ヴィジュアル系

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ヴィジュアル系
様式的起源 アバンギャルドインダストリアルクラシック音楽グラムロックゴシック・ロックニュー・ウェーヴニューロマンティックハードコア・パンクハードロックビートロックプログレッシブ・ロックヘヴィメタルポップ・ミュージックロック
文化的起源 日本の旗 日本 1980年代中期
使用楽器 ボーカルギターベースドラムキーボード
流行時期 日本の旗 日本1990年代初期、同中期、2000年代中期
サブジャンル
オサレ系、黒系、コスプレ系、コテ系、白塗り系、ソフトヴィジュアル系、耽美系、ネオヴィジュアル系、ネタ系、密室系・地下室系
地域的なスタイル
名古屋系
関連項目
サブカルチャー
ロリータ・ファッション
ゴス (サブカルチャー)
ゴシック&ロリータ
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ヴィジュアル系(ヴィジュアルけい)は、日本ロックバンド及びミュージシャンの様式の一つ。特定の音楽ジャンルではなく、化粧ファッション等の視覚表現により世界観や様式美を構築するものである[1]。「ビジュアル系」とも表記され、「V系」(ブイけい)とも呼称される。

概要[編集]

「ヴィジュアル系」という呼称はX JAPANの『BLUE BLOOD』のキャッチコピー「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」が起源だとされることが多い[1]星子誠一は、雑誌SHOXXを創刊する際に、 HIDEの言葉を引用して「ヴィジュアル&ハードショック・マガジン」というサブタイトルをつけ始めたのが始まりだと主張している[2]。また、ヴィジュアル系という言葉が定着する前は、お化粧系という言葉が使われていたとも証言している[2]

1997年、SHAZNAのブレイク期に一般にも定着するようになり、「新語・流行語」[3]化。その後、『日本俗語大辞典』では、谷恒生の作品である『闇呪』の文章を引用し、音楽や男性に限定せず、少女に対しての使用例を挙げている[4]。なお、この語はフランスなどの日本国外においても「ビジュアルケイ」で通用する言葉となっている[5]

傾向・特徴[編集]

音楽的な特徴[編集]

基本的には日本国外のハードロックヘヴィメタル日本のパンク・ロックビートロック等から影響を受けたロックバンドが主流である[1]SHOXXの元編集長鈴木ぽっくんと音楽ライター長澤智典の対談では、ヴィジュアル系の音楽的な要素としてポジティブパンク[注 1]ヘヴィメタルが挙げられている[6]。実際にポストパンクやヘヴィメタルからの影響を語っているバンドとしては、TRANS RECORDS所属のASYLUM[7]DEAD END[8]から影響を受けていた黒夢デュラン・デュラン[9]ジャパニーズ・メタル[9]から影響を受けていたLaputaザ・キュアー[10]GASTUNK[6]から影響を受けたL'Arc〜en〜CielJapan[11]AION[11]からの影響を語っているLUNA SEA[6]などがいる。ジャンル自体が急速にメジャー化していった2000年以降のバンドは、これらの初期のヴィジュアル系バンドの他、歌謡曲等から影響を受けていることが多く、より洗練され、ポップな様式となった[12]。一方でMERRYMUCC蜉蝣等、華やかさや煌びやかさよりも、哀愁や官能美、グロテスクな表現やレトロな表現等で魅せるバンドも存在する[13]

歌詞の特徴[編集]

外見的な特徴[編集]

