1971年の野球
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競技結果
[編集]日本プロ野球
[編集]ペナントレース
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日本シリーズ
[編集]| 日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
|---|---|---|---|---|---|
| 10月12日(火) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 2 - 1 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
| 10月13日(水) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 6 - 8 | 阪急ブレーブス | |
| 10月14日(木) | 移動日 | ||||
| 10月15日(金) | 第3戦 | 阪急ブレーブス | 1 - 3x | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
| 10月16日(土) | 第4戦 | 阪急ブレーブス | 4 - 7 | 読売ジャイアンツ | |
| 10月17日(日) | 第5戦 | 阪急ブレーブス | 1 - 6 | 読売ジャイアンツ | |
| 優勝:読売ジャイアンツ(7年連続15回目) | |||||
個人タイトル
[編集]| セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
| 最優秀選手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 長池徳二 | 阪急 | ||
| 最優秀新人 | 関本四十四 | 巨人 | 皆川康夫 | 東映 | ||
| 最優秀投手 | 平松政次 | 大洋 | ||||
| 沢村栄治賞 | 該当者なし | |||||
| 首位打者 | 長嶋茂雄 | 巨人 | .320 | 江藤慎一 | ロッテ | .337 |
| 最多本塁打 | 王貞治 | 巨人 | 39本 | 大杉勝男 | 東映 | 41本 |
| 最多打点 | 王貞治 | 巨人 | 101打点 | 門田博光 | 南海 | 120打点 |
| 最多盗塁 | 高田繁 | 巨人 | 38盗塁 | 福本豊 | 阪急 | 67盗塁 |
| 最多安打[1] | 長嶋茂雄 | 巨人 | 155安打 | 大杉勝男 | 東映 | 154安打 |
| 最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) | 王貞治 | 巨人 | 246出塁 | 江藤慎一 | ロッテ | .414 |
| 最優秀防御率 | 藤本和宏 | 広島 | 1.71 | 山田久志 | 阪急 | 2.37 |
| 最多勝利 | 平松政次 | 大洋 | 17勝 | 木樽正明 | ロッテ | 24勝 |
| 最多奪三振[1] | 江夏豊 | 阪神 | 267奪三振 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 269奪三振 |
| 最高勝率 | 坂井勝二 | 大洋 | .692 | 山田久志 | 阪急 | .786 |
ベストナイン
[編集]| セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
|---|---|---|---|---|
| 守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
| 投手 | 平松政次 | 大洋 | 山田久志 | 阪急 |
| 捕手 | 木俣達彦 | 中日 | 野村克也 | 南海 |
| 一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 大杉勝男 | 東映 |
| 二塁手 | 国貞泰汎 | 広島 | 山崎裕之 | ロッテ |
| 三塁手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 有藤通世 | ロッテ |
| 遊撃手 | 藤田平 | 阪神 | 阪本敏三 | 阪急 |
| 外野手 | 柴田勲 | 巨人 | 長池徳二 | 阪急 |
| 高田繁 | 巨人 | G.アルトマン | ロッテ | |
| 水谷実雄 | 広島 | 門田博光 | 南海 | |
オールスターゲーム
[編集]→詳細は「1971年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
[編集]- 第43回選抜高等学校野球大会優勝:日大三(東京都)
- 第53回全国高等学校野球選手権大会優勝:桐蔭学園(神奈川県)
大学野球
[編集]社会人野球
[編集]- 第42回都市対抗野球大会優勝:新日鐵広畑
- 第21回日本産業対抗野球大会優勝:全大昭和製紙
メジャーリーグ
[編集]→詳細は「1971年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ピッツバーグ・パイレーツ(ナ・リーグ)(4勝3敗)ボルチモア・オリオールズ(ア・リーグ)
できごと
[編集]1月
[編集]- 1月11日
