糸数敬作

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糸数 敬作
糸数敬作.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県沖縄市
生年月日 (1984-11-07) 1984年11月7日(32歳)
身長
体重
180 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2009年5月17日
最終出場 2012年9月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

糸数 敬作(いとかず けいさく、1984年11月7日 - )は、沖縄県沖縄市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

2006年秋季の東都大学野球リーグでは5勝を挙げ、防御率0.76の好成績で亜細亜大学優勝の原動力となり、最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインの三冠に輝いた。続く第37回明治神宮野球大会でも、決勝で早稲田大学宮本賢に投げ勝つなど、亜大の4年ぶり3度目の優勝に貢献した。

東都大学1部リーグ公式戦での通算成績は、26試合の登板で、8勝6敗、防御率2.33、94奪三振。この成績を受けて、2006年のプロ野球ドラフト会議(大学生・社会人ほか対象の部)では、北海道日本ハムファイターズに3巡目で指名された。

プロ入り後[編集]

即戦力として期待されるも、2007年2008年の2年間一軍出場なし。二軍では2007年は30試合に登板してチーム最多のイニング数を投げ、7勝2敗、防御率2.97。2008年は登板18、防御率3.24。
2009年
3月、投球フォームをオーバースローからサイドスローに変更。当時日本ハムの二軍投手コーチを務めていた小林繁に「俺に任せてくれたら、最後まで面倒を見る」と言われ、決意した[1]。同年5月に一軍初昇格、初登板。勝ち運に恵まれなかったが、6月30日に6試合目の先発で念願のプロ初勝利を挙げた。7月7日の埼玉西武ライオンズ戦では自分のユニフォームを宿舎に忘れ、ブライアン・スウィーニーのユニフォームを借りて出場したが、この試合で5回途中までに6失点してノックアウト。試合後に二軍落ちするも、再昇格した際にはチームの6連敗を止める勝利、9連戦の最中の完投勝利など、故障したダルビッシュ有の穴を埋めた。クライマックスシリーズ第2ステージの第2戦に先発し岩隈久志相手に投げ勝つも、日本シリーズ第3戦ではウィルフィン・オビスポとの投げ合いに敗れて敗戦投手となった。
2010年
3月30日のシーズン初先発は7回7失点の大乱調で翌日に二軍降格を命じられた。二軍ではイースタン・リーグ最優秀防御率を獲得するも一軍では通用しなくなり、防御率を前年よりも大幅に悪化させた。
2011年
シーズン初先発となった6月9日の中日ドラゴンズ戦では6回途中までを2失点に抑えるが、日程の関係でローテーションから外される。7月1日の埼玉西武ライオンズ戦でシーズン初勝利、8月17日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初完封勝利を挙げるが、好調時が長く続かない不安定な投球のため一軍に定着できず、同年シーズンは2勝のみに終わった。二軍ではリーグ3位の防御率であった。10月5日に右肘関節遊離骨除去手術を受けた[2]
2012年
前年より腕を上げた投球フォームに改造。二軍のエースとして規定投球回に達し8勝を挙げたものの、一軍ではリリーフで1試合登板したのみに終わる。
2013年
右肘痛などの影響で、一軍への登板機会がないまま、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[3][4]

現役引退後[編集]

戦力外通告後の2013年11月10日に、第1回12球団合同トライアウトへ参加。この時点では、「トライアウトで移籍先が決まれば現役を続ける」という意向を見せる一方で、「ダルビッシュ有大谷翔平などのすごい投手を見て自分の力を理解したので、移籍先がなければ、地元の沖縄県でダイビングショップを営む」という決意も示していた[5]。しかし、トライアウト後にどの球団からも獲得のオファーがなかったことから、そのまま現役を引退した[6]。故郷に近い沖縄県恩納村でダイビングショップを開業することを目標に、知人が営むショップで修業を積み[5][4]、2014年10月1日より同県読谷村にダイビングショップをオープンさせた[7]

その一方で、沖縄県内54年振りのパシフィック・リーグ公式戦であった2016年6月28日オリックスバファローズ東北楽天ゴールデンイーグルス戦(沖縄セルラースタジアム那覇)では、琉球放送制作のラジオ中継『RBCiラジオ エキサイトナイター』(TBCラジオとの相互ネット分)に野球解説者として出演した。

プレースタイル・人物[編集]

愛称は「アグー」。

120km/h前後のスライダーチェンジアップを織り交ぜつつ、130km/h強のフォークボールも狙って落として来る。サイドスロー転向後は、速球の最速は148㎞/hである。一軍投手コーチの吉井理人は2010年に「元速球投手として球威を諦めきれず、速球を求めすぎたためフォームを崩し、腕の位置を固定できず、持ち味の腕の振りと球速の差で打ち取る投球ができなくなり大不振となった」と分析している[8]

非常に明るい性格であり、2009年まで日本ハムで同僚だった稲田直人の話によると「いつでも笑ってるやつ」とのこと(FFFFFのGoGo直人でのインタビュー談にて[いつ?])。

2010年の春季キャンプでは投手キャプテンに任命されたがすぐに解任され、後輩の榊原諒が引き継いだ。

2010年のシーズン終了後には、所属選手にマリンスポーツを禁じている球団の方針をよそに、義兄の紹介でスキューバダイビングを初体験[4]。「現役生活を終えたらスキューバダイビングの仕事をしたい」と思うようになるほど魅了された[5]あげく、球団には内緒で「オープンウオーター・ダイバー」のライセンスを取った。その一方で、大学時代に高校教員免許公民)を取得したため、戦力外通告の直後には周囲から高校教員への転身を勧められていた[4]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2009 日本ハム 13 12 2 0 0 4 5 0 0 .444 295 71.0 53 8 27 0 8 43 0 0 40 36 4.56 1.13
2010 8 8 0 0 0 2 2 0 0 .500 159 36.1 38 10 10 0 4 17 0 0 29 27 6.69 1.32
2011 5 5 1 1 0 2 1 0 0 .667 118 26.0 33 2 3 0 5 14 0 0 15 13 4.50 1.38
2012 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 3 0.1 1 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0.00 6.00
通算:4年 27 25 3 1 0 8 8 0 0 .500 575 133.2 125 20 41 0 17 74 0 0 84 76 5.12 1.24

記録[編集]

投手記録
打撃記録
  • 初安打:2009年5月25日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、4回表に朝倉健太から左前安打[要出典]

背番号[編集]

  • 20 (2007年 - 2013年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 週刊ベースボールのインタビュー談。[いつ?]
  2. ^ 北海道日本ハムファイターズ ニュース 糸数選手手術について
  3. ^ a b c d e 来季契約について”. 北海道日本ハムファイターズ公式サイト (2013年10月1日). 2013年10月3日閲覧。
  4. ^ a b c d 【セカンドチャレンジ(4)】日本ハム・糸数元投手、スキューバダイビング店経営”. サンケイスポーツ (2013年12月13日). 2013年12月13日閲覧。
  5. ^ a b c 懐かしい顔がいっぱい。トライアウト2013”. Web Sportiva (2013年11月11日). 2013年12月12日閲覧。
  6. ^ 惜別球人2013 【日本ハム】糸数 敬作投手”. スポーツニッポン (2013年12月11日). 2013年12月12日閲覧。
  7. ^ 戦力外通告から1年-糸数さん、夢を実現させてダイビングショップ開業”. 那覇経済新聞. 2014年10月19日閲覧。
  8. ^ 吉井理人 オフィシャルブログ シーズンが終了しました

関連項目[編集]

外部リンク[編集]