1969年の野球

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

< 1969年 | 1969年のスポーツ

競技結果[編集]

日本プロ野球[編集]

ペナントレース[編集]

セントラル・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 読売ジャイアンツ 73 51 6 .589 -
2位 阪神タイガース 68 59 6 .535 6.5
3位 大洋ホエールズ 61 61 7 .500 11.0
4位 中日ドラゴンズ 59 65 6 .476 14.0
5位 アトムズ 58 69 3 .457 16.5
6位 広島東洋カープ 56 70 4 .444 18.0
パシフィック・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 阪急ブレーブス 76 50 4 .603 -
2位 近鉄バファローズ 73 51 6 .589 2.0
3位 ロッテオリオンズ 69 54 7 .561 5.5
4位 東映フライヤーズ 57 70 3 .449 19.5
5位 西鉄ライオンズ 51 75 4 .405 25.0
6位 南海ホークス 50 76 4 .397 26.0

日本シリーズ[編集]

1969年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月26日(日) 第1戦 読売ジャイアンツ 6-5 阪急ブレーブス 阪急西宮球場
10月27日(月) 第2戦 読売ジャイアンツ 1-2 阪急ブレーブス
10月28日(火) 移動日
10月29日(水) 第3戦 阪急ブレーブス 3-7 読売ジャイアンツ 後楽園球場
10月30日(木) 第4戦 阪急ブレーブス 4-9 読売ジャイアンツ
10月31日(金) 第5戦 阪急ブレーブス 5-3 読売ジャイアンツ
11月1日(土) 移動日
11月2日(日) 第6戦 読売ジャイアンツ 9-2 阪急ブレーブス 阪急西宮球場
優勝:読売ジャイアンツ(5年連続11回目)

個人タイトル[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 王貞治 巨人   長池徳二 阪急  
最優秀新人 田淵幸一 阪神   有藤通世 ロッテ  
首位打者 王貞治 巨人 .345 永淵洋三
張本勲
近鉄
東映
.333
本塁打王 王貞治 巨人 44本 長池徳二 阪急 41本
打点王 長嶋茂雄 巨人 115点 長池徳二 阪急 101点
最多安打 長嶋茂雄
王貞治
巨人 156本 永淵洋三 近鉄 162本
盗塁王 柴田勲 巨人 35個 阪本敏三 阪急 47個
最多出塁数(セ)
最高出塁率(パ)
王貞治 巨人 272個 張本勲 東映 .421
最優秀防御率 江夏豊 阪神 1.81 木樽正明 ロッテ 1.72
最多勝利 高橋一三 巨人 22勝 鈴木啓示 近鉄 24勝
最多奪三振 江夏豊 阪神 262個 鈴木啓示 近鉄 286個
最高勝率 高橋一三 巨人 .815 清俊彦 近鉄 .720

ベストナイン[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 高橋一三 巨人 鈴木啓示 近鉄
捕手 木俣達彦 中日 岡村浩二 阪急
一塁手 王貞治 巨人 大杉勝男 東映
二塁手 土井正三 巨人 山崎裕之 ロッテ
三塁手 長嶋茂雄 巨人 有藤通世 ロッテ
遊撃手 藤田平 阪神 阪本敏三 阪急
外野手 高田繁 巨人 長池徳二 阪急
D.ロバーツ アトムズ 永淵洋三 近鉄
山本一義 広島 張本勲 東映

オールスターゲーム[編集]

高校野球[編集]

大学野球[編集]

社会人野球[編集]

メジャーリーグ[編集]

できごと[編集]

1月[編集]

  • 1月10日 - 巨人は嵯峨健四郎を自由契約とする[1]
  • 1月11日 - 巨人の高倉照幸は球団から要請されていたコーチ補佐兼スカウトへの就任を断り、自由契約にしてほしいと球団に申し入れる[2]
  • 1月13日 - ヤクルトの球団社長の松園尚巳は巨人を自由契約となった高倉照幸に対して入団を要請[3]
  • 1月18日 - 東京オリオンズが株式会社ロッテと業務提携することを正式に契約したことを発表。チーム名は「ロッテオリオンズ」に[4]
  • 1月21日 - 東映は巨人を自由契約となった嵯峨健四郎の入団を発表[5]
  • 1月28日 - 阪急はダリル・スペンサーとロサンゼルス市内で契約交渉を行い、球団はスペンサーに対し20パーセントの減俸を提示したがスペンサーはこれを拒否したため、退団が決定[6]

