岸川勝也

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岸川 勝也
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県佐賀市
生年月日 (1965-04-24) 1965年4月24日(51歳)
身長
体重
182 cm
98 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 左翼手三塁手一塁手
プロ入り 1983年 ドラフト3位
初出場 1985年5月11日
最終出場 1998年5月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 読売ジャイアンツ (2003, 2006 - 2013)

岸川 勝也(きしかわ かつや、1965年4月24日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手外野手)、野球指導者、野球解説者

来歴・人物[編集]

佐賀北高時代に46本塁打を放ち注目される。打撃練習では頻繁に校外まで打球を飛ばし、近隣の民家や商店に直撃させていた為、外野のネットをより高く建て替えさせたという逸話が残っている[1]。3年の夏に佐賀大会決勝まで進んだが、鳥栖高に敗れ準優勝。

1983年度ドラフト会議南海ホークスから3位指名を受けて入団。1988年シーズン終盤から一軍に定着し、大阪球場最後のヒーローインタビューを受ける。

球団の親会社が南海電気鉄道からダイエーとなった1989年は26本塁打を放ったが、うち3本がサヨナラ本塁打であり、パ・リーグ記録を樹立した。この記録は同時に当時のプロ野球記録でもあった。後にジャック・ハウエルが1993年に5本を記録し更新した。

更に同年秋のセパ東西対抗では公式戦では達成がなかったサイクル安打を記録し、MVPを獲得。1989年 - 1991年まで3シーズン連続で20本塁打以上を放ち、和製大砲として首脳陣の期待も高かった。

1991年は8月までの79試合で20本塁打を放ち自己新ペースであったが、8月9日の対近鉄戦でジム・トレーバーの打球にダイビングキャッチを試みた際に左膝半月板を損傷。以降のシーズンを棒に振り、その後は負傷の影響もあってかスタメン出場の機会が減少、成績も振るわなかった。

福岡ドーム完成時に、球団の出版物にて、福岡ドームでやりたいプレーを「場外ホームラン」と答えている。

1994年6月、吉田修司との交換トレードで読売ジャイアンツ(以下、巨人)へ移籍(当時の福岡ダイエーは投手陣が手薄だった)。松井秀喜が唯一スタメン落ちした試合では、3番・ライトでスタメン出場した。この年初めて日本シリーズに出場。この西武ライオンズとの日本シリーズでは、第5戦(10月27日)では緒方耕一の満塁弾の直前の打席で10球粘って四球を選んだ。最終戦となった第6戦(10月29日)では工藤公康からタイムリーツーベースヒットを放ち、長嶋茂雄の監督初の日本一に貢献した。1996年は主に控えで5本塁打を放ち、左腕キラーとして活躍。リーグ優勝に貢献した。

1997年は一度も一軍出場がなく、両ひざ故障もあり、同年オフに戦力外通告を受けて、横浜ベイスターズの入団テストを受けて合格し、入団[2]

1998年、チームは38年ぶりのリーグ優勝・日本一に輝くものの、岸川自身は不本意な成績に終わり、日本シリーズ開催前に戦力外通告を受け、同年限りで現役引退。

引退後は1999年から九州へ戻り、教職取得を目指して第一経済大学に入学。午前中は通学、午後からはテレビ西日本スポーツ・アイ野球解説者を務めた。2001年から日刊スポーツ評論家も務めた。

2002年RKB毎日放送解説者を務めた。

2003年、第一経済大学卒業と同時に巨人一軍打撃コーチに就任。オフの原辰徳の監督辞任の際には留任を要請されるが、1年で退団。翌2004年からは再び九州に戻りRKB毎日放送解説者、日刊スポーツ評論家を務めた。プロ野球マスターズリーグでは福岡ドンタクズに参加し、2005年にはモルツ球団に加入した。

同年10月、原の監督復帰を受け一軍打撃コーチに就任。就任会見では「10回のうち7回の凡打を、相手に有利になるのか、自分のチームにプラスになるように出来るかという点に重点を置いて、“打線のつながり”を目指していきたい」と抱負を語った。

2007年から二軍打撃コーチを務め、坂本勇人松本哲也を育てた。2013年10月3日に球団より来季の契約を結ばないことを通告された[3]2014年からは三たび、RKB毎日放送の野球解説者を務めている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1985 南海
ダイエー
22 33 27 5 2 0 0 1 5 1 0 0 0 0 5 0 1 5 0 .074 .242 .185 .428
1986 28 69 61 4 15 0 0 2 21 6 1 4 2 0 6 0 0 16 2 .246 .313 .344 .658
1987 7 4 3 1 1 0 0 1 4 1 1 0 0 0 1 0 0 2 0 .333 .500 1.333 1.833
1988 34 119 110 12 31 5 2 7 61 19 2 3 2 1 5 0 1 22 1 .282 .316 .555 .871
1989 123 461 400 67 104 16 3 26 204 66 10 3 3 2 52 3 4 87 4 .260 .349 .510 .859
1990 121 490 438 51 113 16 2 20 193 74 2 1 0 4 43 0 5 103 10 .258 .329 .441 .769
1991 79 315 267 39 69 14 0 20 143 61 5 1 0 2 42 3 4 68 6 .258 .365 .536 .901
1992 87 219 180 16 40 5 0 4 57 20 0 0 0 1 37 4 1 47 6 .222 .356 .317 .673
1993 96 285 255 31 56 13 0 8 93 31 4 2 0 1 29 1 0 74 3 .220 .298 .365 .663
1994 16 30 28 2 6 1 0 1 10 3 0 0 0 0 2 1 0 8 1 .214 .267 .357 .624
巨人 25 39 34 5 7 1 0 1 11 5 0 0 0 0 5 0 0 7 1 .206 .308 .324 .631
'94計 41 69 62 7 13 2 0 2 21 8 0 0 0 0 7 1 0 15 2 .210 .290 .339 .629
1995 44 65 55 3 13 3 0 1 19 6 1 0 0 0 10 0 0 13 1 .236 .354 .345 .699
1996 55 94 79 7 18 1 0 5 34 14 0 0 0 0 14 3 1 28 1 .228 .351 .430 .781
1998 横浜 7 7 6 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .167 .286 .167 .452
通算:13年 744 2230 1943 243 476 75 7 97 856 307 26 14 7 11 252 15 17 482 36 .245 .335 .441 .776
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

記録[編集]

背番号[編集]

  • 44 (1984年 - 1989年)
  • 8 (1990年 - 1994年途中)
  • 54 (1994年途中 - 同年終了)
  • 26 (1995年 - 1997年)
  • 55 (1998年)
  • 80 (2003年)
  • 86 (2006年 - 2013年)

関連情報[編集]

出演番組[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 佐賀新聞 グラウンドにそびえる伝説:「岸川勝也ネット」
  2. ^ 1998年日刊スポーツ発行プロ野球選手写真名鑑
  3. ^ 岸川、野村両コーチが退団スポーツニッポン2013年10月3日配信