今浪隆博

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今浪 隆博
ゴリラクリニックベースボール 監督 #59
20140413 Takahiro Imanami, infielder of the Tokyo Yakult Swallows, at Yokohama Stadium.JPG
ヤクルト時代
(2014年4月13日、横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県北九州市小倉南区
生年月日 (1984-07-06) 1984年7月6日(37歳)
身長
体重
172 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト7巡目
初出場 2008年8月20日
最終出場 2017年5月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • ゴリラクリニックベースボール (軟式)

今浪 隆博(いまなみ たかひろ、1984年7月6日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手内野手)。右投左打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

2歳年上の兄の影響で小1よりソフトボールを始める。小6までソフトボールを続け、中1から硬式野球チームに入団。 京都府平安高校に進み、甲子園には2001年(2年夏)の第83回選手権大会2002年(3年春)の第74回選抜大会に出場した。2年夏は準々決勝で阿部健太のいた松山商業と戦っている。

明治大学(商学部)[1]に進学後、広角に打ち分けるシュアな打撃に長打力も合わせ持ち、2006年東京六大学野球秋季リーグ戦で打率2位(.361)の実績を残した。リーグ通算41試合に出場、124打数35安打、打率.282、1本塁打、16打点、4盗塁を記録。

日本ハム時代[編集]

2007年は1年目から二軍で遊撃手のレギュラーをつかみ、チーム2位の80試合に出場、打率.280の好成績を残した。12月25日、会社員であり大学の同級生の女性と入籍した。

2008年8月20日の千葉ロッテマリーンズ戦で一軍初出場。髙橋信二の代打として出場したがセカンドゴロ。この年の一軍での出場はこの1試合のみだった。

2009年は9月1日のロッテ戦でプロ初安打を記録。5試合の出場で打率.250だった。

2010年金子誠の離脱もあり、前年よりも出場試合数、打席数を増加。29試合の出場で打率.244、3打点だった。

2011年はチームの内野手に故障者が続出したこともあり、チーム事情に合わせ二塁手・三塁手・遊撃手などこなしスタメンに入る機会を増加させ、自己最高の84試合に出場した。

日本ハム時代(2013年3月9日)

2013年は6月30日の埼玉西武ライオンズ戦(札幌ドーム)で6番・右翼手で先発出場し、プロ入り後初めて外野の守備についた。

ヤクルト時代[編集]

2014年のシーズン開幕直後の3月31日に増渕竜義との交換トレードが成立し、東京ヤクルトスワローズへ移籍[2][3]

2015年はショートのポジションを大引啓次森岡良介と争う。開幕は大引がスタメンで森岡が代打の中心となるが、5月の大引離脱後にショートでのスタメン出場の機会を得ると打撃面で活躍を見せた。5月24日の広島東洋カープ戦ではプロ初本塁打を記録した[4]。自身も怪我があったが、後半戦以降は大引に代わるスタメンや代打の切り札としての起用も増え、その中で3割を超える打率を記録してリーグ優勝に貢献した。

2016年は6月17日の対西武戦で、炭谷銀仁朗が打ったフライ性の打球を捕ろうとして川端慎吾と衝突し、担架で病院に運ばれた。翌18日に登録抹消となったが、抹消から10日未満となる6月24日に登録され復帰した。これは、脳震盪の登録抹消特例が適用されたためで、今浪がプロ野球史上初の適用者となった[5]。さらに、9月3日には甲状腺機能低下症により登録抹消されたが、3週間後の9月24日に一軍復帰した[6]。シーズンを通しては代打率.382を記録し、ここ一番での切り札として大いに活躍した[7]

2017年は5月18日に一軍登録されたが、7試合の出場のみで、5月29日に登録抹消。10月3日に球団より戦力外通告を受けた[8]。自身は持病の慢性甲状腺炎(橋本病)の影響も鑑みて、引退を決断[9]。当初の予定ではなかったが、多くのファンから強い要望があり、11月23日のファン感謝DAYにて引退セレモニーが行われた[10]。ファンや関係者らに感謝を伝えた後、チームの若手有望株で自身が才能を見込んだ廣岡大志にエールを込める意味で「引退の原因は廣岡に押し出されたからです」とジョークを飛ばし、集まったファンの笑いを誘い、明るく締めくくった[11][12]

引退後[編集]

