ニュー・エディション
| ニュー・エディション New Edition | |
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ニュー・エディション(2018年) 左から、ロニー・デヴォー、ボビー・ブラウン、リッキー・ベル、マイケル・ビヴィンス | |
| 基本情報 | |
| 別名 | N.E. |
| 出身地 |
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| ジャンル | R&B、ソウル、ニュージャックスウィング |
| 活動期間 | 1978年 - 1990年、1996年 - 1997年、2002年 - |
| レーベル | Streetwise、MCA、バッド・ボーイ、ゲフィン |
| 共同作業者 | レイ・パーカー・ジュニア、ジャム&ルイス、モーリス・スター、ベル・ビヴ・デヴォー |
| メンバー |
リッキー・ベル マイケル・ビヴィンス ボビー・ブラウン ラルフ・トレスヴァント ジョニー・ギル ロニー・デヴォー |
ニュー・エディション(New Edition)は、アメリカのマサチューセッツ州ボストンで1978年に結成されたR&Bグループ。結成時のメンバーはボビー・ブラウン、ラルフ・トレスヴァント、リッキー・ベル、マイケル・ビヴィンス、ロニー・デヴォー。
1980年代前半にはグループとして3曲のヒットを飛ばした。1985年にボビー・ブラウンがグループから離脱しソロとして活動開始。1988年の4枚目のアルバム『ハート・ブレイク』制作時にジョニー・ギルがグループへ加入し、再びヒットを放った。1990年にグループは活動を停止し、メンバーそれぞれがソロや別ユニットのベル・ビヴ・デヴォーで活動するようになる。
1996年に再結成。96年から97年にかけて2曲のカムバック・ヒットを放った。
2002年に2回目の再結成となり、その後は解散せずに活動している。2004年、ショーン・パフィ・コムズのバッド・ボーイ・レコードと契約し6枚目のアルバム『ワン・ラヴ』をリリースする(このアルバムが現時点でのグループの最後にリリースされたアルバム)。2011年3月3日にアメリカのケーブルテレビ「BET」の番組にて結成30年記念として6人でライブを行う。2017年1月23日にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を獲得。また同年、「BET」にてグループのドキュメンタリー・ドラマが放送されている。
キャリア
[編集]1978年にリッキー・ベル、マイケル・ビヴィンス、ボビー・ブラウンによってボーカル・グループが結成される(3人のほかに2名が在籍)。マネージャー兼振付師となるブルック・ペインと出会い、ブルック・ペインによりグループ名「ニュー・エディション」と名づけられる(ポスト・ジャクソン5のような意味合いが込められていた)。1人が脱退後、ラルフ・トレスヴァントがグループに参加(既にボビーやビヴィンスとは知り合いで、リッキーとはラルフ&リッキーで歌っている仲であった)。その後、もう1人がグループから脱退し、代わりにブルック・ペインの甥であったロニー・デヴォーが加入した。彼らは1981年に、ボストンのストランド・シアターでパフォーマンスを行った際、シンガーで音楽プロデューサーであったモーリス・スターと出会い、賞金500ドルとレコード契約を獲得した。[1]
1983年にモーリス・スターとニューヨークのプロデューサーであるアーサー・ベイカーのプロデュースのもとでファースト・アルバム『キャンディー・ガール』をリリースする。アルバムから「Candy Girl」「Cool It Now」「Mr. Telephone Man」がアメリカR&Bシングルチャート1位、「Candy Girl」が全英シングルチャートにて1位の記録を打ち出す[2]。ファースト・アルバム・ツアーから戻った後、モーリス・スターとの契約金をめぐるトラブルが発生し1984年にモーリスと決別することになった(その後、モーリスはニュー・エディションをモデルに白人の少年達を集めニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックを結成させ売り出していく)。
グループはメジャーレーベルのMCAレコードと契約を交わし2枚目のアルバム『クール・イット・ナウ (New Edition)』をリリースする。ビルボード・トップ100にて「Cool It Now」が最高位4位、「Mr. Telephone Man」が最高12位とヒットを獲得する。
1985年には3枚目となるアルバム『オール・フォー・ラヴ』がリリースされる。アルバムから「Count Me Out」などがヒット。この頃、ヒップホップ映画『クラッシュ・グルーブ』に「My Secret」のライブ・パフォーマンスが収録されている。同年末にクリスマスEP『クリスマス・オール・オーヴァー・ザ・ワールド』をリリース。
