロレス中継』(フジテレビ)のレポーターなどで出演、またニューヤンキース時代の1979年と解散後の1980年には『新春オールスター大運動会』(TBS)にも出場(キャニオンチームで)、「走り高跳び」では同大会の女性記録となる「1m45」をマークした。

この他1979年7月21日公開の東映映画『わが青春のイレブン』(監督:降旗康男 / 主演:永島敏行)にも、ウエイトレス役で出演した。

雑誌[編集]

  • 月刊ウィークエンドスーパー 1978年11月号 セルフ出版(後の白夜書房) カラーグラビア4ページ

出演CM[編集]

当時同製品のCMに出演していた佐々木信也と、ニューヤンキースメンバーとして共演。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

  • ザ・ベースボール c/w ラッキーチャンス (1978年7月25日、キャニオン・レコード)

『土曜グランドスペシャル』の後期OPテーマ(前期はニューヤンキース全員による別曲)として使用したが、ニューヤンキースが出演しない『欽ドン!SP』とプロ野球中継には使用せず。その一方、『火曜ワイドスペシャル』や『日曜スペシャル』でニューヤンキース番組を放送した際には、OPテーマとして使用した。

ステージ衣装はニューヤンキースの実戦用ユニフォーム(ニューヤンキースには練習用のセカンドユニフォームも存在)をモチーフにしており、胸には筆記体で「3Yankees」と書かれ、野球用のストッキングは履かず、脚むき出し状態だった。なお『土曜グランドスペシャル』冒頭で歌った時は、実戦用ユニフォーム姿で歌った。

外部リンク[編集]