ヴィジュアル系バンド(MALICE MIZER)のコスプレ

1980年代は、ゴシック・ファッションのような黒服が王道であった。1990年代になると煌びやかなファッションが主流となり、cali≠gariのように80年代の王道の流れにあるバンドは異色な存在となる[14]。ヴィジュアル系バンドにとってメイクは音楽とともに自己表現の一つであったが、2000年以降はブームと時流により、ヴィジュアル系はメイクをするということが前提とされた[15]。2001年に結成したbaroqueは、後にオサレ系と呼ばれるポップでカラフルなメイクと衣装の原点となる[16]。オサレ系以外のジャンルに、ゴージャスな衣装と濃いメイクのコテヴィ系(コテコテのヴィジュアル系)、オサレ系以上にストリート的でナチュラルメイクのソフヴィ系(ソフトヴィジュアル系)、黒いエナメルや革に鋲を大量に身に付ける黒系、派手な甲冑や着ぐるみ、制服などを着るコスプレ系、白いドーランを塗り、和服や昭和のような服を着ていることが多い白塗り系等がある[17]

ファンの特徴[編集]

ヴィジュアル系バンドのファンの女性をバンギャル、男性をギャ男という。ファンの中には、バンドのメンバーと同じような服や、バンドの衣装を作っているブランドの同じ服を着たり、手作りをしたりといった、コスプレをする者が多い[17]

歴史[編集]

ヴィジュアル系黎明期[編集]

ヴィジュアル系という言葉がまだ存在しなかった頃に化粧をしていたヘヴィメタルバンドとして、1977年に結成された44MAGNUMがいる[6]。1977年に音楽雑誌FOOL'S MATEが創刊される[18]

1980年代に入ると、ヘヴィメタルが流行を迎える[19]。1984年には、後のヴィジュアル系のシーンに大きな影響を与えた[20]DEAD ENDが結成されている。

1985年ごろになるとTHE WILLARDLAUGHIN' NOSE有頂天のインディーズ御三家を中心にインディーズブームが起こる[21]。黒夢の人時は高校時代にLAUGHIN' NOSEのコピーをしたと語っている[7]清春も当時のインディーズシーンについて、「ビジュアルが衝撃的だった。男なのに化粧してる。こんな世界もあるんだって[22]」と述べ、なかでもTHE WILLARDのヴォーカリストJUNからの影響を公言している[21]

80年代中頃には、イギリスのポストパンク、ニューウェーヴの流れを受けてTRANS RECORDSが設立される[23]

1986年になると、X JAPANYOSHIKIエクスタシーレコードを設立し、「オルガスム」を発売。同年、COLORダイナマイト・トミーフリーウィルを設立し、「MOLT GRAIN」を発売する。

1980年代のシーンについて、掟ポルシェは「80年代って情念の塊のような時代だったと思うんです。(中略)例えば、80年代はメイクしなくちゃステージに立てなかった。つまり何か人と違ったことをしなければステージに出れないのが80年代だった」と振り返っている[23]

ヴィジュアル系黄金時代[編集]

エクスタシーレコードから、1988年にLADIESROOMが「SWAPPING PARTY」を、1989年にZI:KILLが『真世界〜REAL OF THE WORLD〜』を、1991年にLUNA SEAが『LUNA SEA』を、1992年にGilles de Raisが『殺意』を、1993年にmedia youthが『Awake of youth』を、1994年にGLAYが『灰とダイヤモンド』を発売し、デビューする。また、1990年には、ヴィジュアル系専門誌SHOXXが創刊される。

90年代初頭ごろから名古屋のシーンも活性化している[24]。インディーズシーンでは黒夢Silver-Roseと並んで「名古屋2大巨頭」とされるまでになった[24]

1994年に黒夢[25]が『for dear』を、GLAY[25]が「RAIN」を、L'Arc〜en〜Ciel[25]が『眠りによせて』をリリースしてメジャーデビューを果たす。同年、Silver-Roseが解散し、後にギターのKouichiLaputa[9]に、ベースのKaikiはROUAGEに、ドラムのKyoはMerry Go Roundにそれぞれ加入している。また、この年には L.S.B.と題してLUNA SEASOFT BALLETBUCK-TICKが全国ツアーを敢行[26]。各地の公演ではL'Arc〜en〜CielTHE YELLOW MONKEYTHE MAD CAPSULE MARKETSDIE IN CRIESらがオープニングアクトを務めた[26]