1985年12月、プライベート等の素行の問題によりMCAマネージメントからボビー・ブラウンが解雇される。解雇後、1986年よりボビーはソロ活動を開始した。1986年に、ペンギンズの1954年のヒットソング「アース・エンジェル」をカバーし、映画『ベスト・キッド2』に曲を提供。その流れで4枚目のアルバムとしてドゥーワップのカバー・アルバム『アンダー・ザ・ブルー・ムーン』をリリースした。
ボビー・ブラウンはグループ離脱後、ソウル・チャートで「ガールフレンド」「キング・オブ・ステージ」をヒットさせた。[3]。また、1988年に発売したアルバム『Don't Be Cruel』は、LA&ベイビーフェイス[4]、テディー・ライリー[5]らをプロデューサーとして起用し、アメリカだけでなく、西側世界のかなりの国々でヒットを記録した。リードシンガーの必要性を痛感したグループは、1987年にソロ・シンガーとして活躍していたジョニー・ギルをリードシンガーとして、グループに迎え入れた。ラルフはグループに残留し、ジョニーを含む新しい5人体制での活動を開始する。
新体制にて5枚目のアルバム『ハート・ブレイク』制作に取り掛かる。プロデュース・チームであるジャム&ルイスを迎え入れ、アルバムは1988年6月20日にリリースされた。アルバムからは「イフ・イット・イズント・ラブ」[6]「N.E. ハートブレイク」などのシングルヒットを飛ばした。このアルバムは結果としてグループ最大のヒットとなりアメリカでダブルプラチナムを獲得、全世界では400万枚を売り上げた。なお、同日にリリースされたボビー・ブラウンのアルバム『ドント・ビー・クルエル』はアメリカ国内で700万枚超、全世界で1000万枚強を売り上げた[7]。LA&ベイビーフェイス[8]、テディー・ライリー[9]らをプロデューサーとして起用したボビーの作品は、プラチナ・レコードに認定された。アルバムからは「マイ・プリロガティヴ」「ロニ」「エブリィ・リトル・ステップ」「ロック・ウィッチャ」などが立て続けにビルボードTop10ヒットを記録した[10]。89年には『ゴーストバスターズ2』のテーマ曲「オン・アワ・オウン」も大ヒットし、翌1990年グラミー賞の最優秀R&B男性シンガーも獲得した[11]。
1990年にグループの活動を停止し、メンバーはそれぞれのソロ活動を開始する。プロデューサーであったジャム&ルイスの提案により、リッキー・ベル、マイケル・ビヴィンス、ロニー・デヴォーのトリオでユニット名「ベル・ビヴ・デヴォー (Bell Biv DeVoe)」を結成(当初は「Bell Bivins DeVoee」という名称であったがマイケル・ビヴィンスの提案により変更された)。シングル「ポイズン」がヒットし、アルバム『ポイズン』は当時のヒップホップ・サウンドを取り入れたニュージャックスウィングの曲となった。アルバムもヒット作となった。[12]
ジョニー・ギルは2度目のセルフタイトル『Johnny Gill』(邦題『ロンリー・ナイト』)をリリースする(グループ加入以前の1983年に同タイトルのアルバムをリリースしている)。アルバムから「My, My, My」「Rub You the Right Way」などのシングルヒットを飛ばし、アルバムもヒットした。
ラルフ・トレスヴァントもセルフタイトルのアルバム『ラルフ・トレスヴァント』をリリース。シングル「センシティヴィティ」は全米R&Bシングルチャート1位を獲得、アルバムも大ヒットとなった獲得した。[13]
ベル・ビヴ・デヴォーのリミックス「Word to the Mutha!」にラルフ、ボビー、ジョニーがフィーチャリングで参加し、ラルフの「Stone Cold Gentleman」やベル・ビヴ・デヴォーの「BBD (I Thought It Was Me)」のビデオにボビーが参加するなど、再びメンバー間の交流をし始めた。それぞれのソロ活動と成功を経て、1996年にボビーを含む6人体制としてのグループを始動する。6枚目のアルバム『ホーム・アゲイン』をレコーディング・リリースする。アルバムはアメリカにおいてビルボード200とR&Bアルバムチャートの両方にて1位を達成した。
アルバムからは「Hit Me Off」「I'm Still In Love With You」が、本当に久しぶりのカムバック・ヒットとなった。アルバムツアーを行うがラスベガスのショーにてボビーがソロタイムを予定より大幅に長く終わらなかっため、ロニーが途中で打ち切りベル・ビヴ・デヴォーのショーを開始したためステージ上で揉め事になり、バックステージが混乱する中でメンバーのセキュリティ・ガードマンが銃を発射してしまった。そのことが発端となり、ビヴィンスとボビーがそれぞれツアーを抜け、ツアーは途中で終了することとなった。グループは結果としてまた再決裂することとなった。
その後、ジョニー・ギルはキース・スウェット、エディ・レヴァートとR&BグループLSGを結成し、アルバム『レヴァート、スウェット、ギル』をリリースした。
