THE YELLOW MONKEY

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THE YELLOW MONKEY
別名 THE YELLOW MONKEY SUPER
出身地 日本の旗 日本 東京都
ジャンル ロック
グラムロック
オルタナティヴ・ロック
ハードロック
ポップ・ロック
活動期間 1988年 - 2004年
2016年 -
レーベル TRIAD/日本コロムビア
1992年 - 1996年
ファンハウス
BMGファンハウスAriola Japan
(1996年 - 2004年
TYMS PROJECT[1]
2016年 - )
公式サイト THE YELLOW MONKEY
メンバー 吉井和哉ボーカル、ギター)
菊地英昭ギター
廣瀬洋一ベース
菊地英二ドラムス
旧メンバー 松尾憲一(ボーカル)

THE YELLOW MONKEY(ザ・イエロー・モンキー)は、日本ロックバンド。愛称・略称はイエモン1988年結成。2001年1月の活動停止後、2004年7月7日をもって解散したが、2016年に再結成が行われた。

かつての公式ファンクラブは「Petticoat Lane」。

メンバー[編集]

サポートメンバー[編集]

  • 三国義貴(みくに よしたか、1955年7月23日 - )
  • 鶴谷崇(つるたに たかし、1970年11月17日 -)
    • キーボード担当。兵庫県神戸市出身、University of North Texasの音楽学部ジャズ科への留学経験あり。
    • 2006年からは吉井のソロ活動にサポートキーボーディストとして参加。2016年からTHE YELLOW MONKEYのライブサポートメンバーとして活動開始。

元メンバー[編集]

概要[編集]

バンド名[編集]

バンド名の「イエローモンキー」とは、主に西洋圏で使用される東洋人に対する蔑称である。吉井が自身のイニシャルである「Y」から始まる英語を辞書で探していたことがきっかけで、「ダサくてシニカルな名前にしたい」と考えていた吉井によって、結成前に発案されていたという[2]。また、その名称からローリング・ストーンズがバンド名を初めて聞いた際、「すげえ名前だな。絶対忘れねえ」と語ったエピソードもある[2]

吉井は名称に込められた思いとして「洋楽へのコンプレックスがあった」ことを語っており、「日本のロックにこだわりをもっているが、『日本のロック』という言葉には既に洋楽へのコンプレックスがあり、それは永遠に消えない」としている[2]。また、「ルックスが良くて長身なのが『イエローモンキー』のコンセプトで」とし、事実、183cmの吉井以下全員が180cm前後の身長である[3]

略称

イエモン」の略称がファンを中心に用いられているが、吉井を中心としたメンバー自身は使用することがなく、コアなファンからは長らく敬遠されていた。しかし、2013年に発売されたベストアルバム『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』は、長く応援し続けてくれたファンにも「イエモン」という略称を受け入れてもらうため、最もわかりやすい愛称としてタイトルに相応しいのではという意見がメンバーやスタッフから上がり、満場一致で「イエモン」がタイトルとして採用されることとなった[4][5]

大要[編集]

結成、デビュー

1988年に結成。当初は元SHOCKの松尾がボーカル、元URGH POLICEの吉井がベースを担当していたが、以前から親交のあった元MURBASの廣瀬洋一をメンバーに誘い、吉井はギターに転向した。さらに「KILLER MAY」のドラムとして1986年にメジャーデビューしていた菊地英二が同バンドの解散後に加入する。後に松尾が吉井との「音楽的な意見の食い違い」を理由に脱退したため吉井がボーカルに転向し、「KILLER MAY」のギターとして活動していた英二の実兄・英昭が加入。1989年12月28日に現メンバーで初めてのライブを行う。

当時は渋谷区のライブハウス「渋谷La.mama」を拠点に精力的なライブ活動を行っていたが、バンド初期はデヴィッド・ボウイミック・ロンソンT.Rexなどを彷彿とさせるグラムロック色が強く、メンバーが化粧をしたりするなど、後のヴィジュアル系のようなルックスだった。また、吉井がライブで女装をし、オカマキャラを演じることにより当初苦手だったMCが「面白い」と評判になり、結果的に観客動員が増えた[3]。当時の観客層は9割女性だったという。

メジャーデビュー

1992年5月21日日本コロムビアより1stシングル『Romantist Taste』でメジャーデビュー。1か月後には1stアルバム『THE NIGHT SNAILS AND PLASTIC BOOGIE』をリリースした。だが、枚数は思うように売れずオリコンチャート圏外となり、インディーズ時代からのファンにも酷評を浴びるなど芳しくなく、後に吉井も「(所属事務所の)社長もどう売っていいのか分からなかったと思う」と語っている[3]。しかし、ライブの動員数はイベント出演なども手伝って伸び続け、チケットは毎回完売状態だった[6]1993年4月には日本青年館で初のホールライブを実施。同ライブでは、両手を縛られ頭に袋を被せた裸の女性2人をステージに出す衝撃的なオープニング演出を行った。

当時、日本コロムビアのディレクターだった宗清裕之はセールスが伸び悩むことを危惧し、「もっとコマーシャルな方向に行こう」と提案した。その一方、吉井は「この先もバンドを続けていく上で、1回はコンセプトアルバムを作りたい」と語り、1994年3月にコンセプトアルバムとして3rdアルバム『jaguar hard pain』をリリースする[7]。吉井は本作の主人公である「ジャガー」になりきるため、髪を丸坊主の軍人カットにした。春、夏、冬と3本のツアーを通して1年がかりで「恋人マリーと出会う」というストーリーの結末に向け、通常のMCを廃した独自のステージを展開した。観客動員は軒並み上がっていったが売り上げ枚数は伸び悩み、吉井は「なんでライブはみんな虜になってくれるのに、音源に関してはそうならない?」と悩んだという[3]。観客動員が良かったこともあり、ツアーの終盤に翌年日本武道館公演が実施されることが決定する。

この年には「ROCKIN'ON JAPAN」3月号の表紙を飾ったが、抜擢した副編集長の井上貴子は後に「当時もまさかの表紙で、業界の波紋を呼んだ。だからこそやってよかった、といまだに思える一冊」と述懐している[8]

路線変更、ブレイク

デビュー以降思うようなセールスを残せなかったことで、メンバーはスタッフとミーティングを重ねた。ディレクターである宗清との「10万枚で終わるか、オリコン1位を目指すのか」という話し合いに、メンバーは「オリコン1位を目指す」という答えを出し、これを機にしてチャート向けな楽曲作りに路線変更する[7]1995年1月にリリースされた5thシングル『Love Communication』はヒット曲を意識して作られ、目論見通り自身初のオリコンシングルチャートTOP30入りを果たし、スマッシュヒットを記録。同年2月にリリースされた4thアルバム『smile』はオリコンアルバムチャート初登場4位を記録し、大幅に売上はアップした。

このアルバムを引っさげ、同年4月に初の日本武道館公演を実施し、即日完売するなど順調に人気を上げていく。同年7月にリリースされた7thシングル『追憶のマーメイド』がシングル初のTOP20入り、同年9月にリリースされた8thシングル『太陽が燃えている』がシングル初のTOP10入り、イギリスでレコーディングされた5thアルバム『FOUR SEASONS』が念願のオリコン初登場1位を記録するなど、バンドの人気を確実なものとする。帰国後まもなく始まったツアー「TOUR '95 FOR SEASON」ではトータルで9万人を動員した。