- セ・リーグ理事会が12時から東京・銀座の連盟事務所にて行われ、大洋が荒川堯をヤクルトへトレードした件について討議。その結果、トレードは野球協約には抵触しない事、大洋・ヤクルト間で密約はなく野球協約による処分の対象とはしない、と確認した。しかし、社会的影響、道義的な面からの措置をセ・リーグ会長の鈴木龍二に一任することになった[2]。
- プロ野球コミッショナー委員会が10時から東京・銀座の事務所にて開かれ、南海の三浦清弘に対し、1968年8月に当時南海の佐藤公博から八百長を勧誘され、その場で断ったものの球団に報告する義務を怠ったとして、パ・リーグ会長の岡野祐から昨年12月15日付で処分の申請が出ていた件に関して、戒告処分とすると決定[3]。
- 1月13日 - セ・リーグ会長の鈴木龍二は荒川問題に関して、野球協約には違反しないがドラフト会議の精神に反するとして、会長権限内でヤクルトに対し5月20日まで公式戦の出場を見合わせるよう勧告すると明らかにした。コミッショナー委員会は、ヤクルトが会長勧告を無視した場合、委員会独自の強制措置を執るとした[4]。
- 1月16日 - ヤクルトは、内臓疾患で6か月の療養が必要となった石戸四六を保留選手とすることを決定[5]。
- 1月25日 - ロッテ製菓は14時より東京・新宿のロッテ本社にて役員会議を開き、ロッテオリオンズの経営を引き受けることを決定[6]。17時より東京球場食堂にてロッテの選手、職員らが集まり、オーナーの永田雅一が別れの挨拶[7]。この後、新たにオーナーに就任した中村長芳が記者会見し、「2月25日の株主総会で毎日大映球団の名称をロッテ・オリオンズ球団とする」と発表。
- 1月26日 - ヤクルトのオーナーの松園尚巳が14時半から神宮球場のクラブハウスにて記者会見し、荒川問題に関してセ・リーグ会長からの勧告を受け入れ「球団独自の裁断で、荒川選手の公式戦開幕から一か月、遠慮させる」と発表。荒川は5月10日の巨人戦から公式戦に出場できる。これにより荒川問題は決着を見た[8]。
3月
[編集]4月
[編集]- 4月6日 - 選抜高等学校野球大会の決勝戦が行われ、東京都の日大第三高校が大阪府の大鉄に2対0で勝利し、大会初優勝[11]。
- 4月10日
- 4月11日 - 巨人の長嶋茂雄が後楽園球場での対広島ダブルヘッダー第1試合の2回戦の3回裏に安打を打ち、プロ通算3500塁打を達成。山内一弘、野村克也、川上哲治に次いで史上4人目[15]。
- 4月14日 - 巨人の長島茂雄が中日球場での対中日3回戦の9回表に2号ソロ本塁打を打ち、プロ通算350本塁打を達成。野村克也、王貞治、山内一弘に次いでプロ野球史上4人目[16]。
- 4月18日
- 4月24日
- 4月29日 - ロッテの江藤慎一が大阪スタヂアムでの対南海四回戦に先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成。史上37人目[21]。
5月
[編集]- 5月1日 - 南海の野村克也が大阪球場での対近鉄3回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成。史上5人目[22]。
- 5月3日
- 5月4日 - 元早稲田大学総長の大浜信泉がコミッショナーに就任することが決定し、12時から東京・大手町のパレス・ホテルにて記者会見[27]。
- 5月5日 - 南海の広瀬叔功が平和台球場での対西鉄4回戦の二回表に二塁盗塁し、日本プロ野球史上初の通算500盗塁を達成[28]。
- 5月6日 - 中日の小山日出夫とロッテの迫田七郎のトレードが成立したと中日が発表[29]。
- 5月9日 - 阪急は西宮球場での対南海5回戦に10-2で勝利し、1964年以来7年ぶりの10連勝を達成[30]。
- 5月11日 - 阪急は西宮球場での対近鉄4回戦に3-4で敗れ、連勝は10で止まる[31]。
- 5月12日
- 5月20日
- 5月22日 - ロッテの醍醐猛夫が平和台球場での対西鉄7回戦で4打席連続三振を記録[37]。
- 5月23日
- 5月25日 - 巨人の長島茂雄が神宮球場での対ヤクルト9回戦の八回表に安打を打ち、プロ通算2000安打を達成。史上5人目[41][42]。
- 5月26日
- 5月28日
- 5月29日
- 5月30日
6月
[編集]- 6月1日 - ロッテは東京球場での対近鉄9回戦の1回裏にジョージ・アルトマンが6号満塁本塁打を打ち、プロ野球タイ記録の17試合連続本塁打を達成[51]。
- 6月2日 - ロッテは東京球場での対近鉄10回戦で6-4で勝利し、1960年以来11年ぶりの10連勝を達成。本塁打がゼロに終わり、連続試合本塁打の記録は17試合で止まる[52]。
- 6月3日 - ロッテは東京球場での対近鉄11回戦に4-5で敗れ、連勝が10で止まる[53]。
- 6月5日 - 阪急は後楽園球場での対東映ダブルヘッダー第1試合の9回戦に7-0、第2試合の10回戦に6-0で勝利し、今季2度目の10連勝を達成[54]。
- 6月7日 - 西鉄はカール・ボレスを任意引退選手にすると発表[55]。
- 6月8日 - 東映の張本勲が平和台球場での対西鉄7回戦の二回表に適時打を打ち、プロ通算1000打点を達成。史上8人目[56]。
- 6月10日
- 6月11日 - 阪急は西宮球場での対ロッテ8回戦に8-6で勝利し、球団新記録となる14連勝を達成[60]。
- 6月15日
- 東京球場でのロッテ対南海8回戦で
- 南海のクラレンス・ジョーンズが4回表に9号ソロ本塁打を打ち、5試合連続堡塁打を達成。外国人選手では史上初[61]。
- ロッテの醍醐猛夫が8回裏に中前安打を打ち、プロ通算1000安打を達成。史上77人目[62]。
- 東京球場でのロッテ対南海8回戦で
- 6月16日 - 阪急は日生球場での対近鉄10回戦に0-4で敗れ、連勝が15で止まる[63]。