現役時代に故障や持病と向き合った経験を基に、アスリート向けのメンタルコーチングを勉強。日本スポーツメンタルコーチ協会へ加入するとともに、「スポーツメンタルコーチ」という肩書で活動している[13]

2020年1月6日からは、ヤクルト時代のチームメイトだった田中浩康の後任として隔週月曜日に『なな→きゅう』(文化放送平日早朝の生ワイド番組)へパートナーとして出演中。

また2019年6月に平安高時代の同級生から声を掛けられ、軟式野球実業団チーム「ゴリラクリニックベースボール」の創設に関わる。チームが指導した初年度の2020年より監督を務めている[14][15]。チームは台東区軟式野球連盟1部に属し、初年度から台東区春季大会を勝ち抜き、東京都軟式野球連盟秋季大会ベスト4までチームを導いている。

選手としての特徴[編集]

走攻守にバランスが取れ、内野全ポジションを守れる万能型の選手[2][3]。打撃では生涯代打率.316を記録するなど、ここ一番での切り札として抜群の勝負強さを誇った[7]。ヤクルト等でコーチを務めた三木肇は「(今浪は)攻守ともに状況を的確に掴み、相手が嫌がるプレーができる。数字以上にチームに貢献している」と評している[16]

人物[編集]

愛称は「ナミ[17]、「ナミさん[18]

ヒーローインタビューでは、「今浪節[19]」と称される真顔でギャグジョークを言う“スベり芸”でファンを沸かせた[20][21][22]

自身の熱狂的ファンや可愛がっている後輩選手を「今浪チルドレン」と呼んでいる[23][24][25]

日本ハム時代は守備面やチームプレーを意識し過ぎたためか、打撃に苦しんでいた。ヤクルト移籍後はシンプルに「打つ」ことだけを考えるようになると気持ちが楽になり、打撃が向上した[25]

高校・大学と進学の際は、どちらも母親から志望校を反対されている。高校は当初地元の強豪である九州国際大学付属高校を志望していたが、言い合いになった末、母親から「地元では野球が疎かになるかもしれない。京都の平安に行くなら携帯電話を持たせるし、毎月のお小遣いをたくさん渡す」と言われ、悩む間もなく即答で平安高校進学を決めた。大学は関西強豪の立命館大学を志望していたが、「プロ野球選手を目指すなら野球に集中できる明治大学が良い。明治に行くならこれまで通りお小遣いをいくら使ってもいい」と言われ、この時も即答で明治大学進学を決めている[26]

明治大学時代は、厳しい上下関係や野球以外の雑用、さらに1年生の時に手首の故障をしてしまったことで次第にやる気がなくなり、野球だけでなく学業も疎かになっていた。4年生になると母親に「プロは諦める。でも、最後の一年は真剣に野球をやる。勉強も真面目に頑張って就職する」と話し、全力で練習と学業に励んだ結果、春季リーグ戦から遊撃手のレギュラーを獲得。秋季リーグ戦では打率二位の活躍をしてみせた。しかし、取れると確信していたベストナインを獲得できず、燃え尽きた今浪はプロを完全に諦めることを決断[27](プロを目指していた自分へのけじめとして、プロ志望届は提出していた)[25]。明治大学のOBで当時臨時コーチを務めていた住友平に電話でその意思を告げると「お前は絶対に野球をやめるな。お前が野球を続けられるように何とかするから待っとけ」と言われ、「もう野球を一切する気がないです。余計なことをしないでください」と告げると、電話が切れた。すると、ドラフト会議当日に日本ハムから指名され、プロ入りを果たした[27]

ドラフト会議当日は今浪が指名されることを誰も予想せず、当初大学内に会見場が設けられなかった。しかし、7巡目で指名されると急遽設けられた。なお、会見に参加したのは今浪一人だけであり、そこにいる人物が今浪と知らなかった記者に「今浪選手はどちらですか?」と声をかけられ、自ら「今浪は自分です」と答えている[25]

プロ入り前の契約時に日本ハム球団関係者から「来年で戦力外になる」と告げられている。今浪自身はその事に納得しており、「せっかくプロになれたから楽んでやろう」と気楽にプレーした。1年目のシーズンを終えると一軍昇格はならなかったが、二軍で打率.280を記録。今浪は「これでクビか。いつ呼ばれるのかな」と思いながら、球団からの連絡を待ったが、いっこうに連絡が無く、その後、何事もなかったかのように契約が更新された[25]