2002年に再びボビー抜きの5人体制で再結成し各地のクラブやカジノ、小さなアリーナでツアーを始める。その後、前作でも数曲プロデュースで関わっていたショーン・パフィ・コムズのバッド・ボーイ・レーベルと契約。2004年にはバッド・ボーイ傘下で6枚目のアルバム『ワン・ラヴ』をリリースする。アルバムはビルボード200にて初登場12位を達成するもすぐに下降した。 2009年6月28日、3日前に急逝したマイケル・ジャクソンのトリビュートのためにグループでジャクソン5の「I Want You Back」「ABC」「The Love You Save」等を含むメドレーを披露。 2012年、ボビーとベル・ビヴ・デヴォーがアフリカの「ナイジェリア」にてパフォーマンスを行った。同年、グループにソウル・トレイン授賞式で特別功労賞生涯業績賞が送られる。6人のメンバーでセレモニーのステージに登場。
2017年にグループの幼少期から現在に至るまでのドキュメンタリー映画『ニュー・エディション・ストーリー』がケーブルテレビBETで公開された。2018年にボビー・ブラウンのドキュメンタリー映画『ボビー・ブラウン・ストーリー』がケーブルテレビBETで公開される。同年から2019年にかけてボビー・ブラウンとベル・ビヴ・デヴォーがツアーを行う。
メンバー
[編集]- リッキー・ベル (Ricky Bell) – 三次リード・ボーカル、バック・ボーカル (1981年– )
- マイケル・ビヴィンス (Michael Bivins) – ラップ、バック・ボーカル (1981年– )
- ボビー・ブラウン (Bobby Brown) – 二次リード・ボーカル、バック・ボーカル (1981年–1985年、1996年–1997年、2005年– )
- ラルフ・トレスヴァント (Ralph Tresvant) – 主要リード・ボーカル、バック・ボーカル (1981年– )
- ロニー・デヴォー (Ronnie DeVoe) – ラップ、バック・ボーカル (1981年– )
- ジョニー・ギル (Johnny Gill) – 共同二次リード・ボーカル、バック・ボーカル (1987年– )
タイムライン
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ディスコグラフィ
[編集]シングル
[編集]- 「キャンディ・ガール」
- 「クリスマス・オール・オーヴァー・ザ・ワールド」 (1985年、MCA)
スタジオ・アルバム
[編集]- 『キャンディー・ガール』 - Candy Girl (1983年、Streetwise)
- 『クール・イット・ナウ』 - New Edition (1984年、MCA)
- 『オール・フォー・ラヴ』 - All for Love (1985年、MCA)
- 『アンダー・ザ・ブルー・ムーン』 - Under the Blue Moon (1986年、MCA)
- 『ハート・ブレイク』 - Heart Break (1988年、MCA)
- 『ホーム・アゲイン』 - Home Again (1996年、MCA)
- 『ワン・ラヴ』 - One Love (2004年、Bad Boy)
脚注
[編集]- ^ John Seabrook. The Song Machine: Inside the Hit Factory. ISBN 9780393241938
- ^ Huey, Steve. “New Edition – Artist Biography”. AllMusic. All Media Network. 2022年2月3日閲覧。
- ^ ボビー・ブラウン キング・オブ・ステージ Allmusic 2026年1月15日閲覧
- ^ Babyface official HP HP 2026年1月15日閲覧
- ^ テディ・ライリー AllMusic 2026年1月15日閲覧
- ^ ビルボート年間トップ100ヒッツ p.258 音楽之友社
- ^ モーリス・スターによるニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックは、同年9月に2作目のアルバム『ニュー・キッズ、ストリート・タフ宣言 (Hangin' Tough)』をリリースしており、アメリカ国内で800万枚超、全世界では1700万枚超を売り上げた
- ^ ウィスパーズ、キャリン・ホワイト、ジョニー・ギル、ペブルスら多くの音楽家のプロデュースを担当した
- ^ 革新的なサウンドである「ニュージャックスウィング」を確立した
- ^ Bobby Brown Chart History - billboard.com
- ^ “Bobby Brown”. Recording Academy Grammy Awards. 2021年12月1日閲覧。
- ^ ビルボート年間トップ100ヒッツ p.270 音楽之友社
- ^ ビルボート年間トップ100ヒッツ p.280 音楽之友社