hide

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hide
出生名 松本 秀人(まつもと ひでと)
生誕 1964年12月13日
出身地 日本の旗 日本神奈川県横須賀市
死没 1998年5月2日(満33歳没)
学歴 逗子開成高等学校
ハリウッドビューティ専門学校
ジャンル ロック
オルタナティヴ・ロック[1]
ポップ・ロック[1]
ハードロック[1]
ヘヴィメタル
インダストリアル・ロック
職業 ミュージシャン
音楽プロデューサー
担当楽器 ギター
ボーカル
ベース
活動期間 1981年 - 1998年
レーベル MCAビクター(1993 - 1997)
ユニバーサルビクター(1997 - 2000)
ユニバーサルJ(2000 - )
事務所 Excess 24(1993 - 1997)
ヘッドワックスオーガナイゼーション(1997 - )
共同作業者 X JAPAN
I.N.A
zilch
横須賀サーベルタイガー
公式サイト www.hide-city.com
著名使用楽器
テンプレートを表示

hide(ヒデ、本名:松本 秀人〈まつもと ひでと〉[2]1964年12月13日[3][4] - 1998年5月2日)は、日本ミュージシャンギタリスト歌手プロデューサー[4]神奈川県横須賀市出身[3]。1987年から1997年までX JAPAN(旧名:X)のギタリストとしてHIDE名義で活動[3][4]。1989年にアルバム『BLUE BLOOD』でXのメンバーとしてメジャーデビュー[3]

1993年より、hide名義でソロ活動も開始し[3]、1996年にはレコードレーベル「LEMONed」(レモネード)を設立[5]。1997年のX JAPAN解散後はhide with Spread Beaver及びzilchでの活動を開始するも、1998年5月2日に急逝[3][4][5]。2007年のX JAPAN再結成以降においてもメンバーとして在籍[6]

人物[編集]

少年時代は肥満から来るコンプレックスのため、内気で大人しい子供であった。祖父の「松本家から医者を出せ」という命令もあり、小学校の卒業文集の将来の夢の欄には「医者になって見放された患者さんを助けてあげたい」と綴っている。また、学習塾や習いごとに通う忙しい小学生であった。アメリカへの集団でのホームステイも経験している。Unitedの横山明裕とは幼稚園時代からの幼馴染であり、互いにプロになって以降も交流があった。

中学生の頃、初めて聴いたキッスレコードに大きな衝撃を受け、ロックに目覚める。以後は俗に言う「ロック少年」となり、様々なロックを聴き漁るようになり、その中でキッス(特にエース・フレーリー)、ザ・クラッシュアイアン・メイデンディープ・パープルヴァン・ヘイレンダムドレッド・ツェッペリンジミー・ペイジ)、ジャパンなどに影響を受けた。BOWWOW山本恭司ファンではあるが、hideの代名詞となる「モッキンバード」は、同じBOWWOWの斉藤光浩が使用していたのが気になった事がきっかけであると語っている[7]

その後、エレキギターを手に入れたが当初はバンド活動はしておらず、そのまま県内屈指の進学校の高校へと進学した。その進学した高校が「エレキ禁止」であったためにバンドを組めずにいたが、不良の溜まり場などと言われていた横須賀のどぶ板通りに出入りするようになり、そこで出会った仲間達とバンドを結成する。このバンドがX加入以前に活動していた唯一のバンド、「サーベルタイガー」となった(正確には、中学でもバンドを組んだが形だけで音楽活動はしなかった)。

また、「おばあちゃん子」であったhideは美容院を営んでいた祖母からの影響を少なからず受けている。Xデビュー当時は祖母のサリーをステージ衣装として借りていたことも。祖母と言うには若くて派手な人であったために、後のファッションなどの基盤となったとも言われ、更に高校卒業後にはハリウッドビューティ専門学校へと進み、卒業して実際に美容院で働いてもいた。中学生のhideに高級品であったギブソンを買い与えたのも祖母。「サーベルタイガー」を解散した時には、全ての音楽活動からは足を洗って美容師として生きていこうと決心したが、結局はYOSHIKIの誘いでXに加入することになる。

インディーズバンドの発掘に力を入れ、エクスタシーレコードではバンドリサーチ担当としてLUNA SEAZI:KILL、DEEP等を発掘し、また、自身でもレモネードレーベルを立ち上げZEPPET STOREVINYL、trees of lifeなどのバンドを発掘した。

テレビやゲームが好きであり、好んで視聴したり遊んだりしていた。テレビ番組の中では特にお笑い番組が好きで、当時人気を誇っていた「ダウンタウンのごっつええ感じ」などがお気に入りであり、ダウンタウン(特に松本人志)のファンでもあった。また、スーパーファミコンソフト『スターフォックス』にはまっていて、デビュー・シングルの『EYES LOVE YOU』のミュージック・ビデオは、そこから得たアイディアを取り入れている。

略歴[編集]

Xに加入しての初仕事は「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画で行われた「やしろ食堂」でのライブであった。1989年4月、Xのギタリストとしてアルバム『BLUE BLOOD』でメジャーデビュー。Xではギター以外にもバンドのビジュアル全般を担当し、メンバーの髪のセットなども行っていた[4]。主にYOSHIKIがXの作詞・作曲を行っていたが、HIDEも一部の曲で作詞・作曲を担当[4]

Xでの活動と並行して1993年1月21日にLUNA SEAJINORANと共にMxAxSxS名義でオムニバスアルバム『DANCE 2 NOISE 004』に参加し、同年8月5日に2枚のシングル「EYES LOVE YOU」、「50%&50%」を同時発売しソロデビュー[4]。9月29日にはZI:KILLのTUSKと、映像作品『Seth et Holth』を発表する[注 1]

1994年2月、初のソロアルバム『HIDE YOUR FACE』を発売。ジャケットの仮面のオブジェは、映画『エイリアン』などで知られるH・R・ギーガーによるデザイン。また、同年3月から4月にかけて初のソロツアーを開催した。

1996年、アマチュアバンドであったZEPPET STOREの楽曲や存在を世間に知らしめたいという動機からレーベル「LEMONed」(レモネード)を立ち上げる。5月22日に同名タイトルのオムニバスアルバムとビデオを発売することでレーベルの存在を公にした。また、6月よりソロアルバム制作を開始し、9月2日に2ndアルバム『PSYENCE』を発売。