ヤクルト時代は在籍4年程であったが[28]、多くのファンから愛され、引退時は惜しまれていた[10]

引退後は「これからの選手に自分と同じような苦労をさせたくない。楽にプレーしてもらえるように手助けしたい」との思いからスポーツメンタルコーチを目指すようになった[29]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2008 日本ハム 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2009 5 4 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 .250 .500
2010 29 50 45 1 11 1 0 0 12 3 0 0 2 0 3 0 0 11 1 .244 .292 .267 .559
2011 84 197 179 12 43 7 1 0 52 8 3 1 10 0 8 1 0 18 0 .240 .273 .291 .563
2012 13 18 18 0 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .167 .167 .167 .333
2013 91 150 128 11 31 4 0 0 35 14 0 1 6 3 13 0 0 11 1 .242 .306 .273 .579
2014 ヤクルト 13 41 38 7 8 1 0 0 9 1 0 0 0 0 3 0 0 4 0 .211 .268 .237 .505
2015 68 139 123 13 39 8 0 2 53 13 1 0 3 1 12 0 0 14 1 .317 .375 .431 .806
2016 94 240 201 22 56 9 3 1 74 28 0 1 3 4 30 0 2 25 3 .279 .371 .368 .739
2017 7 17 15 1 4 1 1 0 7 2 0 0 1 0 1 0 0 0 0 .267 .313 .467 .779
通算:10年 405 857 752 67 196 31 5 3 246 69 4 3 25 8 70 1 2 84 7 .261 .322 .327 .649

年度別守備成績[編集]

内野守備


一塁 二塁 遊撃 三塁
















































2009 日本ハム - - 2 1 3 0 0 1.000 3 0 1 0 0 1.000
2010 - - 14 14 25 2 7 .951 1 1 0 0 0 1.000
2011 - 45 37 63 0 9 1.000 38 41 87 3 17 .977 13 6 19 0 0 1.000
2012 - 2 0 2 0 0 1.000 5 4 12 2 1 .889 2 0 1 0 0 1.000
2013 - 46 55 82 1 17 .993 3 1 5 0 0 1.000 29 6 13 1 1 .950
2014 ヤクルト - - 13 13 24 1 2 .974 -
2015 1 1 0 0 0 1.000 - 37 40 77 4 11 .967 8 0 2 0 0 1.000
2016 47 241 20 1 17 .996 - 10 12 24 1 6 .973 14 9 14 2 2 .920
2017 3 13 0 0 3 1.000 - - 1 0 0 0 0 .000
通算 51 255 20 1 20 .996 93 92 147 1 26 .996 122 126 257 13 44 .967 71 22 50 3 3 .960
外野守備


外野












2013 日本ハム 2 3 0 1 0 .750
通算 2 3 0 1 0 .750

記録[編集]

背番号[編集]

