ヴィジュアル系
ヴィジュアル系 | |
---|---|
様式的起源 |
アバンギャルド インダストリアル クラシック音楽 グラムロック ゴシック・ロック ニュー・ウェイヴ ニューロマンティック ハードコア・パンク ハードロック ビートロック プログレッシブ・ロック ヘヴィメタル ポスト・パンク ポップ・ミュージック ロック |
文化的起源 | 日本 1980年代中期 |
使用楽器 |
ボーカル ギター ベース ドラムス キーボード |
サブジャンル | |
昭和歌謡系 (Showa Kayou Kei) 醫療系 (Iryou Kei) 耽美系 (Tanbi Kei) お化粧系 (Okeshou Kei) お灑落系 (Osare Kei) コスプレ系 (Cosplay Kei) ラウド系 (Loud Kei) コテオサ系 (Koteosa Kei) アート系 (Art Kei) 密室系 (Misshitsu Kei) 名古屋系 (Nagoya Kei) 和風系 (Wafuu Kei) ピコピコ系 (Piko-Piko Kei) コテ系 (Kote Kei) メンヘラ系 (Menhera Kei) 黒服系 (Kurofuku Kei) 白塗り系 (Shironuri Kei) キラキラ系 (Kirakira Kei) 白系 (Shiro Kei) ソフトビジュアル (Soft Visual) | |
地域的なスタイル | |
名古屋系 | |
関連項目 | |
サブカルチャー ロリータ・ファッション ゴス (サブカルチャー) ゴシック&ロリータ バンギャル |
ヴィジュアル系(ヴィジュアルけい)[1]は、日本のロックバンド[2] 及びミュージシャンの様式の一つ。bounce.comの出嶌孝次は、「特定のサウンドを示す言葉ではなく、化粧やファッション等の視覚表現により世界観や様式美を構築するもの」と定義している[3]。一方で音楽ジャンルの1つとして扱う文献も存在しており[4][5][6]、グラムロック、パンク・ロック、ヘヴィメタルと関連づけられている[7][8][9][10]。「ビジュアル系」とも表記され、「V系」(ブイけい)[1]、「V-ROCK」(ブイ・ロック)とも呼称される。
呼称に関して
[編集]起源
[編集]「ヴィジュアル系」という呼称はX JAPANの『BLUE BLOOD』のキャッチコピー「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」が起源だとされることが多い[3]。星子誠一は、雑誌『SHOXX』を創刊する際に、HIDEの言葉を引用して「ヴィジュアル&ハードショック・マガジン」というサブタイトルをつけ始めたのが始まりだと主張している[11]。また、ヴィジュアル系という言葉が定着する前は、「お化粧系」という言葉が使われていたとも証言している[11]。
1997年、SHAZNAのブレイク期に一般にも定着するようになり、「新語・流行語」[12]化した。その後、『日本俗語大辞典』では、谷恒生の小説『闇呪』の文章を引用し、音楽や男性に限定せず、少女に対しての使用例を挙げている[13]。なお、この語は日本国外においても「Visual-Kei」で通用する言葉となっている[2][14]。
しかし、1998年にデビューしたPIERROTの元ギタリストであり、LM.Cの現ギタリストでもあるAijiは、シーンに属していた当事者の視点からこう語っている。
「 | ヴィジュアル系っていう言い方は、ライヴハウス界隈では93年ぐらいからあったはあったんですけど、それが市民権を得た後にデビューした自分らであっても、ヴィジュアル系という言葉には違和感がありました。それよりも、“お化粧系”のほうがしっくりくるというか。やっぱり10代で一番使ってた言葉だから[15]。 | 」 |
蔑称としてのヴィジュアル系
[編集]上記の通り、当初この言葉自体に侮蔑的な意味合いは込められていなかった。当時のミュージシャンの多くが優先していたのはあくまでサウンドであり、メイクは世界観を表現するためであったり[16][17]、観客を喜ばすためのものだったが、1990年代から2000年代にかけて、ヴィジュアル系という用語は中身よりも外面重視というような批判を込めた[18]差別的な言葉だととらえられていた[19]。音楽評論家の市川哲史は、当時"ヴィジュアル系"という言葉がシーンでどのように受け止められていたかについて、「僕が仕事的に関わっていた黎明期から隆盛期――あの時代のバンドたちはそもそも自分たちをV系だとは思ってなかったし、表立ってヴィジュアル系といわれることに否定はしないけど『今に見てろよコラ』みたいな、差別語・侮蔑語的な捉え方をしているバンドが多かったですねぇ」と証言している[20]。このように1990年代のヴィジュアル系バンドの中にはヴィジュアル系と称されるのを嫌がるものも多く[21][16]、実際にL'Arc〜en〜Cielが番組内で「ヴィジュアル系バンド」と呼ばれたことを理由にポップジャムへの出演をキャンセルする事件が起きている[22]。
ヴィジュアル系が差別された要因としてはさまざまなものが考えられる。音楽雑誌が各々ジャンルを区別し、バンドの掲載可否を決めたことが結果的にはファンや関係者の意識に作用したという説もある一方[23]、「コスプレ的」「キャラクター的」な側面が嫌悪されたのではないかという説もある[24]。
再評価
[編集]2010年代になると、90年代ヴィジュアル系の再評価が進み[25]、差別用語としてとらえられることは少なくなった[19]。ヴィジュアル系という言葉の意味合いが変わった経緯について、市川は現在大物のキッスも出てきた当初は批判されたので、ヴィジュアル系が最初は批判されてのちに評価されたのもそれと同じようなものではないかと述べている[26]。
傾向・特徴
[編集]音楽的な特徴
[編集]音楽性は多岐にわたっており、明確な定義をあげるのは困難である[2]。しかし、基本的には日本国外のハードロックやヘヴィメタル、日本のパンク・ロックやビートロック等から影響を受けたロックバンドが地下だといえる[3]。
『SHOXX』の元編集長鈴木ぽっくんと音楽ライター長澤智典の対談では、ヴィジュアル系の音楽的な要素としてポジティブパンク[† 1][† 2]とヘヴィメタルが挙げられている[28]。実際にポストパンクやヘヴィメタルからの影響を語っているバンドとしては、TRANS RECORDS所属のASYLUM[29] やDEAD END[30] から影響を受けていた黒夢、デュラン・デュラン[31][32]やジャパニーズ・メタル[33][34][35]から影響を受けていたLaputa、ザ・キュアー[36] やGASTUNK[28] から影響を受けたL'Arc〜en〜Ciel、Japan[37] やAION[38] からの影響を語っているLUNA SEA[28] などがいる。ジャンル自体が急速にメジャー化していった2000年以降のバンドは、これらの初期のヴィジュアル系バンドの他、歌謡曲等から影響を受けていることが多く、より洗練され、ポップな様式となった[39]。一方でMERRYやMUCC、蜉蝣等、華やかさや煌びやかさよりも、哀愁や官能美、グロテスクな表現やレトロな表現等で魅せるバンドも存在する[40]。
外見的な特徴
[編集]視覚表現もバンドによって様々であるといわれている[2]。
1980年代はゴシック・ファッションのような黒服が王道であった。1990年代になると煌びやかなファッションが主流となり、cali≠gariのように80年代の流れにあるバンドは異色な存在になった[41]。ヴィジュアル系バンドにとってメイクは音楽とともに自己表現の一つであったが、2000年以降はブームと時流により、ヴィジュアル系はメイクをするということが前提とされた[42]。2001年に結成したbaroqueは、後にオサレ系と呼ばれるポップでカラフルなメイクと衣装の原点となる[43]。オサレ系以外のジャンルに、ゴージャスな衣装と濃いメイクのコテヴィ系(コテコテのヴィジュアル系。コテ系とも称される[2]。)、オサレ系以上にストリート的でナチュラルメイクのソフヴィ系(ソフトヴィジュアル系)、黒いエナメルや革に鋲を大量に身に付ける黒系、派手な甲冑や着ぐるみ、制服などを着るコスプレ系、白いドーランを塗り、和服や昭和のような服を着ていることが多い白塗り系等がある[44]。
ファンの特徴
[編集]ヴィジュアル系バンドのファンの女性をバンギャル、男性をギャ男という。ファンの中には、バンドのメンバーと同じような服や、バンドの衣装を作っているブランドの同じ服を着たり、手作りをしたりといった、コスプレをする者が多い[44]。
歴史
[編集]ヴィジュアル系黎明期