1995年にはSOPHIAが『BOYS』を、1996年にPENICILLINが「Blue Moon / 天使よ目覚めて」を、1997年にPlastic Treeが「割れた窓」を、1999年にDIR EN GREYが「アクロの丘」「残-ZAN-」「ゆらめき」を発売し、メジャーデビューする。ヴィジュアル四天王と呼ばれるLa'cryma ChristiSHAZNAFANATIC◇CRISISMALICE MIZERも活動を始める。97年にはSHAZNA[25]がメジャーデビューシングル「Melty Love」を累計88万枚、2ndシングル「すみれ September Love」を累計65万枚を売り上げ、1997年の日本有線大賞最優秀新人賞。MALICE MIZERであったGacktや、ギターのManaらは、バンドが活動休止した現在も精力的に活動している。またeast west japanに移籍したPENICILLINロマンスを累計90万枚売り上げた。アリーナやドームクラスの会場でワンマンライヴをするバンドも現れ、PIERROTはメジャーデビューから日本武道館西武ドームでのワンマンライブに至るまでの当時の最短記録を更新した。1996年には、インディーズバンドを紹介する音楽番組「Break Out」の放送が始まる。

ヴィジュアル系氷河期[編集]

往時は隆盛を極めたヴィジュアル系であったが、2000年以降、世間からはすでに「終わった」ものであると見なされ、ヴィジュアル系氷河期を迎える[27]。しかし、2002年にはcali≠gariが「第7実験室予告版〜マグロ〜」で、Psycho le Cemuが「愛の唄」でメジャーデビューし、これらの世代のバンドの功績がその後のネオ・ヴィジュアル系ブームへと繋がってゆくこととなる[27]。この他、2003年にはMUCCが「我、在ルベキ場所」を、baroqueが「我伐道」を発売し、メジャーデビューする。

ネオ・ヴィジュアル系ブーム[編集]

2004年前後に台頭した新たなヴィジュアル系アーティストを、ネオ・ヴィジュアル系と呼ぶ。ヴィジュアル系の専門媒体、専門レコード店、V箱(ぶいばこ)と呼ばれる専門ライブハウスを中心にムーブメントを起こしたこれらのバンドについて、SHOXX編集部は「ルックスの良さがまず先にあって、ある意味でアイドル的な盛り上がり方に似ています」、「ライヴも、よりエンターテインメント性が強く、芝居の要素を取り入れるバンドも目立っていて、そんなライヴの雰囲気をファンは楽しんでいるようです」と述べた[28]

the GazettEは「Cassis」で6位(2005年12月19日付)、「紅蓮」で3位(2008年2月25日付)など、ナイトメアは「the WORLD/アルミナ」で5位(2006年10月30日付)、「レゾンデートル」で3位(2007年6月18日付)など、Alice Nineは「TSUBASA.」で6位(2007年11月5日付)、「RAINBOWS」で6位(2008年8月18日付)など、アンティック-珈琲店-は「覚醒ヒロイズム 〜THE HERO WITHOUT A "NAME"〜」で13位(2007年9月3日付)、「小悪魔USAGIの恋文とマシンガン e.p.」で12位(2008年11月10日付)など、シドは「モノクロのキス」で4位(2008年11月10日付)、「」で2位(2009年5月11日付)など、オリコンチャートでヒットを記録する。また、2009年10月下旬には、初のヴィジュアル系ロック・フェスティバルである「V-ROCK FESTIVAL '09」が幕張メッセにて開催され[29]、ネオ・ヴィジュアル系をはじめとして多くのヴィジュアル系バンドが出演した。

