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松浦宏明

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松浦 宏明
日本航空高等学校千葉鴨川 女子硬式野球部 助監督
先発・中継ぎ・抑えのフル回転当時
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県船橋市
生年月日 (1966-05-19) 1966年5月19日(60歳)
身長
体重
178 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1984年 ドラフト外
初出場 1985年5月28日
最終出場 1995年8月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

松浦 宏明(まつうら ひろあき、1966年5月19日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手投手)、教職員、野球・ソフトボール指導者。

経歴

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船橋法典高校では外野手だったが、2年生時に投手に抜擢。千葉県屈指の本格派投手として注目され、1984年夏の県大会準々決勝に進出するが、春の県大会準々決勝に続いて成田高に0-1で惜敗する。高校時代は打者としても打順が四番で、高校通算46本塁打を記録している。複数球団から話があり、日本ハムからはドラフト会議で指名すると言われていたが漏れてしまった[1]社会人野球にも内定していたがドラフト外で日本ハムファイターズに入団。

入団2年目の1986年にはイースタン・リーグで11勝を挙げて最多勝を獲得するものの、一軍登板は1試合のみに終わった。1987年はリリーフで開幕5連勝を挙げる。敗戦処理として登板した直後に打線が活発になり、逆転勝ちを収めるケースが多かったため、ナインやファンからは「逆転のマツ」と呼ばれ、以降は抑えの切り札へ成長する[2]

1988年には先発投手に転向。15勝5敗4セーブで同僚の西崎幸広西武ライオンズ渡辺久信と並んで最多勝を獲得する。この年は投手二冠も狙っていたが惜しくも勝率は2位、奪三振は153個、完投10、防御率2.76だった。1989年は肘や肩の故障に悩まされるものの、1990年には11勝を挙げてチームに大きく貢献した。この頃は背番号が0だったことから、「ゼロ戦のマツ」と呼ばれることもあった[2]

1995年イースタン・リーグで0勝2敗の成績であり[3]、シーズン途中の6月20日、岡本透との交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍することが発表された[4]。背番号は18[4]。同年1勝を挙げ、両リーグでの勝利を記録。しかし同年10月11日、横浜から戦力外通告を言い渡され[5]自由契約になり、中日ドラゴンズの秋季キャンプ北谷公園野球場)に参加して入団テストを受験したが[6]、不合格となり[7]、そのまま同年限りで現役を引退した[8]

日本ハム時代の同僚・田中幸雄とは一時期、義理の兄弟であった(松浦の妻と田中の妻が双子の姉妹であるため。後に松浦の離婚により義兄弟の関係は解消)。

引退後

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引退後は、医療専門学校に通い資格を取得して医療職に就き、1996年、横浜市内に「松浦整骨院(松浦スポーツケア)」を院長として開業。スポーツ外傷と障害について治療に携わりながら研究と臨床を重ねる。「行列のできる治療院」として注目されていた。

その後、2003年から手塚一志主催の野球道場・上達屋と契約。技術の進化、研究に協力しながら、プロおよびアマチュアの様々なスポーツ選手(プロボクサー、プロ野球選手、プロゴルファー、プロテニスプレーヤー、陸上選手、相撲など)の指導にあたる。2010年4月で上達屋との契約を終了。

2013年1月より、中国野球リーグ上海ゴールデンイーグルスの投手コーチに就任[9]。上海女子垒球(上海女子プロソフトボールチーム)の臨時投手コーチも務める。

2014年5月より、中国野球リーグの江蘇ペガサス(江苏天馬)、旧江蘇ホープスターズの投手コーチに就任。背番号は尊敬する王貞治ダイエー・ソフトバンク監督時代に付けていた89。就任後には、5人の怪我投手を復帰させ、全国大会三位、台湾海峡杯では五位、全国棒球冠軍杯では、1大会6試合全て、6人の投手が先発完投勝利の記録を残し、大会優勝の好成績を残している。江蘇女子垒球(江蘇省女子プロソフトボールチーム)の総合臨時コーチも務める。その後女子ソフトボールチームは全国優勝。

2015年5月に帰国後、自身が名誉顧問を務める中国で唯一の女子野球チーム、上海SSG(Shanghai Super Girls Baseball Team)を来日させて、日中友好と親善を兼ねて母校である船橋市立湊中学校との親善試合を行った

2015年12月、学生野球資格回復研修を受け、高校や大学の指導に努める。

2016年4月、地元でもあり母校でもある船橋市立湊中学校の外部指導員として、船橋市教育委員会より委嘱される。

本人が顧問を務める中国で唯一の女子硬式野球チーム 上海SSG(上海スーパーガールズ)の監督として、香港フェニックスリーグ(香港国際女子野球大会2017)に出場。

また、2016年全国大会出場、2017年と千葉県中学女子野球選抜チーム 千葉マリーンズ(2011年に中学教員が結成したチーム)現KCホークスのアドバイザーも務めている。

2017年9月より 中野区にある特定非営利活動法人 東京コミュニティスクール(TCS)にスタッフ(教員)として教育の現場に携わっている[2]

2023年4月より特定非営利活動法人 東京コミュニティスクール(TCS)の校長に就任[10]。2024年3月5日校長を退任。 2024年11月退職。

2024年12月より千葉熱血MAKINGのアドバイザーに就任。

2026年、新規設置した日本航空高等学校通信制課程 千葉鴨川キャンパスの女子硬式野球部 助監督に就任[11]