[編集]ヴィジュアル系という言葉がまだ存在しなかった頃に染髪と化粧をしていたバンドとして、1977年に結成されたヘヴィメタルバンドの44MAGNUM[28]、プログレッシブ・ロックバンドのNOVELAがいる[45]。
ヘヴィメタル
[編集]1980年代に入ると、ヘヴィメタルが流行を迎える[46]。1984年には、後のヴィジュアル系のシーンに大きな影響を与えた[47]DEAD ENDが結成されている。
1986年になると、X(1992年に「X JAPAN」に改名)のYOSHIKIはエクスタシーレコードを設立し[48]、「オルガスム」を発売。
パンク
[編集]1977年に音楽雑誌FOOL'S MATEが創刊される[49]。初代編集長を務めた北村昌士は、のちにイギリスのポストパンク、ニュー・ウェイヴの流れを受けてTRANS RECORDSを設立している[50]。同じくイギリスのポスト・パンクシーンの影響を受けたバンドとしては、「1979年秋から1980年中期までロンドンに帯在し、バウハウスに多大な影響を受け[51]」たGENETが1980年に結成したAUTO-MODなどがある。
1982年には、ニュー・ウェイヴバンド一風堂がシングル「すみれ September Love」をリリースし、ヒットさせる[52]。のちに、この曲はSHAZNAやメガマソといったヴィジュアル系バンドによってカバーされることとなった。
1985年ごろになるとTHE WILLARD、LAUGHIN' NOSE、有頂天のインディーズ御三家を中心にインディーズブームが起こる[53]。黒夢の人時は高校時代にLAUGHIN' NOSEのコピーをしたと語っている[29]。清春も当時のインディーズシーンについて、「ビジュアルが衝撃的だった。男なのに化粧してる。こんな世界もあるんだって[54]」と述べ、なかでもTHE WILLARDのヴォーカリストJUNからの影響を公言している[53]。
1986年、COLORのダイナマイト・トミーはフリーウィルを設立し、「MOLT GRAIN」を発売する。
1980年代のシーンについて、ニュー・ウェイヴバンドロマンポルシェ。のメンバーである掟ポルシェは「80年代って情念の塊のような時代だったと思うんです。(中略)例えば、80年代はメイクしなくちゃステージに立てなかった。つまり何か人と違ったことをしなければステージに出れないのが80年代だった」と振り返っている[50]。
ヴィジュアル系黄金時代
[編集]1980年代の終わり頃から1990年代のはじめにかけて、1980年代の音楽シーンの影響を受けたバンドが現れる。音楽ジャーナリストの沢田太陽は、「(この時期に現れたバンドは)X JAPANやDEAD ENDのようなメタルの影響の強いものや、BUCK-TICKのような80sのゴス系ニュー・ウェイヴのタイプ、ハードコア・パンクからメタルに進化したGastunkに影響されたものまで雑多なものでしたが、それらはやがて外見上の傾向で括られ“ヴィジュアル系”と呼ばれるように」なったと分析している[55]。上記のバンド以外にはMadame Edwarda[56][2] やDER ZIBET[56]、AUTO-MOD[2]、D'ERLANGER、COLOR、かまいたち、BY-SEXUAL、AURA、ZI:KILLなどもヴィジュアル系の先駆者として挙げられる。
1990年には、ヴィジュアル系専門誌SHOXXが創刊される。1989年に結成されたLUNA SEAが1991年にエクスタシーレコードからアルバムを発表。この頃には「エクスタシー・サミット」と呼ばれるエクスタシーレコード所属のバンドが一堂に会するライブイベントが行われていた。
90年代初頭ごろから名古屋のシーンも活性化している[57]。インディーズシーンでは黒夢がSilver-Roseと並んで「名古屋2大巨頭」とされるまでになった[57]。
90年代初頭に結成されたバンドには、黒夢のほかにL'Arc〜en〜Ciel、La'cryma Christi、PENICILLIN、FANATIC◇CRISIS、MALICE MIZER、SIAM SHADE、Laputa、ROUAGE、SHAZNA、cali≠gariなどがおり、これらのバンドが後にシーンを盛り上げていくことになる。
1994年に黒夢[58]、GLAY[58]、L'Arc〜en〜Ciel[58] がメジャーデビューを果たす。同年、Silver-Roseが解散し、後にギターのKouichiはLaputa[59] に、ベースのKaikiはROUAGEに、ドラムのKyoはMerry Go Roundにそれぞれ加入している。また、この年には L.S.B.と題してLUNA SEA、SOFT BALLET、BUCK-TICKが全国ツアーを敢行[60]。各地の公演ではL'Arc〜en〜Ciel、THE YELLOW MONKEY、THE MAD CAPSULE MARKETS、DIE IN CRIESらがオープニングアクトを務めた[60]。
ヴィジュアル四天王と呼ばれるLa'cryma Christi、SHAZNA、FANATIC◇CRISIS、MALICE MIZERも活動を始める。97年にはSHAZNA[58] がメジャーデビューシングル「Melty Love」を累計88万枚、2ndシングル「すみれ September Love」を累計65万枚を売り上げ、1997年の日本有線大賞最優秀新人賞を受賞している。またeast west japanに移籍したPENICILLINも6thシングル「ロマンス」を累計90万枚売り上げた。ただし、トリプル・ミリオンになったアルバムやダブル・ミリオンを達成したシングルはほとんどなく、CDバブル時代にもっとも活躍したのはヴィジュアル系ではなかったとされる[61]。一方でライヴを観に行くファンは他ジャンルよりも多かったため、市川哲史は「V系が90年代音楽シーンにもたらした最大の功績とは、(中略)ロックバンドのライヴの規模を圧倒的に拡大し」、「大道具やらサウンド・システムやら照明やらコンサートに関するあらゆるノウハウ」を発展させた点にあると述べている[62]。
アリーナやドームクラスの会場でワンマンライヴをするバンドも現れ、PIERROTはメジャーデビューから日本武道館と西武ドームでのワンマンライブに至るまでの当時の最短記録を更新した。1996年には、インディーズバンドを紹介する音楽番組「Break Out」の放送が始まる。1999年にはDIR EN GREY、Janne Da Arcなどがメジャーデビューしている。
ヴィジュアル系氷河期
[編集]往時は隆盛を極めたヴィジュアル系であったが、2000年以降、世間からは既に「終わった」ものであると見なされ、ヴィジュアル系氷河期を迎える[63]。
しかし、2002年にはcali≠gari、Psycho le Cemuがメジャーデビューし、これらの世代のバンドの功績が、その後のネオ・ヴィジュアル系ブームへと繋がってゆくこととなる[63]。2003年にはMUCC、baroqueがメジャーデビューする。
ネオ・ヴィジュアル系ブーム
[編集]2004年前後に台頭した新たなヴィジュアル系アーティストを、ネオ・ヴィジュアル系と呼ぶ[† 3]。ヴィジュアル系の専門媒体、専門レコード店、V箱(ぶいばこ)と呼ばれる専門ライブハウスを中心にムーブメントを起こしたこれらのバンドについて、SHOXX編集部は「ルックスの良さがまず先にあって、ある意味でアイドル的な盛り上がり方に似ています」、「ライヴも、よりエンターテインメント性が強く、芝居の要素を取り入れるバンドも目立っていて、そんなライヴの雰囲気をファンは楽しんでいるようです」と述べた[66]。
the GazettE、ナイトメア、アリス九號.、アンティック-珈琲店-、シドなどのバンドがオリコンチャートでヒットを記録する。また、2009年10月下旬には、初のヴィジュアル系ロック・フェスティバルである「V-ROCK FESTIVAL '09」が幕張メッセにて開催され[67]、ネオ・ヴィジュアル系をはじめとして多くのヴィジュアル系バンドが出演した。
しかし、レコード会社がネオ・ヴィジュアル系ブームの絶頂期にバンドのメジャーデビューを企図してから、実際にメジャーデビューが果たされるころには既にブームが衰退しかけていた[68][† 4]。
ヴィジュアル系シーンでは特筆すべき音楽専門誌であった『Neo genesis』は、2011年3月8日発売のVol.53を最後に、以降の新刊の発行が停止され、『Zy.』は、2011年4月1日発売のNo.56を最後に休刊した。『FOOL'S MATE』も、2012年12月発売の第376号をもって、以降の新刊の発行を停止した[69]。
2010年代に入ってからは、Alice Nine[70]、シド[71]、ゴールデンボンバー[72][73] などが日本武道館でワンマンライブを行った。
再結成