  • 45 (2007年 - 2014年途中)
  • 59 (2014年途中 - 2017年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 球道夢限 第4回 今浪隆博(商4)”. 明大スポーツ新聞部. 2012年10月31日閲覧。
  2. ^ a b ヤクルト増渕とハム今浪が交換トレード”. 日刊スポーツ (2014年3月31日). 2021年4月4日閲覧。
  3. ^ a b ヤクルト・増渕と日本ハム・今浪が緊急トレード”. サンケイスポーツ (2014年3月31日). 2021年4月4日閲覧。
  4. ^ ヤクルト30歳今浪「気持ちよかった」プロ初アーチ”. 日刊スポーツ (2015年5月24日). 2021年4月4日閲覧。
  5. ^ “ヤクルト:抹消の今浪、特例措置適用第1号に”. 毎日新聞. (2016年6月24日). https://mainichi.jp/articles/20160625/k00/00m/050/116000c 2020年9月28日閲覧。 
  6. ^ 甲状腺機能低下症と戦ったヤクルト今浪 想像超える苦しみに記者のペン止まる”. スポーツニッポン. 2016年10月14日閲覧。
  7. ^ a b 愛された男・今浪隆博の「勝負強さ」を受け継ぐために必要なこと 文集オンラインpage2”. 2021年4月23日閲覧。
  8. ^ 戦力外通告について”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2017年10月3日). 2017年10月3日閲覧。
  9. ^ ヤクルト今浪引退「僕の体では戦えない、橋本病」”. 日刊スポーツ (2017年10月3日). 2017年10月3日閲覧。
  10. ^ a b 【野球】病気と闘い続けた今浪惜しまれながら引退 ファンへ「11年間ありがとう」/デイリースポーツ online” (日本語). デイリースポーツ online. 2021年4月23日閲覧。
  11. ^ 晶一, 長谷川. “元ヤクルト・今浪隆博が語った“突然の病”と“引退の理由”page2”. 文春オンライン. 2021年5月1日閲覧。
  12. ^ ヤクルト今浪、引退は「広岡大志に押し出されたと」 - プロ野球 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. 2021年5月1日閲覧。
  13. ^ スポーツメンタルコーチ プロフィール 今浪 隆博(いまなみ たかひろ)”. Motive Wave. 2021年4月4日閲覧。
  14. ^ “元ヤクルト今浪隆博 部員10人の軟式野球チームで新たな挑戦”. NEWS ポストセブン. (2020年11月20日). https://www.news-postseven.com/archives/20201120_1613487.html?DETAIL 2020年11月23日閲覧。 
  15. ^ 今浪隆博監督 選手データ”. ゴリラクリニックベースボール. 2021年2月13日閲覧。
  16. ^ 【佐藤春佳のスポーツブレーク】ヤクルト・今浪、波瀾万丈だった現役生活 - SANSPO.COM(サンスポ)”. www-sanspo-com.cdn.ampproject.org. 2021年4月23日閲覧。
  17. ^ 株式会社財界さっぽろ. “今浪隆博選手 | 北海道日本ハムファイターズ | アスリートインタビュー | 財界さっぽろ” (日本語). 財界さっぽろ ONLINE. 2020年11月22日閲覧。
  18. ^ 元ヤクルト今浪隆博 部員10人の軟式野球チームで新たな挑戦” (日本語). NEWSポストセブン. 2021年9月16日閲覧。
  19. ^ 晶一, 長谷川. “「本当にそれでいいのか?」 元スワローズ・今浪隆博が、迷える廣岡大志に伝えたいこと”. 文春オンライン. 2021年5月1日閲覧。
  20. ^ 【プロ野球引退物語2017】 不思議なキャラで愛された今浪隆博(ヤクルト)の渋い野球人生” (日本語). 週刊野球太郎. 2021年3月29日閲覧。
  21. ^ 【プロ野球】「いじられ役」から「スベリ芸人」まで! ヤクルトが誇るユーティリティープレーヤーはこの選手だ!page2” (日本語). デイリースポーツ (2016年12月17日). 2021年3月30日閲覧。
  22. ^ INC, SANKEI DIGITAL. “【佐藤春佳のスポーツブレーク】ヤクルト・今浪、波瀾万丈だった現役生活” (日本語). SANSPO.COM. 2021年5月1日閲覧。
  23. ^ ヤクルト・今浪が語る“チルドレン”中島&西川の「1億円事件」” (日本語). スポニチ Sponichi Annex. 2021年3月29日閲覧。
  24. ^ 今浪 古巣ハムの「今浪チルドレン」に毒舌エール 西川劇弾も「遅い、遅い」” (日本語). スポニチ Sponichi Annex. 2021年3月29日閲覧。
  25. ^ a b c d e 野球 - 自分を追い込み苦しんだ日ハム時代、開き直ったヤクルト時代 今浪隆博3 | 4years. #大学スポーツ” (日本語). 4years. 2021年4月23日閲覧。
  26. ^ 野球 - 夢はプロ野球選手、高校野球にはまったく興味がなかった 今浪隆博1 | 4years. #大学スポーツ” (日本語). 4years. 2021年4月23日閲覧。
  27. ^ a b 野球 - 野球をやめると決めたラストイヤーで活躍、思いがけないプロ指名 今浪隆博2 | 4years. #大学スポーツ” (日本語). 4years. 2021年4月23日閲覧。
  28. ^ HISATO. “愛された男・今浪隆博の「勝負強さ」を受け継ぐために必要なこと”. 文春オンライン. 2021年4月23日閲覧。
  29. ^ 野球 - 苦しんだ経験を活かし、選手が楽にプレーできるように助けたい 今浪隆博4完 | 4years. #大学スポーツ” (日本語). 4years. 2021年4月23日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]