- 6月19日 - ロッテの小山正明が東京球場での対西鉄12回戦の六回表に基満男から三振を奪い、プロ通算3000奪三振を達成。金田正一に次いで史上2人目[64]。
- 6月20日 - 阪急の足立光宏が後楽園球場での対東映14回戦の0-0の8回裏から救援登板、先頭打者の代打三沢今朝治に3号ソロ本塁打を打たれ、続く萩原千秋に右翼線二塁打を打たれて降板、試合は阪急が0-2で敗れたため、昨季から続いていた連勝が17で止まる[65]。
- 6月22日 - 阪神の藤井栄治が甲子園球場での対広島12回戦で2安打を打ち、プロ通算1000安打を達成。史上78人目[66]。
- 6月24日 -
- 6月25日 - ロッテのジョージ・アルトマンが平和台球場での対西鉄15回戦の四回表に15号本塁打を打ち、日本プロ野球通算100本塁打を達成。史上62人目、外国人選手では史上6人目[69]。
- 6月29日 - ヤクルトは宮原秀明を近鉄へ金銭トレードすると発表[70]。
7月
[編集]- 7月2日
- 7月3日
- 7月4日
- ロッテの醍醐猛夫が後楽園球場での対東映11回戦の3回裏の第一打席で7号ソロ本塁打を打ち、前日の試合の3打席連続本塁打と合わせ、4打席連続本塁打の日本プロ野球タイ記録を達成[76]。
- 西京極球場での近鉄対阪急ダブルヘッダー第1試合の17回戦で
- 近鉄の先発・佐々木宏一郎が1回表に福本豊から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成。史上40人目[77]。
- 阪急の長池徳二が2安打し、30試合連続安打を達成[78]。
- 近鉄は10回表、この回に登板した神部年男、岡田光雄で6者連続与四死球のパ・リーグワースト新記録、神部は1イニング4者連続四死球のパ・リーグタイ記録[79]。芝池博明が先頭の福本豊に四球の後、犠打と盗塁で一死三塁となりここで神部年男に交代。住友平と長池を連続敬遠し満塁策を取ったが、続く岡田幸喜、森本潔と連続で四球で押し出し、ここで神部から岡田光雄に交代するが岡田も石井晶、正垣宏倫と連続四死球で押し出し。続く山口富士夫が犠飛で1点加点し、阪急はこの回で無安打、打数なしで5打点を挙げた[79][80]。
- 阪急の長池徳二が対近鉄ダブルヘッダー第2試合の18回戦の1回表に中前安打し、31試合連続安打のプロ野球タイ記録を達成[78]。
- 7月6日
- 7月7日 - 阪急の長池徳二が西京極球場での対西鉄14回戦で4打数無安打に終わり、連続試合安打が32試合で止まる[83]。山口富士夫が7回表の守備から出場し、プロ通算1000試合出場を達成。史上152人目[84]。
- 7月8日 - ロッテの榎本喜八が東京球場での対近鉄16回戦の五回裏に二塁打を打ち、プロ通算3500塁打を達成。史上5人目[85]。
- 7月13日 - ロッテは西宮球場での対阪急10回戦の7回表に、ロッテの打者の江藤慎一へのツーストライク・ワンボールからの第4球目の判定をストライクと判定されたことに対して猛抗議し、試合放棄。江藤への判定の直後に三塁ベースコーチの矢頭高雄が主審の砂川恵玄を突き飛ばして暴力行為で退場処分を受け、ロッテ・ベンチは約33分猛抗議をした後ロッテの選手全員がダグアウトへ引き上げる。約33分後審判と阪急ナインがポジションに戻り主審の砂川が試合再開をコールするが、ロッテの打者ジョージ・アルトマンがコールした後1分間打席に立たなかったため球審は没収試合を宣告し、ロッテの放棄試合となった[86]。
- 7月15日 - 南海の小池兼司が小倉球場での対西鉄16回戦の9回表に1号ソロ本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成。史上64人目[87]。村上雅則が9回表に3号ソロ本塁打、8日対東映16回戦の1号、11日対ロッテダブルヘッダー第1試合の16回戦の2号と合わせ、投手として史上初めて3試合連続本塁打を打つ[88]。
- 7月17日 - オールスターゲーム第1戦が西宮球場で行われ全セ先発の阪神タイガース・江夏豊が9連続奪三振を達成。全セはその後継投でオールスターゲーム初のノーヒットノーランを達成[89]。
- 7月21日
- 7月23日 - ロッテは東京球場での対阪急14回戦の試合終了後に記者会見を行い、監督の濃人渉監督が二軍監督へ降格、二軍監督の大沢啓二が一軍の監督に就任したと発表[92]。
- 7月28日 - 巨人の柴田勲が広島市民球場での対広島ダブルヘッダー第2試合の17回戦の9回表に三塁盗塁を決め、プロ通算350盗塁を達成。史上8人目[93]。
- 7月29日 - 近鉄の土井正博が東京球場での対ロッテ19回戦の8回表に23号ソロ本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成。史上17人目[94]。
- 7月31日
8月
[編集]- 8月1日
- 8月3日
- 8月5日 - ロッテの江藤慎一が東京球場での対東映17回戦の2回裏に21号ソロ本塁打を打ち、プロ通算300本塁打を達成。史上6人目[102]。
- 8月8日 - 阪急の米田哲也が西宮球場での対東映ダブルヘッダー第2試合の20回戦に登板し、8回表に東映の末永吉幸から三振を奪い、金田正一、小山正明に次いで史上3人目のプロ通算3000奪三振を達成[103]。
- 8月11日 - ロッテの江藤慎一が東京球場での対南海18回戦の2回裏に23号満塁本塁打を打ち、これで1シーズン3本目の満塁本塁打となり、パ・リーグの1シーズン最多満塁本塁打のタイ記録を達成。また、通算11本目の満塁本塁打となり、野村克也と並ぶ日本プロ野球タイ記録を達成[104]。
