日本のヒップホップ

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日本のヒップホップ
様式的起源 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ヒップホップ
文化的起源 日本の旗 日本 1980年代
使用楽器 ラップボーカルターンテーブルシンセサイザーDAWドラムマシンサンプラーヒューマンビートボックス
サブジャンル
ウエスト・コースト・ヒップホップハードコアヒップホップ
融合ジャンル
ヒップポップミクスチャー・ロック
地域的なスタイル
渋谷系
2016年の日本のヒップホップ

日本のヒップホップ(にほんのヒップホップ)では、日本ヒップホップについて解説する。

歴史[編集]

1980年代[編集]

1980年[編集]

12月21日、ザ・ドリフターズの13枚目のシングル「ドリフの早口言葉」が発売される。これを日本におけるラップの源流の一つとする説もあるが[1]TBS系列『8時だョ!全員集合』のプロデューサーであった古谷昭綱は、当時のインタビューで「日本に昔からある、古めかしい早口言葉をロックのリズムに乗せた」と述べている。[2]

1981年[編集]

2月21日、スネークマンショーの1枚目のアルバム『スネークマン・ショー』が発売される。本作の収録曲「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」や、12月に山田邦子が発表した「邦子のかわい子ブリっ子(バスガイド編)」等の歌謡曲において、ラップがコミカルな表現として頻出するようになる。[1]

1982年[編集]

小林克也率いるザ・ナンバーワン・バンドが、「うわさのカム・トゥ・ハワイ」で広島弁ラップを行なった[3]

1983年[編集]

7月30日、映画『フラッシュダンス』が日本で公開される[4]。劇中のROCK STEADY CREWによるストリートダンスに影響された浜松市のAPPLE PYE ALL STARSの大橋や、TOKYO B BOYSのCRAZY-Aらがブレイクダンスを始める。
アメリカで制作された映画『ワイルド・スタイル』が日本で公開され、監督と34名の出演者が来日する。プロモーションとして『森田一義アワー 笑っていいとも!』や『11PM』などイベントやテレビにも出演し、日本のヒップホップシーンを作り出すきっかけとなる[5][6]

1984年[編集]

6月23日、『ブレイクダンス (映画)』が日本で公開される[7]
11月25日、吉幾三の8枚目のシングル「俺ら東京さ行ぐだ」が発売され、オリコンチャートで年間21位を記録する。これは邦楽史上初めてのラップを取り入れた楽曲のヒットである。12月にはハードコアボーイズが桑原茂一プロデュースのシングル「ほうらいわんこっちゃねぇMIX」を発売する。これが日本で初めて販売されたリミックスメガミックス[8])である。
原宿ではCRAZY-Aやナオヤが所属するTOKYO B BOYSをはじめ、B☆5 CREW、堀江ハルキ、DJ KRUSHMURO、DJ BEAT、阿部ちゃん、新宿六本木ではOHJI、SAM横浜市ではFLOOR MASTERS等のダンサーDJラッパーが活動していた。

1985年[編集]

高木完藤原ヒロシタイニー・パンクスを、モンチ田中らがDJグループM.I.D.を、dj hondaDJ KOOらがリミキサーグループThe JG'sを結成。
いとうせいこうがアルバム『業界くん物語』を発売。プロデューサーはヤン富田で、藤原ヒロシ、DJ K.U.D.O.、Dub Master Xらが参加[9]
原宿ではTOKYO B BOYSやB☆5 CREWに代わり、ミスティックムーバーズ、B-ROCK CREW等が活動を始める。アフリカ・バンバータが来日した際は、ステージ下でブレイクダンスバトルが行われた。

1986年[編集]

10月25日、近田春夫がPresident BPM名義で1枚目のシングル「MASS COMMUNICATION BREAKDOWN」を発売する。
川畑満男が渋谷に「HIP HOP」というクラブをオープンする。DJ YUTAKAがレギュラーでプレイした。
いとうせいこう&タイニー・パンクスが1枚目のアルバム『建設的』を発売する。
JAGATARAMUTE BEATトマトスS-KENら4組のバンドが、インクスティック芝浦ファクトリーで「東京ソイソース」を開始する。ライブとライブの間にDJが入るという初めての試みをし、いとうせいこう&TINNIE PUNX、ランキンタクシー近田春夫ECD等が出演した。

1987年[編集]

ECDベスタクス主催のオールジャパンオープンDJバトルコンテストで優勝する。
パブリック・エネミー等が来日。

1988年[編集]

中西俊夫高木完藤原ヒロシ屋敷豪太、DJ K.U.D.O.らがレコードレーベル「MAJOR FORCE」を設立し、DJ Underground Contestを開催する。第一回目の優勝者はレゲエDJのChappie、第二回目の優勝者はDJ KRUSHで特別賞はスチャダラパー。このイベントにはTWIGY刃頭のグループBEAT KICKSをはじめ、B-FRESHDRAGON & BIKKEGAKU-MC、DJ SEIJI(SPC)、Hi-TECK GROOVE等も出場していた。

1989年[編集]