[編集]2007年に、D'ERLANGERが再結成する[74]。2000年代の末ごろには他にもDEAD ENDが再結成を果たし[75]、X JAPANが『攻撃再開 2008 I.V.〜破滅に向かって〜』と題して復活コンサートを行う[76] など、ジャンルの始祖とされるバンドの再活動が行われた。このように、90~00年代を駆け抜け、解散・休止したバンドメンバーの活躍が徐々に増えはじめ、根強い人気を得たが、テレビへの露出などは少なく、一般的な知名度は全盛期と比べるとかなり低くなる。Angelo、LM.C[77] はタイアップの反響も大きくオリコンチャート10位以内に入り、日本武道館公演も行った。Acid Black Cherryは大阪城ホール、横浜アリーナ等を含めたツアーを行い、オリコンチャートは全て5位以内を現在もキープし続けている。
また、ヴィジュアル系ロック・フェスティバルの「V-ROCK FESTIVAL 2011」が、二年ぶりとなる2011年10月23日にさいたまスーパーアリーナで開催された[78]。
前年に一夜限りの復活をしたLa'cryma Christiが2010年にはツアー開催を発表[79]、同じく前年に一夜限りの復活をしていた黒夢も再始動をし[80]、LUNA SEAも「LUNA SEA REBOOT」と題して再活動を宣言する[81] など、90年代に活動したバンドの再活動が発表された。また、限定復活したバンドとして2012年にライブを行ったMASCHERA[82]、2014年にライブを行ったPIERROT[83] がいる。
2013年には、ジャンルに大きな影響を与えたDEAD ENDへのトリビュートとしてLUNA SEA、L'Arc〜en〜Ciel、黒夢、SIAM SHADE、cali≠gari、Janne Da Arcなどのメンバーが参加した『DEAD END Tribute -SONG OF LUNATICS-』が発売された[84]。
2015年には、LUNA SEAが幕張メッセで開催したロック・フェスティバル「LUNATIC FEST.」を開催し、ヴィジュアル系を中心とした1980年代、1990年代、2000年代、2010年代で活躍したロックバンドが一堂に会し、シーンを盛り上げた[85]。
2016年7月25日には、X JapanのYoshiki、LUNA SEAのSUGIZO、GLAYのTAKUROが共同会見を開き、2016年10月14日(金)、15日(土)、16日(日)の3日間、幕張メッセにて3daysのV系フェス<VISUAL JAPAN SUMMIT 2016 Powered by Rakuten>が開催されることを発表[86]。
2019年にはFANATIC◇CRISISのメンバー3人が「FANTASTIC◇CIRCUS」を結成し再始動(なお本人たちは「転生」だとしている)、2022年以降ライブ活動も本格的に再開している[87]。
日本国外への進出
[編集]1990年代初頭、X JAPANが日本国外への進出を模索するようになる[88]。1990年代末ごろになるとLUNA SEAやGLAYがアジア公演を行い[88]、1999年にはLaputaが香港のロックイベント「Rock'n Roll Circuit In Hong Kong」に参加し、イベントのトリをつとめている[89]。このように、1990年代にも日本国外への進出の試みはあった。とはいえ、このような動きは縮小する日本国内の市場にかわるマーケットを海外に求めた音楽業界が積極的に主導していたものであり、YOSHIKIなど一部の例外を除けば、ミュージシャンの多くは消極的だったとされる[90]。
2000年代に突入すると、MyspaceやYouTubeを通してインディーズヴィジュアル系バンドの人気も高まっていった[88]。また、DIR EN GREY、MUCC、Miyaviらが日本国外で単独ツアーを果たしている[91]。このようなグローバルでの展開も手伝って、日本国外においてもYOHIOやMaleRose、Lilithなどのヴィジュアル系アーティストがうまれている[92]。
現在、ヴィジュアル系の人気はアジア圏では保たれているものの、ヨーロッパ圏では下落しており、そのシェアはK-POPに奪われたとされる[93]。2000年代後半にヨーロッパでヴィジュアル系が人気を博した際、実力のないバンドが多数日本国外へと出かける一方で人気のあるバンドはなかなか国外ツアーを行わなかったことが、このような状況を招いたのではないかとライターの藤谷千明は指摘している[94]。藤谷は日本国外のファンの需要を無視してきた音楽業界の「<上から目線>」を批判しており、今後ヴィジュアル系アーティストがアジア圏などでツアーを行う際には現地の状況をよく調査し、各国で盛んなSNSをアーティスト自身が使うなど、積極的な海外戦略を展開することが肝要なのではないかと結論づけている[95]。
ヴィジュアル系における女性アーティスト
[編集]ヴィジュアル系の音楽的基礎となったゴシックロックシーンにおいては、イクスマル・ドイチュラント[96] やスージー・アンド・ザ・バンシーズ[97] などのように女性アーティストが活躍することもあった。日本においても、ゴシックロックバンドGille' Lovesのヴォーカリストであり、のちにヴィジュアル系シーンに属することとなるLucifer Luscious Violenoueが1980年代から活動を行っている。
しかし、依然としてヴィジュアル系シーン内での女性アーティストの総数は低い傾向にあった[98]。その後、2004年には全員女性のバンドexist†traceが結成されているが、彼女らは「音楽をやりたいんじゃなくて、他のバンドのメンバーと仲良くなったりしたいんでしょ?」というようにみられたり[99]、「なんで女がヴィジュアル系をやってるの?」というようなバッシングを受けたこともあったといい[98]、女性アーティストがシーンで受け入れられづらい現状が浮き彫りとなった。
評価と影響
[編集]市川哲史による評価
[編集]音楽評論家の市川哲史は、ヴィジュアル系バンドマンの多くは音楽的には真面目だったと評価している[100]。市川によれば、ヴィジュアル系ミュージシャンは好きなバンドやその背景にあるバンドを聴きあさる傾向がある一方で[100]、多様な機材を用いたり、楽器の練習に真面目に取り組むものもいたりと音楽への探究心が強かったという[101]。
また、市川とライターの藤谷千明の対談では、ある年代のロックファンにとってはヴィジュアル系が日本国外のロックの入り口として機能していたことが指摘されている[102]。実際、ヴィジュアル系のミュージシャンは雑誌のインタヴューやラジオ等で音楽を盛んに紹介しており、ファンの側も紹介された音楽を実際に聞いてみるなど、音楽に関しては真面目だったという[100]。
ジャンル自体には「世界のどこにもない日本オリジナルのロック」であると述べるなど、音楽的に肯定的な評価をしているといえる[103]。
マーティ・フリードマンによる評価
[編集]マーティ・フリードマンによれば、ヴィジュアル系はX JAPANの功績によって、一般的に広く認知され、曲調に関してもヘヴィメタルを基軸にしながらもその実は非常に広い音楽性の幅を持っているという[104]。本来、ひとりの人間が好む曲調はある程度の幅に収まるはずであるがX JAPANは「Silent Jealousy」のような過激かつ攻撃的・高速の曲から「Say Anything」のようなバラードまで発表しており、ファンもそれを受け入れている。それはX JAPANがその外見と共にサウンドもブランドとして確立した証拠であるとしている[105]。また、日本のヴィジュアル系は世界に誇れる最高の文化であるとしている。現在のアメリカやイギリスやヨーロッパでは、外見をより重要視するようなバンドは蔑視される傾向にある(日本においても一部そういった傾向が見られる場合が少なくない)が、ロックバンドはキッスのようにイメージもかっこよくあるべきであるとの意見を述べている。さらに、外見も表現の一部として取り入れているJ-POPならではの現象は、「形」を重視する日本文化、特に男性が化粧をする歌舞伎文化との関連性をも推測している。キッスは歌舞伎に影響されたという説もあるため、ヴィジュアル系は日本文化の逆輸入とも捉えられる、としている[105]。ただし、キッスの創立者であるジーン・シモンズは、自伝で歌舞伎からの影響を否定している。
ヴィジュアル系シーンの衰退・終焉
