ブレイクダンス

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ブレイクダンスbreakin')はオールドスクール・ヒップホップに分類されるストリートダンスの一つ。

日本語ではブレイクと略されたり、原語のブレイキン(breakin')とも呼ばれる。B-ボーイングとも呼ばれ、このダンサーをBボーイやBガールと呼ぶ。Bボーイ、Bガールの“B”はバッド(bad 不良)やブラック(black 黒人)の“B”と認識されがちであるが、間違いである。Bボーイとはブレイクビーツで踊る人の事である。

宵闇のブレイクダンス - 代々木公園

「ブレイクダンス」という日本での呼称は、1984年映画ブレイクダンス(原題:Breakin')』公開や、同年末にタレントの風見慎吾(現・風見しんご)が発売したシングル曲『涙のtake a chance』のヒットに伴い、一般に浸透した[1][2][3][4][5][6][7]

ヒップホップ四大要素の一つ。現在世界で一番ダンス人口が多いジャンルである。

起源[編集]

ブレイクダンスは1970年代ニューヨークのサウスブロンクス地区のアフリカ系アメリカ人ラテンアメリカ人の若者達によって発展したストリートダンスのスタイルである。また、アフリカ・バンバータの提案でギャングが抗争をまとめる為に銃撃戦の代わりにブレイクダンスのバトルを用い、発展に繋がったと言われている。

後に、ニューヨークのロックステディークルー(Rock Steady Crew)などのクルー同士による大規模な抗争がメディアの関心を受け、これがダンスチームの急速な成長へと繋がった。ディスコクラブやテレビ番組、公のイベントなどにもブレイクダンサーは進出していった。過剰な人気は1980年代前半には色褪せ、一時下火となったが、アフリカの民族舞踊や、ガンビア共和国マリ共和国などの舞踊、ブラジルカポエイラの動きなどが取り入れられ進化していくうち、後半になると盛り返した。現在ではBattle of the YearやUK B-Boy Championships、Freestyle Session等の世界大会も行われるようになっている。

特徴[編集]

コペンハーゲン街頭でのブレイクダンス

構成[編集]

ブレイクダンスは主にエントリーフットワークパワームーブフリーズの四つの要素から成る。一度に全ての要素を盛り込む必要はなく、どの動きに重点を置くかはそれぞれのダンサーにより異なる。これらをより高度なレベルでこなすには柔軟性や筋力、リズム感が必要不可欠であり、時には即興性も求められる。

  • エントリー…立った状態での踊りのことで、代表的なものにトップロックアップロックブロンクスステップなどがあるが、ブレイクダンスにおける立ち踊り全般をトップロックと呼ぶこともある。
  • フットワーク…屈んだ状態で素早く足を動かしたり挑発したりする動きのことで、代表的なものにシックスステップツーステップ、などがあるがこれらは教える際に伝えやすいが為に作られた基本で元々なかった(Ken Swift談)。フットワークを中心に様々な動きをするものを総括してスタイル、リズムブレイキンなどと呼ぶ。
  • パワームーブ…全身(主に上半身)を使い、回ったり跳ねたりするアクロバティックな動きのこと。代表的なものに、背中や肩で回転するウィンドミル、頭で回るヘッドスピンなどがある。基本的には脚を地面につけることのないムーブであるが、スワイプスなど脚を地面につける技もあり、うつ伏せで体を浮かし手のひらで回転するクリケットや開脚旋回のトーマスフレアなどもある。一般にブレイクダンスと言うと大抵このパワームーブを思い浮かべるであろう。ダンスバトルなど披露する際は一般的に、一つの技のみを披露するのではなく、いろいろなパワームーブをおりまぜた(コンビネーション繋ぎと呼ばれている)連続技を披露する。
  • フリーズ…フットワークやパワームーブの一連の流れの中から音に合わせて体、動きを固めて止めること。代表的なものに、チェアーマックスアローバックなどがある。起承転結で言えば結の部分。

フットワークを中心に踊る人をスタイラー、パワームーブを中心に踊る人をパワームーバーと呼ぶが、最近ではそういったものに分類されない多彩なダンススタイルがある。

ダンスバトル[編集]

ブレイクダンスにおいてはダンスバトルが主な表現の場である。もともとはいわゆるストリートの少年たちが喧嘩するかわりにダンスで勝負したり、練習場所を争うために自然に行われるものであった。