ニュージャックスウィングが流行し、テレビ朝日系列でダンス番組『DADA L.M.D』の放送が始まる。また、ZOOの初期メンバーであったKAZUとJJAY Yが日本人として初めて「ソウル・トレイン (テレビ番組)」に出演し、ジェフリー・ダニエルのバックダンサーを務めた。
ECDが「CHECK YOUR MIKE」を開催。BOY-KEN、Hi-TECTH GROOVE、A.K.I PRODUCTIONS、MAZZ & PMX、TUFF NUTS等が出演した。
Rhymesterが結成される。

1990年代[編集]

1990年[編集]

5月5日、スチャダラパーが1枚目のアルバム『スチャダラ大作戦』を、MAJOR FORCEから発売する。さらに、TOKYO No.1 SOUL SET脱線3かせきさいだぁ≡四街道ネイチャーSHAKKAZOMBIE、A.K.I. Production等と、リトル・バード・ネイション結成。
DJ Doc Holidayレコードレーベル「Rhythm」を設立。YOU THE ROCK & DJ BEN、Gas Boysなどが所属していた。
M.C.ハマー、レクスン・エフェクト、ボビー・ブラウン等が来日する

1991年[編集]

高木完がアルバム『Fruit Of The Rhythm』でEPICソニーより、スチャダラパーがアルバム『タワーリングナンセンス』でキューンソニーよりメジャーデビュー。
日本テレビ系列「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で、「ダンス甲子園」が始まる。LL ブラザーズZOO等が出演する。ZOOファミリーでもあるBobyがニューヨークの「A LIVE TV」のダンサーからティンバーランドゲストミー・ヒルフィガーDKNY等、ヒップホップ系ファッションを日本に持ち込んだ。
KRUSH POSSE、TOKYO No.1 SOUL SET等が「Chain Gang」を、リトル・バード・ネイションが「LBまつり」を開催する。ECDも「CHECK YOUR MIKE コンテスト」開催し、第一回目はリボルド・サフレイジが、翌年の第2回大会ではイエロー・モンキー・クルーが優勝する。その他、TONEPAYS、キミドリ、T.A.K The RhymeheadとINOVADERのグループ3A BROTHERS等も輩出。さらに、ZINGIRhymesterEAST ENDMELLOW YELLOWは「Young MC's In Tow」を、CRAZY-Aは「WATCH ME」を開催する。

1992年[編集]

1992年、dj hondaが、DJ Battle World Supremacyにて準優勝を果たす。
グルーヴガーデンがトミーボーイからシングルを発売し、全米ツアーを敢行。ザ・ルーツ2パック、フーシュニケンズ、ブラックシープ、ディガブルプラネッツ等と共演。
MUROTWIGY、DJ GO等がMICROPHONE PAGERが結成。日本のヒップホップのオーバーグラウンド進出へのカウンタームーヴとしての活動を始める。
ECDが1枚目のアルバム『ECD』を発売する。
下北沢ZOOで、「スラムダンクディスコ」が開催される。YOU THE ROCK & DJ BEN、ECD、RHYMESTER、MICROPHONE PAGER、キミドリ、POWER RICE CREWMELLOW YELLOW等が出演した。

1993年[編集]

4月25日、RHYMESTERが1枚目のアルバム『俺に言わせりゃ』を発売する。本作の収録曲「FUNKY GRAMMAR」にEAST ENDMELLOW YELLOWが客演したことにより、後にRIP SLYMEKICK THE CAN CREW等も排出するFUNKY GRAMMAR UNITが結成され、「F.Gナイト」を開催する。
10月23日、キミドリが1枚目のアルバム『キミドリ』を発売する。
11月21日、m.c.A・Tが1枚目のシングル「Bomb A Head!」を発売する。
キングギドララッパ我リヤが結成される。
Run DMCアイス・キューブ等が来日。

1994年[編集]

3月9日、スチャダラパー小沢健二のシングル「今夜はブギーバック」が発売され、累計50万枚以上を売り上げる。
8月21日、EAST END×YURIが1枚目のシングル「DA.YO.NE」が発売される。日本のヒップホップミュージックとして初めてミリオンセラーを記録する。
DJ KRUSHイギリスでヒップホップをインストゥルメンタルとして表現する。この動きが後に欧州を中心としたトリップ・ホップのブームへと結びつく。

1995年[編集]

BUDDHA BRANDアメリカ合衆国から帰国する。
RINO等が参加したコンピレーションアルバム『悪名』が発売される。人気を博し、後に『続・悪名』が発売された。
LAMP EYEがシングル「証言 featuring RINO, YOU THE ROCK★, G.K.MARYAN, ZEEBRA, TWIGY, GAMA, DEV-LARGE」を発売する。
12月10日、キングギドラが1枚目のアルバム『空からの力』を発売する。
NHKおかあさんといっしょ」の11月・12月の歌として、ラップ調の童謡「サラダでラップ」が発表される。
EASTEND×YURIの「DAYONE」、「MAICCA」が新語・流行語大賞にノミネートされ、この年のNHK紅白歌合戦にも出場する。

1996年[編集]

4月24日、YOU THE ROCK★が1枚目のアルバム『THE SOUNDTRACK '96』を発売する。ECDTWIGY、LAMP EYE、Mummy-DDEV LARGE、HAB I SCREAM、E.G.G.MAN、UZIMACKA-CHIN、HAC、DJ TSUTCHIE、DJ MASTERKEY、DJ MAKI、DJ WATARAIINOVADER等数多くのプレイヤーが参加し、クラシックとなった。
5月22日、BUDDHA BRANDが1枚目のシングル「人間発電所」を発売する。
7月7日、ECD日比谷野外音楽堂にて「さんピンCAMP」を開催する。約4000人を動員し、後にビデオ、DVD化された。
7月14日、スチャダラパー日比谷野外音楽堂にて「大LBまつり」を開催する。