1997年9月、TOSHIの脱退によりX JAPANは解散を発表し、同年12月31日の「THE LAST LIVE」をもってXは解散[注 2]。その翌日の1998年1月1日、hide with Spread Beaverとして朝日新聞紙上に全面広告を掲載。同年1月28日にシングル「ROCKET DIVE」を発売。

1998年5月2日の朝7時30分頃、自宅マンションの寝室にてドアノブに掛けたタオルで首を吊って呼吸停止した状態になっているのが同居していた婚約者によって発見され、病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。33歳没。後にファンが後追い自殺をするなどの事態が発生したという。5月5日に関係者のみ300人を集め密葬が執り行われ、5月6日に通夜、5月7日に告別式が催され、両日はファンの献花を受け付け、連日ファンが大挙して押し寄せた。告別式にはTOSHI、TAIJIを含むX JAPANのメンバーをはじめ、親交のあった音楽仲間や業界関係者も参列した。告別式はテレビで生中継された。

5月13日にシングル「ピンクスパイダー」、5月27日にシングル「ever free」が生前に予定されていた通りに発売。7月23日、生前にレイ・マクヴェイとポール・レイヴンと共に結成されたプロジェクトzilchの1stアルバム『3・2・1』が発売。10月21日、未発表曲としてシングル「HURRY GO ROUND」が発売。これは生前に録っていた仮歌の音源を使用して、hideと共に最もレコーディング作業に深く関わっていたI.N.Aによって制作された。11月21日、アルバム『Ja,Zoo』が発売。このアルバムは生前には未完成であったが、Spread Beaverのメンバーや、サーベルタイガー時代からの仲間であるkyo菊地哲などの参加により完成された。

死去から丁度1年後の1999年5月1日、トリビュート・アルバムhide TRIBUTE SPIRITS』が発売。hideに縁のあるミュージシャンや、hideがBOØWY時代からファンであった布袋寅泰などが参加。

2000年7月20日、故郷である神奈川県横須賀市の海岸沿いに記念館「hide MUSEUM」が開館。衣裳や楽器などhideにゆかりのある品々を展示、併設の「Cafe Le PSYENCE」ではライブも行われた。オープン式典にはX JAPANファンを公言し、設立にも協力したという衆議院議員小泉純一郎も出席。横須賀市内を走る湘南京急バス堀内営業所でも、hide並びにhide MUSEUMをテーマにした路線バスを2台製作・運行させている。七回忌に当たる2004年5月2日には「FILM GIG」などのイベントが開催された。2005年9月25日に記念館は閉館。当初は3年間の期間限定であったが、結果的に5年に延長された。閉館後も、展示品などは時期を見て公開する予定であるとされている。

2007年4月1日、原宿にLEMONed shopがオープン。

2007年10月17日、X JAPANが再始動。新曲「I.V.」は、生前のhideの演奏をデジタル加工して使用されており、念願としていた世界デビューへhideも同行する形が取られた。10月22日のミュージックビデオの撮影にはhideの立ち位置に空席のマイクスタンドとhideモデルのエレキギターが設置され、YOSHIKIがhideの人形を持って登場するなど『hideも一緒である』ということが強調されていた。2008年3月28日に東京ドームで開催されたX JAPANの復活ライブでは、特殊映像などを駆使して再現されたhideの立体映像が登場。

2008年5月3日・5月4日、味の素スタジアムにてhide十周忌追悼ライブ『hide memorial summit』が開催された。多数のバンドやミュージシャンが出演し、5月3日に出演したhide with Spread Beaverと5月4日に出演したX JAPANでは、ステージに設置された巨大モニターに生前のhideの映像を放映する形で共演。

2013年はソロ活動20周年、2014年は生誕50周年のメモリアルイヤーとなり、様々なプロジェクトが進められた。

活動[編集]

INAとの関係[編集]

レコーディング・エンジニアマニピュレーターであり、hide with Spread BeaverのメンバーでもあるINAは、元々Xのレコーディングスタッフとして参加していたスタッフであった。1993年よりソロ活動を開始するにあたり、作品の制作に全面的に参加。自宅でのデモテープの制作をする際も常にINAと共同で行い、「hide」というミュージシャンを、松本秀人(≠hide)とINAの2人でプロデュースしているという感覚であったとしていた。デモテープ制作の段階で既に質の高さを追求していたとされ、質の高いデモテープを作ることによってレコーディングに携わる人間に対して曲の意図をより明確に伝える目的があったとされる。なお、アルバム『PSYENCE』の収録曲「LASSIE」は敢えてデモテープの音源をそのまま収録。いわゆる「裏方」であったINAをツアーメンバーとして無理矢理表舞台へ引っ張り出したとされ、後のhide with Spread Beaverのメンバーとしての活動までに至った。

LEMONed[編集]

1996年、ZEPPET STOREの音楽に影響された事をきっかけにレコードレーベルLEMONed(レモネード)を設立[5]。英俗語である「LEMON(不良品)」に過去形の「ed」を付けて、「不良品だった」という意味を込めた命名である[5]。また同時に、大量生産されるこの時代で僅かな確率で生産された「不良品」が、似た者同士のアーティストの中で異彩を放ち、「僕たちもかつては不良品だった」と笑えるようにとhide自身語っている[5]。音楽以外には、ファッションやグッズの販売店や美容院、フォーミュラ・ニッポンチームルマンのスポンサーにもなった。毎年夏には「MIX LEMONed JELLY」を開催、また千葉マリンスタジアムでのイベントなども行った。

zilch[編集]

zilch(ヂルチ)は、レイ・マクヴェイ (Ray McVeigh) (元プロフェッショナルズセックス・ピストルズのサポートなど)、ポール・レイヴン (Paul Raven) (元キリング・ジョーク、元PRONGベーシスト)というメンバーと共に結成したバンド(ユニット)である。当初のメンバーはhideを含めた三人とされているが、様々なミュージシャンを加えるなど、敢えてメンバーの固定化をしない柔軟な体制でもあった。

ロックンロールパンクヘヴィメタルグランジオルタナティヴインダストリアルといった、それまでのロックを消化した新しい形の非常に前衛的なロックを目指していた。完成されたアルバム『3・2・1』は、「邦楽」と「洋楽」という垣根を超えた、非アメリカ人によるアメリカへ向けての挑戦状であった。

