アルフレッド・フィガロ

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アルフレド・フィガロ
Alfredo Fígaro
ミルウォーキー・ブルワーズ時代
(2013年4月1日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サマナ州サマナ
生年月日 (1984-07-07) 1984年7月7日(39歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 アマチュアFA
初出場 MLB / 2009年6月20日
NPB / 2011年4月14日
KBO / 2015年3月28日
CPBL / 2017年3月26日
最終出場 NPB / 2012年8月5日
KBO / 2015年10月3日
CPBL / 2017年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

アルフレド・フィガロ・フィガロAlfredo Fígaro Fígaro , 1984年7月7日 - )は、ドミニカ共和国サマナ州サマナ出身のプロ野球選手投手)。

従兄弟はフェルナンド・ロドニーである。

経歴[編集]

タイガース時代[編集]

2006年にアマチュア・フリーエージェントでデトロイト・タイガースと契約を結んだ。この年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・タイガースでプレーし14試合に登板、4試合で先発し3勝1敗、防御率0.70の成績を残した。

2007年はA級オネオンタ・タイガースに昇格し11試合に登板、4勝2敗、防御率3.38の成績をあげてレイクランド・タイガースに呼ばれた。レイクランドでは4試合に登板し0勝2敗であった。

2008年、A級ウェストミシガン・ホワイトキャップスに所属19試合に登板し完投勝利2回を含む12勝をあげて123イニングで96奪三振の成績を残した。このシーズンもレイクランドに呼ばれたが5試合に先発し0勝5敗、防御率4.91に終わった。

2009年、AA級エリー・シーウルブズに所属、4月にはイースタンリーグ週間MVPにも選ばれた[1]。この年5勝2敗、防御率4.20の成績をあげた[2]。同年6月20日、メジャーリーグに昇格。3試合に先発し17イニングで16奪三振をあげたが、防御率6.35で2勝2敗であった。

2010年、メジャーでは中継ぎを中心に8試合に登板。防御率6.75、0勝2敗であった。オフの12月14日に放出された。

オリックス時代[編集]

2010年12月17日にオリックス・バファローズが獲得を発表した[3]

2011年は開幕第3戦である4月14日の福岡ソフトバンクホークス戦で来日初登板・初先発を果たすが、2回表の5失点が響き敗戦投手になった。その後2試合登板も勝ち星はつかず、登録抹消される。再登録された5月12日のソフトバンク戦では、小久保裕紀に通算400本塁打となるソロ本塁打を打たれるも、6回までその1失点に抑える好投で来日初勝利を挙げ、以降5連勝を記録。6月15日の交流戦の横浜ベイスターズ戦では、加賀繁から来日初ホームランのソロ本塁打を放った。しかし、この試合以降は、好投しても打線の援護に恵まれないなど白星が頭打ちとなり、8月下旬で一旦登録抹消。9月に復帰後はリリーフでの登板機会もあり、9月18日のロッテ戦では3回から8回途中までのロングリリーフで1失点に抑えて白星を挙げ、続く9月25日の日本ハム戦では先発で7回無失点の好投で復調したが、10月2日の楽天戦では3回3失点で降板、10月5日の西武戦ではビハインドの登板で1回4失点と打ち込まれ、以後は二軍降格。結局、8勝6敗、防御率3.42の成績に終わった。

2012年金子千尋の故障もあって、3月30日のヤフードームでの開幕戦、チームの外国人投手としては2004年の具臺晟以来8年ぶりに開幕投手を務めるも5回3失点で敗戦投手になる。その後も自身が粘りの投球を見せても、69回のうち援護点が僅か12得点、7月7日の対ロッテ戦で5得点の援護があったがその他の試合では最大1得点しか貰えない程、打線の援護にことごとく恵まれなかった。また、要所で制球を乱す場面もある等、結局は11試合の登板で未勝利に終わり、2004年の川崎憲次郎(当時・中日)以来、8年ぶりに開幕投手のシーズン未勝利となった。オフにはドミニカ共和国ウィンターリーグに参加。12月19日にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結ぶが、オリックスが自由契約公示しない中での契約となり、オリックス球団本部補佐の横田昭作は「(FAの)身分について解釈の食い違いがあるのではないか」と話した[4]