- 8月12日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対ヤクルト20回戦の6回裏に35号満塁本塁打を打ち、これで通算10本目の満塁本塁打となり、セ・リーグ新記録となる[105]。
- 8月14日 - 南海の野村克也が西京極球場での対阪急ダブルヘッダー戦第二試合の19回戦で1962年以来一塁手として先発出場、三回から右翼に回る[106]。
- 8月15日 - 中日の菱川章が中日球場での対ヤクルト20回戦の9回裏一死一塁の場面で代打で登場し、12号逆転サヨナラ2点本塁打を打ち中日が3-2で勝利[107][108]。
- 8月16日 - 第53回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園球場にて行われ、神奈川県の桐蔭学園高校が福島県の磐城に1対0で勝利し、大会初出場で初優勝達成[109]。
- 8月17日
- 8月19日 - 広島の藤本和宏が広島球場での対中日ダブルヘッダー第2試合の21回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成。史上19人目、21回目。広島では1968年に完全試合を達成した外木場義郎以来2人目[113]。
- 8月21日 - 東映の高橋善正が後楽園球場での対西鉄戦19回戦に先発し、完全試合を達成[114]。
- 8月22日 - ヤクルトの外山義明が神宮球場での対大洋ダブルヘッダー第2試合の19回戦に1番・投手で出場[115]。
- 8月25日 - 東映は東映株式会社臨時総会でさる17日に亡くなったオーナーの大川博の後任に、大川毅に決定したと発表[116]。
- 8月26日 - 南海の野村克也が神宮球場での対東映22回戦の4回表に右翼線安打を打ち、山内一弘に次いで史上2人目のプロ通算4000塁打を達成[117]。
9月
[編集]- 9月1日 - ロッテは翌年春に渡米し大リーグと12試合のオープン戦を行うと発表[118]。
- 9月2日 - 中日球場で行われた中日対巨人23回戦の三回裏、中日の高木守道が巨人先発の堀内恒夫の投球を頭部に受け死球となり、これに怒った高木が堀内にヘルメットを投げつけて堀内の右肩にぶつかり、高木、堀内がともに負傷で試合を退く[119]。
- 9月6日 - 巨人の菅原勝矢が神宮球場での対ヤクルト25回戦に先発し、ヤクルトを6回までノーヒットに抑えるも、試合は7回表に降雨コールドゲームとなり4-0で巨人の勝利、菅原の投球は参考記録に[120]。
- 9月9日 - 近鉄の鈴木啓示が日生球場での対西鉄26回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[121]。
- 9月10日 - 南海の野村克也が大阪スタヂアムでの対近鉄16回戦の六回裏に二塁打を打ち、山内一弘の持つ通算4015塁打の記録を更新する通算4017塁打となる。さらに八回裏にも安打を放ち、この試合で4018塁打と記録を伸ばす[122]。
- 9月19日
- 9月22日 - 大洋の近藤昭仁が川崎球場での対巨人25回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成。史上41人目[125]。
- 9月23日 - 巨人が後楽園球場での対阪神25回戦に7-1と勝利し、7年連続セ・リーグ優勝を達成[126][127]。
- 9月24日 - 阪急の米田哲也が西宮球場での対近鉄26回戦に7回から登板し、プロ通算800試合登板を達成。史上4人目[128]。
- 9月28日
10月
[編集]- 10月2日 - 阪急の米田哲也が西宮球場での阪急対西鉄戦23回戦で1失点完投勝利して14勝目を挙げ、プロ通算300勝を達成。史上5人目[133]。
- 10月4日 - 近鉄の佐々木宏一郎が日生球場での対南海ダブルヘッダー第2試合の24回戦に先発して2-1で完投勝利し、プロ通算100勝を達成。史上55人目[134]。
- 10月6日
- 10月7日 - ロッテオーナーの中村長芳とヤクルトオーナーのの松園尚巳が東京・千代田区のホテルニューオータニにて20時より記者会見し、ロッテのアルト・ロペスとヤクルトの外山義明のトレードが成立したと発表[136]。
- 10月8日
- 10月9日
- 10月17日 - 日本シリーズ第5戦が後楽園で行われ、巨人が阪急ブレーブスに6対1で勝利し、4勝1敗として7年連続日本シリーズ優勝達成[143]。
- 10月18日 - プロ野球のセ・パ両リーグの最優秀選手賞、最優秀新人賞、ベストナインを決めるプロ野球担当記者の投票が10時に東京・銀座のコミッショナー事務局にて行われ、最優秀選手賞はセ・リーグは巨人の長嶋茂雄が、パ・リーグは阪急の長池徳二が選出される。長嶋は1965年野村克也以来の満票。最優秀新人にセ・リーグは巨人の関本四十四が、パ・リーグは皆川康夫が選ばれる[144]。
- 10月19日 - 大洋は14時より東京・丸ノ内の球団事務所にて青田昇がヘッドコーチ兼打撃コーチに就任したと発表[145]。
- 10月20日
- 10月23日 - ロッテは坪内道典が二軍監督に就任したと発表[148]。
- 10月25日 - 阪急は前阪神の本屋敷錦吾が守備コーチに就任したと発表[149]。
- 10月26日 - 近鉄の山田勝国とヤクルトの溜池敏隆の交換トレードが成立したと近鉄、ヤクルト両球団が発表[150]。
11月
[編集]- 11月1日 - 近鉄は飯田幸夫と中日の一枝修平の交換トレードが成立したと発表[151]。
- 11月2日 - 日米野球第7戦、ボルチモア・オリオールズ対読売ジャイアンツ戦においてパット・ドブソンが、巨人に二塁も踏ませない3与四球によるノーヒットノーランを達成[152]。