しかし、レコード会社がネオ・ヴィジュアル系ブームの絶頂期にバンドのメジャーデビューを企図してから、実際にメジャーデビューが果たされるころにはすでにブームが衰退しかけており[30]、Dはオリコンチャートの最高順位をファーストアルバム『Genetic World』の11位からセカンドアルバム『7th ROSE』で37位に下げ、メガマソはファーストアルバム『M of Beauty』の最高順位が76位となり、宇宙戦隊NOIZはファーストアルバム『GREAT ROCK'N' ROLL HEROES』 がベスト盤でありながらも最高順位を158位(その後のシングル『BRAND NEW WORLD』は最高順位117位)に留め、D'espairsRayはファーストアルバム『REDEEMER』が最高順位39位であった。宇宙戦隊NOIZは、その後再びインディーズレーベルへ移籍している。

ネオ・ヴィジュアル系のブームが到来する一方で、2000年代の末ごろにはDEAD ENDが再結成を果たし[31]X JAPAN攻撃再開 2008 I.V.〜破滅に向かって〜と題して復活コンサートを行う[32]など、ジャンルの始祖とされるバンドの再活動が行われた。

2010年代[編集]

前年に一夜限りの復活をしたLa'cryma Christiが2010年にはツアー開催を発表[33]、同じく前年に一夜限りの復活をしていた黒夢も再始動をし[34]LUNA SEAも「LUNA SEA REBOOT」と題して再活動を宣言する[35]など、90年代に活動したバンドの再活動が発表された。また、限定復活したバンドとして2012年にライブを行ったMASCHERA[36]、2014年にライブを行ったPIERROT[37]がいる。

2013年には、ジャンルに大きな影響を与えたDEAD ENDへのトリビュートとしてL'Arc〜en〜CielLUNA SEA黒夢Cali≠gariJanne Da Arcなどのメンバーが参加した『DEAD END Tribute -SONG OF LUNATICS-』が発売された[38]

ヴィジュアル系シーンでは特筆すべき音楽専門誌であった『Neo genesis』は、2011年3月8日発売のVol.53を最後に、以降の新刊の発行が停止され、『Zy.』は、2011年4月1日発売のNo.56を最後に休刊した。『FOOL'S MATE』も、2012年12月発売の第376号をもって、以降の新刊の発行を停止した[39]

2010年代に入ってからは、AngeloAlice Nine[40]シド[41]LM.C[42]ゴールデンボンバー[43][44]など、若手・中堅世代のバンドが日本武道館横浜アリーナでワンマンライブを行った。また、ヴィジュアル系ロック・フェスティバルの「V-ROCK FESTIVAL 2011」が、二年ぶりとなる2011年10月23日にさいたまスーパーアリーナで開催された[45]

評価と影響[編集]

マーティ・フリードマンによる評価[編集]

マーティ・フリードマンによれば、ヴィジュアル系はX JAPANの功績によって、一般的に広く認知され、曲調に関してもヘヴィメタルを基軸にしながらもその実は非常に広い音楽性の幅を持っているという[46]。本来、ひとりの人間が好む曲調はある程度の幅に収まるはずであるがX JAPANは「Silent Jealousy」のような攻撃的・高速の曲から「Say Anything」のようなバラードまで発表しており、ファンもそれを受け入れている。それはX JAPANがその外見と共にサウンドもブランドとして確立した証拠であるとしている[47]。また、日本のヴィジュアル系は世界に誇れる最高の文化であるとしている。現在のアメリカやイギリスやヨーロッパでは、外見をより重要視するようなバンドは蔑視される傾向にある(日本においても一部そういった傾向が見られる場合が少なくない)が、ロックバンドはキッスのようにイメージもかっこよくあるべきであるとの意見を述べている。さらに、外見も表現の一部として取り入れているJ-POPならではの現象は、「形」を重視する日本文化、特に男性が化粧をする歌舞伎文化との関連性をも推測している。キッスは歌舞伎に影響されたという説もあるため、ヴィジュアル系は日本文化の逆輸入とも捉えられる、としている[47]。ただし、キッスの創立者であるジーン・シモンズは、自伝で歌舞伎からの影響を否定している。

ヴィジュアル系シーンの衰退・終焉[編集]