1996年2月にリリースされた9thシングル『JAM/Tactics』が累計80万枚、同年7月にリリースされた10thシングル『SPARK』が累計55万枚を越えるヒットを記録するが、直後の同年7月に日本コロムビアを離れてファンハウス(現・アリオラジャパン)に移籍。吉井は移籍に関し「『ちょっと違うレーベルでやってみたいね』っていうことだった」「色々折り合いがつかない部分が出てきた」ためと後年に振り返っている[3]。同年の12月には日本コロムビアから非公認ベスト・アルバムTRIAD YEARS actI〜THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY』が発売され、バンド唯一のミリオンセラーを記録した。

レコード会社移籍後

ファンハウス移籍後は独自のロックを追求。吉井は6thアルバム『SICKS』の制作にあたり、「1日3曲録音をノルマ」とする。作成した300曲を80曲に絞り、さらに厳選したものを収録曲とした。吉井は当時の状況を振り返り、「自分の中で、音楽がものすごく噴出してるのがわかった」と語っている[3]。『SICKS』は吉井自らが最高傑作と自負する作品となり、オリコン初登場1位、オリジナルアルバムでは自身最高の売上を記録した。

11thシングル『楽園』、12thシングル『LOVE LOVE SHOW』、13thシングル『BURN』(累計90万枚)など、シングルにおいても、いずれも45万枚以上の高いセールスをキープ。14thシングル『球根』は、シングルでは自身唯一のオリコン初登場1位を記録するなど、この時期に最も安定した人気を保つことになる。

1997年は精力的なライブ活動を行い、2月には20公演を回る「ARENA TOUR '97 "FIX THE SICKS"」を実施し、トータル15万人を動員。同年7月に「フジロックフェスティバル '97」に参加(後述)。同年8月、全国5会場のスタジアムツアー「TOUR '97 〜紫の炎〜」を実施し、4万人近いキャパシティを軒並みソールドアウトにした。

PUNCH DRUNKARD TOUR

1998年にリリースされた7thアルバム『PUNCH DRUNKARD』では、3作連続となるオリコン初登場1位を記録。ハードロック寄りとなり、ライブを強く意識したアルバムとなった。その一方で吉井は「世田谷のスタジオでデモを録ったんですよ。(中略)音も良かったし、勢いもすごかった」「(ロンドンでレコーディングを開始したら)なんか上手く行かない。あのデモを超えられない」といったスランプ状態に陥り、「今まで上昇していたバンドが下降し始めた感じ」を実感していたという[3]

このアルバムを引っさげ、同年4月にはホール72本、アリーナ41本、計113本を1年かけて回る「PUNCH DRUNKARD TOUR」を実施。同年1月7日読売新聞紙上で、14thシングル『球根』と『PUNCH DRUNKARD』のリリース情報とともに、全113本のツアー日程が全面広告で掲載された。3日に1回のペースでライブを行ったツアー以外の面でもメンバーは多忙を極め、ツアー中に計4枚のシングルをリリースし、それに伴うレコーディング・PV撮影・TV出演、同年7月にはイギリスでのライブを実施、翌年に公開された映画「Trancemission」の撮影、同年12月28日には「メカラ ウロコ・9」を行うなど、精力的に活動を行った。

数々のアクシデントにも見舞われ、同年9月9日の香川県県民ホールのライブ終了後、過労によって倒れた吉井が病院へ運ばれる事態に。年始一発目の1999年1月9日には音響スタッフが奈落に落下して死亡するなど、メンバーにとっては精神的・体力的にもハードなツアーとなった。

選曲の面でも吉井は苦悩し、前半のホールツアーは「洋楽志向のチャレンジ」として『PUNCH DRUNKARD』のアルバム曲が中心であったが、ツアーラストである1998年10月6日の岡山市市民会館で、吉井が「このツアーは失敗でした」と発言。後半のアリーナツアーからは「エンターテインメントに戻す」とし、アルバム曲を控えて過去のヒット曲を中心に演奏するようになった[3]

吉井は後に、1999年3月10日横浜アリーナで行われたファイナルを、「覚えてない。お客さんが見えていない」と語り、このツアーを「ひたすら打たれ続けてた感じ」と語っている[3]。「PUNCH DRUNKARD TOUR」は延べ55万人を動員し、1年間の経済効果は、グッズ・チケット・CDなどの売上を合わせ、100億円以上になるという[9]

このツアーのドキュメントとして、2013年9月28日に『パンドラ ザ・イエロー・モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE』が公開されている。

外部プロデューサー導入

「PUNCH DRUNKARD TOUR」終了後、吉井は休養期間にシングル候補曲を10曲制作した。さらにバンドサウンドを見直すためのミーティングが行われ、シングル作品に朝本浩文森俊之笹路正徳などの外部プロデューサーを導入する「コラボレーションシリーズ」を行う。吉井は「とにかくバンドを続けていくため、2000年はシングルを多くリリースする」という方針に決定。その理由として、「長期間休んだ後に良いものを作れる自信がなかった。バンドの色々なことを一つずつ直していきたかったから」と語っている[6]

後に吉井は「そういう悪い状況で、自分の楽曲を他人に委ねる時点で終わっている」といった否定的な発言を多く残しているが、反面「このまま手癖で続けるわけにもいかず、30代、40代とバンドを続けていくために必要なことだったのも事実」とも語っている[3]。またバンドの狙いとは裏腹に国内プロデューサー陣は「このままがいい」として、あまりバンドサウンドに変化をもたらす指示はしてもらえなかったという[3]

8thアルバム『8』の楽曲のレコーディングのためにロンドンへ向かった際、当時メンバーが多忙だったこともあり、スタジオに吉井一人しかいないという状況が続く。メンバーとの温度差を感じ始めた吉井が帰国後、事務所に社長含む関係者を集め「俺をクビにしてくれ」と頼み込み、バンドへの不満を投げかけた[3]。バンドは存続したが、「微妙な距離感が生まれた」と吉井は語っている。ただし、後に廣瀬は「俺をクビにしてくれ」という発言の直後に「そりゃねえだろ!」の突っ込みを自分が入れるなど雰囲気は決して暗いばかりではなかったと語っている[10]

2000年7月にリリースされた22ndシングル『パール』、同年7月にリリースされた8thアルバム『8』は吉井のセルフプロデュース作品となった。『8』のアルバムツアーは行われず、バンドは初となる国内ロックフェスに参加。しかし、そこでの吉井はノーメイクでジャージ姿という格好で出演。「はたから見ても異常、イエローモンキーを引き受けていない」状態であった[3]

同年12月30日、「CDTV年越しプレミアライブ」に緊急生出演。吉井が「ツアーが終わったら、俺たちプー太郎になっちゃうけど・・・」とコメントした後、23rdシングル『BRILLIANT WORLD』を披露し番組のトリを飾る。これが実質THE YELLOW MONKEYとしての最後のTV出演となった。

2001年1月8日に初の東京ドーム公演となる「メカラ ウロコ・8」を行う(詳細は後述)。吉井は「最後の東京ドームのライブは死んでた。(中略)なんの気持ちの昂りもなかった」「とにかく、これをやったら終われる。やっと休める」といった気持ちを持っていたという[3]。しかしその反面、初の大舞台にも関わらずメンバーはステージ裏で円陣を組んだり会話をしたりすることもなく淡々としており、「振り返ると、それだけモンスターバンドだったんだなあと。(中略)もう本能でやれる」と胸懐した[3]