- 11月4日 - 近鉄は野球評論家の豊田泰光が打撃コーチに就任したと発表[153]。
- 11月8日 - 南海は大阪・なんばの球団事務所にて皆川睦雄が引退したと発表[154]。
- 11月11日 - 阪神は来年度の首脳陣を発表。一軍ヘッドコーチに球団OBの金田正泰、二軍投手コーチの柿本実が一軍投手コーチ、スコアラー、用具係の久保征弘が二軍投手コーチに就任した[155]。
- 11月18日 - 大洋の新井昌則とロッテの佐藤元彦の交換トレードが成立し、大洋は、ロッテはそれぞれ球団事務所にて新井、佐藤の入団を発表[156]。
- 11月19日 - プロ野球新人選択会議が11時から東京・有楽町の日生会館にて行われる[157]。
- 11月26日 - プロ野球第二回選抜選手会議が12時から東京・有楽町の日生会館にて行われる、12球団から選抜された133選手中17選手が9球団から指名された[158]。
- 11月27日 - ロッテと西鉄は榎本喜八と村上公康のトレードを発表[159]。
12月
[編集]- 12月1日 - 阪急の岡村浩二・阪本敏三・佐々木誠吾と東映の種茂雅之・大橋穣のトレードが成立したと阪急、東映両球団が正式に発表[160]。
- 12月3日 - 巨人は城之内邦雄の退団が決定[161]。
- 12月24日
- ロッテのオーナーの中村長芳オーナーがホテル・ニューオタニにて記者会見し、サンディエゴ・パドレスの傘下にあり、カリフォルニア・リーグに属するA級のローダイ・パドレスを買収し、「ローダイ・オリオンズ」とすることを発表。ローダイの選手はボルチモア・オリオールズ支配下のA級チームの選手を預託の形で借り受け、オリオールズとも提携を取る[162]。
- 東映は江本孟紀・佐野嘉幸と南海の高橋博のトレードを発表。
誕生
[編集]1月
[編集]2月
[編集]3月
[編集]4月
[編集]5月
[編集]6月
[編集]7月
[編集]8月
[編集]9月
[編集]10月
[編集]11月
[編集]12月
[編集]死去
[編集]出典
[編集]- 1 2 当時連盟表彰なし
- ↑ 読売新聞1971年1月12日11面「荒川問題 鈴木セ会長に一任 "道義的な面から措置を"」読売新聞縮刷版1971年1月p313
- ↑ 読売新聞1971年1月12日11面「三浦(南海)戒告処分 コミッショナー委」読売新聞縮刷版1971年1月p313
- ↑ 読売新聞1971年1月14日11面「荒川(ヤクルト)5月まで出場不能か 球団に”自粛”勧告へ 無視すれば強制措置 セ・リーグ会長」読売新聞縮刷版1971年1月p377
- ↑ 読売新聞1971年1月17日11面「告知板」読売新聞縮刷版1971年1月p462
- ↑ 毎日新聞1971年1月26日15面「ロッテ製菓が引受ける 永田さんは名誉会長に オーナーは中村氏」毎日新聞縮刷版1971年1月p709
- ↑ 毎日新聞1971年1月26日18面「永田さん、ロッテナインと涙の別れ 『私の魂は愛するキミたちに生きている』」毎日新聞縮刷版1971年1月p712
- ↑ 読売新聞1971年1月27日11面「荒川の出場辞退決定」読売新聞縮刷版1971年1月p767
- ↑ 毎日新聞1971年3月7日15面「宮沢コミッショナー辞任 三月任期切れ 金子、中松委員も」毎日新聞縮刷版1971年3月p205
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- ↑ 毎日新聞1971年4月6日夕刊1面「日大三高が初優勝 センバツ 14年ぶりに東京の紫紅の大旗 大鉄高を完封 連投渡部の左腕さえる」毎日新聞縮刷版1971年4月p175
- ↑ 毎日新聞1971年4月10日夕刊3面「プロ野球が始まった わたしの春だ」毎日新聞縮刷版1971年4月p305
- ↑ 読売新聞1971年4月11日10面「ネット裏 初回ホーマー男三村」読売新聞縮刷版1971年4月p461
- ↑ 毎日新聞1971年4月11日14面「鈴木100勝、ロッテ降参 終盤の急追も今一歩 田のみの木樽が6回もたず」毎日新聞縮刷版1971年1月p326
- ↑ 日刊スポーツ1971年4月12日2面「長島、4人目の偉業」
- ↑ 読売新聞1971年4月15日11面「史上4人目の350号」読売新聞縮刷版1971年4月p461
- ↑ 毎日新聞1971年4月19日15面「王乗った 450号飾る3,4号」毎日新聞縮刷版1971年4月p581
- ↑ 毎日新聞1971年4月19日15面「足立が通算百勝に」毎日新聞縮刷版1971年4月p581
- ↑ 毎日新聞1971年4月25日15面「張本が300号」毎日新聞縮刷版1971年4月p781
- ↑ 読売新聞1971年4月25日11面「足立、奪三振千を記録」読売新聞縮刷版1971年4月p803
- ↑ 毎日新聞1971年4月30日15面「江藤が千五百試合」毎日新聞縮刷版1971年4月p945
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- ↑ 毎日新聞1971年5月4日18面「連敗東映 1度"死んで"豪打復活 10回怒りの5連続ホーマー "ゲームセット"から大逆襲」毎日新聞縮刷版1971年5月p93
- ↑ 読売新聞1971年5月4日11面「奮起の5連続ホーマー 1イニングプロ新記録 作道1号、大下2号、大橋5号、張本5号、大杉6号 東映、9連敗でストップ」読売新聞縮刷版1971年5月p39
- ↑ 毎日新聞1971年5月4日18面「水谷寿、自ら決勝の快打 12回」毎日新聞縮刷版1971年5月p93