[編集]NoGoDの団長は2012年12月31日時点の取材に応じ、本人の活動経験も踏まえたうえで、『「ヴィジュアル系」って、もうとっくに終わってる』、『音楽業界の中で「ネオヴィジュアル系ブーム」と言われてた頃には本当はもう終わりかけていた』との見解を示した[68][106]。ヴィジュアル系シーンは、若手のインディーズ・バンドの活躍がメジャーも含めたシーン全体の活性化へと結びついていた側面があった[68]。しかし、衰退の著しいヴィジュアル系シーンを嫌気し、新たに参入する若手は減少してしまった[107]。結果として、ライブハウスに足を運ぶ客数は、ネオ・ヴィジュアル系の流行期であった2005年と比して3分の1にまで減少した[68][107]。
「ヴィジュアル系の父」とも称される音楽評論家の市川哲史は2013年6月28日時点の取材に応じ、「ヴィジュアル系は終わった」との見解を示した[20]。市川は、DIR EN GREYやムックの世代のバンドまでは確固たる信念に基づくヴィジュアル系としての必然性を備えていたことを認めたが、それ以降の世代のバンドに関しては単にヴィジュアル系という様式の上辺のみをなぞっていたにすぎず、彼らがヴィジュアル系であることの必然性は失われたと批評した[20]。NoGoDの団長も、「別にヴィジュアル系じゃなくてもいい、音楽が出来ればいい」という姿勢のバンドに対し「信念が曲がった」と批判し、「最初にヴィジュアル系をはじめようと思った理由はなんなのか聞きたいです」と疑念を呈した[108]。また、「人と同じような化粧をすることが目的になった時点で、このジャンルの精神は死んでる」と述べた[108]。
市川も、NoGoDの団長も、紅白歌合戦の出場経験を複数回有するゴールデンボンバーというバンドのみが際立って広く世間一般に受け入れられた点に関しては、好意的に評価した[20][68][106]。しかし、市川はゴールデンボンバーをもってしてヴィジュアル系の「最後の後継者」であると述べ、彼らを後継するバンドが今後現れる可能性はなく、ヴィジュアル系はゴールデンボンバーによって終わりを告げられたと結論づけた[109]。ヴィジュアル系のシーン全体を見ると、ヴィジュアル系そのものが支持されたという論証には至らなかった[68][106]。
オリジナリティの無いバンドの出現
[編集]極一部の見た目やサウンドがあまりにも似ているヴィジュアル系の出現に苦言を呈する者は多い。[110] 以下、抄訳して引用する。 かまいたちのけんchanは「(昔のV系は試行錯誤の末に)人々は違うことをやろうとしていた。」「(今のV系は特定のバンド)をコピーしている(バンドが多い)。(自分らが把握している限りでは、)自分らの(知っている)ヴィジュアル系はもう存在しない。」と述べている。[111] 又、上記の星子も独自性の無いバンドの出現に警鐘を鳴らした上で、「ファンが同じ古いパフォーマンスを何度も繰り返し聞いたり見たりする事にうんざりしている時に大きな問題になる」「(これらの似たり寄ったりなバンドが人気が出ると考えると)想像を絶する」と苦言を呈している。[112] PIERROTのキリトは「違うように見せるためではなく、他の人に似せるためにやっている(バンドもいる)」「これは明らかに、自分らが(バンドを)始めたときとは大きく異なる。」と述べている。[113]
問題
[編集]日本国外での受容の実態と不法ダウンロード
[編集]2009年10月4日、ヴィジュアル系が日本国外で人気を博しているという報道がオリコンによりなされた[67]。しかし、日本国外へ向けて日本の音楽を販売する音楽配信サイト「HearJapan」の代表であるネイサン・リーヴンは、特に日本国外のヴィジュアル系ファンへ向けて、自社のウェブサイトに書簡を掲載した[114]。以下に抄訳して引用する。
日本国外において、日本の音楽のファン層は急速に拡大しており、バンドもようやく海外へ赴くようになり、現地のファンとのつながりを持とうと行動し始めました。この流れは特にヴィジュアル系で顕著であったため、私は(HearJapanの設立に当たり)ヴィジュアル系の充実を図りました。しかし、ヴィジュアル系以外の他のどのジャンルの売上も、ヴィジュアル系と比較して五倍の大差をつけたのです。この衝撃は筆舌に尽くせません。各ヴィジュアル系バンドについているファンは無数にいるのにもかかわらず、なぜヴィジュアル系のアルバムの売上はまるで振るわないのか、私は自問しました。(中略)
しかしながら、(権利者の許諾なく音楽ファイルをネット上で不法に頒布するユーザーらがうそぶく)もっとも大きな言い訳は、「私はバンドをさらに多くのファンへと紹介している。多くのファンを作ることで私がバンドを助けている」から問題ないとする主張です。これは確かに一片の真実を含んでもいます。しかし私が見た(不法)ダウンロードはどれも、JロックファンからJロックファンへと回されていました。JロックファンからJロックファンへと音楽ファイルを共有したところで、バンドの助けにはいささかもなりません。新しいファンが作り出されることにはならないからです。ネットへの不法アップロードでもたらされることといえば、バンドが(金銭面でも)苦心惨憺して制作したアルバムから得られるであろう利益のすべてを抹殺してしまうことくらいです。ファンは、無料で手に入る音楽にお金を払おうとはしません。すでに日本国外に一万人を超えるファンがいるというのに、楽曲を無料で頒布しなければならない理由はどこにもありません。私は、ヴィジュアル系のファン層が、これらの不法行為によって大きく拡張されてきたことをよく存じております。しかし、私はヴィジュアル系のアルバムの売上がまったく増加していないという事実にも気がついています。もしあなたが他の誰かに、まだ聴いたことがないであろう音楽を紹介したい場合は、その楽曲を(ネットで頒布せずに)ただ単に送るか、YouTubeのPVのリンクを送るだけに留めてくださいませんか。アーティストのわずかなチャンスを瞬時に抹殺するような行為は、どうか慎んでください。 — ネイサン・リーヴン、HearJapan
結局、ヴィジュアル系の音楽を売る唯一の方法は、リリース日直前までのゴリ押し(と結果としての購入予約)以外にはないことが分かりました。リリース日以降は、すぐに売れなくなってしまうのです。その理由は明快で、バンド、レーベル、または楽曲制作に時間と金銭を投資した関係者らの許可なく、音楽ファイルがネットにアップロードされてしまうことに他なりません。ネット上の多くのユーザーが、他のヴィジュアル系ファンへ音楽を無料でダウンロードさせることに誇りと喜びを持っており、さらに重要なことには、それが権利者(アーティスト、音楽プロダクション、レコードレーベル、著作権管理団体、撮影者など)の許諾なく行われているということなのです。これが、ヴィジュアル系がリリース日以降に売れなくなる理由です。(中略)
HearJapanでのダウンロード販売だけの問題ではありません。私はいくつかのヴィジュアル系バンドのCD輸出データを拝見したのですが、残念ながら、そこにはHearJapanのダウンロード販売と同様の悲しい相関関係が見られました。この手紙はHearJapanがこうむった損失についてお伝えするものではありません。ヴィジュアル系以外のジャンルの売上が、ヴィジュアル系の売上不振を補ってあまりあるものだからです。この手紙でお伝えしたいことは、ネットで音源を不法に頒布する行為が、アーティストに対してだけではなく、巡り巡って結果としてはファン自身へともたらされる問題であるということなのです。
私は(HearJapanでは配信されていない)多くのヴィジュアル系バンドおよびレーベルと話をしてきたなかで、異口同音に同じ話を耳にしました。公式サイトやMySpaceに海外からのアクセスが殺到していることから、彼らは期待を膨らませて海外ファンへ音楽を販売しようと努力したところ、巨額の損失をこうむってしまったとのことです。(中略)
バンドの情報を正確に翻訳し、音楽ファイルのエンコーディングにかかりっきりとなり、サイトのページにはタグをつけ、宣伝し、バンド側の要請に基づき万事これで問題ないかとバンド側へ確認の電話を何度もかけた私もまた、損失をこうむりました。しかしバンド側がこうむった損失に比べれば、私の損失など微々たるものです。果たしてあなたは、全精力を傾けて、時間もお金も使って制作した何かを世に発表し万人から称讃の嵐を浴びたとしても、最後には一銭ももらえずに馬鹿を見ただけだとしたら、そんなことをまた続けたいと思うでしょうか。私には、とてもそうは思えません。(中略)
リーヴンは、インターネットにて楽曲を不法に頒布する多くのヴィジュアル系ファンを痛烈に批判し、その不法行為はバンドの音楽活動を阻害するのみならず、バンドが今後飛躍する可能性を(とりわけ金銭面から)摘み取ってしまうとして警鐘を鳴らした。また、日本国外のヴィジュアル系ファンの間において音楽ファイルの不法な共有が常態化しているという実態に関しては、リーヴンの指摘のみならず、アニメの情報サイト「Japanator」もリーヴンの発言を受けて記事を発表した[115]。以下に抄訳して引用する。