1997年[編集]

4月23日、BUDDHA BRANDが『ブッダの休日』を発売する。チルヒップホップの名曲として世に広まる。
6月11日、ヒップホップダンスボーカルユニットDA PUMPが1枚目のシングル「Feelin' Good 〜It's PARADISE〜」を発売する。
7月25日、ZEEBRAがシングル『真っ昼間』を発売する。
8月、CRAZY-A代々木公園にて「B-BOY PARK」を開催する。以降、毎年8月の恒例イベントとなる。
K DUB SHINEDJ OASISがアトミックボム・プロダクションズを設立する。
Dev Largeがヒップホップレーベル、El Dorado Recordsを設立。後のNitro Microphone UndergroundSUIKEN水戸LUNCH TIME SPEAKS、FLICK、Fusion Coreなどが在籍。カセットテープで作品は発売され、現在は入手困難なものが多い。
この時期は高木完、かせきさいだぁ、EDD、スチャダラパーなど、MAJOR FORCE絡みのリリースが多い。

1998年[編集]

6月10日、熊本県餓鬼レンジャーが、1枚目のアルバム『リップ・サービス』を発売する。

1999年[編集]

4月28日、Soul Screamが2枚目のアルバム『The positive gravity~案とヒント』を発売する。代表曲である『蜂と蝶』を収録。
7月23日、ミクスチャー・ロックバンドのDragon Ashが3枚目のアルバム『Viva La Revolution』を発売する。「Grateful Days featuring. ACO,ZEEBRA」等、ラップミュージックが多数収録された。
7月20日、RHYMESTERが3枚目のアルバム『リスペクト』を発売する。同年の朝日新聞の記事で同アルバムを封建主義的と批判。宇多丸は雑誌Blastの中で取材不足と反論。
8月1日、DJ Krushを中心したプロデューサーユニット、流がシングルを発売する。アルバム発売前のBOSS THE MCが客演した『ILL-BEATNIK』を収録。この曲は後にフジロックフェスティバルでも披露される。
9月8日、Sugar SoulがDragon Ashのkjを客演したシングル『Garden』を発売する。90万枚以上を売り上げる。
9月15日、札幌市THA BLUE HERBが1枚目のアルバム『STILLING,STILL DREAMING』を発売する。地方から東京中心のシーンをDISした内容。
10月29日、Shing02が1枚目のアルバム『緑黄色人種』を発売する。

2000年代[編集]

2000年[編集]

2月15日、三軒茶屋妄走族が1枚目のアルバム『君臨』を発売する。
4月21日、ラッパ我リヤが「Do the GARIYA thing 」でメジャーデビュー
7月27日、横浜市DS455が1枚目のアルバム『BAYSIDE RIDAZ』を発売する。
10月7日、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが1枚目のアルバム『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』を2万枚限定発売し、即完売する。これを受けて同作をDef Jam Japanから再発売し、15万枚を売り上げる。
YOU THE ROCK★日比谷野外音楽堂にて「HIP HOP ROYAL 2000」を開催する。KAMINARI-KAZOKU.RHYMESTERK DUB SHINEZEEBRAスチャダラパーSOUL SCREAMOZROSAURUSNITRO MICROPHONE UNDERGROUND妄走族、WORD SWINGAZ等が出演した。
フジテレビ系列のテレビ番組、『森田一義アワー 笑っていいとも!』にZEEBRA、YOU THE ROCK★、ラッパ我リヤ、RHYMESTERが出演。宇多丸は番組司会のタモリモーニング娘。のメンバーである加護亜依について討論する。

2001年[編集]

2月15日、DABOがシングル『拍手喝采』でDef Jam Japanよりメジャーデビュー。
3月22日、RIP SLYMEがシングル「STEPPER'S DELIGHT」でメジャーデビュー。10万枚を売り上げる。
4月25日、横浜市OZROSAURUSが1枚目のアルバム『ROLLIN'045』を発売。8万枚を売り上げる。
5月9日、スケボーキングが小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」をサンプリングしたシングル『TOKIO LV』を発表。オリコン10位を記録。
5月23日、KICK THE CAN CREWがシングル「スーパーオリジナル」でメジャーデビュー。
8月9日、KICK THE CAN CREWKREVAがB-BOY PARK MC BATTLEにて3連覇を達成。
11月7日、マイカデリックがアルバム『娯楽の殿堂』でcutting edgeよりメジャーデビュー。
11月28日、Steady&Co. がアルバム『CHAMBERS』 を発売する。34万枚を売り上げる。
12月5日、RINO LATINA II がアルバム『Carnival of Rino』を発売する。
12月27日、NIPPSがシングル『God Bird』を発売する。KBOMB、DEVLARGE、XBS、GORE-TEXが客演として参加。

2002年[編集]