NoGoDの団長は2012年12月31日時点の取材に応じ、本人の活動経験も踏まえたうえで、『「ヴィジュアル系」って、もうとっくに終わってる』、『音楽業界の中で「ネオヴィジュアル系ブーム」と言われてた頃には本当はもう終わりかけていた』との見解を示した[30][48]。ヴィジュアル系シーンは、若手のインディーズ・バンドの活躍がメジャーも含めたシーン全体の活性化へと結びついていた側面があった[30]。しかし、衰退の著しいヴィジュアル系シーンを嫌気し、新たに参入する若手は減少してしまった[49]。結果として、ライブハウスに足を運ぶ客数は、ネオ・ヴィジュアル系の流行期であった2005年と比して3分の1にまで減少した[30][49]

「ヴィジュアル系の父」とも称される音楽評論家市川哲史は2013年6月28日時点の取材に応じ、「ヴィジュアル系は終わった」との見解を示した[50]。市川は、DIR EN GREYムックの世代のバンドまでは確固たる信念に基づくヴィジュアル系としての必然性を備えていたことを認めたが、それ以降の世代のバンドに関しては単にヴィジュアル系という様式の上辺のみをなぞっていたにすぎず、彼らがヴィジュアル系であることの必然性は失われたと批評した[50]。NoGoDの団長も、「別にヴィジュアル系じゃなくてもいい、音楽が出来ればいい」という姿勢のバンドに対し「信念が曲がった」と批判し、「最初にヴィジュアル系をはじめようと思った理由はなんなのか聞きたいです」と疑念を呈した[51]。また、「人と同じような化粧をすることが目的になった時点で、このジャンルの精神は死んでる」と述べた[51]

市川も、NoGoDの団長も、紅白歌合戦の出場経験を複数回有するゴールデンボンバーというバンドのみが際立って広く世間一般に受け入れられた点に関しては、好意的に評価した[30][48][50]。しかし、市川はゴールデンボンバーをもってしてヴィジュアル系の「最後の後継者」であると述べ、彼らを後継するバンドが今後現れる可能性はなく、ヴィジュアル系はゴールデンボンバーによって終わりを告げられたと結論づけた[52]。ヴィジュアル系のシーン全体を見ると、ヴィジュアル系そのものが支持されたという論証には至らなかった[30][48]

問題[編集]

日本国外での受容の実態と不法ダウンロード[編集]

2009年10月4日、ヴィジュアル系が日本国外で人気を博しているという報道がオリコンによりなされた[29]。しかし、日本国外へ向けて日本の音楽を販売する音楽配信サイト「HearJapan」の代表であるネイサン・リーヴンは、特に日本国外のヴィジュアル系ファンへ向けて、自社のウェブサイトに書簡を掲載した[53]。以下に抄訳して引用する。

日本国外において、日本の音楽のファン層は急速に拡大しており、バンドもようやく海外へ赴くようになり、現地のファンとのつながりを持とうと行動し始めました。この流れは特にヴィジュアル系で顕著であったため、私は(HearJapanの設立に当たり)ヴィジュアル系の充実を図りました。しかし、ヴィジュアル系以外の他のどのジャンルの売上も、ヴィジュアル系と比較して五倍の大差をつけたのです。この衝撃は筆舌に尽くせません。各ヴィジュアル系バンドについているファンは無数にいるのにもかかわらず、なぜヴィジュアル系のアルバムの売上はまるで振るわないのか、私は自問しました。(中略)

結局、ヴィジュアル系の音楽を売る唯一の方法は、リリース日直前までのゴリ押し(と結果としての購入予約)以外にはないことが分かりました。リリース日以降は、すぐに売れなくなってしまうのです。その理由は明快で、バンド、レーベル、または楽曲制作に時間と金銭を投資した関係者らの許可なく、音楽ファイルがネットにアップロードされてしまうことに他なりません。ネット上の多くのユーザーが、他のヴィジュアル系ファンへ音楽を無料でダウンロードさせることに誇りと喜びを持っており、さらに重要なことには、それが権利者(アーティスト、音楽プロダクション、レコードレーベル、著作権管理団体、撮影者など)の許諾なく行われているということなのです。これが、ヴィジュアル系がリリース日以降に売れなくなる理由です。(中略)