真の問題は、ファイル共有というその場限りの入手方法へと、浅はかなファンを結びつけてしまうことだ。ヴィジュアル系は略奪の格好の的だ。それというのも、ファンの圧倒的多数はヴィジュアル系バンドメンバーの外見にしか興味を示さず、たとえ熟達したミュージシャンが目の前で飛び跳ねようとも彼女について深く知ろうとはしないからだ。そういう人々にとって、音楽は一切意味がない。音楽はかわいい顔の単なるオマケ程度のものでしかない。それも、親たちが当惑して首を振るような顔の。こうした若者の多くにとって、ヴィジュアル系バンドは自分は特別な存在なのだという自意識を築くための小道具にすぎないし、単にバンドのアルバムを持っていることが反抗と世慣れした価値観のしるしとなる。
(中略)
ファイル共有が音楽産業を殺そうとしているのではない。浅はかなファンが殺すのだ。 — ザック・ベンツ、Japanator
ベンツの指摘により、いわゆる「顔ファン」(バンドマンの外見のみでファンになり音楽には興味がないファンを指す俗語)が日本だけではなく日本国外においても存在し、むしろ「顔ファン」が日本国外では主流であることが明らかにされた。
日本国内では、ヴィジュアル系アーティストのCD売上はヴィジュアル系専門レコード店での限定購入特典や、専門レコード店で開催される「インストア・イベント」に支えられることが多い。これは「AKB商法」としてしばしば批判される売り方と共通してはいるものの、限定グッズや限定写真を入手したり、あるいは本人と会話や握手をするためにCDを(一人で何枚も)購入するという購買の動機づけには結びつく。しかし「顔ファン」にとっては音楽は「意味がない」ため、ライブやイベントなどで本人と接触する機会に乏しい海外在住者は、音楽そのものにお金を払う理由がなくなる。
リーヴンが書簡のなかで例示しているが(上記引用文では未訳のため原文[114] を参照されたい)、原盤制作には少なくとも一万米ドル以上の予算が必要とされる。メジャー・レーベルによるフルアルバムの原盤制作ともなれば、一千万円近くの費用が生ずる[116]。しかし日本国外の音楽ファンは、アーティストやレーベル側から正規の購入方法を提示されても、音楽に対してあまりお金を払おうとしない。それはアーティストやレーベル側が費やした原盤制作費を回収できず、次の原盤を作る費用を捻出できないことを意味する。リーヴンらの指摘は、楽曲の違法アップロードが日本国外でのヴィジュアル系の人気を助けているものの、それがヴィジュアル系音楽業界に経済的利益を直接与えることはなく、ゆえにその衰退を助長しうることを明らかにした。
主なヴィジュアル系アーティスト
[編集]ヴィジュアル系のレーベルおよび音楽プロダクション
[編集]ヴィジュアル系を専門範囲とするレーベルおよび音楽プロダクションは、1980年代後期よりその存在が確認されている。
初期ヴィジュアル系バンドの音楽プロダクションとしては、YOSHIKIの主宰するエクスタシーレコードとDYNAMITE TOMMYが総指揮を執るフリーウィル・レコードが、「東のエクスタシー、西のフリーウィル」と謳われるジャンルのフロンティアとして双璧をなした。その後はアナーキストレコード、デンジャークルー、クライス、キーパーティーなどの専門レーベルが次々と台頭した。現役か、もしくはかつてヴィジュアル系ミュージシャンとして活動していた経営者が主宰する場合も少なくはない。ミュージシャンの主宰以外では、イベンターやライブハウスの系列事務所、エイベックスなどの大手レコード会社の傘下の事務所もヴィジュアル系のマネージメントを手がけている。ただし、1990年代のヴィジュアル系全盛期のブームに乗って乱立したレーベル・プロダクションには、ブームが終息し市場が収縮を始めると早々に姿を消したものも少なくない。
なお、タレントを主力とする芸能事務所が手がけたケースは少ない。これらの会社の手法ではヴィジュアル系バンドを商業的に成功させることが難しく、田辺エージェンシー、ホリプロ[† 5][117]などは撤退している。
ミュージシャンが主宰するレーベル、プロダクション
[編集]レーベル、プロダクション | 主宰者 |
---|---|
アナーキストレコード | KENZI |
Matina(解散)→UNDER CODE PRODUCTION(解散) | KISAKI |
エクスタシーレコード | YOSHIKI[118] |
Keasler Japan Limited | TOKI |
Kreis→Tokyo Monochrome Factory Records | YUKIYA[119] |
CROW MUSIC | TATSUYA |
LOOP ASH(株式会社マーサ傘下レーベル) | 未散 |
APPLAUSE RECORDS | KAMIJO |
Sherow Artist Society | KAMIJO |
Sequence Records | TOMOZO |
Starwave Records | Kiwamu |
フリーウィル | ダイナマイト・トミー |
FULLFACE RECORDS | 清春 |
midfield | 清春 |
marder suitcase(株式会社フジプロダクション内レーベル) | MAHIRO |
GRADATION(解散) | 紫 |
Midi:Nette | MANA |
密室ノイローゼ(株式会社3.14内レーベル) | 桜井青 |
DANGER CRUE RECORDS(MAVERICK D.C. GROUP内レーベル) | 大石征裕 |
オフィスキンメダイ | 犬神明 |
GOD CHILD RECORDS | ASAGI |
アビーミュージックファクトリー | BabyKingdom |
ミュージシャンが主宰していないレーベル、プロダクション
[編集]この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- explosion works(ライヴハウス池袋サイバーのレーベル)
- SWEET CHILD
- SWORD RECORDS(SWEET CHILDの元社員が立ち上げた事務所で、所属バンドもともに一部移籍しており実質的に同社から分裂した会社。)
- ヘッドワックスオーガナイゼーションhideの実弟が代表を務める事務所。
- DONUTS RECORD WEST
- SPEED DISK(ライヴハウス高田馬場AREAのレーベル)
- ティアーズ音楽事務所
- MONSTER PRODUCTION(M-EPS 解散)
- MISSION MUSIC FACTORY
- PLUG RECORDS
- PS COMPANY
- ライカロリーポップ(ヴィジュアル系専門ショップLIKE an EDISONの経営会社)
- 株式会社マーサ
- タイムリーレコード
- Zenite Music Facotry(ライヴハウス浦和ナルシスのレーベル)
- ミジンコレコード(大阪のイベンターFACE MUSICのレーベル)
- Red List Entertainment(日本デジタルコミュニケーションズ内レーベル)
- ARTPOP RECORDS / 濱書房 / 寺子屋(ART POP ENTERTAINMENT内のレーベル)
- B.P.RECORDS(ビーフォレスト内のレーベル)
ヴィジュアル系を扱うメディア
[編集]テレビ・ラジオ
[編集]- 放送中のテレビ番組
- 放送中のラジオ番組
- 終了したテレビ番組
- SPARK! (テレビ東京)
- 神言基地 〜HOLIDAY TV〜 (テレビ大阪)
- VISUAL SHOCK (テレビ東京)
- VISUAL ROCK GATE (テレビ大阪)
- Vの流儀 (テレビ東京)
- ロック兄弟 (テレビ東京)
- GIRA GIRA J 白組 (TOKYO MX)
- LIFE IS V (TOKYO MX)
- V-STYLE“Move!!" (スターカラオケ)
- 終了したラジオ番組
- Tokyo V-stock (TOKYO FM)
- Visualize Zone(FM FUJI)
- REDNIQS (FM802)
- 激音(KBCラジオ)
- Slash&Burn(FM FUJI)
- AV Music Channel(Air-G)
- LIVECAST.JP (ライブキャスト)
- Neo I.D. (エフエムちゅうおう)
専門誌
[編集]現在刊行されている雑誌
- Stuppy
- ロッキンf (但し、90年代から一度出版社が倒産した2001年まで。復刊した2002年以降はごく一部のバンドのみ)→We ROCK
- ROCK AND READ
休刊・廃刊した雑誌
- Vicious
- M-GAZETTE
- V-Shot
- Fruige
- Zy.