2013年1月28日にオリックスが契約放棄を発表した[5]

ブルワーズ時代[編集]

オリックスの契約破棄後はブルワーズとマイナー契約が成立し、2013年3月30日にブルワーズとメジャー契約を結んだ。6月24日に斜筋を痛め、6月25日に15日間の故障者リスト入りした。7月24日に復帰。8月16日にAAA級ナッシュビル・サウンズへ降格したが、8月30日に再昇格した。この年は33試合に登板し、3勝3敗1セーブ、防御率4.14だった。

2014年3月22日にAAA級ナッシュビルへ異動した。

ブルワーズ退団後[編集]

2014年11月28日、韓国プロ野球・三星ライオンズと契約した。

2015年3月28日、SKワイバーンズ戦で公式戦開幕投手を務め、韓国初勝利を記録。13勝を記録したが同年限りで退団。

2016年6月24日、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶ。

2017年2月9日、台湾プロ野球・統一ライオンズと契約した。同年限りで退団。

2018年は所属球団がなく、オフにドミニカ共和国のウィンターリーグに参加した。

プレースタイル[編集]

最速99mph(約159km/h、日本での最速は157km/h)の威力あるストレートに加え、変化球は80mph序盤のスライダーカーブチェンジアップを有する。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2009 DET 5 3 0 0 0 2 2 0 0 .500 83 17.0 23 3 10 0 1 16 0 0 13 12 6.35 1.94
2010 8 1 0 0 0 0 2 0 0 .000 69 14.2 18 1 8 2 0 5 2 0 12 11 6.75 1.77
2011 オリックス 24 20 0 0 0 8 6 0 0 .571 524 123.2 126 7 36 0 3 90 8 5 49 47 3.42 1.31
2012 11 11 0 0 0 0 5 0 0 .000 268 64.0 61 5 19 0 3 37 1 1 23 22 3.09 1.25
2013 MIL 33 5 0 0 0 3 3 1 0 .500 316 74.0 77 15 15 2 1 54 4 1 41 34 4.14 1.24
2014 6 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 38 8.2 11 2 1 0 0 8 1 0 7 7 7.27 1.38
2015 三星 25 25 1 0 -- 13 7 0 0 .650 688 165.0 154 16 51 0 7 117 6 0 66 62 3.38 1.24
MLB:4年 52 9 0 0 0 5 8 1 0 .385 506 114.1 129 21 34 4 2 83 7 1 73 64 5.04 1.43
NPB:2年 35 31 0 0 0 8 11 0 0 .421 792 187.2 187 12 55 0 6 127 9 6 72 69 3.31 1.29
KBO:1年 25 25 1 0 -- 13 7 0 0 .650 688 165.0 154 16 51 0 7 117 6 0 66 62 3.38 1.24
  • 2020年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]



投手(P)












2009 DET 5 0 2 0 0 1.000
2010 8 0 3 2 0 .600
2013 MIL 33 5 7 1 1 .923
2014 6 1 1 0 0 1.000
MLB 52 6 13 3 1 .864
  • 2020年度シーズン終了時

記録[編集]

NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号[編集]

  • 43 (2009年 - 2010年)
  • 42 (2011年 - 2012年)
  • 45 (2013年 - 2014年)
  • 44 (2015年、2017年)

脚注[編集]

  1. ^ Alfredo Figaro Named EL Pitcher of the Week”. Our Sports Central (2009年4月20日). 2010年12月18日閲覧。
  2. ^ THE BASEBALL CUBE Statistics”. thebaseballcube.com. 2010年12月18日閲覧。
  3. ^ オリックスがメジャー野手&投手獲得”. 日刊スポーツ (2010年12月18日). 2010年12月18日閲覧。
  4. ^ 【オリックス】フィガロの契約に不快感日刊スポーツ、2012年12月20日。
  5. ^ フィガロ選手に関する契約保留の放棄についてオリックス・バファローズオフィシャルサイト 2013年1月28日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]