現在ではバトルイベントとしてオーガナイズされたものが中心であり、音楽を流すDJ、その場をしきるMC、勝敗を決めるジャッジがおり、個々のダンサー、あるいはクルーがフロアの左右に分かれ、その間のフロアでお互いがダンスを披露する。それぞれのクルーが交互に踊らなければいけない、相手に触れてはいけないというのが暗黙の了解であり、基本的にそれ以外のルールは存在しない。

バトル中のダンサーは極度の興奮状態にあることが多く、熱くなりすぎるあまり罵り合いになり、暴言が飛び交うことも日常茶飯事で、ときには両チーム入り乱れての乱闘になってしまうこともある。そうした場をうまく治めるのもMCの役割の一つである。

またDJの選曲は、ダンサーのテンションやバトルの流れに大きな影響を及ぼすので、DJの実力が試される場でもある。勝敗は全てジャッジの裁量に委ねられるが、基準となるものはなく、どこに重点をおいて評価するかはそれぞれのジャッジにより異なる。そのためバトルイベントのジャッジはかならず複数いる。

サークルバトル[編集]

クラブのDJタイムなどに行われる、ジャッジやMCのいないサークルバトルというのも存在する。イベントバトルと違い自分の好きな相手に好きなだけバトルを挑むことができる場であり、またバトル経験の浅い、あるいは全くない人の実戦練習の場としても重宝されている。色々な人が各々のタイミングでただ単に技を披露するだけのサークルと呼ばれるものも存在する。

ショーケース[編集]

クルーが様々な楽曲(ブレイクビーツに限らず、クラシックなども使用される)を編集してある程度の長さの曲を創り、その曲に合わせてクルー全員でエントリーをしたり、ソロパートを設けたりして創る振り付けのことである。Battle of the Yearでは予選から、ShowSideとして各クルーがショーケースを披露することを義務付けられている。

音楽[編集]

音楽はブレイクダンスにとって大切な要素である。ブレイクダンスの音楽であるブレイクビーツの元となった原曲は、1970年代から1980年代頃のファンクソウルジャズ、ラテン、ディスコミュージック、R&Bなどの間奏に見られる。これらの異なった曲をDJが編集し、110〜135BPMに編曲されたものが用いられる。この手法はDJクール・ハークにより生み出された。さらにハークの友人であるグランドマスター・フラッシュや、アフリカ・バンバータらがこれを発展させた。やがてブレイクビーツのほかにスクラッチも、ブレイクダンスを盛り上げる要素として、加えられていく。

ビートの速度やパターンの条件が満たされる限りは音楽のジャンルはヒップホップに制限されず、異なった音楽のジャンル(テクノフュージョンロックなど)からも使用される。ブレイクダンスの課題曲としては、ジェームス・ブラウンの「ギブ・イット・アップ・オア・ターン・イット・ルーズ」やジミー・キャスター・バンチの「イッツ・ジャスト・ビガン」、インクレディブル・ボンゴ・バンドの「アパッチ」などがある。

ファッション[編集]

Bボーイのファッションは個性であるとともに、機能性と密接に関わっている。

まず靴は、軽量でよりグリップ性、耐久性があるもの(主にスニーカー)が求められる。頭にかぶるものは特にヘッドスピンなどのパワームーブから頭を保護したり、動きを容易にする為にニット帽やヘルメットが用いられている。またこれらの下にバンダナを巻くことによって、髪が引っかかる不快さから守っている。

1980年代のBボーイは分厚く、しっかりとした型のアディダスプーマフィラなどの紐靴を履いていた。また、Bボーイはより機能的でオシャレなものを身に着けるようになっていき、摩擦の少ないシャツや、フードのついたもの、個性的なものを着ていた。またアイテムとして、大型のラジカセやストリートでの公演に使う段ボールを持ち歩いていた。また、あえてこれらの外観と違った格好をして目立つ為に、ロックミュージシャンのような格好をするものもいた。クルーでの一様性や連帯感を出すために帽子やシャツ、靴を合わせて、相手に対する威嚇や主張にも使われた。また、現在も同じようにクルーで統一するところは多い。