「hide」に求められる音楽と、hide自身がやりたいと望む音楽とのギャップを取り除き、hideがやりたい音楽を、純粋に良いと思う音楽を作るという目的もあった。hideがいなくなった後にリリースされた『3・2・1』のブックレットには、hideへ向けたマクヴェイとレイヴンのメッセージが寄せられた。

アルバムリリース後にツアーなども構想されており、真夏のロック・フェスティバルである「サマーソニック」の前身フェス「beautiful monsters tour」ではマリリン・マンソンとの共演も予定されていた。マリリン・マンソンからは「前座でいいからやらせてくれ」「その代わり、アメリカを周る時は一緒にやろう」と対バンを申し込まれたりもしていたとされる[8]

残されたメンバーや様々なミュージシャンによって活動は継続されていたが、2007年10月にポール・レイヴンが死去したため、今後zilch名義での楽曲製作が行われるかは不透明である。

逸話[編集]

  • 難病であるライソゾーム病を患ったファンである少女、貴志真由子の「hideに会いたい」という願いを、支援団体のメイク・ア・ウィッシュを通じて受けたhideは1995年12月31日、Xの東京ドームライブで少女と会い、ライブの打ち上げにも招待して少女を友達だと紹介し、少女から不自由な手で2か月かけて編んだマフラーをhideにプレゼントされた(このマフラーはhideの死後、形見として少女の手に戻った)。その後も手紙を送ったり、お見舞いに訪れたりという交流を持ち、少女を励ますことになった。少女への手紙には「昔のこととか初めてのドームのこととか忘れていた色々な絵が見えてきて、かなり感動したんだ。おかげで、思い出さなきゃいけなかったいくつかのことが頭にやきついた」と感謝の言葉を残している。1996年3月28日に少女は治療のために骨髄移植手術を受けたが、手術後の1996年4月1日に拒絶反応のため心臓に水が溜まり危篤状態となり、彼女の母親から「hideさんの声だけでも良いから聞かせたい」と電話を受けた時にはその日の予定を全てキャンセルし、病院へ駆けつけて数時間の間励まし続けた。結果、その晩に危篤状態を抜け出し徐々に病状は良くなって数ヵ月後には退院することもできた。その後にhideは「できることをするだけ」とあくまで個人的に骨髄バンクに登録をしたが、その際に所属事務所が独断で急遽記者会見をセッティングしてしまい、実弟でありhideのパーソナルマネージャーを務めていた松本裕士は、そのことを一切知らなかったと後に出版した追憶本「兄弟」の中で明かしている。記者会見自体は行われたが、会見終了後にhideは「これじゃあ売名行為じゃねえか!!もしそんな風にマスコミに書かれてその娘が傷ついたらどうすんだ!!」と言って彼を殴り飛ばした(hide自身ももちろんそのことは知らなかった)。慈善活動をひけらかすような行動を嫌ってのことであったが、結果的にはこの報道が骨髄バンクの認知度向上に大きく貢献することとなり、以後もボランティア活動を続けていた。貴志真由子は、hideが他界した11年後の2009年9月30日に、和歌山市内の病院で、肺出血による呼吸困難により28歳で他界した[9][10]
  • Xの「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」というフレーズを考案。これがヴィジュアル系という言葉を生み出したのはhideと言われる所以になる。また、hideが音楽界に与えた視覚面や音楽面の影響は多大で、音楽ライターの市川哲史からヴィジュアル系はhideから始まってhideで終わったとも言われている。
  • ファン想いであることが有名で、大物になるほど回避しがちなTV出演について「地方でライヴに来られないファンの為にも出る」と積極的であったり、「チケット代も安くないのに、更に高いお金を遣わせるのはいけない」と、ソロ活動についての関連グッズは全て5,000円以下であったという。
  • hideが初めて手にしたギターは新古品ギブソンレスポール(ナチュラルカラーのレスポールデラックスモデル)であった。祖母に無理だと思って頼んでおいたら、在日米軍横須賀基地内に出入りが出来たのでフリーマーケットで買ってきてくれたという。当時は現在以上に高級品でロック好きには憧れの的であったために、隣の学校や、「友達の友達」という人までが自宅にギターを見に来るという状況になった。だがそのギターは、PATA曰く「金がなかった頃に売っちゃたのかもしれない」とのこと。そのため、記念すべきhideの最初のギターの行方は誰にもわからない。
  • hideの勤めていた美容院(ジャガーが経営)の常連にヤクザの娘がいて、その常連が行方不明になったとき、その常連の日記の最後に「松本秀人 サーベルタイガー」と書いてあったため、その関連性を疑われ、車に乗せられる。富士の樹海まで連れて行かれ、自白するよう強要されたが、hideは「分からない。」と主張し続け、なんとか解放してもらう。
  • サーベルタイガー時代、当時デッド・ワイヤードラム・TETSUを迎えようと電話したところ、TETSUは留守で母親が出てきて、伝言を頼んだ。しかし、本名を名乗っていたため、TETSUには「松本さんという方から、一緒にバンドをやりませんか?」としか伝わらず、無視することに。しかし、サーベルタイガーに加入するといううわさがデッド・ワイヤーに広まってしまい、TETSUとTAIJIが大喧嘩。結果、引っ込みのつかなくなったTETSUがサーベルタイガーに加入したが、これが元で一時hideとTAIJIの仲は気まずいものになった。
  • また、kyoをサーベルタイガーのメンバーに加えようとしたとき、待ち合わせ場所にkyoがライブ並の格好で現れ、hide曰く「モーセの十戒のごとく」人が避ける様を見て「他人の振りして逃げようかと思った」と言っている。ただ、kyoも「お前も人のこと言えなかったろうが」と返している。
  • サーベルタイガー解散の理由は、REMが私用でライブをすっぽかし、裏でローディーがギターを弾いてごまかすという事件があり、これに疑問を持ったTETSUが脱退を表明、それを聞いたhide・kyo・TOKIも「今のメンバー以外にはありえない」として解散を決意した。
  • 解散後も、hide・kyo・TETSUはお互いに自分のバンドを持っているにもかかわらず、「元サーベルタイガーの○○です」と言っていた。
  • hideがサーベルタイガーを解散させ、ミュージシャンを辞める決意をしたとき、親交のあったミュージシャンにそのことを電話で話した。しかし、サーベルタイガー時代からhideの活躍ぶりは有名で、中にはバンドへの誘いもあったが全部断ってきた。最後にYOSHIKIに電話を掛けた際、「Xに入らない?」と誘われ、hideは「ちょっと考えさせて」と答えた。翌日、都内にある居酒屋でそのことを承諾すると、それまでそばでおとなしくしていたTOSHIとTAIJIが歓喜をあげ、酒を飲みまくり挙句の果てには組体操まで行うことになったという。

hideの死[編集]

