バンプ・ウィルス

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バンプ・ウィルス
Bump Wills
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ワシントンD.C.
生年月日 (1952-07-27) 1952年7月27日(65歳)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
177 lb =約80.3 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 二塁手
プロ入り 1975年 MLB二次ドラフト1巡目
初出場 MLB / 1977年4月7日
NPB / 1983年
最終出場 MLB / 1982年10月3日
NPB / 1984年8月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

エリオット・テイラー・ウィルスElliot Taylor "Bump" Wills, 1952年7月27日 - )は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.出身の元プロ野球選手内野手)。阪急ブレーブスでの登録名は、バンプ

父親は同じくプロ野球選手のモーリー・ウィルス

来歴・人物[編集]

アリゾナ州立大学を経て、1975年の二次ドラフト1巡目(全体の6番目)でテキサス・レンジャーズに指名されて契約。

父親譲りの快速で、メジャーデビューした1977年から1981年までレギュラーとして活躍し、1977年には新人ながら152試合に出場して打率.287、9本塁打、62打点、28盗塁を記録。同年8月27日にはトビー・ハラーとメジャー史上初(現時点で唯一)の二者連続ランニングホームランを記録。

1978年には157試合に出場し、自己最多の52盗塁を記録。1980年には父モーリーが同じ地区(アメリカンリーグ西地区)のシアトル・マリナーズの監督に就任し、メジャーで監督の父親と他球団の選手として対戦したメジャー最初の選手となった。

1982年シカゴ・カブスに移籍。トラディッショナル・オープナー(一番早い開幕戦)の対シンシナティ・レッズ戦で1番に起用され、初回先頭打者として2球目に本塁打を打った。この年も128試合に出場したが、のちにアメリカ野球殿堂入りするライン・サンドバーグの二塁コンバートで構想から漏れた。

1983年日本プロ野球(NPB)の阪急ブレーブスに入団。阪急が父・モーリーをしばしば臨時コーチに招いていた縁からだった。「ウィルス」と登録される予定であったが、同期入団の外国人選手であるブーマー・ウェルズと紛らわしいために「バンプ」と登録された。ウェルズも同様に「ブーマー」と登録された。メジャーでの実績から破格の4年契約(年俸1億円、ブーマーの年俸は当時2,500万円)を結び、ブーマー以上の期待がかけられ、福本豊簑田浩二との「俊足トリオ」として売り出し、競走馬との「レース」にまで「出走」した[1](簑田は「出走取消」した)。開幕からしばらくは2番で起用されたが、打撃不振のため4月下旬以後は7番での起用が中心となった。

1984年も正二塁手として起用されてはいたが、打率2割3分台の打撃不振の上、起用法を巡って監督の上田利治と対立し、8月4日の出場を最後に帰国。チームはリーグ優勝したが、日本シリーズの登録メンバーからも外された。1984年に三冠王を獲得してMVPにも選ばれ、その後も日本で活躍したブーマーとは対照的に、同年限りで退団した。

当時通訳を務めていたロベルト・バルボンは、「20年間通訳やったけど、バンプだけや、日本の野球が好きじゃなかったのは。いつも帰りたいと言ってケンカし、ブーマーに止められてた。」と話している[2]一方、「84年の日本シリーズ、ウチは負けたけど、あの時、バンプがおったら勝ってた思うわ。3、4回セカンドが絡むプレーでゲッツーができんかった。バンプがシーズン途中で帰ってしもうたからおらんかったんやけど、おったらゲッツーできてたいうのがあった。そうなったら阪急が勝ってたんやないかな。僕もセカンドやったからようわかるけど、バンプはどっからでも、どんな体勢からでも投げられた。」[3]と二塁手としての守備力の高さを評価している。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1977 TEX 152 617 541 87 155 28 6 9 222 62 28 12 7 4 65 7 0 96 10 .287 .361 .410 .771
1978 157 619 539 78 135 17 4 9 187 57 52 14 9 4 63 3 4 91 11 .250 .331 .347 .678
1979 146 617 543 90 148 21 3 5 190 46 35 11 14 3 53 4 4 58 12 .273 .340 .350 .690
1980 146 655 578 102 152 31 5 5 208 58 34 9 15 8 51 1 3 71 8 .263 .322 .360 .682
1981 102 454 410 51 103 13 2 2 126 41 12 9 6 5 32 2 1 49 8 .251 .304 .307 .611
1982 CHC 128 477 419 64 114 18 4 6 158 38 35 10 2 5 46 3 5 76 4 .272 .347 .377 .724
1983 阪急 125 484 426 52 116 27 4 12 187 57 20 12 1 4 40 3 13 59 13 .272 .350 .439 .789
1984 78 247 207 24 48 8 1 4 70 24 2 1 2 2 31 1 5 40 5 .232 .343 .338 .681
MLB:6年 831 3439 3030 472 807 128 24 36 1091 302 196 65 53 29 310 20 17 441 53 .266 .335 .360 .695
NPB:2年 203 731 633 76 164 35 5 16 257 81 22 13 3 6 71 4 18 99 18 .259 .348 .406 .754

記録[編集]

MLB

背番号[編集]

  • 1 (1977年 - 1981年)
  • 17 (1982年)
  • 6 (1983年 - 1984年)

脚注[編集]

  1. ^ 【1月28日】1983年(昭58) 1億円の快足・バンプ、阪急の練習に合流「6000ccや」”. SPORTS NIPPON NEWSPAPERS.. 2011年10月28日閲覧。
  2. ^ 阪急ブレーブス黄金の歴史 [永久保存版] よみがえる勇者の記憶 1936-1988、ベースボール・マガジン社、2011年、p51
  3. ^ 僕たちの愛したプロ野球 80年代パ・リーグ、スコラマガジン、2014年、p126

関連項目[編集]

外部リンク[編集]