人物・指導者として

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指導・トレーニング理論

BASEBALL METHOD(野球理論)、Physical Operation Method(身体操作術 POM)[12] 、MSC (Method of strength the core of the body)ボディコアメソッドを提唱し動作解析と身体操作術、そしてトレーニングを使い様々なスポーツのレベルアップに努める(セルフメディケーション、ウォーキング、ランニング、トレーニングなど)。野球に関するスキルや理論も確立し、アマチュア野球の指導者指導や選手指導に尽力。(バッテリー三原則・ゾーンバッティング・パワーポジション・アテンションゾーン・論理的で様々なテクニックの推奨)[13]

治療家時代に肩・肘の障害治療とリハビリトレーニングに定評があり、プロ・アマ、野球に限らず、様々なスポーツにおけるケガの予防、パフォーマンスアップの為の指導の大切さを選手や指導者へ伝えた。上達屋時代から研究を重ねてきたイップスに関しても様々な回復法や指導法を提唱。

所有資格、スキル

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(2024年12月現在) スポーツ関連(学生野球資格回復制度、整体師、カイロプラクタースポーツトレーナーパフォーマンスコーディネーター(PC)、スポーツ映像分析、動作解析、チームマネージメントアドバイザー、スポーツアナリティクス、アンガーマネージメント(キッズインストラクター資格)、免許等(自動車(普通中型大型大型二輪)、1級船舶免許[14]特殊船舶免許[要出典]上級救命技能認定食品衛生責任者銃砲刀剣類所持資格第1種狩猟免許

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1985 日本ハム 81000000------6111.21541301820161511.572.40
1986 10000100--1.00093.000000500000.000.00
1987 480000858--.61540296.28394355916041383.541.30
1988 361610101554--.750704169.11251978141539055522.761.20
1989 66000140--.20011420.03351804130028229.902.55
1990 26188301180--.579608140.0127773331039067543.471.43
1991 2520300990--.500594129.21432070339110077755.211.64
1992 135200251--.28624356.24862820351029274.291.34
1993 300000421--.66722452.14442310354023183.101.28
1994 2811100270--.22233569.288114005408058536.851.84
1995 横浜 91000110--.5007316.0195711110013137.311.63
通算:11年 230782440544614--.5403367765.07259039316265854904073674.321.46
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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表彰

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記録

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初記録
  • 初登板:1985年5月28日、対ロッテオリオンズ6回戦(川崎球場)、8回裏に3番手として救援登板・完了、1回無失点
  • 初奪三振:同上、8回裏に庄司智久から
  • 初先発:1985年10月20日、対ロッテオリオンズ26回戦(川崎球場)、1/3回2失点
  • 初勝利:1986年10月19日、対ロッテオリオンズ26回戦(川崎球場)、7回裏に4番手として救援登板・完了、3回無失点
  • 初セーブ:1987年6月11日、対ロッテオリオンズ10回戦(後楽園球場)、6回表に2番手として救援登板・完了、4回無失点
  • 初先発勝利・初完投勝利:1988年7月2日、対阪急ブレーブス11回戦(東京ドーム)、9回1失点(自責点0)
  • 初完封勝利:1988年9月14日、対阪急ブレーブス21回戦(阪急西宮球場
その他の記録

背番号

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  • 59(1985年 - 1987年)
  • 0(1988年 - 1994年)
  • 11(1995年 - 同年途中)
  • 18(1995年途中 - 同年終了)

脚注

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  1. 88年最多勝の“逆転のマツ”松浦宏明氏。現在は小学生たちの「先生」役に/パンチ佐藤の漢の背中!”. ベースボールマガジンONLINE (2022年9月26日). 2026年3月15日閲覧。
  2. 1 2 3 「ゼロ戦のマツ」が算数を 元日本ハム松浦宏明氏1”. 日刊スポーツ新聞社 (2018年4月6日). 2018年6月19日閲覧。
  3. 『読売新聞』1995年6月21日東京朝刊スポーツA面17頁「横浜・岡本透投手と日本ハム・松浦宏明投手の交換トレード発表」(読売新聞東京本社
  4. 1 2 中日新聞』1995年6月21日朝刊運動1面23頁「横浜の岡本投手 ハムへトレード 松浦投手と交換成立」(中日新聞社
  5. 『読売新聞』1995年10月12日東京朝刊スポーツA面19頁「球界情報【横浜】11日 松浦ら5人「戦力外」」(読売新聞東京本社)
  6. 中日スポーツ』1995年11月2日第5版2頁「横浜の松浦が北谷へ」(中日新聞社)
  7. 『中日スポーツ』1995年11月17日付第5版2頁「Dパトロール 不合格」(中日新聞社)
  8. 中日スポーツ』1995年12月30日付第5版2頁「球界「来る人、去る人」 ありがとう夢を 第2の人生 もっと輝け」(中日新聞社
  9. 元日本ハムの最多勝 松浦宏明氏 中国棒球リーグ投手コーチ就任へ スポニチアネックス、2012年12月14日
  10. KATARU|好きなこと、語るべぇ|東京コミュニティスクール”. 東京コミュニティスクール (2023年11月28日). 2025年5月9日閲覧。
  11. 日本航空高石川・鴨川キャンパスで初の入学式 41人が新生活スタート(千葉県)”. 房州日日新聞電子版 (2026年4月14日). 2026年4月27日閲覧。
  12. BASEBALL METHOD, Physical Operation Methodとは 松浦自身が提唱しているスポーツ医学を基本とした理論、技術の名称。
  13. KATARU 41 松浦宏明 教育と共育 (2023年11月23日) - YouTube「Baseball Method 「握り」理論 - YouTube
  14. YAMAHA Sea Style

関連項目

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外部リンク

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