最近ではブレイクダンスの進化に伴って(上半身の動きが多くなり)それほどだぶだぶでない服装が一般的になってきた。

現在ではプーマやトライバル(TRIBAL)などブレイクダンスを支援するブランドもある。これらは多くのブレイクダンスイベントも後援している。

日本のシーン[編集]

1983年に映画「ワイルド・スタイル」で来日した『ロックステディクルー(w:Rock Steady Crew)』が日本にブレイクダンスを紹介した。それまではほとんどメディアに紹介される事はなかったが、西武デパートの記念イベント[8][9]としてテレビの11PMで放映した[10]。その時の放映で『ファンキージャム[11]』がエレクトリックブギを教えていることが紹介される。ファンキージャム・ブレーカーズが誕生し、日本各地でショーをしたことで広く知られる事となる[12]。1984年11月には、風見慎吾が楽曲『涙のtake a chance』を発売し、テレビを通じて一般にも知られるようになった[1][2][4]。それがきっかけでストリートで練習する若者が増え現在に至っている[1][2][3][4][5]

現在ではCMPVなどで目にする機会も増え、駅構内やビル前、学校の文化祭などで見かけることも増えた。大阪JR難波駅にあるOCATはブレイクダンスに限らず、日本のストリートダンスのメッカとして広く知られている。

しかし公共の場である駅やビル前で大音量で音楽を流したり、道を塞いだり、ゴミを散らかして帰ったりするモラルを欠いたダンサーも多く現れ、そうしたダンサーの為にダンス禁止といった看板が掲げられている駅などが増加傾向にある。またB系といった誤用が示すように、日本ではヒップホップファッションがいわゆる不良少年のファッションとして定着していることもあり、一般の人からはダンサーもモラトリアムグループと同一視されがちである。日本のコメディアンとしては、ナインティナイン岡村隆史ガレッジセールのゴリが得意とする。

2005年以降はネット上で世界中から動画を集めて更新するサイトや、掲示板のコミュニティーが登場し、若年層における新規参入者の増加に貢献した。代表的なサイトは激走ぶろぐBREAK DANCE JAPAN Breakin' Cypher がある。しかし、ネットでは饒舌であるがバトルにも行ったことがない、大したスキルを持っていない人をネットブレイカーと呼び、一時期は波紋を呼んだ。

2013年からはテレビにおいてスタードラフト会議を中心としたダンス番組が飛躍的に増え、更に若い層の新規参入に貢献している。

現在、The Floorriorz、MORTAL COMBAT、Body Carnival、Foudnationなどのチームがある。Shigekixを筆頭にキッズブレイクダンサーの活躍も顕著で、Bガールのレベルは常に世界一と言われている。年齢性別問わず、幅広い層が存在するのが日本のブレイクダンスシーンの特徴である。

世界のシーン[編集]

アメリカではNYC.BREAKERSなどがメディアで活躍しアメリカ国内でブームを巻き起こすも、ブームは去ってブレイクダンスは下火になる。この間ブレイクダンスはヨーロッパにも伝わり人気を得ることになる。1990年にはドイツで世界大会Battle of the Yearが開催されるまでになり、アメリカでも人気を盛り返す。90年代、現在のブレイクダンスの基礎を築いたRock Steady CrewのPrince Kenswiftの影響を色濃く受けたアメリカのSTYLE ELEMENTSはブレイクダンスを一つ上のレベルまで押し上げたと言われ、現在のシーンにも多大な影響を与えている。

2000年代に入り、今まで見たこともないムーブをするB-Boyがフランス・韓国から次々と登場し世界に衝撃を与える。近年では特に韓国の代表チームが世界の中でも実力が特出しており、著名な世界大会のタイトルを次々と獲得し、一躍世界で確固たる地位を築いている。こうした活躍により韓国ではブレイクダンスが国内文化のメジャーな存在になりつつあり、プロとして活躍しているダンサーも多く、政府までが支援に乗り出している。またプーマFILAのような大企業がスポンサーを務めていることもある。さらにイベント会場もクラブのようなアンダーグラウンドな場所ではなく、一般のホールなどを借りて行われることが多い。

その他の地域でもシーンの広がりはめざましく、北アメリカ、ヨーロッパ以外にも、東アジア、東南アジア、西アジア、アフリカ、オセアニア、南米など、はてはロシアのチームが2008年の著名な世界大会で準優勝するなど、現在ではB-boy B-girlは世界中に存在するといっても過言ではない。現にBOTY参加国は年々増加している。