急逝[編集]

1998年5月1日、hideはSpread Beaverのメンバーと共にフジテレビ音楽番組「ロケットパンチ!」の収録を行う。(その際に披露した曲は「DOUBT'97」)生前最後に収録した番組となった。その打ち上げ後、日付をまたいで更に飲み、泥酔したhideは実弟でマネージャーの松本裕士が運転する車で自宅マンションまで送られた。

5月2日朝7時30分頃、hideは自宅マンション寝室のドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態で発見された。その後、病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。当日午後3時頃から、「元X JAPANのギタリストhideが死亡、警視庁は自殺と断定」と速報で報道された。

「HURRY GO ROUND」の歌詞や、ラジオ番組「オールナイトニッポンR」での発言が意味深長で自殺に関連するのではないかという見方や、はたまた事故ではなく自殺だと断言している人間の存在までもあり、様々な見解がある。警察は雑誌取材などに「『牽引』にしては首の輪が小さく、むしろ死を意図するものであった。また、『バンドや音楽活動で悩み酒量が増えていた』と聞いており、突発的に死に踏み切ったのだと思われる」と答えている。なお、YOSHIKIは「彼は自殺するような人間ではない」と発言している。

「故意による自殺」か、「不慮の事故」かは不明であり、遺書や「死にたい」と自殺をほのめかす発言がない事や、ドアノブに柔らかいタオルで自殺する方法は珍しい事から、不慮の事故とする説がある。

1998年10月24日 hide不在の中行われた hide with Spread Beaver TOUR appear!! "1998 TRIBAL Ja,Zoo" 公演前に行われた記者会見で、実弟でありパーソナルマネージャーの松本裕士は「hideは生前、ひどい肩こりと偏頭痛に悩まされており、整骨医が行う首の牽引によるストレッチをしていた。いつものように牽引していたが、帰国直後の時差ボケと、泥酔状態であったために起こった事故であり自殺ではない」ことを改めて発表している[11]

2014年8月22日、「中居正広の金曜日のスマたちへ」に出演したToshIが、HIDEの死について、自分が洗脳されていなければと自責の念を述べた[12]

葬儀までの5日間[編集]

hideの遺体は5月3日に東京都中央区築地築地本願寺に安置された。夕方、YOSHIKIがロサンゼルスから帰国し成田空港から築地本願寺に直行。YOSHIKIは最初これを「悪い冗談じゃないか」とも思っていたが、飛行機の中での正式な報道を見た瞬間に現実であることを受け入れ号泣したという。

翌5月4日、週が明け本格的にワイドショーなどで大々的に取り上げられる。築地本願寺にファンが集まり始め、その数は千人規模となる。夕方にYOSHIKIがの正面に姿を現し、報道陣を前にメッセージを発表した。

5月5日には、関係者のみ300人を集め密葬がとり行われた。その間もファンは絶え間無く押し寄せ、その数は数千人にもふくれ上がった。また、疲労と心労が重なったファンが次々と倒れ、救急車で病院に搬送された。さらに、「hideが自殺」と報道されていたためにファンの後追い自殺が東京都調布市千葉市、築地本願寺境内で相次いだ。そのため、翌日には警視庁の要請でX JAPANの元メンバーが記者会見を開き、自殺を思いとどまるように訴えた。

5月6日の通夜、5月7日の告別式の両日はファンの献花を受け付け、連日ファンが大挙して押し寄せた。中には単なる通行人や野次馬もいたとされるが、通夜、告別式に5万人近くが集まったとされ、隅田川沿いに2 - 3kmのファンの列が出来たことも報道されていた。「ファンは列に並ぶ際、パニックになるようなことも無く、むしろ近隣住民の迷惑にならないようにゴミ拾いまで進んで行う素行の良さであった」と葬儀翌日の朝日新聞天声人語で語られているが、実際は各所で将棋倒しなどの事故、マナーの悪いファンによるパニックも起きている。それまでも有名人の告別式に多くの人が集まったことはよくあったが、美空ひばり尾崎豊の告別式に訪れた人の数を超えた。

5月7日の告別式はテレビで生中継された。告別式には、脱退したTOSHI、TAIJIを含む元X JAPANメンバーをはじめ、親交のあった音楽仲間や業界関係者が列席した。築地本願寺開山以来初めてのグランドピアノ持ち込みによるYOSHIKIの伴奏で、TOSHIがX JAPANの「Forever Love」を歌った。hideの「GOOD BYE」が流される中、午後3時40分出棺。道路に交通規制が掛けられ一般車両を完全に止めた状態であったが、ファンが大挙して道路に広がり霊柩車を追いかける者まで現れる非常事態となり、築地本願寺周辺がパニック状態になった。

その後、hideは渋谷区代々幡斎場荼毘に付された。代々幡斎場周辺も築地本願寺同様ファンが大挙して道路に広がり霊柩車が斎場に到着するシーンも追いかける者まで現れる非常事態となり、これもパニック状態になった。法名秀徳院釋慈音(しゅうとくいん しゃくじおん)。遺骨四十九日法要をもって、神奈川県三浦市三浦霊園に納骨され、一部はロサンゼルスの海に当時のzilchのメンバーや松本裕士によって散骨されている。 2013年3月に、何者かの手によってhideの墓石が刃物のような物で傷を付けられるという事態が発覚した。そのため、器物損壊罪で調査を行うこととなった[13]

十三回忌にあたる2010年5月2日には、築地本願寺で法要が行われた。法要には約35000人の関係者やファンが参列した[14]

作品[編集]

シングル[編集]