HearJapanでのダウンロード販売だけの問題ではありません。私はいくつかのヴィジュアル系バンドのCD輸出データを拝見したのですが、残念ながら、そこにはHearJapanのダウンロード販売と同様の悲しい相関関係が見られました。この手紙はHearJapanがこうむった損失についてお伝えするものではありません。ヴィジュアル系以外のジャンルの売上が、ヴィジュアル系の売上不振を補ってあまりあるものだからです。この手紙でお伝えしたいことは、ネットで音源を不法に頒布する行為が、アーティストに対してだけではなく、巡り巡って結果としてはファン自身へともたらされる問題であるということなのです。

私は(HearJapanでは配信されていない)多くのヴィジュアル系バンドおよびレーベルと話をしてきたなかで、異口同音に同じ話を耳にしました。公式サイトやMySpaceに海外からのアクセスが殺到していることから、彼らは期待を膨らませて海外ファンへ音楽を販売しようと努力したところ、巨額の損失をこうむってしまったとのことです。(中略)

バンドの情報を正確に翻訳し、音楽ファイルのエンコーディングにかかりっきりとなり、サイトのページにはタグをつけ、宣伝し、バンド側の要請に基づき万事これで問題ないかとバンド側へ確認の電話を何度もかけた私もまた、損失をこうむりました。しかしバンド側がこうむった損失に比べれば、私の損失など微々たるものです。果たしてあなたは、全精力を傾けて、時間もお金も使って制作した何かを世に発表し万人から称讃の嵐を浴びたとしても、最後には一銭ももらえずに馬鹿を見ただけだとしたら、そんなことをまた続けたいと思うでしょうか。私には、とてもそうは思えません。(中略)

しかしながら、(権利者の許諾なく音楽ファイルをネット上で不法に頒布するユーザーらがうそぶく)もっとも大きな言い訳は、「私はバンドをさらに多くのファンへと紹介している。多くのファンを作ることで私がバンドを助けている」から問題ないとする主張です。これは確かに一片の真実を含んでもいます。しかし私が見た(不法)ダウンロードはどれも、JロックファンからJロックファンへと回されていました。JロックファンからJロックファンへと音楽ファイルを共有したところで、バンドの助けにはいささかもなりません。新しいファンが作り出されることにはならないからです。ネットへの不法アップロードでもたらされることといえば、バンドが(金銭面でも)苦心惨憺して制作したアルバムから得られるであろう利益のすべてを抹殺してしまうことくらいです。ファンは、無料で手に入る音楽にお金を払おうとはしません。すでに日本国外に一万人を超えるファンがいるというのに、楽曲を無料で頒布しなければならない理由はどこにもありません。私は、ヴィジュアル系のファン層が、これらの不法行為によって大きく拡張されてきたことをよく存じております。しかし、私はヴィジュアル系のアルバムの売上がまったく増加していないという事実にも気がついています。もしあなたが他の誰かに、まだ聴いたことがないであろう音楽を紹介したい場合は、その楽曲を(ネットで頒布せずに)ただ単に送るか、YouTubeのPVのリンクを送るだけに留めてくださいませんか。アーティストのわずかなチャンスを瞬時に抹殺するような行為は、どうか慎んでください。

ネイサン・リーヴン、HearJapan

リーヴンは、インターネットにて楽曲を不法に頒布する多くのヴィジュアル系ファンを痛烈に批判し、その不法行為はバンドの音楽活動を阻害するのみならず、バンドが今後飛躍する可能性を(とりわけ金銭面から)摘み取ってしまうとして警鐘を鳴らした。また、日本国外のヴィジュアル系ファンの間において音楽ファイルの不法な共有が常態化しているという実態に関しては、リーヴンの指摘のみならず、アニメの情報サイト「Japanator」もリーヴンの発言を受けて記事を発表した[54] 。以下に抄訳して引用する。