活動休止〜解散後

「メカラ ウロコ・8」終了後にバンドを活動休止させ、メンバーはそれぞれソロ活動期間となる。ファンは活動再開を待ち望んだが、2004年7月7日に解散を正式発表した。吉井は「解散を伝えたその日に会って、近況を聞いてみたら、皆それぞれやりたいことがあって、バンドに戻れる状態じゃないと思った。各々好きな事をやりながら、年に一回アルバムを作ってライブをするという意見もあったけど、僕にとってこのバンドっていうのは、それじゃ駄目だった」「疲れもあるけど、メンバーがどうこうなんて言えない。バンドを解散させるのは辛いし、メンバーは最高だから、別れるのは寂しいし、心細いんだけど、とにかく解散は僕の我儘で、僕の責任」と語った。逆に、他のメンバーからは「吉井を追い込ませて、感情を吐き出させてやれなかった」「もっと力になってやりたかった」など、互いを擁護する発言が目立った。

同年12月26日、東京ドームで開催された「THE EXHIBTION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY メカラウロコ・15」の最終日にメンバーが再集結し、9thシングル『JAM』を演奏した。会場中が合唱の中、吉井は「ずっと歌ってて下さい」と言い残し、メンバーは去った。実は去り際にマイクオフの状態で吉井が「ありがとう」と言っているが、会場にはほとんど聞こえていなかったため、物議を醸した。

後に吉井は「マイク通してはね、ダメだったの。(中略)“ありがとう”より“ごめんね”って言いたかったかな」「オフマイクで“ありがとう”って言って、終わらしたくない気持ちがまだ残ってるわけですよ、きっと。言っちゃったらほんとに最後というか…。だからもしかしたら僕の中でイエローモンキーは成仏してないのかもしれない」という心境だったことを明かし、また『JAM』を演奏した後に「THE YELLOW MONKEYは終わりません」というMCを吉井自身も期待していたが、「バンドは完全に終わっているんだということを、演奏しながら感じた」という[3]

再集結

活動終了後、各メンバーはソロミュージシャンとしての活動を開始。特にフロントマンの吉井は大規模なツアーを行うなど精力的に活動する。THE YELLOW MONKEYとしても、解散後に関わらず公式ウェブサイトが開設されたほか、ファン投票ベストアルバムの発売・アルバムリマスター盤の発売・過去のライブDVDのリリースなどが行われた。

また、2013年に吉井が「来年から、普通じゃない野良犬に戻ります」を宣言しベストの発売があったほか、2015年には古巣の日本コロムビア(TRIADレーベル)に復帰し、レアコレクションの発売があった。

2016年1月4日、奇しくも申年となったこの年にTHE YELLOW MONKEYの新公式サイトに“Repus”と称した謎のカウントダウンティザー広告が表示され、1月8日がカウントダウンの期日となっていた。また、同じページには英字の暗号文章が記載されており、インターネット上では様々な憶測を呼んだ。 そしてカウントダウン当日の1月8日午前0時、公式サイトにて再集結とともに全国ツアー、新ファンクラブ発足を発表。同年元旦より東京・JR渋谷駅前の東急百貨店壁面に「金色のさなぎ」の写真入りポスターが、1枚毎めくられる形で貼られており、8日の午前0時に再集結を知らせる告知が現れた。

各種スポーツ新聞では号外が配られたほか、「イエモン、サル年に復活」が多くの誌面を飾った。

ツアー初日の5月11日は、解散前最後の楽曲にして唯一シングル曲においてコンサート未披露状態にあった『プライマル。』の初演を1曲目としてスタートし(この曲は多数のテレビ、ラジオ、インターネットライブ放送局が生中継した)、さらに『楽園』『BURN』などのファンハウス時代のヒット作を中心に、2月にWeb公開した15年ぶりの最新曲『ALRIGHT』も含めた集大成公演であった。ツアー後半ではコアファン向けに『SICKS』の曲目を中心に一部セットリストを入れ替えている。

吉井は「15年の間様々な事がありました。具体的にはおそ松くんおそ松さんに変わりました」などと笑いを取る一方で「今日だけは素直に言わせて下さい。ただいま!」と復活の喜びをMCに込め、さらに「今後も継続して活動したいと思いますよ」「このTHE YELLOW MONKEYは生涯解散することはありません」とバンド活動の永続を宣言し、この発言の真意を8月に出演したNHK「SONGS」においても語っている。

メカラ ウロコ[編集]

バンドの誕生日とも言える12月28日には、『メカラ ウロコ』と言う「昔のTHE YELLOW MONKEYに戻る」と言う趣旨の元、初期の楽曲をメインにしたライブを1996年 - 2001年(1997年、2000年を除く)にわたり4度行った。吉井曰く「忘年会も兼ねて」のイベントである。

2部構成で行われ、第2部からは「メカラ ウロコ楽団」と呼ばれるオーケストラ団体と共に曲を演奏する。また、ライブの途中では吉井が「やっぱりコレをやらないと、年は越せないよねー」という掛け声と共にメンバーが「東京ブギウギ」の替え歌「おそそ・ブギウギ」を歌うのが恒例となっていた。(このコーナー自体は吉井のソロでも年内最終公演に挟まれていた)

これらとは別に2004年の解散イベントも『メカラ ウロコ・15』と銘打たれている。また、2009年12月22日に結成20周年記念としてフジテレビで放送された特番も『メカラ ウロコ・20』と釘打たれた。

バンド解散後も吉井は2006年以降、毎年12月28日に日本武道館でライブを行うのが恒例となっている。ただし通常のライブツアーの一環として開催される場合が多く、『メカラ ウロコ』のタイトルは使われていない。

バンドが再結成した2016年には16年ぶり(日本武道館では17年ぶり)のライブとなる『メカラ ウロコ・27』が開催。

  • メカラ ウロコ・71996年12月28日)
1st - 3rdアルバムの楽曲が中心で構成され、オープニングの「MORALITY SLAVE」では、1993年に実施された日本青年館でのライブの演出を再現し、頭に袋を被せた女性(武道館側のNGで今回は裸ではない)を2人から20人に増やして披露された。吉井が自身の自伝にて「喜びという点であれを越えるライブはない」と語る[3]ほど気に入っているライブであり、「いつか完全版を出したい」と綴った約2年後の2009年に完全版の『メカラ ウロコ・LIVE DVD BOX』がリリースされた。ラストでは吉井がレコード会社移籍による心境を語り、移籍後第1段シングルとなる『楽園』がライブのトリを飾った。
  • メカラ ウロコ・91998年12月28日)
1997年は『PUNCH DRUNKARD』のレコーディングなどで多忙だったこともあり、1年空いている。「PUNCH DRUNKARD TOUR」中の開催であり、武道館2DAYSの後日でもあったため、充分なリハーサルができない状態であったが、メンバーの強い希望により行われた。前回と同様、1st - 3rdアルバムの楽曲が中心である。アンコールの「MERRY X'MAS」では、吉井が『jaguar hard pain 1944~1994』に登場するマリーに女装して披露された。トリを飾った『SO YOUNG』はこの日が初披露であり、後に18thシングルとしてリリースされた。
  • メカラ ウロコ・101999年12月28日)
「PUNCH DRUNKARD TOUR」後の活動休止明けに行われた。29日のファンクラブ限定ライブ「We are Petticort Laner de 公演」との2本立てで開催された。2名の女性コーラスと、サックス、トロンボーン、ペットのホーンセクションが新たに加わっている。初めて4thアルバム以降の楽曲も披露され、1st - 6thアルバムまで幅広く選曲された。トリを飾った『バラ色の日々』はこの日がライブ初披露である。
過去3公演とは異なり、日本武道館ではなく大阪ドーム東京ドームで行われ、開催日はバンドの誕生日とは無関係である。楽曲はメンバーの「今やりたい曲をやろう」という意向で、アルバム「8」の収録曲を中心に構成されている。吉井曰く「昔の曲でセットリストを組んだら、『8』の収録曲が全然入ってなかった」ために、先述のコンセプトのもとセットリストが組み直されたという。そのためタイトルも11(12)ではなく、アルバムに合わせて『8』となっている。ライブのラストでは吉井が「私たち、普通の野良犬に戻ります!」「我がイエローモンキーは永久に不滅です!」というMCと共に『WELCOME TO MY DOGHOUSE』がトリを飾った。THE YELLOW MONKEY活動休止前最後のライブであり、後に再結成を迎えるまで実質的にバンドのラストライブとなっていた。