- Neo genesis
- FOOL'S MATE
- FOOL'S MATE EXPRESS
- SHOXX
- SHOCK WAVE
- uv
- Cure[120]
脚注・出典
[編集]注釈
[編集]- ^ ポジティブパンクはポストパンクのサブジャンルであるゴシック・ロックの一部のシーンを指す言葉。詳しくはゴシック・ロック参照。
- ^ ポジティブパンクという言葉を広めたのは自分だとAUTO-MODのGENETは主張している。
とのことである。イギリス本国では、余り使われこともなく、ポジティヴパンクなんて言葉は、消えてしまいました。だから、海外では、ポジティヴパンクなんて言葉は、殆ど知られていないんです。だいたい海外ではダークウエーブ、ゴシックロック、ポストパンク、デスロックなんて呼ばれてますね。そんないい加減なポジティブパンクなんて言葉が、未だに何故日本で生き残っているかと言うと、それはこの食いしん坊ブログを書いてる張本人が策略的に日本中に広めたからに、他ならないからなのです。兎に角僕は、良く分からないポジティブパンクなんて言葉を耽美系表現主義ロックを推進する為に、積極的に使わせていただきました。(中略)でもそんなポジパンを広めている僕自身も何でこんなにネガティブな存在の自分たちが、ポジティブパンクなんて言葉を使っているんだろうと、本当のところ最初から、違和感を感じてはいたんですけどね(笑)!! — GENET、「フェティッシュダディーのゴス日記」2014年2月6日[27] - ^ これに対して、90年代のヴィジュアル系をオールドスクール・ヴィジュアル系と表現することもある[64][65]。
- ^ たとえば、Dはオリコンチャートの最高順位をファーストアルバム『Genetic World』の11位からセカンドアルバム『7th ROSE』で37位に下げ、メガマソはファーストアルバム『M of Beauty』の最高順位が76位となり、宇宙戦隊NOIZはファーストアルバム『GREAT ROCK'N' ROLL HEROES』 がベスト盤でありながらも最高順位を158位(その後のシングル『BRAND NEW WORLD』は最高順位117位)に留め、D'espairsRayはファーストアルバム『REDEEMER』が最高順位39位であった。宇宙戦隊NOIZは、その後再びインディーズレーベルへ移籍している。
- ^ 田辺エージェンシーはD-SHADE、ホリプロはMASCHERA
出典
[編集]- ^ a b Ichikawa, Fujitani 2018, p. 345.
- ^ a b c d e f g 安城寿子. “Artwords(アートワード) ヴィジュアル系 Visual-kei”. 大日本印刷. 2018年11月23日閲覧。
- ^ a b c 出嶌孝次 (2007年5月24日). “第13回 - VISUAL-KEI”. bounce.com. タワーレコード. p. 1. 2007年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月23日閲覧。
- ^ Heinrich, Sally (2006). Key into Japan. Curriculum Corporation. pp. 80. ISBN 1-86366-772-5
- ^ Josephine Yun (2005). Jrock, Ink.: A concise report on 40 of the biggest rock acts in Japan. Stone Bridge Press. ISBN 1-880656-95-7
- ^ 『情報学研究: 学環 : 東京大学大学院情報学環紀要』第77-80号、東京大学大学院情報学環、2009年、77頁。
- ^ Reesman, Bryan (2006年11月30日). “Kabuki Rock”. Grammy.com. オリジナルの2007年9月28日時点におけるアーカイブ。 2007年8月7日閲覧. "Josephine Yun, author of the book Jrock, Ink., explains that visual kei originated in the late 1970s and early 1980s as Japan's rock scene began cultivating its own identity. 'It was rock 'n roll, punk rock, glam and metal with a twist – a twist just as angry and rebellious as what came before it – but a poetic one, artistic, with painstaking attention to detail,' Yun explains. She points out that "visual kei" literally translates as "visual style" and spans a wide range of musical genres.; Musically, it can be anything: American rock, British punk, glam, metal, Euro-pop, techno, new wave, electronica," explains Yun. "Visually, the influences are diverse as well: traditional Japanese dress, S&M outfits, costumes made of vinyl, leather, lace, plastic...you name it.""
- ^ Subha Arulvarathan (2006年4月15日). “For those about to J-Rock”. The Carillon. 2007年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月13日閲覧。 “Visual kei is a branch of Japanese rock. It has its roots as an underground movement in the late '80s and early '90s and can be considered pastiche, as it aims to experiment with various established genres such as rock, punk, metal, goth and glam in an attempt to create a wholly new sound.”
- ^ Chi Minnie (2006年4月15日). “X [Japan]: Reliving the Height of Japan's Superlative Visual Rock Band”. asiaarts.ucla.edu. 2007年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月7日閲覧。 “...a fleeting genre known to fans as 'Visual Kei'. Nonetheless, this fusion of metal, punk and gothic aesthetics ignited at least two generations of followers with its shocking visual appeal...; 'Visual Kei' as a genre has more or less expired since the late '90s. The music that derived from the scene has transformed and visual bands have generally subdued their appearance.”
- ^ Dave Gibson (1998年11月2日). “Rising Sun”. Fort Worth Weekly. 2017年8月20日閲覧。 “Born of a combination of hard rock and metal, visual rock leans toward a more theatrical presentation emphasizing imagery as much as music. One only needs to watch an X-Japan video to recognize its decadent glam influences, as drummer Yoshiki is often decked out in lace stockings and torn black leather vests. However, the band's androgynous looks can be attributed as much to kayou kyoku (traditional Japanese pop) as to the eccentric costumes of '70s David Bowie and '80s hair bands. It is precisely this hodgepodge of international styles that makes visual rock such a noteworthy new genre.”