真の問題は、ファイル共有というその場限りの入手方法へと、浅はかなファンを結びつけてしまうことだ。ヴィジュアル系は略奪の格好の的だ。それというのも、ファンの圧倒的多数はヴィジュアル系バンドメンバーの外見にしか興味を示さず、たとえ熟達したミュージシャンが目の前で飛び跳ねようとも彼女について深く知ろうとはしないからだ。そういう人々にとって、音楽は一切意味がない。音楽はかわいい顔の単なるオマケ程度のものでしかない。それも、親たちが当惑して首を振るような顔の。こうした若者の多くにとって、ヴィジュアル系バンドは自分は特別な存在なのだという自意識を築くための小道具にすぎないし、単にバンドのアルバムを持っていることが反抗と世慣れした価値観のしるしとなる。
(中略)
ファイル共有が音楽産業を殺そうとしているのではない。浅はかなファンが殺すのだ。

ザック・ベンツ、Japanator

ベンツの指摘により、いわゆる「顔ファン」(バンドマンの外見のみでファンになり音楽には興味がないファンを指す俗語)が日本だけではなく日本国外においても存在し、むしろ「顔ファン」が日本国外では主流であることが明らかにされた。

日本国内では、ヴィジュアル系アーティストのCD売上はヴィジュアル系専門レコード店での限定購入特典や、専門レコード店で開催される「インストア・イベント」に支えられることが多い。これは「AKB商法」としてしばしば批判される売り方と共通してはいるものの、限定グッズや限定写真を入手したり、あるいは本人と会話や握手をするためにCDを(一人で何枚も)購入するという購買の動機づけには結びつく。しかし「顔ファン」にとっては音楽は「意味がない」ため、ライブやイベントなどで本人と接触する機会に乏しい海外在住者は、音楽そのものにお金を払う理由がなくなる。

リーヴンが書簡のなかで例示しているが(上記引用文では未訳のため原文[53]を参照されたい)、原盤制作には少なくとも一万米ドル以上の予算が必要とされる。メジャー・レーベルによるフルアルバムの原盤制作ともなれば、一千万円近くの費用が生ずる[55]。しかし日本国外の音楽ファンは、アーティストやレーベル側から正規の購入方法を提示されても、音楽に対してあまりお金を払おうとしない。それはアーティストやレーベル側が費やした原盤制作費を回収できず、次の原盤を作る費用を捻出できないことを意味する。リーヴンらの指摘は、楽曲の違法アップロードが日本国外でのヴィジュアル系の人気を助けているものの、それがヴィジュアル系音楽業界に経済的利益を直接与えることはなく、ゆえにその衰退を助長しうることを明らかにした。

ヴィジュアル系シーンの舞台裏の実情[編集]

約六年間ヴィジュアル系バンドのヴォーカリストとして活動していた金子友也は、BLOGOSの取材に応じ、1994年から2010年までの自身の経験を交え、元ヴィジュアル系のバンドマンという視座からシーンの問題点を指摘した[56]

高校生の時に結成したバンドで音楽祭に出場し、奨励賞を受賞した金子は、バンドのメンバーとともに音楽で成功することを志し栃木から上京し、音楽を学ぶために音楽大学へも進学した[56]。しかし金子が見聞きし、実際に体験したヴィジュアル系シーンの舞台裏は苛烈を極める凄惨な様相を呈していた[56]。ヴィジュアル系の音楽事務所も、ヴィジュアル系のアーティストも、ヴィジュアル系のファンも、みな相互に扶助しあう関係性にはなかった[56]。ヴィジュアル系という極々限られた小さな市場から得られる僅かな経済的利益を奪い合い、そしてお互いがお互いを潰し合う、痛ましい状況であった[56]。なお、金子はヴィジュアル系をやめた後にWing Swingsというバンドを結成するも、2年間で解散した[57]