  発売日 タイトル 規格 規格品番 JP 売上枚数
1st 1993年8月5日 EYES LOVE YOU 8cmCD MVDD-7 3 24.7万枚
2007年12月12日 マキシシングル UPCH-5516
2nd 1993年8月5日 50%&50% 8cmCD MVDD-8 6 19.5万枚
2007年12月12日 マキシシングル UPCH-5517
3rd 1994年1月21日 DICE 8cmCD MVDD-14 6 25.9万枚
2007年12月12日 マキシシングル UPCH-5518
4th 1994年3月24日 TELL ME 8cmCD MVDD-15 4 22.8万枚
2007年12月12日 マキシシングル UPCH-5519
5th 1996年6月24日 MISERY 8cmCD MVDD-38 3 21.3万枚
2007年5月2日 マキシシングル UPCH-5461
6th 1996年8月12日 Beauty & Stupid 8cmCD MVDD-42 4 20.3万枚
2007年5月2日 マキシシングル UPCH-5462
7th 1996年12月18日 Hi-Ho/GOOD BYE マキシシングル MVCD-13002 8 12.2万枚
8th 1998年1月28日 ROCKET DIVE 8cmCD MVDH-9002 4 69.0万枚
2007年5月2日 マキシシングル UPCH-5463
9th 1998年5月13日 ピンク スパイダー 8cmCD MVDH-30001 1 103.4万枚
2006年11月22日 マキシシングル UPCH-5439
10th 1998年5月27日 ever free 8cmCD MVDH-30002 1 84.2万枚
2007年5月2日 マキシシングル UPCH-5464
11th 1998年10月21日 HURRY GO ROUND 8cmCD MVDH-30003 2 60.7万枚
2007年5月2日 マキシシングル UPCH-5465
12th 2000年1月19日 TELL ME (hide with Spread Beaver) マキシシングル MVCH-9035 2 29.1万枚
13th 2002年7月10日 In Motion マキシシングル UUCH-5065 4 9.6万枚

スタジオアルバム[編集]

  発売日 タイトル 規格品番
1st 1994年2月23日 HIDE YOUR FACE MVCZ-1001(初回限定盤)
MVCD-11(通常盤)
2008年12月3日 UPCH-1640(SHM-CD再発盤)
2nd 1996年9月2日 PSYENCE MVCD-39
2008年12月3日 UPCH-1641(SHM-CD再発盤)
3rd 1998年11月21日 Ja,Zoo MVCH-29019
2008年12月3日 UPCH-1642(SHM-CD再発盤)

ベストアルバム[編集]

  発売日 タイトル 規格品番 備考
ベストアルバム 2000年3月2日 hide BEST 〜PSYCHOMMUNITY〜 MVCH-29044 hideが作った3枚のアルバムの中から選曲したベスト。HDCD対応
シングルス 2002年7月24日 hide SINGLES 〜Junk Story〜 UPCH-9036(初回盤) hideがリリースした全てのシングルに加え、未発表曲「Junk Story」を加えたシングルコレクション。HDCD対応
UPCH-1162(通常盤)
ベストアルバム 2004年4月28日 KING OF PSYBORG ROCK STAR UPCH-1351 hideの7回忌を記念し、hideが生前にコンセプトとしていた「PSYBORG ROCK」を中心に収録されたベストアルバム。HDCD対応
コンプリートボックス 2005年9月21日 hide PERFECT SINGLE BOX UPCH-9180 シリアルナンバー入り完全受注生産商品。hide歴代のシングル13枚を12cm化、2005年9月25日で閉館したhide MUSEUMメモリアルDVDを一箱におさめた。[注 3]
配信限定ベスト 2006年2月8日 hide SINGLES+PSYBORG ROCK iTunes Special!! hideのiTunes Store楽曲配信第一弾として製作されたセレクション。全てのシングルA面と死後に発表された「In Motion」「Junk Story」の2曲、「DOUBT(MIXED LEMONed JELLY MIX)」「FLAME(PSYENCE FACTION version)」の2曲のリミックス、入手困難な状態が続いていたX時代のセルフカバー「MISCAST」を追加した全20曲。現在は本作は配信されておらず、公式サイトのディスコグラフィからも存在自体が消されている。[注 4]
リクエストベスト 2009年4月29日 We Love hide 〜The Best in The World〜 UPCH-9473(Tシャツ付初回限定盤) 公式ホームページの投票で選ばれたリクエストベスト。
UPCH-9474(通常盤)
UPCH-1709(通常価格盤)
コンプリートベスト 2010年4月28日 I LOVE hide -Complete Audio Collection- UPEH-9001 これまでに発売されたシングル13枚、オリジナルアルバム3枚、ライブアルバム2枚、『hide SINGLES 〜Junk Story〜』に収録されている「Junk Story」「COMMENT(Aug 10th,1995) 」の計120曲をUSBメモリに収録したアルバム。歌詞、ジャケット写真などアートワークを収録した「デジタルブックレット」も収録されている。
サウンドトラック 2011年3月2日 “Musical Number”〜ROCKミュージカル ピンクスパイダー〜 UPCH-1830 2011年3月8日に行われた、hideの楽曲を使用したロックミュージカル「ピンクスパイダー」内で演奏された楽曲をまとめた2枚組アルバム。[15]
生誕50周年記念アルバム 2014年12月10日 子 ギャル UPCH-9962(DVD付初回限定盤) ボーカロイドにより完成した未発表曲「子 ギャル」が収録されたアルバム。
UPCH-2004(通常盤)

リミックスアルバム[編集]

発売日 タイトル 規格品番 備考
1997年6月21日 tune-up hide remixes MVCH-29002 hideの楽曲を7組のチームがリミックスしたもの。
2002年5月22日 Psy-clone 〜hide electronic remixes〜 UUCH-1052 hideの楽曲をトランスや、テクノハウスなどにリミックス。

ライブアルバム[編集]

発売日 タイトル 規格品番 備考
2008年3月19日 PSYENCE A GO GO UPCH-1597 セカンドツアー『PSYENCE A GO GO』より、代々木第一体育館での公演を収録した3枚組ライブアルバム。全曲リマスタリング。
2008年4月23日 HIDE OUR PSYCHOMMUNITY UPCH-1594 ファーストツアー『HIDE OUR PSYCHOMMUNITY 〜hideの部屋へようこそ〜』より、横浜アリーナでの公演を完全収録した2枚組ライブアルバム。全曲リマスタリング。

コンピレーションアルバム[編集]

発売日 タイトル 規格品番 備考
1996年5月22日 compilation cd LEMONed MVCD-15003
1997年12月17日 WooFer!! MVCZ-11001 海外のアーティストの未発表音源を中心に集めたコンピレーションアルバムの第一弾。
コンセプトは「2000年のギターサウンド」。
1998年2月21日 WooFer!!2 MVCZ-11002 海外のアーティストの楽曲を集めたコンピレーションアルバム第二弾。
2002年5月16日 Cafe Le PSYENCE-hide LEMONed Compilation- TOCT-24809 hideのヴォーカルによるXの「MISCAST」を収録。hideが生前録音していたデモ音源を元に作られた。

zilch[編集]