キングギドラが6年振りに活動再開。復活後に発売した全てのシングルと『最終兵器 (アルバム)』がオリコンチャートで週間10位以内を記録する。アルバム収録曲である「公開処刑 feat. BOY-KEN」では、ZEEBRAから降谷建志に対する名指しのDIS、K DUB SHINEからRIP SLYMEKICK THE CAN CREWに対する暗喩なDISが行われた。
1月23日、Dragon Ashがシングル曲『Life Goes On』を発売する。盗作騒ぎもあったものの、ソフトバンクのCMに起用され、売上は80万枚を突破。同年発売された『FANTASISTA』も40万枚以上もの売上を見せるが、上記のキングギドラのDISにより、1年ほどDragon Ashは音源を発表しなくなる。
2月22日、Shing02が2枚目のアルバム400を発売する。
3月27日、S-WORDがシングル「KROS OVA'<斬>-swisherz deftime fliez-」でDef Jam Japanよりメジャーデビュー。
4月28日、THINK TANKがBLACK SMOKER RECORDSを設立し、1枚目のアルバム『BLACK SMOKER』を発売。K-BOMBらのヴォーカルに、ダブレゲエの音楽性が取り込まれた。
5月22日、Tha Blue Herbが2枚目のアルバム『Sell Our Soul』を発売する。自身らへのDIS曲と言われたRHYMESTER の『ウワサの真相』へのアンサー曲も収録。
6月10日、新宿MSCが1枚目のアルバム『帝都崩壊』を発売する。
6月25日、大阪のDOBERMAN INC. が1枚目のアルバム『DOBERMANN』を発売する。プロデュースはBach Logic。
7月10日、大阪の韻踏合組合が1枚目のアルバム『CRITICAL 11』を発売する。
7月24日、Rip Slymeが『楽園ベイベー』などを収録した『Tokyo Classic』を発売する。日本レコード協会から100万枚出荷したアルバムの認定を受ける。
8月9日、札幌市MIC JACK PRODUCTIONが1枚目のアルバム『SPIRITUAL BULLET』を発売する。メンバーのShren The Fire、BIG JoeはかつてBoss The MCとラッパーズロックというグループを結成していた。
12月18日、名古屋市M.O.S.A.D.が1枚目のアルバム『THE GREAT SENSATION』を発売する。
DJ KENTAROがDMC World Finalにおいてアジア人として初めて世界チャンピオンとなる。

2003年[編集]

EAST ENDが活動再開。11年振りに発売したアルバム『Beginning of the Endless』は、FUNKY GRAMMAR UNITの全員に加え、CRAZY-A童子-T等が参加した。
高田馬場降神が自主制作アルバム『降神』を発売する。

2004年[編集]

3月、ダースレイダー、METEOR、環ROY等がDa.Me.Recordsを設立。
4月7日、「KAMINARI-KAZOKU.」が結成10年目にして初めてのアルバム『330 ~more answer no question』を発売する。
6月、KICK THE CAN CREWが活動休止を発表。
8月25日、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが2枚目のアルバム『STRAIGHT FROM THE UNDERGROUND』を発売し、オリコンチャートで週間4位を記録。
9月8日、加藤ミリヤが1枚目のシングル「Never let go/夜空」を発売する。「夜空」はBUDDHA BRANDの人間発電所をサンプリングしており、リミックスにはDEV LARGE等が参加している。
9月8日、KREVAがシンガーのSONOMIフィーチャーしたシングル音色を発売する。発表したアルバムの中で最も高い売上を記録する。
7月14日、K DUB SHINEが3枚目のアルバム『理由』を発売する。本作の収録曲「来たぜ」が原因となり、DEV LARGEとのビーフが起きた。インターネットで公開されたDEV LARGEのアンサーソング「ULTIMATE LOVE SONG」、K DUB SHINEのアンサーソング「1 THREE SOME」、DEV LARGEのアンサーソング「前略ケイダブ様」は、後にミックスCD等にバージョン等を変えて収録されている。
8月21日、Nujabesが1枚目のアルバム『Metaphorical Music』を発売する。世界中に知名度を広め、テニスプレイヤーの錦織圭も愛聴していると発言。
11月22日、M.O.S.A.D.TOKONA-Xが急逝。享年26歳。
DJ AKAKABEがDMC世界チャンピオンとなる。
大阪のヒューマンビートボクサー、AFRAFUJI XEROXのCMに起用される。また、同年Prefuse73の共作アルバムDigital Breathを発売する。: SEEDAとDJ ISSOがMix CDのシリーズ『Concrete Green』を発売し始める。L-VOKAL、SD JUNKSTA、ISH-ONE、4WD、Monjuらが知られるようになる。

2005年[編集]

7月13日安室奈美恵が7枚目のアルバム『Queen of Hip-Pop』を発売。約50万枚を売り上げた。
11月23日、DEV LARGEが「"D.L presents THE SINGLE ; MUSIC REVOLUTION β」を発売し、D.L名義でのソロ活動を開始。
京都のRYUZOがR-RATED RECORDSを設立。
ZEEBRAOZROSAURUS等が所属していたレコードレーベルFUTURE SHOCKが停止。
童子-Tがアトミックボム・プロダクションズから退社する。
B BOY PARK2002 MC BATTLEの優勝者漢a.k.a.GAMI等が、ULTIMATE MC BATTLEを開催。カルデラビスタが初代チャンピオンとなる。現在は漢a.k.a.GAMIに代わり晋平太等が運営している。