フジロックフェスティバル[編集]

1997年7月24日、第1回目の「フジロックフェスティバル」1日目に参加。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンレッド・ホット・チリ・ペッパーズに挟まれ、トリ前での登場というタイムテーブルであった。

しかし、ヒット曲を控えたセットリスト(10曲中7曲がアルバム収録曲)と、当日は台風直撃により豪雨に見舞われた天候もあり観客の反応は芳しくなく、吉井は自らの自伝で「自分たちとしてはフジロックにふさわしい洋楽的な楽曲を並べて演奏したにもかかわらず、それが伝わらない厳しいライブだった」と回想している。また、「変な話、あのフジ・ロックの挫折感で、解散しちゃったようなもんだから。解散の理由の何%かは」と綴る[3]など、本人にとって厳しい経験となった。

また、渋谷陽一はこの当時に『ROCKIN'ON JAPAN』の邦楽アーティストの人気投票でTHE YELLOW MONKEYが1位に選出されたことを踏まえ、「洋楽のユーザーにとって一番人気のあるバンドであり、それがウケなかったのはプレゼンテーションを間違えたということ」としている。また、その要因として「吉井くんの気負いと自意識だったのではないか」と分析している[11]

一方、ギターの菊地は「そこまで失敗感はない」とし、「レッド・ホット・チリ・ペッパーズやフー・ファイターズがノリノリで聴いてくれたこともあり、非常に嬉しかった」と対照的な意見を述べている[10]

当日のセットリストは以下の通り

  1. SUCK OF LIFE
  2. A HENな飴玉
  3. See-Saw Girl
  4. TVのシンガー
  5. 紫の空
  6. RED LIGHT
  7. 天国旅行
  8. BURN
  9. LOVE LOVE SHOW
  10. 悲しきASIAN BOY

PV[編集]

「JAM」のプロモーションビデオは吉井自らの監督で撮影された。次のシングル「SPARK」以降は「パール」と「プライマル。」を除く13曲のシングルで高橋栄樹が監督を務めた。高橋は、時間的な余裕と自由な表現を許容され、プロモーションビデオだけでなく映像作品「BLUE FILM」、ライブビデオ「RED TAPE」などを製作し、吉井から「イエローモンキーの第5のメンバー」と言わしめた。

高橋は「LOVE LOVE SHOW」「BURN」を監督した1997年に「SPACE SHOWER Music Video Awards」ベストディレクター賞を受賞している。

評価[編集]

ミュージシャンからの評価[編集]

1993年にソロ活動を開始した頃、ファンを公言して楽曲をとても褒めていたという[12]。また、ROCKIN'ON JAPAN1998年6月号で14thシングル『球根』を「凄いなと思った」と絶賛している。
自著である『天声美語』(2000年4月20日発売)の「聴くべきロック系音楽リスト」において「ザ・イエローモンキー吉井和哉のバラードとデオダートビートルズ」を推薦している。また、美輪は2016年の復活公演に花を贈っている。
テレビ東京の音楽番組『JAPAN COUNTDOWN』(2000年7月22日放送)にて「直球勝負ならイエローモンキーには勝てない」と語った。このほか雑誌「BRIDGE 2001年8月号」において吉井との『バンドとソロ』をテーマにした対談も行い「ドラムとギターの関係が良好」ということを一目で見抜いた(実際には血の繋がった兄弟同士である)。
「彼らは大きな心と繊細な気持ち、そして本当の才能を持ち合わせている野郎共だ」と評価している[13]
1995年に音楽雑誌『ロッキンf』で廣瀬がジーン・シモンズと対談し、その時点でシモンズがTHE YELLOW MONKEYのアルバムや映像作品を所持していた事を明かし廣瀬を脅かせている[14]日本テレビの情報番組『ZIP!』(2013年10月22日放送)にて「日本のバンドで気に入っているのはTHE YELLOW MONKEYにサザンオールスターズ、そしてX JAPANにはとても影響力があった」「ずっとTHE YELLOW MONKEYとB'zについて勉強したよ」と語っている[15]

THE YELLOW MONKEYに影響を受けたミュージシャン等[編集]

NHKの音楽番組『ポップジャム』(2000年2月5日放送)にてファンを公言しており、「吉井和哉にファンレターを送ったことがある」と語っている。
ファンを公言しており、2001年1月8日に東京ドームで行われた「メカラ ウロコ・8」にも足を運んでいる。また、美輪明宏とは同公演にて知り合い親しくなったという(2006年5月17日放送の『オーラの泉』にて)。
ROCK IN JAPAN FES 2006年 09月号にてファンを公言しており、吉井の自著である『吉井和哉の○秘おセンチ日記』も読破したと語っている。
『メカラ ウロコ・20』(2009年12月22日放送)をはじめ、様々な媒体でファンを公言している。フジテレビの音楽番組『僕らの音楽』(2007年30日放送)にて、コンビニでアルバイトをしていた頃に店内でTHE YELLOW MONKEYの楽曲が流れていたことがきっかけでファンになったと語っている。
『メカラ ウロコ・20』をはじめ、様々な媒体でメンバー4人がファンを公言している。バンド編成もTHE YELLOW MONKEYと全く同じ。トリビュートアルバム『THIS IS FOR YOU〜THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM』に参加したほか、2013年にベスト盤『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』の特設サイトで行われた「私のTHE YELLOW MONKEY『この1曲』」という企画にメンバー4人が参加し、コメントを寄せている[16]
『メカラ ウロコ・20』でファンを公言している。THE YELLOW MONKEYについて「4人が演奏した瞬間に全ての空気を変えてしまうようなバンドのパワーを感じる」と評価している。また、「メカラ ウロコ・8」にも足を運び、「ドームの広さを感じず、ライブハウスのようだった」と語っている。
ファンを公言しており、トリビュートアルバムにも参加している。「俺にとってのアイドル」「THE YELLOW MONKEYを聴くようになってからリフ中心の曲作りに変わった」と語っている[17]
ファンを公言しており、トリビュートアルバムにも参加している。吉井もTRICERATOPSをとても気に入っておりベストアルバム発売時にコメントを寄せたほか、2007年には吉井とTRICERATOPSで「JAM」をセッション、その後も度々共演し、吉田に関しては2009年以降ほぼすべてのライブ・レコーディングで吉井のサポートドラマーを務めている。
「グラムロックというよりも、もっと洗練されている感じ」「メンバーそれぞれめちゃくちゃキャラが立っている」と語っている[17]