- ↑ 毎日新聞1971年5月4日18面「巨人12連勝 柴田花そえる100号」毎日新聞縮刷版1971年5月p93
- ↑ 毎日新聞1971年5月5日15面「79歳『引受けました』プロ野球の新コミッショナー 『無用の長物でありたいネ』大浜さん」毎日新聞縮刷版1971年5月p133
- ↑ 読売新聞1971年5月6日夕刊9面「広瀬新記録の五百一盗塁」読売新聞縮刷版1971年5月p133
- ↑ 毎日新聞1971年5月7日15面「迫田投手と小山捕手を交換 ロッテと中日」毎日新聞縮刷版1971年5月p165
- ↑ 読売新聞1971年5月10日11面「阪急、7年ぶりの10連勝 堂々首位守る 南海を4連破 長池が満塁アーチ」読売新聞縮刷版1971年5月p243
- ↑ 読売新聞1971年5月12日11面「"快速阪急"ストップ 近鉄、執念の逆転 紙一重の激戦続く」読売新聞縮刷版1971年5月p303
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- ↑ 読売新聞1971年5月21日11面「代打、満塁、逆転、サヨナラ1号 史上3人目の快挙 広野、北陸ファン酔わす」読売新聞縮刷版1971年5月p595
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- ↑ 読売新聞1971年5月24日11面「1イニング8連続安打 ロッテがパ・リーグ新」読売新聞縮刷版1971年5月p691
- ↑ 毎日新聞1971年5月24日15面「柴田が千試合出場」毎日新聞縮刷版1971年5月p689
- ↑ 読売新聞1971年5月24日11面「広島11年ぶり9連勝」読売新聞縮刷版1971年5月p691
- ↑ 読売新聞1971年5月26日11面「長島、2,000本安打 堂々、史上5人目の偉業」読売新聞縮刷版1971年5月p751
- ↑ 毎日新聞1971年5月26日15面「出ました2000+1安打 長島 ヤクルト、サヨナラでうっぷん 10回、溜池が闘志のアーチ」毎日新聞縮刷版1971年5月p753
- ↑ 読売新聞1971年5月27日11面「広島球団初の10連勝」読売新聞縮刷版1971年5月p785
- ↑ 読売新聞1971年5月27日11面「西鉄は10連敗初体験」読売新聞縮刷版1971年5月p785
- ↑ 読売新聞1971年5月28日11面「オールスター戦の出場辞退者は処分」読売新聞縮刷版1971年5月p855
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- ↑ 毎日新聞1971年5月30日15面「阪急さん『参りました』上田(南海)"パ・新のご難"」毎日新聞縮刷版1971年5月p887
- ↑ 毎日新聞1971年5月30日15面「ヤクルトが広島止める」毎日新聞縮刷版1971年5月p887
- ↑ 毎日新聞1971年5月31日15面「満塁ホーマー、中前打、2ラン 投手・成田 大当たり」毎日新聞縮刷版1971年5月p915
- ↑ 読売新聞1971年5月31日10面「西鉄、やっと地獄を逃げ出す 高橋明、久々の勝ち星」読売新聞縮刷版1971年5月p918
- ↑ 読売新聞1971年6月2日11面「近鉄憂うつ アルトマンが満塁6号 ロッテ"17試合連発(プロ野球タイ)"に」読売新聞縮刷版1971年5月p45
- ↑ 毎日新聞1971年6月3日15面「ロッテ破竹の10連勝 連続試合本塁打 日本記録はならず」毎日新聞縮刷版1971年5月p77
- ↑ 毎日新聞1971年6月4日14面「ロッテ、11連勝ならず 近鉄 山田が決勝ホーマー」毎日新聞縮刷版1971年5月p106
- ↑ 毎日新聞1971年6月6日15面「終点『勝利』まで通過しまぁす 超特急阪急号 10連勝(2度目)で30勝」毎日新聞縮刷版1971年5月p171
- ↑ 毎日新聞1971年6月8日15面「蒸発ボレスついに"クビ" 西鉄 待遇改善要求に『ワガママはダメ』」毎日新聞縮刷版1971年5月p229
- ↑ 毎日新聞1971年6月9日15面「張本1000打点 史上8人目 河原から奪う」毎日新聞縮刷版1971年5月p263
- ↑ 読売新聞1971年6月11日11面「衣笠、5試合連続ホーマー タイ記録 セ・3人目」読売新聞縮刷版1971年6月p325
- ↑ 読売新聞1971年6月11日11面「高田の大飛球 観客がさらう "守備妨害"アウト」読売新聞縮刷版1971年6月p325
- ↑ 毎日新聞1971年6月11日15面「ノンストップ阪急、13駅通過 30年ぶり」毎日新聞縮刷版1971年6月p331
- ↑ 毎日新聞1971年6月12日19面「阪急、豪快にうっちゃる 激突"両横綱" 軍配まず西へ」毎日新聞縮刷版1971年6月p365
- ↑ 毎日新聞1971年6月16日15面「外人選手では初めて ジョーンズの記録」毎日新聞縮刷版1971年6月p489
- ↑ 毎日新聞1971年6月16日15面「醍醐が1000安打」毎日新聞縮刷版1971年6月p489
- ↑ 読売新聞1971年6月17日11面「ヤヤッ 阪急がとまった 16連勝ならず 清(近鉄)"猛烈打線"を完封」読売新聞縮刷版1971年6月p515
- ↑ 毎日新聞1971年6月20日15面「ストラック・アウト!!3000個 小山『金田に次ぐ男』に」毎日新聞縮刷版1971年6月p617
- ↑ 毎日新聞1971年6月21日15面「常勝足立"6球のツユ" 三沢、右翼へ突刺す 『一打席にかける男』 すごい切れ味」毎日新聞縮刷版1971年6月p645
- ↑ 読売新聞1971年6月23日11面「藤井(阪神)が千本安打」読売新聞縮刷版1971年6月p713
- ↑ 読売新聞1971年6月25日11面「海外メモ」読売新聞縮刷版1971年6月p785