2006年[編集]

2月1日、KREVAが2枚目のアルバム『愛・自分博』を発売し、日本人ラッパーとして初めてオリコンチャート週間1位を記録する。
9月2日、SCARSが1枚目のアルバム『THE ALBUM』を発売する。
9月20日、SEAMOが2枚目のアルバム『Live Goes On』を発売し、オリコンチャート週間1位を記録する。SEAMOはこの年のNHK紅白歌合戦にも出場した。
12月27日、SOUL'd OUTがベストアルバム『Single Collection』を発売し、オリコンチャート週間2位を記録。

2007年[編集]

1月31日、RHYMESTERがベストアルバム『メイドインジャパン〜THE BEST OF RHYMESTER〜』を発売し、オリコンチャート6位を記録する。3月31日にはKING OF STAGE VOL.7 を日本武道館で開催する。18年間の活動で共演してきたキングギドラゴスペラーズ横山剣SUPER BUTTER DOGScoobie Do、Wack Wack Rhythm Band等のアーティストが出演した。
3月21日、THA BLUE HERBが5枚目のシングル「PHASE 3」を発売し、オリコンインディーズチャート週間1位を記録する。
3月、ヒップホップ専門誌「blast」が廃刊。
8月15日、相模原市を拠点に活動するSD JUNKSTAのリーダー、NORIKIYOが1枚目のアルバム『EXIT』を発売する。
10月17日、SEEDAがアルバム『街風』でエグジットチューンズよりメジャーデビュー。
10月24日、ノリアキが1枚目のアルバム「This is da Music.」を発売する。
TBS系列『リンカーン』のコーナー「世界ウルリン滞在記」に、練マザファッカーD.Obay4k、D-Ask、SHIZOO等が出演。中川家にラップを指南した。D.Oは会話の語尾に毎回『メーン』と言った。

2008年[編集]

9月17日、ZEEBRAが音楽活動20周年を記念したベストアルバム『The Anthology』を発売。11月1日には「ZEEBRA 20th Anniversary The Live Animal in BUDOKAN」を開催し、DEV LARGE以外の全員による「証言」等も披露された。
10月4日、B.I.G.JOEが2009年の服役終了に先駆け、アルバム『COME CLEAN』を発売。

2009年[編集]

2月18日、PSGのメンバー、S.L.A.C.K.が『My Space』を発表する。
10月9日、東京板橋区のヒップホップグループ、PSGが『David』を発表する。収録曲『かみさま』のMVが話題となる。
練マザファッカーのメンバーでCD販売店「BOOT STREET」のアルバイトの男が、同店の店舗にて大麻を売ったとされる大麻譲渡事件に関連し、D.Oが実質的に経営する会社・D.Officeに家宅捜索が入り、練マザファッカーのメンバー・PIT GObが大相撲力士・若麒麟真一と共に大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕され、後にD.Oも麻薬取締法(コカイン所持・使用)違反容疑で逮捕された。この事件は、大相撲力士が逮捕されたこともありテレビなどのメディアで大きく取り上げられ、D.OやPIT GObも写真付きで報道された。彼らが大麻の使用や麻薬の売買などの犯罪行為を歌う、所謂ギャングスタ・ラッパーだった事もあり、メディアからのバッシングを受けた。
SEEDAOKITERIYAKI BOYZへのディスソングを発表。その後TERIYAKI BOYZに属するVERBALが自身のポッドキャスト番組にSEEDAを招き、話し合いが行われた。さらに、MSCのGUNNIESがSEEDAに対するディスソングを発表。これに対しSEEDAもブログでアンサーソングを発表した。この一連のビーフSEEDA#TERIYAKI BEEFと呼ぶ。Amebreakはこれを「一連のディス曲に関する是非はともかく、日本語ラップに関するビーフがここまでスピーディに展開するようになったのは特筆すべき事実」とした。
Da.Me.Recordsに所属していたCOMA-CHITARO SOULKEN THE 390がそれぞれメジャーデビューする。KEN THE 390は青山テルマ届けたい… feat.KEN THE 390/このまま ずっとで共演し、ミュージックステーションにも出演する。
7月15日、新潟Hilcrhymeがシングル「純也と真菜実」でUNIVERSAL MUSICよりメジャーデビュー。9月30日には2枚目のシングル「春夏秋冬」を発売し、オリコンチャートでデイリー1位を記録。
RHYHMESTER宇多丸が第46回ギャラクシー賞においてDJパーソナリティ賞を受賞した。6月に行われた授賞式ではサンプラザ中野くんが替え玉として登場した。

2010年代[編集]

2010年[編集]

4月2日、PヴァインBOOKsより「ラップの言葉」が出版される。サイプレス上野宇多丸般若等、15名のラッパーへのインタビューが収録された。後に「ラップのことば2」が発売される。
7月14日、DJ HAZIMEによるMix CD『Manhattan Records The Exclusives Japanese Hip Hop Hits』が発売する。KREVA、DABO、ANARCKYによるコラボ曲『I REP』を収録。プロデュースはBach Logic。
8月4日、神奈川県藤沢市のDINARY DELTA FORCEが1枚目のアルバム『SOUNDTRACK TO THE BEDTOWN』を発売する。
10月20日、R-RATED RECORDSよりSKI BEATZプロデュースのコンプレーションアルバム『24 HOUR KARATE SCHOOL JAPAN』が発売される。本作の収録曲「24 BARS TO KILL」は、SKY-HIの「96 Bars To Kill」をはじめ、様々なアーティストによるリミックスがYouTube上にアップされた。