発売日 タイトル 規格品番 備考
1998年7月23日 3・2・1 CTCR-17044 アルバム自体は1996年当時にレコーディングされ既に完成していたが、契約上発売までにかなりの歳月を要した。
1999年3月3日 BasTardEYES CTCR-17050(限定盤) zilchやhideと交流のあったアーティストらがリミックスしたzilchのアルバム。CDのほか、初回限定には、ビデオが付いていた。
CTCR-17051(通常盤)
2001年9月27日 SKYJIN CTCR-17071 3・2・1を製作した後に、hideを含むメンバー間で練られていた構想を形にしたアルバム。

トリビュート・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格品番 備考
1999年5月1日 hide TRIBUTE SPIRITS PCCM-00002 後にDope HEADzとなるI.N.A、HEATH、PATAによるXの「CELEBRATION」のカヴァーを収録。hideが生前にレコーディングしてI.N.AがMacに保存していたヴォーカル音源が使用されている。現時点でhideバージョンの「CELEBRATION」はこのアルバムのみに収録。
2013年7月3日 hide TRIBUTE Ⅱ -Visual SPIRITS- TKCA-73924
hide TRIBUTE Ⅲ -Visual SPIRITS- TKCA-73925
2013年8月28日 hide TRIBUTE Ⅳ -Classical SPIRITS- TKCA-73941
hide TRIBUTE Ⅴ -PSYBORG ROCK SPIRITS- 〜CLUB PSYENCE MIX〜 TKCA-73942
2013年12月18日 hide TRIBUTE Ⅵ -Female SPIRITS- TKCA-74017
hide TRIBUTE Ⅶ -Rock SPIRITS- TKCA-74018

VHS[編集]

  1. Seth et Holth (1993年9月29日)
  2. A Souvenir (1994年3月24日)
  3. FILM THE PSYCHOMMUNITY REEL.1 (1994年10月21日)
  4. FILM THE PSYCHOMMUNITY REEL.2 (1994年11月23日)
  5. X'mas Present! (1994年12月24日)
  6. UGLY PINK MACHINE file 1 official data file [PSYENCE A GO GO in Tokyo] (1997年2月26日)
  7. UGLY PINK MACHINE file 2 un official data file [PSYENCE A GO GO 1995] (1997年3月26日)
  8. seven clips (1997年6月21日)
  9. hide presents MIX LEMONed JELLY (1997年8月21日)
  10. マル秘X'masプレゼント'97 (1997年12月24日)
  11. hIS iNVINCIBLE dELUGE eVIDENCE (1998年7月17日)
  12. hide A STORY 1998 hide Last Works〜121日の軌跡〜 (1999年12月8日)
  13. ALIVEST perfect stage<1,000,000 cuts hide!hide!hide!> (2000年12月13日)
  14. seventeen clips〜perfect clips〜 (2001年5月3日)

DVD[編集]

  1. hide A STORY 1998 hide Last Works〜121日の軌跡〜 (1999年12月8日)
  2. hIS iNVINCIBLE dELUGE eVIDENCE (2000年7月20日)
  3. UGLY PINK MACHINE file 1 official data file [PSYENCE A GO GO in Tokyo] (2000年10月18日)
  4. UGLY PINK MACHINE file 2 unofficial data file [PSYENCE A GO GO 1996] (2000年10月18日)
  5. seven clips HURRY GO ROUND (2000年10月18日)
  6. ALIVEST perfect stage <1,000,000 cuts hide!hide!hide!>(2000年12月13日)
  7. A Souvenir TELL ME (2001年4月4日)
  8. FILM THE PSYCOMMUNITY REEL.1 (2001年4月4日)
  9. FILM THE PSYCOMMUNITY REEL.2 (2001年4月4日)
  10. seventeen clips〜perfect clips〜 (2001年5月3日)
  11. hide presents MIX LEMONed JELLY 1997.8.26ALL NITE CLUB EVENT (2003年7月20日)
  12. hide with Spread Beaver appear!!"1998 TRIBAL Ja,Zoo" (2005年9月21日)
  13. ALIVE! (2008年12月3日)
  14. We Love hide〜The Clips〜 (2009年12月2日)

その他[編集]

激突 (1988年)
COLORの1stアルバム。hideはコーラスで参加。
Shake Hand (1990年)
L・O・Xのアルバムで、hideはJACK POT HIDE名義でコーラスで参加。
Overdoing (1992年)
東京ヤンキースの2ndアルバム。
made in HEAVEN (1992年)
TOSHIの1stシングルで、1曲目の「made in HEAVEN」にギターで参加。
DANCE 2 NOISE 004 (1993年1月21日)
LUNA SEAのJとINORANとMxAxSxSを結成し一曲目の「FROZEN BUG」に参加。
FLOWERS (1994年9月21日)
ヴィジュアル系の先駆者的存在であるDER ZIBETISSAY(YOSHIKIに招かれ、エクスタシーサミットにも出演したことがある)の邦楽カヴァーアルバム。hideは二曲目の「いとしのマックス」にギターで参加。プログラミングにはI.N.Aが、編曲&プロデュースはD.I.E.こと乃澤大二郎が参加。
SPEED BALL (1995年)
D.I.E.の1stアルバムで、5曲目の「S.O.S.」にギターで参加。
96/69(リミックスアルバム) (1996年6月9日)
小山田圭吾ことCORNELIUSのアルバム「69/96」のリミックスアルバム。9曲目「HEAVY METAL THUNDER」にて参加。プログラムとミキシングエンジニアでI.N.Aも参加。
少年ナイフUltra Mix(リミックスアルバム)(1997年10月22日)
世界的に有名な日本のガールズバンドでhideとも親交があった少年ナイフのリミックスをhideが担当(5曲目の「タワー・オブ・ザ・サン」)。プログラムとミキシングエンジニアでI.N.Aも参加。

タイアップ[編集]

ツアーメンバー[編集]