- ^ a b “世界へファン層を拡大するヴィジュアル系の現状 (株)スターチャイルド 代表取締役 星子誠一氏インタビュー”. Musicman-NET. 2015年7月18日閲覧。
- ^ 木村傳兵衛『新語・流行語大全 1945→2005 ことばの戦後史』自由国民社、2005年12月。ASIN 4426110122。ISBN 978-4-426-11012-3。
- ^ 米川明彦 編『日本俗語大辞典』東京堂出版、2003年11月。ASIN 4490106386。ISBN 978-4-490-10638-1 。
- ^ 櫻井孝昌「第2章 「カワイイ」に生きる女の子たち」『世界カワイイ革命 なぜ彼女たちは「日本人になりたい」と叫ぶのか』PHP研究所〈PHP新書〉、2009年11月30日、65頁。ASIN 4569775357。ISBN 978-4-569-77535-7 。2011年2月7日閲覧。「ちなみに「ビジュアルケイ」という言葉も、フランスではそのまま日本語で通じることが多い」
- ^ 片貝久美子. “Aijiからみた90年代”. USEN CORPORATION.. 2016年6月19日閲覧。
- ^ a b TAISHI IWAMI (2018年6月4日). “SUGIZO (LUNA SEA) × TOSHI-LOW (BRAHMAN)”. 激ロック. 2018年10月22日閲覧。
- ^ 加納一美「aki Laputa 呼応する光と闇」『FOOL’S MATE』Vol.195、FOOL'S MATE、1998年1月1日、177-179頁。
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 125.
- ^ a b Ichikawa, Fujitani 2018, p. 120.
- ^ a b c d 藤谷千明 (2013年6月28日). “金爆は「最後のV系後継者」!? "V系の父"市川哲史ロングインタビュー”. ウレぴあ総研. ぴあ. p. 1. 2015年5月23日閲覧。
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 107.
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 126-127.
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 121.
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 132.
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 122-123.
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 134.
- ^ GENET (2014年2月6日). “《拡散希望》時の葬列迄後9日ですよ!!”. 2016年7月30日閲覧。
- ^ a b c d 鈴木ぽっくん・長澤智典. “前編:対談 V(ヴィジュアル)系ロックの歴史総括&まとめ!”. Myuu. 2015年7月18日閲覧。
- ^ a b “独占インタビュー】黒夢 PART.1”. LikeDis. 2015年5月6日閲覧。
- ^ “V.A.「DEAD END Tribute -SONG OF LUNATICS-」特集 MORRIE×清春対談”. ナタリー. 2015年5月6日閲覧。
- ^ Kano 1999, p. 74.
- ^ Kano 1999, p. 83.
- ^ Kano 1999, p. 54.
- ^ Kano 1999, p. 62.
- ^ Kano 1999, p. 88.
- ^ “Q&A: Vamps”. CMU. 2015年5月6日閲覧。
- ^ 大島暁美. “緊急単独取材!SUGIZO(LUNA SEA,X JAPAN)超ロングインタビュー大特集:全4回- 日本最大級のV系動画配信サイト【club Zy.】”. Zy.. 2015年7月20日閲覧。
- ^ 大島暁美. “LUNA SEAフェス出演者第2弾発表 敬愛するDEAD ENDら6組”. オリコン. 2015年7月20日閲覧。
- ^ 市川哲史 (2015年2月26日). “Acid Black CherryはV系か?サブカルを取り込んだ独自の哲学”. CINRA.NET. p. 2. 2015年5月17日閲覧。
- ^ 冬将軍 (2015年3月23日). “ネオ・ヴィジュアル系の旗手、MERRYはどう進化してきた?その異形のスタンスを振り返る”. Real Sound. p. 1. 2015年5月17日閲覧。
- ^ 冬将軍 (2014年9月20日). “cali≠gariはいかにしてV系シーンに一石を投じたか?音楽性の進化とバンドの在り方を考察”. Real Sound. p. 1. 2015年5月18日閲覧。
- ^ 冬将軍 (2014年9月20日). “cali≠gariはいかにしてV系シーンに一石を投じたか?音楽性の進化とバンドの在り方を考察”. Real Sound. p. 2. 2015年5月18日閲覧。
- ^ Ohshima, Sugie 2013, p. 120.
- ^ a b Ohshima, Sugie 2013, pp. 32–34.
- ^ 「ビジュアル系の偉大なる“先駆者”たち」『X JAPANと「ヴィジュアル系」黄金伝説』 加藤明典、宝島社〈別冊宝島821 音楽誌が書かないJポップ批評27〉、2003年、96-97頁。ISBN 4-7966-3382-0
- ^ 川嶋未来. “SIGH 川嶋未来氏コラム最新版!”. HMV. 2015年8月29日閲覧。
- ^ “DEAD END TRIBUTE”. avex. 2015年8月29日閲覧。
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 360.
- ^ “FOOL'S MATEが定期刊行を廃止、季刊発行へ”. musicman-net (2012年10月31日). 2015年8月29日閲覧。
- ^ a b 加藤梅造. “掟ポルシェ インタビュー”. 2015年8月29日閲覧。
- ^ “AUTO-MOD History”. 2016年7月3日閲覧。
- ^ 沢田太陽 (2015年7月7日). “第108回:「ロックと日本の60年」第9章 80s前半、MTVとポップス黄金時代”. drill spin. 2015年12月9日閲覧。
- ^ a b 帆苅竜太郎. “インディーズ黎明期の旗手、THE WILLARDが放った インディペンデントの矜持、『GOOD EVENING WONDERFUL FIEND』”. OK Music. 2015年8月29日閲覧。
- ^ “【清春】たどり着いた“極彩色”の音楽 咲き…散り…REBORN”. ZAKZAK (2012年11月16日). 2015年8月29日閲覧。
- ^ 沢田太陽 (2015年7月7日). “第110回:「ロックと日本の60年」第11章 バブルの喧噪に射し込んだニルヴァーナ”. drill spin. 2015年12月9日閲覧。
- ^ a b Ichikawa, Fujitani 2018, p. 10.
- ^ a b “SHUN.'S FAVORITE THINGS Vol.30 90年代名古屋系”. Visulog (2015年1月27日). 2015年8月17日閲覧。
- ^ a b c d 市川哲史・藤谷千明. “【新連載】市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第1回「元祖・フィジカルエンターテイナーとしてのYOSHIKI」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.338 ☆”. ニワンゴ. 2015年7月18日閲覧。
- ^ extrax Laputa(1999) pp.104-105
- ^ a b 市川哲史. “【市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第17回『LUNATIC FEST.』が蘇らせる、90年代V系遺産 市川哲史が当時の秘話を明かす”. リアルサウンド. 2015年7月20日閲覧。
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, pp. 189–190.
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, pp. 190–191.
- ^ a b 藤谷千明 (2013年10月4日). “金爆との出会いは麻雀!? 人気DJ浅井博章さんが語る“V系シーン今昔””. ウレぴあ総研. ぴあ. p. 2. 2015年5月23日閲覧。
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, pp. 357–358.
- ^ 市川哲史 × 藤谷千明 (2016年7月31日). “市川哲史『逆襲の〈ヴィジュアル系〉-ヤンキーからオタクに受け継がれたもの-』発売記念 PART.3 LUNA SEAの“ROSIER”はまさに〈VISUAL SHOCK〉だった 市川哲史×藤谷千明〈V系〉対談”. real sound. 2016年8月5日閲覧。
- ^ ORICON STYLE (2006年6月7日). “新時代に突入!ネオ・ヴィジュアル系バンド台頭の兆し”. オリコンDD. 2010年7月25日閲覧。
- ^ a b ORICON BiZ online (2009年10月14日). “ヴィジュアル系アーティストが海外で大人気の理由”. オリコン・リサーチ. 2010年10月13日閲覧。
- ^ a b c d e f 藤谷千明 (2012年12月31日). “【V系】ヴィジュアル系はもう「終わり」?「2012年のV系を振り返る」第3回(ゲスト:NoGoD 団長)”. ウレぴあ総研. ぴあ. p. 2. 2015年4月29日閲覧。
- ^ 羽積秀明 (2012年10月). “本誌読者の皆さまへ”. FOOL'S MATE OFFICIAL WEB. FOOL'S MATE. 2012年12月18日閲覧。
- ^ “Alice Nine、初武道館の前日は「楽しみで寝れませんでした」”. BARKS. ITmedia (2011年1月7日). 2011年6月24日閲覧。
- ^ ナタリー (2011年4月20日). “「ここはホーム」シド、ツアー代々木公演でファンに感謝”. ナターシャ. 2011年9月11日閲覧。
- ^ ナタリー (2012年1月24日). “溶接!書き初め!全裸!? ゴールデンボンバー衝撃の初武道館”. ナターシャ. 2012年5月27日閲覧。
- ^ ナタリー (2012年6月21日). “金粉!生キス!リレー!ゴールデンボンバー抱腹絶倒3時間半”. ナターシャ. 2012年11月15日閲覧。
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 298.