2011年[編集]

1月26日、名古屋AK-69が『THE RED MAGIC』を発表する。アルバムの累計売上枚数は5万枚以上を突破。
2月26日、KAMINARI-KAZOKU.がシングル「2U」を発売。不祥事により音楽活動からの引退を宣言していたメンバーYOU THE ROCK★へのメッセージソングである。
4月30日、キングギドラが9年振りに活動再開し、大阪城野外音楽堂で開催された東北地方太平洋沖地震チャリティーライブ「KEEP YOUR HEADS UP!」に出演する。
6月8日、グループ名の表記をKGDRに変更し、東北地方太平洋沖地震チャリーティーソング「アポカリプス ナウ」を配信。
6月2日、PSGのS.L.A.C.K、下北沢DOWN NORTH CAMPに所属するISSUGI、BUDAMUNKからなるSICK TEAMがJazzy Sportsよりアルバムを発表する。国外からILLA JDILATED PEOPLESEVIDENCEが参加している。
名古屋HOME MADE家族が『AKATUKI』を発表する。オリコンチャート最高24位をマークする。
11月11日、神奈川県で結成され、ハーフのメンバーを多く擁するSIMI LABが『Page 1 : ANATOMY OF INSANE』を発表する。その特異な音楽性はジャズミュージシャン菊地成孔にも評価される。
MACCHOのソロユニットとなっていたOZROSAURUSにDJ SN-Zが加入。同時にEMIミュージック・ジャパンと契約し、メジャーでの活動を再開する。

2012年[編集]

3月7日、SALUが1枚目のアルバム『IN MY SHOES』を発売。
5月30日、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが「"NITRO MICROPHONE UNDERGROUND" LIVE DVD 10-11」の発売を最後に活動を休止する。
7月14日、TBS系列で放送された「CDTVスペシャル!夏フェス2012」にRHYMESTERが出演し、地上波で初めてライブを披露する。
7月23日、お笑い芸人の小籔千豊とヒップホップMCでもある俳優真木蔵人がMCを務めるBSスカパー!のバラエティー番組「BAZOOKA!!!」で第1回高校生RAP選手権が放送される。審査員はZeebra、DABO、SIMONが担当。以後、番組コーナーのシリーズとして制作され、第3回以降は番組のイベントとして開催。イベント内では日本のヒップホップアーティストがライブゲストとして呼ばれ、ライブも行っている。
9月5日、AKLOがソロとして1枚目のアルバム『THE PACKAGE』を発売。

2013年[編集]

2月12日、東京の3人組ユニット、Fla$hBackSが『FL$8KS』が発表する。新世代として注目される。その後、メンバーのソロアルバムが発売。Febbのアルバムに関してはD.Lが「ここ10年で最高のラップアルバム」と評価している。
4月26日、風営法問題を取り扱う「クラブとクラブカルチャーを守る会」が発足。ZEEBRA、ダースレイダー、須永辰緒らがメンバーとして参加。渋谷区円山町の清掃活動を定期的に行っている。
5月30日、ラッパーのKOHHがタレントの高田純次をテーマにした曲、『JUNJI TAKADA』をYouTubeにて発表。話題となり、高田純次本人のラジオ『高田純次 毎日がパラダイス』でも取り上げられる。
8月7日、AAASKY-HIavex traxよりシングル「愛ブルーム/RULE」を発売し、メジャーデビュー。同年のB-BOY PARKにも出演。
10月17日、渋谷 clubasiaでMAKI THE MAGIC R.I.P PARTY『MAGIC FOREVER』が開催される。CQとDEV LARGEによる「人間発電所」や、RHYMESTERによる「B-BOYイズム」などが披露された。もともとDEV LARGEの出演予定はながったが、イベント前に偶然会ったK DUB SHINEに誘われ、急遽出演することとなった。この2人はかつてビーフ騒動があったが、この日を機に和解している。
アーティスト活動25周年を迎えたZeebraが、11月20日に8thアルバム『25 To Life』、12月25日に過去の客演作品を収録したボックス『100 Feat. ~ Zeebra 25th Anniversary Box ~』を発売。
12月30日、妄走族が新曲「塗りつぶせ」を発表し、活動を再開。

2014年[編集]

avexがヒップホップ専門レーベル「CLOUD 9 CLIQUE」を設立。ANARCHYが第1弾アーティストとして契約を結び、メジャーデビュー。
ZeebraがEGO、2WIN、SHOW GUN擁する新レーベル「GRAND MASTER」を設立。
MC漢率いる「9sari group」と、ダースレイダーが代表に就任した「ブラックスワン」が、「9SARI OFFICE」を新設する。

2015年[編集]