来歴[編集]

1980年代[編集]

1988年

  • 1988年結成。当初は吉井がベースを担当していたが、廣瀬洋一の加入によりギターに転向。

1989年

  • 前ヴォーカルの脱退により、吉井がヴォーカリストに転向。菊地英二の実兄である菊地英昭が加入。
  • 12月28日、上記4人のメンバーによる初のライヴ

1990年代[編集]

1990年

  • 11月、初のツアーを実施。

1991年

1992年

1993年

1994年

1995年

1996年

1997年

  • 1月22日、6thアルバム『SICKS』をリリース。オリコン初登場1位。オリジナルアルバムでは自身最高のセールスを記録。
  • 2月、20公演を回る初のアリーナ・ツアー「FIX THE SICKS」を実施。
  • 4月19日、12thシングル『LOVE LOVE SHOW』、非公認ベスト・アルバム『TRIAD YEARS actII』リリース。
  • 7月24日、13thシングル『BURN』リリース。累計90万枚を売り上げ、シングルでは自身最高のセールスを記録。
  • 同日、第1回目の「フジロック・フェスティバル’97」1日目に参加。
  • 8月、全国5会場のスタジアムツアー「紫の炎」を実施。
  • 11月1日、ミュージック・ビデオ『BLUE FILM』リリース。
  • 12月3日、ライブビデオ『RED TAPE』リリース。
  • 12月10日、TRIADよりリリースされた全ての音源を網羅した『TRIAD COMPLETE BOX』リリース。
  • 12月17日LD盤『PURPLE DISC』リリース。『BULE FILM』と『RED TAPE』のセット。

1998年

1999年

2000年代[編集]

2000年

2001年

2004年

2005年

  • 12月23日、ライブDVD『ライブ帝国 THE YELLOW MONKEY』リリース。

2009年

  • 9月17日、『THE YELLOW MONKEY 20th Anniversary Year Project』始動、3タイトルのリリースを発表。
  • 12月3日、フォトグラファー有賀幹夫氏の撮影・編集による写真集『THE YELLOW MONKEY HEAVEN -SICKS years '96〜'97-』リリース。
  • 12月9日、結成20周年記念企画の一環で、トリビュートアルバム「THIS IS FOR YOU〜THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM」、全4回行われた「メカラ ウロコ」を完全収録したDVD-BOX「メカラ ウロコ・LIVE DVD BOX」を同時リリース。
  • 12月19日、1、2月合併号の「ROCKIN'ON JAPAN」で9年ぶりに表紙を飾った。ROCKIN'ON JAPANが現存しないバンドを表紙にしたのは史上初である。

2010年代[編集]

2010年

  • 1月22日、結成20周年記念企画第3弾として、6thアルバム「SICKS」の完全版である「COMPLETE SICKS」のリリースが決定。「SICKS」のデジタルリマスタリング・Blu-spec CD盤、デモ音源を収録したCD、レコーディング風景など秘蔵映像を収録した豪華3枚組仕様での発売となる。
  • 7月、結成20周年記念企画の一環で、ユニクロとのコラボレーションTシャツを発売。

2012年

  • 5月21日、メジャーデビューから20年を迎えた同日に、バンドの全アルバムとミュージック・ビデオを6月20日から一斉配信されることが発表された。2007年に、シングル曲と一部楽曲は配信されていたものの、全てのオリジナル・アルバム曲が配信されるのは今回が初となる[18]
  • 6月5日、日本コロムビアより、Twitterでの「THE YELLOW MONKEY -DEBUT 20TH- 」オフィシャルアカウントと、バンドの公式Facebookの開設が発表された。
  • 6月6日YouTubeの公式チャンネルが開設され、1stシングル「Romantist Taste」から24thシングル「プライマル。」までの全24曲のPVが1コーラス限定で公開された[19]。余談であるが、この日はドラムの菊地英二の誕生日であった。
  • 6月19日レコチョクにて1日限定で、バンドの全シングル24曲を100円(税抜)にディスカウントした状態で配信された[20]。また、同日の20:00から翌20日の20:00の24時間にわたって、ニコニコ生放送でバンドの特番がオンエアされた[20]
  • 6月20日、バンドの全アルバムとミュージック・ビデオの一斉配信が開始。
  • 9月12日ニコニコ動画内で「THE YELLOW MONKEYチャンネル」がオープン。
  • 10月10日、デビューシングル「Romantist Taste」を新たにリミックスした「Romantist Taste 2012」を初回生産限定シングルとしてリリース[21]
  • 10月21日1996年に発売されたライブ作品「TRUE MIND TOUR'95-'96 FOR SEASON:in motion」の完全版となる5枚組作品「TRUE MIND “NAKED”」が、オリジナル作品の発売日と同じこの日に発売[22]。同作品には、オリジナル作品に収録されていた日本武道館公演とNHKホール公演がほぼ完全な形でDVD化される他、ツアーオフショットやメンバーのインタビューもロングバージョンとして収録されることが決定している。
  • 11月23日タワーレコード渋谷店の8Fにオープンした「SpaceHACHIKAI」にて、TOWER RECORDS SHIBUYA×THE YELLOW MONKEYのコラボ企画「タワモン」が開催(〜12月16日)。
  • 12月3日1997年に発売されたライブ作品「RED TAPE」の完全盤DVD「RED TAPE "NAKED"」が発売[23][24]

2013年

  • 7月31日、ファン投票で収録曲が決定したベストアルバム『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』が発売。アルバム発売時には、投票したファン全員の写真で作られた巨大フォトモザイクアートが全国5大都市に登場。
  • 9月28日、劇場版『パンドラ ザ・イエロー・モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE』公開。1998年から1999年にかけて全113本行われた「PUNCH DRUNKARD TOUR」のツアードキュメント。
  • 12月4日、全オリジナル・アルバム、ベスト・アルバムリマスター盤Blu-spec CD2にて再発売。劇場版『パンドラ ザ・イエロー・モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE』DVD/Blu-ray発売。

2015年

  • 1月14日、公式サイトがリニューアルされ、スマートフォン専用サイトがオープンした。

2016年

  • 1月8日0時、メンバー4人全員が"集結"した写真と共に全国10ヵ所を巡る20本のアリーナ・ツアー「THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016」を発表。
  • 2月10日、再結成後初の新曲となる「ALRIGHT」が初解禁され、その後音楽サイトや、動画サイトの公式アカウントででも無料配信されている(後にシングル「砂の塔」のカップリングにてCD化された)。
  • 5月11日より、再結成後初となる16年ぶりの全国ツアー「THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016」を開催(全国12会場で24公演)。

初日となる5月11日に国立代々木第一体育館で行われた公演では、「1曲目のみを複数メディアが生配信」という異例の形がとられた。その一曲目は解散前最後のシングルであり、シングル曲で唯一コンサート未演奏状態であった「プライマル。」であり、ファンを大いに沸かせた。