主なヴィジュアル系アーティスト[編集]

ヴィジュアル系のレーベルおよび音楽プロダクション[編集]

ヴィジュアル系を専門範囲とするレーベルおよび音楽プロダクションは、1980年代後期よりその存在が確認されている。

初期ヴィジュアル系バンドの音楽プロダクションとしては、YOSHIKIの主宰するエクスタシーレコードとDYNAMITE TOMMYが総指揮を執るフリーウィル・レコードが、「東のエクスタシー、西のフリーウィル」と謳われるジャンルのフロンティアとして双璧をなした。その後はアナーキストレコードデンジャークルークライスキーパーティーなどの専門レーベルが次々と台頭した。現役か、もしくはかつてヴィジュアル系ミュージシャンとして活動していた経営者が主宰する場合も少なくはない。ミュージシャンの主宰以外では、イベンターやライブハウスの系列事務所、エイベックスなどの大手レコード会社の傘下の事務所もヴィジュアル系のマネージメントを手がけている。ただし、1990年代のヴィジュアル系全盛期のブームに乗って乱立したレーベル・プロダクションには、ブームが終息し市場が収縮を始めると早々に姿を消したものも少なくない。

なお、タレントを主力とする芸能事務所が手がけたケースは少ない。これらの会社の手法ではヴィジュアル系バンドを商業的に成功させることが難しく、田辺エージェンシーホリプロ[注 2]などは撤退している。

ミュージシャンが主宰するレーベル、プロダクション[編集]

レーベル、プロダクション 主宰者
アナーキストレコード KENZI
Matina(解散)→UNDER CODE PRODUCTION(解散) KISAKI
エクスタシーレコード YOSHIKI[58]
Keasler Japan Limited TOKI
KreisTokyo Monochrome Factory Records YUKIYA[59]
CROW MUSIC TATSUYA
LOOP ASH株式会社マーサ傘下レーベル) 未散
APPLAUSE RECORDS KAMIJO
Sherow Artist Society KAMIJO
Sequence Records
Starwave Records Kiwamu
フリーウィル ダイナマイト・トミー
FULLFACE RECORDS 清春
midfield 清春
marder suitcase株式会社フジプロダクション内レーベル) MAHIRO
GRADATION(解散)
Midi:Nette
密室ノイローゼ(株式会社3.14内レーベル) 桜井青
DANGER CRUE RECORDSMAVERICK D.C. GROUP内レーベル) 大石征裕
オフィスキンメダイ 犬神明
吐血クマレコーズ

ミュージシャンが主宰していないレーベル、プロダクション[編集]

ヴィジュアル系を扱うメディア[編集]

テレビ・ラジオ[編集]

放送中のテレビ番組
放送中のラジオ番組
終了したテレビ番組
終了したラジオ番組

専門誌[編集]

現在刊行されている雑誌

休刊・廃刊した雑誌

脚注・出典[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ポジティブパンクはポストパンクのサブジャンルであるゴシック・ロックの一部のシーンを指す言葉。詳しくはゴシック・ロック参照。
  2. ^ 田辺エージェンシーはD-SHADE、ホリプロはMASCHERA

出典[編集]

  1. ^ a b c 出嶌孝次 (2007年5月24日). “第13回 - VISUAL-KEI” (日本語). bounce.com. タワーレコード. p. 1. 2007年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月23日閲覧。
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  4. ^ 日本俗語大辞典』 米川明彦、東京堂出版2003年11月(日本語)。ISBN 978-4-490-10638-1ASIN 4490106386
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  7. ^ a b 独占インタビュー】黒夢 PART.1”. LikeDis. 2015年5月6日閲覧。
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参考文献[編集]

外部リンク[編集]