新谷嘉孝
表示
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 三重県伊勢市小俣町 |
生年月日 | 1954年8月6日 |
没年月日 | 2020年5月25日(65歳没) |
身長 体重 |
179 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1972年 ドラフト6位 |
初出場 | 1976年8月1日 |
最終出場 | 1983年7月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
|
新谷 嘉孝(しんや よしたか、1954年8月6日 - 2020年5月25日[1])は、三重県伊勢市小俣町出身のプロ野球選手(外野)。右投右打。1982年から1984年の登録名は『新谷 吉孝』(読み同じ)。
来歴・人物
[編集]三重高校では2年生の時、左翼手として1971年の春の選抜に出場。1回戦で近大付の投手・中司得三に抑えられ敗退[2]。同年夏の甲子園予選では三岐大会準決勝で長良高に敗れる。翌1972年の夏にも四番打者、中堅手として三岐大会決勝に進むが、海星高に惜敗、甲子園出場を逸する[3]。高校1期上に水谷新太郎がいる。
1972年のドラフト会議でロッテオリオンズから6位指名を受け入団[4]。
1982年、レロン・リーの出遅れもあってこの年監督に就任した山本一義にレギュラーに抜擢され、前期開幕戦には「8番打者・右翼手」でスタメン出場した。その後も打撃好調で、一時はヒットがすべて長打であった。しかし5月に入ると調子を落とし、6月以降は劔持貴寛に定位置を譲る。
1983年も準レギュラーとして起用されるが打撃が低迷。同年11月、欠端光則と共に右田一彦・竹之内徹との2対2の交換トレードで大洋に移籍した[4]。
1984年限りで現役引退した[4]。引退後は鹿児島に在住し、事業をしていた。
二軍生活が長かったころ、毎日夜はスナックで飲酒し、歌っていたことから「深夜の新谷」のあだ名があった。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1976 | ロッテ | 8 | 6 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .167 | .167 | .167 | .333 |
1978 | 6 | 3 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1979 | 43 | 70 | 67 | 8 | 13 | 1 | 1 | 0 | 16 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 12 | 0 | .194 | .229 | .239 | .467 | |
1981 | 53 | 68 | 64 | 12 | 12 | 3 | 0 | 1 | 18 | 3 | 1 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 14 | 1 | .188 | .224 | .281 | .505 | |
1982 | 70 | 242 | 211 | 32 | 54 | 16 | 2 | 4 | 86 | 18 | 3 | 1 | 7 | 1 | 23 | 0 | 0 | 36 | 5 | .256 | .328 | .408 | .735 | |
1983 | 44 | 101 | 88 | 9 | 15 | 2 | 0 | 1 | 20 | 5 | 0 | 0 | 7 | 0 | 4 | 0 | 2 | 14 | 2 | .170 | .223 | .227 | .451 | |
通算:6年 | 224 | 490 | 439 | 62 | 95 | 22 | 3 | 6 | 141 | 32 | 4 | 3 | 15 | 1 | 31 | 0 | 4 | 79 | 9 | .216 | .274 | .321 | .595 |
記録
[編集]- 初出場:1976年8月1日、対日本ハムファイターズ後期5回戦(札幌市円山球場)、9回裏に左翼手として出場
- 初先発出場:1976年8月19日、対南海ホークス後期8回戦 (大阪スタヂアム)、5番・左翼手として先発出場(偵察要員、1回表に代打・土肥健二と交代)
- 初安打・初打点:1976年10月13日、対近鉄バファローズ前期13回戦(後楽園球場)、7回裏に谷宏明から2点適時打
- 初本塁打:1981年7月21日、対近鉄バファローズ後期4回戦(石川県立野球場)、8回裏に柳田豊からソロ
背番号
[編集]- 55 (1973年 - 1983年)
- 40 (1984年)
登録名
[編集]- 新谷 嘉孝 (しんや よしたか、1973年 - 1981年)
- 新谷 吉孝 (しんや よしたか、1982年 - 1984年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 新谷嘉孝 - NPB.jp 日本野球機構