  • 7月2日、7月2日の日本テレビ系音楽番組「THE MUSIC DAY」に出演。テレビ出演は、活動休止直前の2000年に放送されたTBS系「CDTV年越しプレミアライブ」以降15年半ぶりとなった。
  • 8月6日8月7日8月13日8月14日の四日間にわたり、国内ロックフェスROCK IN JAPAN FESに16年ぶりに出演。
  • 8月20日より開催されるSUMMER SONIC 2016にTHE YELLOW MONKEYとして初の出演。
  • 10月19日TBS系ドラマ「砂の塔~知りすぎた隣人」の主題歌として書き下ろした新曲「砂の塔」を、「プライマル。」以来15年9カ月ぶりのシングルとしてリリース。同日には約15年半ぶりに再集結した全国ツアー『THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016』のさいたまスーパーアリーナの模様を収録したLIVE DVD/Blu-rayが発売された。
  • 11月12日より、全国16公演となるホールツアー「THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 -SUBJECTIVE LATE SHOW-」開催。
  • 11月16日、第49回日本有線大賞・特別賞を受賞[25]
  • 12月28日、日本武道館にて「THE YELLOW MONKEY SUPER メカラ・ウロコ 27」開催予定。
  • 12月31日、「第67回紅白歌合戦」(NHK総合)に初出場する予定[26]

2017年

  • 16年ぶりの全国ツアーでの彼らに密着したドキュメンタリー映画を放映予定(タイトル及び公開日は未定)。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

  リリース日 タイトル 規格 規格品番 収録アルバム
1st 1992年5月21日 Romantist Taste 8cmCD CODA-17 THE NIGHT SNAILS AND PLASTIC BOOGIE
(夜行性のかたつむり達とプラスチックのブギー)
2nd 1993年3月1日 アバンギャルドで行こうよ 8cmCD CODA-142 EXPERIENCE MOVIE
(未公開のエクスペリエンス・ムービー)
3rd 1994年2月21日 悲しきASIAN BOY 8cmCD CODA-305 jaguar hard pain
4th 1994年7月21日 熱帯夜 8cmCD CODA-459 smile
5th 1995年1月21日 Love Communication 8cmCD CODA-567
6th 1995年3月1日 嘆くなり我が夜のFantasy 8cmCD CODA-608
7th 1995年7月21日 追憶のマーメイド 8cmCD CODA-715 FOUR SEASONS
8th 1995年9月30日 太陽が燃えている 8cmCD CODA-731
9th 1996年2月29日 JAM/Tactics 8cmCD CODA-834 FOUR SEASONS(「Tactics」のみ)
10th 1996年7月10日 SPARK 8cmCD CODA-970 -
11th 1996年11月25日 楽園 8cmCD FHDF-1593 SICKS
12th 1997年4月19日 LOVE LOVE SHOW 8cmCD FHDF-1621 PUNCH DRUNKARD
13th 1997年7月24日 BURN 8cmCD FHDF-1644
14th 1998年2月4日 球根 8cmCD FHDF-1672
15th 1998年6月3日 離れるな 8cmCD FHDF-1688
16th 1998年8月21日 SUGAR FIX 12cmCD FHCF-2428 -
17th 1998年10月21日 MY WINDING ROAD 8cmCD FHDF-1697 -
18th 1999年3月3日 SO YOUNG 8cmCD FHDF-1713 -
19th 1999年12月8日 バラ色の日々 12cmCD FHCF-5001 8
20th 2000年1月26日 聖なる海とサンシャイン 12cmCD FHCF-5002
21st 2000年4月5日 SHOCK HEARTS 12cmCD FHCF-5007
22nd 2000年7月12日 パール 12cmCD FHCF-5011
23rd 2000年11月1日 BRILLIANT WORLD 12cmCD FHCF-5019 -
24th 2001年1月31日 プライマル。 12cmCD FHCF-5024 -
企画 2012年10月10日 Romantist Taste 2012 12cmCD COCA-16672 -
25th 2016年10月19日 砂の塔 12cmCD COCA-17240 (初回盤) -
COCA-17241 (通常盤)

オリジナル・アルバム[編集]

  リリース日 タイトル 規格 規格品番
インディーズ 1991年7月21日 Bunched Birth CD EB-306
2013年12月4日 Blu-spec CD2 POCS-1119
1st 1992年6月21日 THE NIGHT SNAILS AND PLASTIC BOOGIE
(夜行性のかたつむり達とプラスチックのブギー)
CD COCA-9797
2000年8月19日 COCA-50366
2013年12月4日 Blu-spec CD2 COCP-38275
2nd 1993年3月1日 EXPERIENCE MOVIE
(未公開のエクスペリエンス・ムービー)
CD COCA-10630
2000年8月19日 COCA-50367
2013年12月4日 Blu-spec CD2 COCP-38276
3rd 1994年3月1日 jaguar hard pain CD COCA-11539
2000年8月19日 COCA-50368
2013年12月4日 Blu-spec CD2 COCP-38277
4th 1995年2月1日 smile CD COCA-12258
2000年8月19日 COCA-50369
2013年12月4日 Blu-spec CD2 COCP-38278
5th 1995年11月1日 FOUR SEASONS CD COCA-12994
2000年8月19日 COCA-50370
2013年12月4日 Blu-spec CD2 COCP-38279
6th 1997年1月22日 SICKS CD FHCF-2355
2010年1月22日 LP(2枚組) BVJL-2〜3
2013年12月4日 Blu-spec CD2 BVCL-30010
7th 1998年3月4日 PUNCH DRUNKARD CD FHCF-2412
2013年12月4日 Blu-spec CD2 BVCL-30011
8th 2000年7月26日 8 CD(2枚組) FHCF-2501
CD
2013年12月4日 Blu-spec CD2 BVCL-30013

ベストアルバム[編集]

  リリース日 タイトル 規格 規格品番
シングルコレクション 2001年6月13日 GOLDEN YEARS Singles 1996-2001 CD FHCF-2530
2013年12月4日 Blu-spec CD2 BVCL-30014
ベストアルバム 2004年12月8日 THE YELLOW MONKEY MOTHER OF ALL THE BEST CD(3枚組) BVCR-18040〜18042
CD(2枚組) BVCR-18043〜18044
2013年12月4日 Blu-spec CD2(2枚組) BVCL-30015〜30016
ベストアルバム 2013年7月31日 イエモン-FAN'S BEST SELECTION- Blu-spec CD2+DVD COZP-786〜787
Blu-spec CD2 COCP-38132

非公認ベストアルバム[編集]

リリース日 タイトル 規格 規格品番
1996年12月7日 TRIAD YEARS act I - THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY CD COCA-13914
1997年4月19日 TRIAD YEARS act II - THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY CD COCA-14101
1998年12月10日 THE YELLOW MONKEY SINGLE COLLECTION CD COCP-50016
2013年12月4日 Blu-spec CD2 COCP-38282
2001年3月1日 TRIAD YEARS act I & act II - THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY CD(2枚組) COCP-50486〜50487
2013年12月4日 Blu-spec CD2(2枚組) COCP-38280〜38281

その他のアルバム[編集]

