尾崎匡哉

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尾崎 匡哉
NF-Masaya-Ozaki20100513.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県伊丹市
生年月日 (1984-06-02) 1984年6月2日(34歳)
身長
体重
182 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手内野手
プロ入り 2002年 ドラフト1巡目
初出場 2008年4月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

尾崎 匡哉(おざき まさや、1984年6月2日 - )は、兵庫県伊丹市出身の元プロ野球選手捕手内野手)。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

報徳学園高校時代は投手としても140km/h以上の直球を投げ、注目された。

2002年春の第74回選抜高等学校野球大会では遊撃手として出場し、大谷智久らと共に全国制覇に貢献。春夏連続出場となった第84回全国高等学校野球選手権大会では浦和学院に初戦敗退も、自身は須永英輝から初回先頭打者本塁打を放った。

高校通算21本塁打の大型内野手としての高いセンスをプロから評価され、2002年度ドラフト会議にて日本ハムファイターズから1巡目指名を受けて入団。

プロ入り後[編集]

入団以来2007年まで一軍出場はなかったが、二軍では毎年ほぼ全試合で起用されており、毎年打撃成績を伸ばしていた。2006年打率.275、本塁打7、2007年は打率.314、本塁打5を記録した。その一方で守備には難があり、二軍では遊撃手三塁手を中心に内野の全てのポジションで起用されているが、2005年には19失策、2006年は15失策、2007年は15失策を犯している。

2008年の春季キャンプでは捕手のポジションに挑戦することになったが、シーズンが始まって一軍に怪我人・不振の選手が続出したことにより、内野手として初の一軍昇格を果たした。2009年以降は捕手として登録されている。

私生活では2006年12月24日に結婚。2007年10月に長女が誕生。

2014年10月21日に球団より戦力外通告を受けた[1]。その後、現役を引退。

引退後[編集]

G.G.佐藤の父親が社長を務める株式会社トラバースに入社し、会社員として勤務[2]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2008 日本ハム 8 16 15 0 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 0 3 0 .133 .133 .133 .267
2010 9 15 14 2 3 2 0 0 5 0 0 0 0 0 1 0 0 3 2 .214 .267 .357 .624
2013 4 5 5 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .200 .200 .200 .400
2014 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- .--- .--- .---
通算:4年 25 36 34 2 6 2 0 0 8 1 0 0 1 0 1 0 0 8 2 .176 .206 .235 .441


年度別守備成績[編集]


捕手 一塁 三塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 試合数 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合数 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2008 - 1 2 0 0 0 1.000 5 1 5 0 0 1.000
2010 3 3 0 0 0 0 1.000 0 0 0 - 3 26 1 0 4 1.000 -
2013 - 3 8 2 0 1 1.000 1 0 0 0 0 .000
2014 2 1 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000 1 4 0 0 0 1.000 1 0 1 0 0 1.000
通算 5 4 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000 8 40 3 0 5 1.000 7 1 6 0 0 1.000

記録[編集]

背番号[編集]

  • 23 (2003年 - 2008年)
  • 53 (2009年 - 2014年)

脚注[編集]

  1. ^ 来季契約について日本ハム球団公式サイト2014年10月21日配信
  2. ^ 菊田康彦 元西武・星秀和引退、決め手は巨人・片岡との沖縄トレ (2015年1月15日)2015年2月9日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]