※ツアーメンバーの名前、パートなどはほぼすべて当時の表記である。

  • hide FIRST SOLO TOUR '94 『HIDE OUR PSYCHOMMUNITY 〜hideの部屋へようこそ〜』
  • hide solo tour 1996 『PSYENCE A GO GO』
    • hide (VOCAL & GUITAR)
    • PATA (GUITAR) (X JAPAN)
    • KIYOSHI (GUITAR) (media youth)
    • CHIROLYN (BASS) (DEBONAIR)
    • JOE (DRUMS) (ZIGGY)
    • D.I.E. (KEYBORD)
    • I.N.A. (COMPUTER & PERCUSSION)
  • hide with Spread Beaver appear!! 『1998 TRIBAL Ja,Zoo』
    • hide (GTR & Vo)
    • I.N.A. (Computer & Percussion)
    • KIYOSHI (GTR) (MEDIA YOUTH)
    • CHIROLYN (B) (DEBONAIR)
    • JOE (Dr) (ZIGGY)
    • D.I.E. (Key)
    • K.A.Z (GTR) (OBLIVION DUST)
    • PATA (GTR) (X JAPAN) ※助っ人怪人

使用機材[編集]

使用ギター[編集]

MG-X[編集]

hideはX加入以前のアマチュア時代から長年フェルナンデス(Burny)製のモッキンバードモデル、MG-Xを愛用していた。様々なデザインの物が多数存在するが、ここでは代表的なもののみを紹介する。ちなみにhideの使用するギターのレプリカモデル(値段にして8万円から45万円のもの)がフェルナンデス社から発売(一部を除き生産終了)されている。アーティストモデルとしては彼の生前、死後を問わず過去に例がないほどの驚異的な売れ行きを見せ、ここからもhideというギタリストの人気の高さと影響力を窺い知る事が出来る。

FERNANDES MG-X "ペイント"
  • 黒ボディを元にhide自身がポスカで描いたもの。ピックアップはフロントにディマジオデュアルサウンド(現スーパーディストーション)、リアにEMG81のピックアップを搭載している。これにはボディ材にモンキーポッドが使用され(ネックはメイプル)粘りのある中音域をhide自身が気に入っていたようだ。4-6弦にはボディ裏通しのために穴が開けられている。
Burny MG-X "チェリー・サンバースト"
  • hide所有の1959年製ギブソンレスポールのスペックを盛り込んだもの。これはレスポールと同じメイプルトップマホガニーバックボディ、マホガニーネックとし、ピックアップは彼のために開発されたフェルナンデスVH-401にサスティナーを搭載したもの。合計2本が製作され、初号機はネックグリップはUシェイプだったが、2号機はVシェイプに変更されている。ボディ厚は42ミリ。この仕様は少々の変更はあったが彼がこの世を去るまでのMG-Xの最終型となり、それ以降の「イエローハート」、「サイエンス」、「基盤」(全て通称)なども同仕様となっている。
Burny MG-X "イエロー・ハート"
  • 後期のメインギター。1996年の東京ドーム公演で初登場。ネック・グリップはVシェイプを採用。黄色のボディに赤のハート柄というモデルで、主に「紅」、「DAHLIA」などの半音下げチューニングで使用。チェリーサンバーストとは異なり、塗り潰しの分厚い塗装のため、チェリーサンバーストよりも低音が強く出る特性があると言う。また色違いとして"グリーン・ハート"も製作され、こちらは「RUSTY NAIL」などのレギュラー・チューニングで使用されていた。
Burny MG-X "基盤"
  • グリーンハートと同時に製作され、当初、LAST LIVEでメインとなる予定だったギター。オリジナルは、所有していたチェリーサンバーストの1本の塗装を塗り替えて作られた物で、緑色のボディに文字通り基盤が描かれ、マスターボリュームノブの横に当時のhideのHPのURLがプリントされていた。更に基盤の黄土色の箇所はボディの木目が透けて見えるように塗装されるなど、かなり細部まで拘ったカラーリングであったが、完成したのがライブ本番直前のリハーサルの時で、音を出してみたところ、音抜けが良くなかったという理由で使用される事は無く、当日はイエローハートのサブとしてセットアップされていた。6弦のペグにヒップショットDチューナーという、ワンタッチで6弦を1音下げられる装置を取り付けていたのも特徴。
  • またピックアップはイエローハート、グリーンハート、基盤のリアにはディマジオのスーパーディストーション、サイエンスのリアにはディマジオのエボリューション、その他にもリアにセイモアダンカンのJBをマウントしたプロトタイプ等が存在し、試行錯誤していた様子が伺える。

その他[編集]

Gibson Les Paul STANDARD
  • 主にレコーディングで使用していたギターで1994年に購入。過去に、モトリー・クルーミック・マーズが所有していた。PATAの所有する59年製レスポールとは型番が数番違いであり、全くの同一またはそれに近い時期に作られたのではないかとの事。このギターを基に、チェリー・サン・バースト以降のMG-Xは製作されている。非常に希少で価値のあるギターであるが、PATAによれば、ギターにペイントをすることやステッカーを貼るのが好きなhideはこのギターにもステッカーを貼ってしまい、PATAに怒られたという。
Martin D-18
  • アコースティック・ギター。自宅での曲作りやアコギパートのレコーディングなどで使用。「hideがいつでもギターを弾けるように」と、hideと共に棺に納められている。
Burny H CUSTOM "くじら"
  • PATAの所有していたエクスプローラーモデルを弾いたところ、そのサウンドをいたく気に入ったため、同じコリーナ材で製作されたギター。PUにトム・ホームズを搭載。H CUSTOMは通称シャチと呼ばれていたが、hideが勘違いでくじらと呼んだためこの愛称となった。主にJa,Zooのレコーディングで使用されていた。
Burny HR-195/REBIRTH
  • "くじら"をベースにhideオリジナルモデルとして製作が進められていたモデル。このモデルの最終調整の打ち合わせ予定日の前日、hideは突然この世を去ってしまった。その後hide MUSEUM設立に合わせて製作されている。その後、木材をホンジュラス・マホガニーへ変更して限定300本で発売された。
FENDER STRATOCASTER JEFF BECK MODEL
FERNANDES JG CUSTOM
  • PSYENCE A GO GOのツアー開始前、フェルナンデスに、ツアー用にMG以外のギターを用意して欲しい、エディ・ヴァン・ヘイレンみたいなギターがいい、ピックアップはリア1発でいいと、リクエストして製作されたもの。
  • 市販のフェルナンデス・JGシリーズをカスタムして製作され、フロントピックアップを撤去し、リアのハムバッカー(ディマジオのエアーゾーンをマウント)に、コントロールは1ボリュームというシンプルなレイアウトにし、クリアピックガードを取り付けたが、どうしてもフロントピックアップを撤去してがら空きとなったキャビティーが気になるという事で、フェルナンデス側が独自にシールドをプラグインするとイルミネーションが点灯するギミックとダミー配線を仕込み、サイバーなルックスのギターとなった。
  • このギターの製作期間は僅か5日間だった。
  • hide本人はこのイルミネーションを「トレーニングマシーンみたい」と、いたく気に入っていた。
Burny H-65 CUSTOM
使用弦とピック
  • フェルナンデスHGS-1200(hideシグネチュアモデル)、それ以前はアーニーボール・ハイブリッドスリンキー
  • フェルナンデス・スキャナー(hideシグネチュアモデル)、ジムダンロップ・ナイロンスタンダード0.73mm
  • ピックはその日の腕のコンディションによって使い分けていたという。