  リリース日 タイトル 規格 規格品番 備考
ボックス・セット 1997年12月10日 TRIAD COMPLETE BOX 6CD COCA-14660〜14665 TRIADよりリリースされた全ての音源を網羅したBOXセット。
ライブ・アルバム 1999年5月26日 SO ALIVE CD FHCF-2457 「PUNCH DRUNKARD TOUR」からメンバー自らがセレクションしたライブアルバム。
2013年12月4日 Blu-spec CD2 BVCL-30012
トリビュート・アルバム 2009年12月9日 THIS IS FOR YOU〜THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM CD(2枚組) BVCL-50〜51 結成20周年記念企画の一環で発売。
6thアルバム完全盤 2010年1月22日 COMPLETE SICKS CD(2枚組)+DVD BVCL-20025〜20027 結成20周年記念企画の一環で発売。
完全生産限定盤
Blu-spec CD+CD+DVDの3枚組

ビデオ・DVD[編集]

  リリース日 タイトル 規格 規格品番
ライブビデオ 1993年9月1日 life Time・SCREEN 〜追憶の銀幕〜 VHS COVA-4282
2000年12月9日 DVD COBA-50447
ライブビデオ 1995年7月21日 Cherry Blossom Revolution -Live at BUDOKAN- VHS COVA-4579
2000年12月9日 DVD COBA-50448
ミュージック・ビデオ 1996年3月30日 CLIPS Video Collection 1992〜1996 VHS COVA-4680
LD COLA-3198
2000年12月9日 DVD COBA-50449
ライブビデオ 1996年10月21日 TRUE MIND TOUR '95-'96 FOR SEASON:in motion VHS COVA-4800
LD COLA-3230
2000年12月9日 DVD COBA-50450
ミュージック・ビデオ 1997年11月1日 BLUE FILM VHS FHVF-1126
2000年12月9日 DVD FHBF-1003
ライブビデオ 1997年12月3日 RED TAPE VHS FHVF-1127
2000年12月9日 DVD FHBF-1004
- 1997年12月17日 PURPLE DISC LD(2枚組) FHLF-1128〜1129
ライブビデオ 1998年10月21日 メカラ ウロコ・7 VHS COVA-6252
2000年12月9日 DVD FHBF-50451
ミュージック・ビデオ 1998年11月18日 CLIPS 2 Video Collection 1996〜1998 VHS FHVF-1130
LD FHLF-1130
2000年12月9日 DVD FHBF-1005
ライブビデオ 1999年6月23日 PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99 FINAL 3.10 横浜アリーナ VHS FHVF-1133
LD(2枚組) FHLF-1133〜1134
2000年12月9日 DVD FHBF-1006
ライブビデオ 1999年12月10日 jaguar hard pain Live '94 VHS COVA-50201
2000年12月9日 DVD COBA-50452
ライブビデオ 2000年12月9日 SPRING TOUR VHS FLVF-1146
DVD FLBF-1002
ミュージック・ビデオ 2001年3月14日 CLIPS 3 Video Collection 1999〜2001 VHS FLVF-1147
DVD FLVF-1007
ミュージック・ビデオ(BOX) 2004年12月8日 THE YELLOW MONKEY CLIP BOX DVD(3枚組) COBA-50833〜50835
ライブビデオ(BOX) THE YELLOW MONKEY LIVE BOX DVD(9枚組) COBA-50836〜50844
ライブビデオ 2004年12月28日 THE YELLOW MONKEY LIVE AT TOKYO DOME DVD(2枚組) BVBR-11050〜11051
BVBR-11052〜11053
ライブビデオ 2005年12月23日 ライブ帝国 THE YELLOW MONKEY DVD JPBP-13603
ライブビデオ(BOX) 2009年12月9日 メカラ ウロコ・LIVE DVD-BOX DVD(9枚組) BVBL-20〜28
ライブビデオ 2012年10月21日 TRUE MIND "NAKED" DVD(5枚組) XT-3262〜3265
ライブビデオ TRUE MIND "NAKED" -TOUR '96 "FOR SEASON" at 日本武道館- DVD(2枚組) COBA-6350〜6351
ライブビデオ TRUE MIND "NAKED" -TOUR '96 FOR SEASON "野性の証明" at NHKホール- DVD(2枚組) COBA-6352〜6353
ライブビデオ 2012年12月3日 RED TAPE "NAKED" DVD(5枚組) XT-3270〜3273
ライブビデオ RED TAPE "NAKED" -ARENA TOUR '97 "FIX THE SICKS" at 横浜アリーナ- DVD(2枚組) COBA-6387〜6388
ライブビデオ RED TAPE "NAKED" -TOUR '97 〜紫の炎〜 at 西宮スタジアム- DVD(2枚組) COBA-6389〜6390
ドキュメンタリー 2013年12月4日 パンドラ ザ・イエロー・モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE DVD(2枚組) BVBL-92〜93
DVD BVBL-94
Blu-ray BVXL-37
ライブビデオ 2016年10月19日 THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 -SAITAMA SUPER ARENA 2016.7.10- DVD COBA-6924〜5
Blu-ray COXA-1143

ゲーム[編集]

  リリース日 タイトル 規格品番 備考
プレイステーション用ソフト 1999年7月1日 PERFECT PERFORMER -THE YELLOW MONKEY- SLPS-02135 ファンハウスから発売された。THE YELLOW MONKEYの曲を使用した音ゲー

収録曲:楽園、TVのシンガー、紫の空、LOVE LOVE SHOW(Album Version)、BURN、MY WINDING ROAD、NEW YORK CITY LOSER

未発表曲[編集]

曲名 備考
毛皮のコートのブルース 1999年12月29日の『We are Petticort Laner de 公演』で演奏された。後に『メカラ ウロコ・LIVE DVD-BOX』の特典ディスクに収録される。
セミシグレ ある不良青年の一生を描いた楽曲。1997年の『TOUR '97 〜紫の炎〜』にて披露される予定であったが、見送られた。1999年に出版された『So YOUNG―吉井和哉詩集』に歌詞が掲載されている。
DUST TO DUST 1994年の『TOUR '94 "jagur hard pain"』のオープニングにて、偽ジャガーの登場とともに披露された楽曲。映像作品『jaguar hard pain Live'94』ではカットされている。

ライブ・コンサートツアー[編集]

タイトル 公演規模・会場
1992年 TOUR 1992 FIRST
RADICAL HYSTERY TOUR
RADICAL HYSTERY TOUR #2
1992年 - 1993年 PLAY DON'T WORRY ボインでぶっとばせ!
1993年 EXPERIENCE MOVIE ROAD SHOW
Life Time・SCREEN〜追憶の銀幕
THREE DOG NIGHT
マリーの悪戯
Hello My Lovers “蟻地獄で逢いましょう”
1994年 TOUR '94 JAGUAR HARD PAIN
JAGUAR HARD PAIN ENCORE TOUR '94 〜つわものどもの熱帯夜〜
JAGUAR HARD PAIN FINAL TOUR '94 "I Shall Return!"
1995年 TOUR '95 "LOVE COMMUNICATION"
TOUR '95 SUMMER SPECIAL “真夏の暴走”
TOUR '95 FOR SEASON
1996年 TOUR '96 FOR SEASON SPECIAL 1月12日 日本武道館
TOUR '96 FOR SEASON
TOUR '96 FOR SEASON “野性の証明”
メカラ ウロコ・7 12月28日 日本武道館
1997年 ARENA TOUR '97 "FIX THE SICKS"
TOUR '97 〜紫の炎〜
1998年 PUNCH DRUNKARD TOUR “あしたのショー” 3月27日 赤坂BLITZ
1998年 - 1999年 PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99
1998年 メカラ ウロコ・9 12月28日 日本武道館
1999年 メカラ ウロコ・10 12月28日 日本武道館
We are Petticoat Laner de 公演 12月29日 日本武道館
2000年 SPRING TOUR
2001年 メカラ ウロコ・8
2016年 THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016
THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016
-YOKOHAMA SPECIAL-
THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 SPECIAL
-ARE YOU A BELIEVER?-
THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 SPECIAL
-KUMAMOTO SUPECIAL-
9月1日 熊本B.9
THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016
-SUBJECTIVE LATE SHOW-
THE YELLOW MONKEY SUPER メカラ ウロコ・27 12月28日 日本武道館