5月4日、D.Lと改名していたDev Largeが逝去。SNSを通じて、OKAMOTO'Sハマ・オカモト、俳優の浅野忠信、シンガーの清水翔太など、ヒップホップシーンの外からも追悼コメントが発表された。
5月10日、お台場野外特設会場にてRHYMESTER主催の野外フェス「人間交差点2015」が開催。KGDR、スチャダラパーといった同世代のヒップホップグループのほかスガシカオ10-FEETなどが出演。
6月29日、漢 a.k.a GAMIが自身の半生を記した『ヒップホップ・ドリーム』を河出書房新社より刊行する。
OZROSAURUSがニューメタルバンド、山嵐などのメンバーが加入し、6人組のバンドとなる。また、「GRAND MASTER」に移籍。
8月7日、ラッパーの般若が自身のブログのラップ音源でRHYMESTERの宇多丸をDIS。翌日、宇多丸が自身のラジオ番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」でこの件について触れる。翌週8月14日の般若のブログのラップ音源ではKダブシャインをDISし、翌日8月15日に行われたZeebraが主催する夏フェスイベント「SUMMER BOMB」では出演の時間帯はそれぞれ異なるが、宇多丸、Kダブシャイン、般若が揃い踏みした[10]。Kダブシャインは録音された般若に対するアンサーソングを披露し、般若はKダブシャインに宛てた手紙を朗読した。
9月30日深夜、テレビ朝日系列からフリースタイルバトルをテーマにした番組フリースタイルダンジョンが放映開始。般若、漢 a.k.a. GAMI、サイプレス上野、R-指定、T-PABLOWと出場者が対戦する。MCはZEEBRA、進行はUZIが勤める。審査員はいとうせいこう等らが参加。番組のテーマ曲はSKY-HIが出掛けている。
10月14日、THA BLUE HERBのtha BOSSが、自身初となるソロアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』を発売する。客演としてB.I.G.JOE、BUPPON、ELIAS、YOU THE ROCK★、YUKSTA-ILL、田我流(stillichimiya)らが参加。なお、かつてTHA BLUE HERBの楽曲『Sweet Little Dis』でYOU THE ROCK★をDisしていたが、今回初の共演となった。

2016年[編集]

5月18日深夜、テレビ番組「フリースタイルダンジョン」の番組内で般若がKREVAに名指しで宣戦布告をする[11]。6月8日、KREVAがLINE LIVEで放送されている番組「さしめし」に出演し、番組内にて披露した未公開のラップが般若に対するアンサーソングじゃないかと推測されたが、本人が自身のtwitterで否定すると当時にフリースタイルダンジョンへの出演は今後ないことを断言した[12]
6月4日と5日、JR新宿駅東口の駅前で無料の屋外ヒップホップイベント「TOHYO CYPHER」を開催。このイベントは2016年夏より施行される18歳選挙権の周知キャンペーンとして、東京都選挙管理委員会が行っている「TOHYO都」の一環として企画された。進行をUZIが務め、般若、KEN THE 390、ACE、サイプレス上野とロベルト吉野、鎮座DOPENESSなどが出演。ライブの他MCバトルなども行われた[13]

代表的なアーティスト[編集]

日本武道館[編集]

これまでに日本武道館単独のコンサートを行った日本のヒップホップアーティスト一覧。

  • RIP SLYME (2002年7月25日、2004年に3DAYS公演、2008年に3DAYS公演、2009年に2DAYS公演、2011年に2DAYS公演)
  • KICK THE CAN CREW (2002年11月30日)
  • m-flo (2005年11月2日)
  • KREVA (2006年4月28日、2010年10月13日&14日、2014年9月7日)
  • RHYMESTER (2007年3月31日)
  • SOUL'd OUT (2007年4月27日)
  • SEAMO (2008年1月20日)
  • ZEEBRA (2008年11月1日)
  • HOME MADE 家族 (2009年1月11日)
  • AK-69 (2014年3月5日)
  • Hilcrhyme (2014年10月14日)

NHK紅白歌合戦[編集]

これまでに『NHK紅白歌合戦』に出演した日本のヒップホップアーティスト一覧。

MC[編集]

DJ[編集]

ダンサー[編集]

グラフィティライター[編集]

ビートメイカー[編集]

ヒューマンビートボクサー[編集]

日本のヒップホップレーベル及びプロダクション[編集]

レーベル、プロダクション 代表、主宰者 主な所属アーティスト かつて所属していたアーティスト 備考
THA BLUE HERB RECORDINGS ザ ブルーハーブ
BLACK SMOKER RECORDS THINK TANK
Libra Records 西原慶祐 晋平太
YAMAZIN
AXIS
MSC
SHINGO☆西成
R-指定
Da.Me.Records ダースレイダー 環ROY
KEN THE 390
TARO SOUL
COMA-CHI
術ノ穴 Fragment 泉まくら
MACKA-CHIN
DOTAMA
KMC
キリコ
Quviokal
空也MC
ogiyy
BOSA2
環ROY
R-RATED RECORDS RYUZO LA BONO CAPO
RUFF NECK
DJ LEAD
GAZZILA
SMITH-CN
THUGMINATI
D.OFFICE D.O 練マザファッカー
昭和レコード 般若 SHINGO☆西成
ZORN
Gunsmith Production 318 SQUASH SQUAD
KOHH
LIL KOHH
株式会社BM内のレーベル
YINGYANG PRODUCTION YINGYANG ISH-ONE
S7ICK CHICKs
J.ACE LAVEL SIMON JAP
DREAM BOY KEN THE 390 DREAM BOYS
Queen's Room COMA-CHI
MASTER OG G-MAN UZI
CLOUD 9 CLiQUE ANARCHY エイベックス・ミュージック・クリエイティヴ内のヒップホップ専門レーベル
GRAND MASTER Zeebra EGO
2WIN
SHOW GUN
OZROSAURUS
9SARI GROUP 漢 a.k.a GAMI MASTER
D.O
HI-BULLET
DOGMA
LORD 8ERZ
株式会社鎖グループ内のレーベル
BLACK SWAN 佐藤将(2011~2014)
ダースレイダー(2014~)
GOKU GREEN
PONY
LIBRO
MSC
設立者である佐藤の死後、株式会社鎖グループ内のレーベルとなる。
FOREMAN DJ 琥珀 株式会社鎖グループ内のミックスレーベル
FEEL NO PAIN DABO
JHETT a.k.a.YAKKO for AQUARIUS
DJ SAAT
starplayers Records RHYMESTER JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント内のレーベル
BULLMOOSE SKY-HI NIHA-C
Moro
RAU DEF
DRESS RECORDS TOC