2000年代はBattle of the YearとUK Bboy Championships、Freestyle Sessionが世界三大大会と称されていたが、直近ではRed Bull BC OneやR16 Korea、World Bboy Classic、IBE等、世界規模の大会が海外の大規模スポンサーを巻き込み開催、メディアへの露出機会も飛躍的に増えた為、世界規模のシーン拡大に幅広く貢献している。

[編集]

近年は、技の増加により、はっきりとした名称が付けられていない技が増えてきた。これは、エントリー、フットワーク、パワームーヴ、フリーズのいずれでも言えることであるが、オリジナリティが発揮されやすいエントリーとフットワークにおいてはそれが顕著である。さらにあるダンサーのオリジナルの技をシグネチャームーブと言い、それらを真似することをバイトと言って批判の的になることがある。しかしながらウインドミルやシックスステップのようにシグネチャームーブも時が流れるにつれてブレイクダンスの基礎としてバイトの枠から除外されることがあり、バイトの定義は曖昧である。

また、地域による技名の違いもある。例えば、以下のギャラリーにある「ジョーダン」(ナイキバスケットシューズ、『エア・ジョーダン』のロゴからという説が有力)というフリーズは、日本以外ではパイク(pike、槍の意)と呼ばれることが多い。更に、日本では足や手の形によって技の名称が異なることが多いが、海外では総称して1つの技名で呼ばれることが多い。

外部リンク[編集]

Battle of the Year公式(世界最大規模の大会)

UK Bboy Championships(同上)

Red Bull BC One(同上)

R16 Korea(同上)

激走ぶろぐ(日本の動画紹介サイト)

BREAK DANCE JAPAN(ブレイクダンスの総合情報サイト)

Breakin' Cypher(Bboy, Bgirlの動画紹介サイト)

Bboyworld(海外の交流コミュニティ)

株式会社IAM(ブレイクダンスを中心としたストリートエンターテイメント事業)

関連項目[編集]

参考出典[編集]

映画「ワイルドスタイル」来日イベント
ファンキージャム・ブレーカーズの結成

脚注[編集]

  1. ^ a b c 吉永岳央 (2017年5月26日). “「僕のブレークダンス古い?でも幸せ」 風見しんごさん”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). オリジナル2017年5月26日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170526102231/https://www.asahi.com/articles/ASK5V00VQK5TUTQP027.html 2018年1月11日閲覧。 吉永岳央、吉村真吾 (2017年5月26日). “「ブレークダンスを五輪競技に」日本の10代、世界屈指”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). オリジナル2017年6月12日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170612222504/https://www.asahi.com/articles/ASK5D440YK5DUTQP00S.html 2018年1月11日閲覧。 
  2. ^ a b c ダンスブームの先駆け・風見しんご 今もキレあるダンス披露 - NEWSポストセブン 2013年5月6日
  3. ^ a b ブレイクダンス先駆者 風見しんご×世界的ダンサー ISOPP 初共演『サラリーマン交渉バトル』”. ORICON NEWS. オリコン (2017年6月17日). 2018年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月11日閲覧。
  4. ^ a b c ブレイクダンスがあったから、自信が持てた――風見しんご”. Red Bull BC One World Final 2016 (2016年11月28日). 2017年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月30日閲覧。
  5. ^ a b TAKAHIRO “世界が尊敬するダンサー”が抱く夢と挑戦 - スポーツニッポン 2016年5月21日
  6. ^ 風見慎吾 ゴールデンベスト 〜FRIDAY TROUBLE+ ... - Sony Music ShopSony Music Shop | 風見 しんご・ゆるら風見しんご FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT,INC.(Internet Archive)、風見慎吾/Beat on Panic(7インチ) - MEGURU RECORDS山野楽器:MEG-CD(メグCD)のご案内(Internet Archive)
  7. ^ nikkei TRENDYnet(日経トレンディネット) 作家・平野啓一郎による現代の仕事人伝
  8. ^ 日本のヒップホップはここから始まった
  9. ^ 1983年『ワイルド・スタイル』初公開の熱気と「文化の衝突」―葛井克亮さんとフラン・クズイさん語る
  10. ^ twitter 磯部涼 2015年3月31日
  11. ^ ファンキージャム
  12. ^ ファンキージャム・ブレーカーズの結成