- ^ “伝説のバンド、DEAD END復活”. BARKS. 2015年7月19日閲覧。
- ^ “【インタビュー】YOSHIKIが語った抜け殻の2年間―”. 女性自身. 2021年2月22日閲覧。
- ^ ナタリー (2012年1月10日). “LM.C、5周年の締めくくりに初武道館「一緒に輝こうぜ!」”. ナターシャ. 2012年11月15日閲覧。
- ^ 西村綾乃 (2011年10月28日). “V-ROCK FESTIVAL’11レポ(@さいたまスーパーアリーナ)”. レコチョク. 2011年12月9日閲覧。
- ^ “ラクリマ再結成! 来年ツアーへ 世界初のV-ROCKフェス初日に1万5000人”. オリコン. 2015年7月19日閲覧。
- ^ “解散から1年を経て黒夢本格的復活&SADSも7年ぶり再始動”. ナタリー. 2015年7月19日閲覧。
- ^ “【エンタがビタミン♪】LUNA SEAが終幕と復活の真相語る。「ここで終わらせるのは罪だと思った」。”. Techinsight. 2015年7月19日閲覧。
- ^ “MASCHERAのツイート”. 2015年7月19日閲覧。
- ^ “【ライヴレポート】PIERROT、復活ライヴ最終日に「ここで終わりだということも言いません」”. BARKS. 2015年7月19日閲覧。
- ^ “DEAD END Tribute -SONG OF LUNATICS-”. avex. 2015年7月19日閲覧。
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, pp. 77–92.
- ^ https://www.barks.jp/news/?id=1000129279
- ^ 【直撃】あの伝説のバンドに「 ビジュアル系って呼ばれてどう思ってたの?」って聞いてみた - ROCKET NEWS 24・2023年5月9日
- ^ a b c Ichikawa, Fujitani 2018, p. 254.
- ^ 『FOOL'S MATE Vol.219』、 FOOL’S MATE、2000年、p.39
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, pp. 256–257.
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, pp. 254–255.
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 266.
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 261.
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, pp. 261–262.
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, pp. 263–272.
- ^ Michael Sutton. “Xmal Deutschland” (English). allmusic. 2016年8月19日閲覧。
- ^ Jason Ankeny. “Siouxsie and the Banshees” (English). allmusic. 2016年8月19日閲覧。
- ^ a b 赤木まみ. “男前な女性V系バンド、exist†traceが“女子としての夢”を語った”. barks. 2016年8月19日閲覧。
- ^ 高橋智樹. “exist✝trace「リアル」と「マジカル」の臨界点。渾身の2nd『WORLD MAKER』を語る!”. RO69. 2016年8月23日閲覧。
- ^ a b c Ichikawa, Fujitani 2018, p. 139.
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, pp. 140–141.
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 73.
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 131.
- ^ ドキュメンタリー映画「グローバル・メタル」(2008年)でのマーティのインタビューより。
- ^ a b マーティ・フリードマン; 日経トレンディネット (2007年11月7日). “歌舞伎を逆輸入!? 日本にビジュアル系ロックバンドが多いわけ、そしてX JAPANの功績とは…”. マーティ・フリードマンのJ-POPメタル斬り/延長戦. 日経BP. 2008年1月1日閲覧。
- ^ a b c 藤谷千明 (2012年12月31日). “【V系】ヴィジュアル系はもう「終わり」?「2012年のV系を振り返る」第3回(ゲスト:NoGoD 団長)”. ウレぴあ総研. ぴあ. p. 1. 2015年5月23日閲覧。
- ^ a b 藤谷千明 (2012年12月31日). “【V系】ヴィジュアル系はもう「終わり」?「2012年のV系を振り返る」第3回(ゲスト:NoGoD 団長)”. ウレぴあ総研. ぴあ. p. 4. 2015年4月29日閲覧。
- ^ a b 藤谷千明 (2012年12月31日). “【V系】ヴィジュアル系はもう「終わり」?「2012年のV系を振り返る」第3回(ゲスト:NoGoD 団長)”. ウレぴあ総研. p. 3. 2015年5月18日閲覧。
- ^ 藤谷千明 (2013年6月28日). “金爆は「最後のV系後継者」!? "V系の父"市川哲史ロングインタビュー”. ウレぴあ総研. ぴあ. p. 4. 2015年5月23日閲覧。
- ^ Megan Pfeifle. “Introducing Globalizing Visual Kei: A Web Series”. Jd ME. 2011年5月6日閲覧。
- ^ JKLEIN. “INTERVIEW: THE KILLING RED ADDICTION”. JROCK REVOLUTION.COM. 2009年7月12日閲覧。
- ^ NBT. “INTERVIEW: JRN JROCK NEWS”. JRN JROCK NEWS. 2018年1月31日閲覧。
- ^ JRR. “INTERVIEW: JRN JROCK NEWS”. JRN JROCK NEWS. 2008年11月24日閲覧。
- ^ a b Reaven, Nathan (2009年1月9日). “A Message To Visual Kei Fans” (英語). HearJapan. 2011年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月9日閲覧。
- ^ Bentz, Zac (2009年1月9日). “Visual-kei fans are killing visual-kei bands” (英語). Japanator. 2010年10月9日閲覧。 “The real problem is when you combine shallow fans with the ephemeral state of file sharing. Visual-kei is ripe for plunder because a vast majority of the fans only care about what the band members look like and wouldn't know a skilled musician if she sat on their face and bounced. To these people, music really is nothing. It's just this thing attached to a pretty face. A face that will make mom and dad shake their heads in confusion. For many of these kids, the bands are just a tool used to carve out their own special sense of self. The mere possession of the band’s album is a sign of rebellion and oh-so-worldly-wise views. ... File sharing isn't killing the music industry. Shallow fans are.”
- ^ 榎本幹朗 (2012年7月12日). “連載第08回 違法DL刑罰化で揺れるイギリス Spotifyにスポットライト”. Musicman-NET. エフ・ビー・コミュニケーションズ. p. 1. 2012年11月11日閲覧。
- ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 168.
- ^ 「エクスタシー・レコードの功績」『音楽誌が書かないJポップ批評27 X JAPANと「ヴィジュアル系」黄金伝説』、宝島社、2003年7月、49頁。 ISBN 978-4796633826
- ^ “Kαin、新宿BLAZEにてワンマンライブ”. BARKS. 2012年2月3日閲覧。
- ^ ヴィジュアル系インディーズバンド専門誌「キュア」が休刊 レコオーランド 2022年4月18日
参考文献
[編集]- 加納一美『Laputa―from the cradle to the grave 1999 (Fool’s Mate extrax)』FOOL’S MATE〈FOOL’S MATE extrax〉、1999年10月27日。ISBN 4-938716-18-6 。
- 大島暁美・杉江優花『VISUAL ROCK PERFECT DISC GUIDE 500』シンコーミュージック・エンタテイメント、2013年8月7日。ISBN 978-4-401-63825-3。
- 市川哲史、藤谷千明『すべての道はV系へ通ず。』シンコーミュージック・エンタテイメント、2018年8月26日。ISBN 978-4-401-64639-5。
関連文献
[編集]- 市川哲史『私が「ヴィジュアル系」だった頃。』竹書房、2005年7月30日、ISBN 9784812421918
- 市川哲史『私も「ヴィジュアル系」だった頃。』竹書房、2006年4月28日、ISBN 9784812426432
- 雨宮処凛『バンギャル ア ゴーゴー』講談社、2006年10月14日、上巻 ISBN 4-06-212075-5 / 下巻 ISBN 4-06-213369-5
- 市川哲史『さよなら「ヴィジュアル系」〜紅に染まったSLAVEたちに捧ぐ』竹書房〈竹書房文庫〉、2008年5月9日、ISBN 9784812434819