書籍[編集]

発売日 タイトル 出版元 ISBN 備考
1996年12月20日 7YEARS ビクターエンタテインメント ISBN 4-89-389141-3
1999年4月10日 So YOUNG―吉井和哉詩集 ロッキング・オン ISBN 4-94-759946-4 吉井和哉著書による初の詩集。未発表曲「セミシグレ」の歌詞が掲載されている。
2000年12月15日 BURN ロッキング・オン ISBN 4-94-759985-5 ROCKIN'ON JAPANに掲載されたインタビューをまとめたもの。完成直前に活動休止が発表された。
2004年12月15日 15YEARS ぴあ ISBN 4-83-560982-4
2005年5月13日 COMPLETE BURN ロッキング・オン ISBN 4-86-052049-1 『BURN』の増補改訂版。

タイアップ[編集]

起用年 タイトル 収録 タイアップ
1994年 熱帯夜 4thシングル TBS系所さんのワーワーブーブー」エンディングテーマ
1995年 Love Communication 5thシングル テレビ朝日系「mew」オープニングテーマ
嘆くなり我が夜のFantasy  6thシングル TBS系「たけし・所のドラキュラが狙ってる」エンディングテーマ
追憶のマーメイド 7thシングル テレビ朝日系「はなきんデータランド」エンディングテーマ
太陽が燃えている 8thシングル テレビ朝日系「Jリーグ A GOGO!!」オープニングテーマ
1996年 JAM 9thシングル両A面 NHKポップジャム」エンディングテーマ
Tactics フジテレビ系アニメるろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」1stエンディングテーマ
SPARK 10thシングル TBS系「COUNT DOWN TV」96年7月度エンディングテーマ
楽園 11thシングル フジテレビ系ドラマ新・木曜の怪談」主題歌
1997年 BURN 13thシングル TBS系ドラマ「職員室」主題歌
1998年 球根 14thシングル NHK「ポップジャム」エンディングテーマ
O.K. 17thシングル C/W WOWOWWOWOWスーパーサッカー」エンディングテーマ
1999年 SO YOUNG 18thシングル テレビ朝日系「ニュースステーション」99年3月度ウェザーテーマ
映画「Trancemission」主題歌
バラ色の日々 19thシングル NHK「ポップジャム」エンディングテーマ
2000年 聖なる海とサンシャイン 20thシングル テレビ朝日系「おネプ!」エンディングテーマ
映画「現実の続き 夢の終わり」主題歌
SHOCK HEARTS 21stシングル 大鵬薬品工業「チオビタドリンク」CMソング
パール 22ndシングル NTV系劇空間プロ野球」2000年8・9月度イメージソング
BRILLIANT WORLD 23rdシングル TBS系「世界ウルルン滞在記」エンディングテーマ
2001年 GIRLIE (Original Mix) 23rdシングル C/W 映画「弟切草」主題歌
2009年 SPARK 10thシングル パチンコ『CR忍術決戦 月影』使用曲
楽園 11thシングル
BURN 13thシングル
2012年 Romantist Taste (LIVE音源) 1stシングル テレビ朝日音楽番組「musicる TV」10月度テーマソング
2013年 太陽が燃えている 8thシングル テレビ朝日系 「ゴーちゃん。GIRL'S TV」 エンディングテーマ
SPARK 10thシングル TBS系 「エン活!」 エンディングテーマ
楽園 11thシングル フジテレビ系 「たけしのコマ大数学科」 13年7〜9月度エンディングテーマ
パール 22ndシングル 日本テレビ系 「ミュージックドラゴン」 POWER PLAY
2016年 砂の塔 25thシングル TBS系ドラマ「砂の塔〜知りすぎた隣人」の主題歌

CD解説[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 発売元は日本コロムビア(2016年現在)。
  2. ^ a b c ROCKIN'ON JAPAN 1998年4月号
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 「吉井和哉自伝 失われた愛を求めて」(ロッキング・オン
  4. ^ ナタリー THE YELLOW MONKEYベストは「イエモン」&衝撃ジャケ
  5. ^ タワーレコード イエモン新ベストのタイトルは〈イエモン〉! ジャケは野性爆弾・川島
  6. ^ a b 「COMPLETE BURN」(ロッキング・オン
  7. ^ a b 徹底座談会で明かされる真実とそれぞれの1曲
  8. ^ ROCKIN'ON JAPAN」2010年1、2月合併号」
  9. ^ 劇場版『パンドラ ザ・イエロー・モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE』。
  10. ^ a b ABCラジオよなよな…』(2015年4月28日放送)
  11. ^ ROCKIN'ON JAPAN 1997年11月号
  12. ^ hideが見抜いていた吉井の天才が「クリア」に見える
  13. ^ THE YELLOW MONKEY特集/音楽情報サイト:hotexpress
  14. ^ ロッキンf97年7月号別冊 Rockin'Talk CAFE(立東社 ロッキンf 1995年4月号掲載文) 69~76p
  15. ^ KISSが日本のバンドを研究。「イエモンとB’zを勉強。X-JAPANは影響力があった
  16. ^ 私のTHE YELLOW MONKEY「この1曲」
  17. ^ a b ナタリー - [Power Push THIS IS FOR YOU - THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM
  18. ^ THE YELLOW MONKEY、全アルバム&全PVが6月一斉配信 ナタリー 2012年5月21日
  19. ^ THE YELLOW MONKEY楽曲投票企画&全PV視聴スタート ナタリー 2012年6月6日
  20. ^ a b イエモン一斉配信直前に全シングル100円配信&ニコ生特番 ナタリー 2012年6月13日
  21. ^ イエモン20年前のデビュー曲が装い新たにシングル化 2012年8月31日付 ナタリー
  22. ^ イエモン「TRUE MIND」を丸裸にした完全版DVD発売 ナタリー 2012年8月15日
  23. ^ ヒーセ&エマも登場!熱狂のイエモンリリースパーティ ナタリー 2012年10月11日
  24. ^ THE YELLOW MONKEY 今度は『RED TAPE “NAKED”』が発売決定! HMV 2012年10月9日
  25. ^ “「日本有線大賞」にAKB48、JUJU、西内まりや、西野カナら8組ノミネート”. 音楽ナタリー. (2016年11月16日). http://natalie.mu/music/news/209516 2016年11月16日閲覧。 
  26. ^ THE YELLOW MONKEY、宇多田ヒカル、PUFFY、RADWIMPSら『紅白』初出場決定music.jpニュース,2016年11月24日閲覧。

外部リンク[編集]