- ↑ 読売新聞1971年6月25日11面「SBO 野球は眼力だ『長島』 『本塁打なら‥‥』瞬間の明暗」読売新聞縮刷版1971年6月p785
- ↑ 読売新聞1971年6月26日11面「アルトマン通算百号」読売新聞縮刷版1971年6月p821
- ↑ 読売新聞1971年6月30日11面「宮原(ヤクルト)近鉄へ移籍」読売新聞縮刷版1971年6月p953
- ↑ 毎日新聞1971年7月3日17面「『ワンちゃん、お先に』野村500号」毎日新聞縮刷版1971年7月p87
- ↑ 読売新聞1971年7月3日11面「遠井(阪神)は通算百号」読売新聞縮刷版1971年7月p91
- ↑ 毎日新聞1971年7月4日17面「ウイニングボール300個 小山、史上四人目の男に」毎日新聞縮刷版1971年7月p125
- ↑ 毎日新聞1971年7月4日17面「樋口が千試合出場」毎日新聞縮刷版1971年7月p125
- ↑ 毎日新聞1971年7月4日17面「醍醐が3打席連続ホーマー」毎日新聞縮刷版1971年7月p125
- ↑ 毎日新聞1971年7月5日13面「これが野球の"ダイゴ味"です 醍醐4連発」毎日新聞縮刷版1971年7月p143
- ↑ 毎日新聞1971年7月5日13面「佐々木千三振奪取」毎日新聞縮刷版1971年7月p143
- 1 2 読売新聞1971年7月5日11面「3日連続、パは記録ラッシュ 長池、醍醐が日本タイ」読売新聞縮刷版1971年7月p157
- 1 2 毎日新聞1971年7月5日13面「こちら恥ずかしい日本新 近鉄の神部と岡田が6連続四死球」毎日新聞縮刷版1971年7月p143
- ↑ 読売新聞1971年7月5日11面「第1 近鉄投手陣大荒れ」読売新聞縮刷版1971年7月p157
- 1 2 毎日新聞1971年7月7日17面「ハデにやったな!!ミスター・ブレーブス 25年のカベ破る『32試合連続安打』祝砲22・23・24号」毎日新聞縮刷版1971年7月p207
- ↑ 毎日新聞1971年7月7日17面「和田、千五百試合出場」毎日新聞縮刷版1971年7月p207
- ↑ 毎日新聞1971年7月8日17面「無念!! ミスター・ブレーブス 『32』で快音とまる 連続試合安打 ニガ手・河原に降参」毎日新聞縮刷版1971年7月p241
- ↑ 毎日新聞1971年7月8日17面「山口が千試合出場」毎日新聞縮刷版1971年7月p241
- ↑ 読売新聞1971年7月9日11面「榎本が三千五百塁打 長島らにつぎ史上5人目 プロ入り17年目で」読売新聞縮刷版1971年7月p287
- ↑ 毎日新聞1971年7月14日17面「ロッテ、試合放棄 首位攻防、最悪の幕切れ」毎日新聞縮刷版1971年7月p435
- ↑ 読売新聞1971年7月16日10面「南海・小池が百号」読売新聞縮刷版1971年7月p514
- ↑ 毎日新聞1971年7月16日13面「三試合連続ホーマー 投打に気をはく村上」毎日新聞縮刷版1971年7月p507
- ↑ 毎日新聞1971年7月18日19面「江夏ひとり"野手いりまへんで"投げて連続9三振 打って3ラン」毎日新聞縮刷版1971年7月p587
- ↑ 毎日新聞1971年7月22日13面「放棄試合 ロッテに"おきゅう"制裁金二百万円 濃人監督十五万円 阪急の損害賠償」毎日新聞縮刷版1971年7月p701
- ↑ 毎日新聞1971年7月22日13面「裁定には謹んで だが審判不問とは・・中村オーナー会見」毎日新聞縮刷版1971年7月p701
- ↑ 毎日新聞1971年7月24日17面「ロッテ、濃人監督を斬る」毎日新聞縮刷版1971年7月p769
- ↑ 読売新聞1971年7月29日11面「柴田が350盗塁」読売新聞縮刷版1971年7月p917
- ↑ 毎日新聞1971年7月30日17面「近鉄土井が二百号」毎日新聞縮刷版1971年7月p955
- ↑ 毎日新聞1971年8月1日19面「タイ記録もすでに二度 ロッテの連続試合本塁打」毎日新聞縮刷版1971年8月p19
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- ↑ 毎日新聞1971年8月2日13面「西本・阪急 0 大沢・ロッテ 再びスタートラインへ 1点差で追撃かわす 前半の大量点 救援小山が死守」毎日新聞縮刷版1971年8月p37
- ↑ 毎日新聞1971年8月2日13面「奇跡が奇跡でなくなった 常識破った大沢野球 バット・プラス・アルファ」毎日新聞縮刷版1971年8月p37
- ↑ 毎日新聞1971年8月2日13面「小山、八百試合登板」毎日新聞縮刷版1971年8月p37
- ↑ 毎日新聞1971年8月4日16面「大沢監督と5年契約 ロッテが異例の発表」毎日新聞縮刷版1971年8月p100
- ↑ 毎日新聞1971年8月4日1面「姫路、二度目の優勝 都市対抗野球 松山を逆転」毎日新聞縮刷版1971年8月p85
- ↑ 毎日新聞1971年8月6日17面「江藤が300号 史上六人目」毎日新聞縮刷版1971年8月p165
- ↑ 毎日新聞1971年8月9日17面「勝負きめ『さあ三振のほうを』米田 ドロ沼脱出に全力投球 」毎日新聞縮刷版1971年8月p251
- ↑ 毎日新聞1971年8月12日17面「"満塁屋" 江藤が23号 通算11本(日本タイ) 今季3本 (パのタイ)」毎日新聞縮刷版1971年8月p349
- ↑ 毎日新聞1971年8月13日13面「セも大繁盛”満塁屋”王35号 リーグ新の10本目」毎日新聞縮刷版1971年8月p379
- ↑ 読売新聞1971年8月15日11面「野村監督、初の右翼手」読売新聞縮刷版1971年8月p411
