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ダース・ローマシュ匡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダース ローマシュ匡
大阪ゼロロクブルズ 監督 #88
2014年5月
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 奈良県生駒市[1]
生年月日 (1988-12-15) 1988年12月15日(37歳)[1]
身長
体重
191 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 高校生ドラフト4巡目
初出場 2008年5月6日
最終出場 2010年4月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
ダースローマシュ匡
YouTube
チャンネル
活動期間 2019年11月1日 -
ジャンル 野球
登録者数 約5330人
総再生回数 890,609回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2025年1月14日時点。
テンプレートを表示

ダース・ローマシュ匡[注 1](ダース ローマシュたすく、1988年12月15日 - )は、奈良県生駒市出身の元プロ野球選手投手)、プロ野球監督ダルビッシュ有の元マネージメント(会社員)、YouTuber、元モデル。右投右打。甲子園に4度出場[2]

経歴

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プロ入り前

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中学では生駒シニアに入団し、3年時にはエース兼四番打者としてチームを引っ張り全国大会にまで駒を進めた。高校は地元近畿地方の強豪校からの誘いもあったが、結局は岡山県関西高等学校に進学する。同期には上田剛史がおり、高校2年生の時に秋の明治神宮野球大会で準優勝の原動力となる等、プロから注目をされるまでの選手となっていった。

2006年の春のセンバツでは、2回戦で斎藤佑樹を擁する早稲田実業と対戦。試合は、9回に関西が追い付いたことで延長戦となり、延長15回まで進んでも決着がつかず、再試合となった。この試合で、ダースは6回途中から登板し、158球を投げた。翌日の再試合、ダースの登板は無く、チームは9回に逆転を許し敗北した[2]

2006年のプロ野球ドラフト会議(高校生対象)で日本ハムから4巡目で指名された。同年のドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)で同じ日本ハムに指名された宮本賢は高校の先輩に当たり、背番号66は憧れの投手である斉藤和巳にならっている。

プロ入り後

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ルーキーイヤーの2007年シーズンは故障に見舞われ、二軍でも公式戦登板は無かった。

2年目の2008年5月6日西武戦でプロ初登板。結果は5回1失点(自責点0)も勝ちに恵まれなかった。その後は怪我に悩まされ登板はなかった。

2009年は腰痛などで一軍登録はなく、イースタンリーグでも3試合の登板に終わった。オフにダルビッシュとともに自主練習を行った。

2010年4月16日の西武戦に登板するも制球が定まらず、2回1/3、4四球3失点で敗戦投手になった。8月5日に以前から痛めていた肘を治すためにトミー・ジョン手術8月9日に行った。その後は二軍登板もなかった。

2011年11月10日に球団から戦力外通告を受けたことを機に現役を引退した。

現役引退後

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引退直後には、現役時代に世話になった飲食店で働きながら、日本ハムの本拠地である北海道モデルとして活動。後に北海道を離れても、モデルの活動を続けていた。

なお、チームの先輩でもあったダルビッシュが2012年からMLBテキサス・レンジャーズへ移籍することを背景に、引退の直後にはダルビッシュのマネジャーを務める可能性が一部で報じられた[3]2013年11月11日から「スペース11 ダルビッシュ ミュージアム」(ダルビッシュの実父が運営する洋館「ダルビッシュコート」の3階に開設したダルビッシュ公認の記念館)の運営を任されている(運営責任者)。2018年5月に初代館長へ就任[4]。館長などを務めながら、ダルビッシュのマネジャーも2012年2月から2023年3月末までの11年間[5]務めた[6][7]

2019年11月からは、YouTube上に自身のチャンネルを開設している[8]

コロナ禍では同級生の前田健太のグッズを販売し収益をスポーツ庁スポーツキャリアサポートコンソーシアム推進委員の吉浦剛史らと大阪府に寄付したことで「関西88年会」として大阪府知事の吉村洋文から感謝状が贈られている[9]また、吉浦との関係でエアロビック競技の上田真穂とアスリートキャリアコーディネーター育成プログラムの講師も務めた[要出典]

2025年11月3日、関西独立リーグ(さわかみ関西独立リーグ)の大阪ゼロロクブルズ2026年シーズンからのダースの新監督就任を発表した[10]。本格的な野球指導は初めてであり、異例の抜擢となった[5]

人物

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父親がインド人、母親が日本人[1]

2010年オフの契約更新で規約に合意したが印鑑を忘れたため、契約ができずに保留状態となった[11]判子の印影はカタカナでダースである[12]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2008 日本ハム 110000000----225.040300200100.001.40
2010 110000100.000142.1404001003311.573.48
通算:2年 220000100.000367.180700300433.682.05
  • 一軍登板はいずれも西武ドームでの西武戦である。

記録

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背番号

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  • 66 (2007年 - 2011年)
  • 88 (2026年 - )

脚注

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注釈

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  1. NPBへの登録名はダース ローマシュ匡と中黒の入らない表記である。

出典

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  1. 1 2 3 「岡山のダルビッシュ」と称されたダース・ローマシュ・匡さん 「ダルビッシュ ミュージアム」の館長に”. 東スポWeb. 東京スポーツ (2019年7月5日). 2020年6月28日閲覧。
  2. 1 2 壮絶に負け続けた関西・ダース/岡山”. 日刊スポーツ (2018年6月1日). 2020年6月28日閲覧。
  3. “ダルのマネは日本ハム戦力外選手”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2012年1月23日)
  4. 『号外』スポーツの価値を伝えるため。今も進化し続けるダルビッシュミュージアム。~初代、二代目館長へインタビュー~」『SPODGE「スポーツ経験を無限大の可能性へ変えるメディア」』2020年9月24日。2025年11月3日閲覧
  5. 1 2 元日本ハム投手のダース・ローマシュ匡氏が関西独立L「大阪ゼロロクブルズ」監督就任へ」『Sponichi Annex』2025年11月3日。2025年11月3日閲覧
  6. 「岡山のダルビッシュ」本家との深い絆…驚きの第2の人生 「俺でもクビにする」はエールだった」『Sponichi Annex』2019年5月26日。2025年11月3日閲覧
  7. 磯綾乃「ダース氏はeスポ挑戦中 ダルのマネジメントと両立」『日刊スポーツ』2021年1月30日。2025年11月3日閲覧(要無料登録要登録)
  8. ダルビッシュ有・公式ツイッターより
  9. 大坂尚子「マエケン画伯協力のグッズ 元球児ら販売、収益を寄付」『朝日新聞』2021年3月14日。2025年11月3日閲覧
  10. 元日本ハム投手のダース氏が独立リーグ監督就任 ダルビッシュからも激励」『Sponichi Annex』2025年11月3日。2025年11月3日閲覧
  11. “中嶋は現状維持 3選手が契約更改”. どうしんウェブ (北海道新聞社). (2010年12月4日). オリジナルの2010年12月6日時点におけるアーカイブ。
  12. ハンコは・・・”. ダース・ローマシュ匡 オフィシャルブログ (2010年12月6日). 2012年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月5日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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