日本のヒップホップに関連するメディア[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

  • MARUI 24CLUB (1986年、FM横浜
  • HIP HOP NIGHT FLIGHT (1995年9月17日 - 1998年5月、TOKYO FM
    パーソナリティはYOU THE ROCK★
  • Hip Hop Journey -Da Cypher- (1997年4月5日 - 2002年3月30日、J-WAVE
    パーソナリティはRIKO。
  • SOUL TRAIN (1999年4月 - 2005年9月30日、J-WAVE)
    パーソナリティはMC RYU
  • YOU THE ROCK★のザ・プロフェッショナルエンターテイナー (1999年10月 - 2002年9月23日、TOKYO FM)
  • BEATS TO THE RHYME (1999年10月 - 2002年9月24日、TFM系全国27局ネット)
    パーソナリティはZEEBRAとDJ KEN-BO。

雑誌[編集]

映画[編集]

  • ビッグマグナム 黒岩先生 (1985年)
    Dr.Tommy率いるB-5 Crewがブレイクダンスシーンに登場。
  • ハートブレイカー 〜弾丸より愛を込めて (1993年)
    ダイアモンド・ユカイ他、博多広島など西日本のダンスチームが出演し、オール博多ロケを敢行[14][15][16]。本作は当時の様々なストリートダンスをふんだんに散りばめて、ダンスバトルなどのヒップポップ・カルチャーの生の姿を撮影した[15]。また日本語でヒップポップを踊る"ということを明確に目標に掲げで制作されており、"ヒップポップの日本化"の先駆けとなった[15]。大ヒットには到らなかったものの"音楽ダンス映画"というジャンルを築いた[15]。本作は、その後ストリートダンス界でカルト映画化し、日本のダンサーは勿論、アンダーグランドであるアジアのストリートダンサーたちから熱い支持を受けた[15]

死去した日本のヒップホップ関連人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 第20回――ラップ歌謡 - TOWER RECORDS ONLINE
  2. ^ 週刊サンケイ サンケイ新聞出版局 1981年2月19日号 80頁。
  3. ^ 平山雄一『弱虫のロック論 GOOD CRITIC』角川書店、2013年、p.148、『SWITCH』(VOL.30.2012年7月、スイッチ・パブリッシング)p.19-21、SPEEDSTAR ONLINE - Victor Entertainment - 小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド
  4. ^ フラッシュダンス:作品情報”. 映画.com. 2016年3月20日閲覧。
  5. ^ Kiwamu Omae (2015年3月17日). “今、HIPHOP映画『ワイルド・スタイル』を観るべき3つのワケ”. Qetic. p. 3. 2016年3月19日閲覧。
  6. ^ 駒井憲嗣 (2015年3月28日). “K DUB SHINE「『ワイルド・スタイル』はヒップホップというアートの博物館」”. webDICE. 2016年3月19日閲覧。
  7. ^ ブレイクダンス:作品情報”. 映画.com. 2016年3月20日閲覧。
  8. ^ twitter K.U.D.O 2011年6月24日
  9. ^ 渡辺祐『ラップのことば』P-Vine Books刊、2010年4月2日発行(254ページ)
  10. ^ 宇多丸はRHYMESTER、KダブシャインはKGDRとして出演。
  11. ^ 般若がKREVAに突然の宣戦布告「フリースタイルダンジョン」”. KAI-YOU. 2016年6月10日閲覧。
  12. ^ KREVAが般若へのアンサー曲を披露か 追記:本人が否定、フリースタイルダンジョンにも一生出ない”. KAI-YOU. 2016年6月10日閲覧。
  13. ^ 【動画】般若らラッパーが新宿駅前で叫ぶ 東京都×ヒップホップは異質なのか?”. KAI-YOU. 2016年6月10日閲覧。
  14. ^ 小松壮一郎(こまつ そういちろう)会員名鑑 - 日本映画監督協会 - Directors Guild of Japan
  15. ^ a b c d e 平山雄一『弱虫のロック論 -GOOD CRITIC-』角川書店、2013年、pp. 150-153
  16. ^ 小松壮一郎(m.c.A・Tオフィシャルブログ、2008年7月30日)、この曲!#1 Bomb A Head!(m.c.A・Tオフィシャルブログ、2010年6月1日

関連項目[編集]