- ↑ 読売新聞1971年8月15日10面「菱川(中日)代打逆転サヨナラ12号」読売新聞縮刷版1971年8月p438
- ↑ 毎日新聞1971年8月16日13面「監督見返す一発」毎日新聞縮刷版1971年8月p467
- ↑ 朝日新聞1971年8月16日夕刊1面「桐蔭、初出場で初優勝 二年連続で神奈川へ 磐城を完封で下す 全国高校野球」朝日新聞縮刷版1971年8月p487
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- ↑ 読売新聞1971年9月11日11面「野村、輝く塁打日本新 山内破る4018 努力の2092試合(17シーズン) 現役2位天才長島に269差」読売新聞縮刷版1971年9月p345
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- ↑ 毎日新聞1971年9月7日13面「成田待望の百勝」毎日新聞縮刷版1971年9月p603
- ↑ 毎日新聞1971年9月23日17面「大洋の近藤昭が千五百試合」毎日新聞縮刷版1971年9月p703
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- ↑ 読売新聞1971年10月3日11面「米田、三百勝を達成 プロ入り5年目、16年で 完投で飾る」読売新聞縮刷版1971年10月p85
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- ↑ 毎日新聞1971年10月7日17面「ロッテ『首位打者』を放出 江藤↔野村(大洋投手)交換『全てあすのため』」毎日新聞縮刷版1971年10月p205
- ↑ 毎日新聞1971年10月8日17面「ロッテ、連日の大手術 不動の3番 ロペスも手放す 見返りに"二刀流"外山(ヤクルト)」毎日新聞縮刷版1971年10月p239
- ↑ 毎日新聞1971年10月9日17面「長島、6度目の首位打者 セ・リーグ終了」毎日新聞縮刷版1971年10月p273
- ↑ 毎日新聞1971年10月9日17面「ユニフォームよさらば 水原引退 栄光と苦難、孤高の29年」毎日新聞縮刷版1971年10月p273
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- ↑ 「パ・リーグも全日程終了 首位打者江藤、初の両リーグ獲得 本塁打王・大杉 打点の門田も逃げ切る」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1971年(昭和46年)10月10日付朝刊、11面。
- ↑ 「アルトマンがコーチを兼任」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1971年(昭和46年)10月10日付朝刊、11面。
- ↑ 読売新聞1971年10月18日1面「巨人、7年連続日本一 4勝1敗で阪急くだす」読売新聞縮刷版1971年10月p587
- ↑ 読売新聞1971年10月19日11面「輝く最優秀選手 長島(5度目)長池(2度目)が受賞」読売新聞縮刷版1971年10月p625
- ↑ 読売新聞1971年10月20日11面「青田昇氏、大洋入り ヘッドコーチ兼打撃コーチ」読売新聞縮刷版1971年10月p663
- ↑ 朝日新聞1971年10月21日21面「中日の新監督 与那嶺コーチ昇格」朝日新聞縮刷版1971年10月p733
- ↑ 読売新聞1971年10月21日11面「エイデア、任意引退」読売新聞縮刷版1971年10月p697
- ↑ 読売新聞1971年10月24日11面「ロッテ、坪内二軍監督」読売新聞縮刷版1971年10月p803
- ↑ 読売新聞1971年10月26日11面「本屋敷氏は阪急入団」読売新聞縮刷版1971年10月p865
- ↑ 読売新聞1971年10月26日11面「山田(近鉄)溜池(ヤクルト)トレード」読売新聞縮刷版1971年10月p901
- ↑ 読売新聞1971年11月2日10面「飯田(近鉄)一枝(中日)交換トレード」読売新聞縮刷版1971年p54
- ↑ 毎日新聞1971年11月3日17面「日米野球初のノーヒット ノーラン ドブソンが快挙」毎日新聞縮刷版1971年11月p77
- ↑ 読売新聞1971年11月5日10面「近鉄打撃コーチに豊田氏」読売新聞縮刷版1971年p172
- ↑ 毎日新聞1971年11月9日13面「南海の皆川投手引退 ご苦労さん18年 輝く221勝」毎日新聞縮刷版1971年10月p267
- ↑ 読売新聞1971年11月12日10面「阪神の新首脳陣を発表」読売新聞縮刷版1971年p408
- ↑ 読売新聞1971年11月19日10面「佐藤、新井の入団発表 ロッテー大洋」読売新聞縮刷版1971年p646
- ↑ 読売新聞1971年11月19日夕刊10面「巨人、横浜(立大)指名」読売新聞縮刷版1971年p670
- ↑ 読売新聞1971年11月27日11面「17人の移籍きまる トレード会議 ”即戦力”は大塚だけ」読売新聞縮刷版1971年p919
- ↑ 毎日新聞1971年11月28日17面「榎本 西鉄へ 旧ミサイル 最後の一人」毎日新聞縮刷版1971年11月p899
- ↑ 毎日新聞1971年12月2日13面「びっくりトレード 阪本・岡村⇄種茂・大橋 同一リーグ同一ポジション」毎日新聞縮刷版1971年12月p47
- ↑ 毎日新聞1971年12月4日17面「師走寂し…エースのジョー 非情な"解雇"通告」毎日新聞縮刷版1971年12月p119
- ↑ 毎日新聞1971年12月25日13面「ローダイ・オリオンズ誕生 ロッテの夢、実る」毎日新聞縮刷版1971年12月p783