使用アンプ[編集]

  • X 「Jealousy」
ENGL 2×50 TUBE POWER AMP(パワーアンプ)
ENGL 2ch Preamp(プリアンプ)
T.C.ELECTRONIC TC2290(デジタル・ディレイ)
Guyatone FLANGER(フランジャー)
BOSS OD-1(オーバードライブ)
EX-Pro WIRELESS(ワイヤレス)
HIWATT 12×4 SP CABINET W(スピーカーキャビネット、中のスピーカーをセレッションのVINTAGE 30に交換)
DEGITECH WHAMMY(ピッチ・シフター)
  • X JAPAN 「THE LAST LIVE」
VHT Classic(パワー・アンプ)
SANSAMP(プリアンプ)
TONEWORKS(アコーステック・シミュレーター)
DEGITECH GSP-2101(プリアンプ)
HIWATT CUSTOM HAIWATT 100(ヘッド・アンプ)
ENGL SAVAGE 100(ヘッド・アンプ)
HIWATT(キャビネット)
MARSHALL(キャビネット)
DEGITECH WHAMMY 2(ピッチ・シフター)
VOX WAH(ワウ)

関連書籍[編集]

  • 遠藤 允「hide「がんばんだぞ」 - 優しさと、愛と勇気をありがとう」小学館
  • 本郷 陽二 「音楽のヒーローたち hide伝説」
  • 「限界破裂本」シンコーミュージック
  • 「hideDAYS」宝島社
  • 大島暁美「hide BIBLE - OFFICIAL BOOK hideを愛する全ての人へ贈ります」音楽専科社
  • 松本裕士「兄弟 追憶のhide」講談社
  • 「夢と自由」ニッポン放送プロジェクト
  • 荒川正彦「Pink Cloudy Sky - 俺とhideと横須賀ロック・ストーリー」メディア・クライス
  • 「HIDE 無言激」音楽専科社
  • 菅野秀夫「hide」扶桑社
  • 「Pinky Promise hide Official Book」インデックス・コミュニケーションズ
  • イエローZ「hide FOREVER FREE 松本秀人の大いなる遺産」衆芸社
  • hide哀悼の会「hide ここにあり記」旭書房
  • 中条 剛「hide 真実のストーリー」ルー出版

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「ZI:KILLとhide=ジキルとハイド」という洒落にもなっている。
  2. ^ なお、2000年にXを再結成する事をメンバーと約束していた事をhide死去時にYOSHIKIが公表した。
  3. ^ 2006、7年にも8cmシングルが12cm化され再発売されたが、その際にはCDジャケットレーベルもリニューアルされての再発売だった。ちなみに本作は、ジャケット・レーベル共に、オリジナル盤をそのまま再現したものとなっている。音源も、オリジナル盤のものが使用されており、リマスタリング等はされていない。これについては再発盤も同様である。
  4. ^ ただし公式サイト内の「INFORMATION」では現在も情報が残されている。
  5. ^ 表記はされていないが、『HIDE YOUR FACE』に収録の「EYES LOVE YOU(T.T. VERSION)」である。
  6. ^ アルバム『PSYENCE』収録バージョン。
  7. ^ 曲終了後にシークレットトラックとして「Virusmaker 7.1」が収録されている。

出典[編集]

  1. ^ a b c hide reviews, music, news - sputnikmusic・2015年3月16日閲覧。
  2. ^ 『ピンクスパイダー』、「hideが望んでいた精神的な繋がりが実現できる」”. BARKS. ジャパンミュージックネットワーク (2011年3月6日). 2015年9月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e f hide(X JAPAN)”. CDJournal. 音楽出版社. 2015年9月9日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g hideのプロフィール”. ORICON STYLE. オリコン (2011年7月27日). 2015年9月9日閲覧。
  5. ^ a b c d e BIOGRAPHY”. hide official web site [hide-city]. ヘッドワックスオーガナイゼーション. 2015年9月9日閲覧。
  6. ^ X JAPANのプロフィール”. ORICON STYLE. オリコン (2010年8月18日). 2015年9月9日閲覧。
  7. ^ ロッキンf97年7月号別冊 Rockin'Talk CAFE(立東社)152p
  8. ^ 宝島社著「hideDAYS」松本裕士インタヴューより
  9. ^ 故hideさんと交流の貴志真由子さんが死去”. スポーツ報知 (2009年10月2日). 2009年10月4日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年9月7日閲覧。
  10. ^ レモネードカフェ・ごあいさつより
  11. ^ スポーツニッポン 1998年10月25日 P27 / サンケイスポーツ 1998年10月25日 P25
  12. ^ X JAPAN・Toshl、HIDEさんに自責の念「自分が洗脳されなければ…」”. オリコン (2014年8月19日). 2015年8月14日閲覧。
  13. ^ “「ご両親のお気持ちに泥を塗らないで!」 X JAPAN「hide」さんの墓荒らされ、ファン激怒”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2013年3月2日). http://www.j-cast.com/2013/03/02167891.html 2013年3月6日閲覧。 
  14. ^ hideさん十三回忌、参列2キロ超 「X JAPAN」”. 朝日新聞デジタル (2010年5月2日). 2016年1月10日閲覧。
  15. ^ “hideミュージカル演奏曲をまとめた2枚組アルバム登場”. ナタリー. (2011年1月6日). http://natalie.mu/music/news/43045 2015年7月21日閲覧。 

外部リンク[編集]