2月[編集]

  • 2月15日 - アメリカのプロ野球新リーグのグローバル・リーグに参加する日本チームが東京・赤坂のホテル・オークラで記者会見し、元巨人の矢ノ浦国満ら14名の選手と契約を結んだと発表[7]

3月[編集]

4月[編集]

  • 4月8日 - サンケイは球団の名称を「サンケイ・アトムズ」から「ヤクルト・アトムズ」に変更するとセ・リーグに届け出、リーグも即日了承[11]
  • 4月12日 - 中日の中利夫が広島球場での対広島1回戦の8回表に二盗を決め、プロ通算300盗塁を達成[12]
  • 4月22日 - 東京球場での西鉄対ロッテ1回戦の9回裏、ロッテが無死1塁から前田益穂がバントし、西鉄の捕手の宮寺勝利が二塁へ送球するもこれがセーフの判定となるが、西鉄側が打者の前田の守備妨害をアピールしてこれが認められ、今度はこれにロッテ側が猛抗議し、試合が53分中断[13]
  • 4月26日 - 南海の広瀬叔功が大阪球場での対西鉄1回戦に中堅手として先発出場し、プロ通算1500試合出場達成[14]
  • 4月27日 - 巨人の長島茂雄が広島市民球場での対広島2回戦の七回表に二塁打を放ち、プロ通算3000塁打を達成[15]
  • 4月30日 - 西宮球場で行われた阪急対近鉄4回戦で阪急のゴードン・ウインディが3回裏に1号本塁打を放ち、阪急は開幕13試合連続本塁打を記録し、1950年に大映オリオンズが記録した「12」を抜くパ・リーグ新記録[16]

5月[編集]

  • 5月4日 - 巨人の長嶋茂雄が後楽園球場での対大洋5回戦の9回表、一死満塁の場面で右犠飛を放ち、プロ通算1000打点を記録[17]
  • 5月10日 - 中日の中利夫が中日球場での対大洋4回戦7回裏に二塁打を打ち、プロ通算1500安打を達成[18]
  • 5月11日 - 中日の田中勉が中日球場での対大洋6回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[19]
  • 5月13日 - 南海の野村克也が日生球場での対近鉄2回戦の4回表、国貞泰汎の安打で生還し、プロ通算1000得点を記録[20]
  • 5月18日 - 近鉄バファローズジム・ジェンタイル(登録名はジムタイル)が西宮球場での対近鉄6回戦の2回表に3号本塁打を放つも、一塁ベース手前で左足が肉離れを起こして負傷し、伊勢孝夫がジムタイルの代走としてホームインする[21]
  • 5月22日 - 巨人の長嶋茂雄が神宮球場での対ヤクルト9回戦の1回表に6号本塁打を放ち、プロ通算300本塁打を達成[22]
  • 5月23日 - 西鉄の監督の中西太は福岡市内の球団事務所を訪ね、病気のために休養したいと申し入れ、球団もこれを了承、監督代行としてコーチの鬼頭政一が務めることに[23]
  • 5月25日 - 中日の江藤慎一が中日球場での対巨人6回戦の3回裏に7号3ラン本塁打を放ち、プロ通算250本塁打を達成[24]
  • 5月27日 - アトムズのルー・ジャクソン脾臓壊死のため死去。享年33。
  • 5月31日 - 中日の中利夫が中日球場での対広島10回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[25]

6月[編集]

  • 6月1日 - 近鉄対東映のダブルヘッダーが西京極球場で行われ第一試合の10回戦で近鉄が9-0で勝利、第二試合も近鉄が6-1で勝利し、近鉄は球団新記録となる12連勝となる[26]
  • 6月3日 - 広島の山本一義が広島球場での対大洋5回戦の二回裏に10号本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成[27]
  • 6月4日 - 広島の水谷実雄がウエスタン・リーグの対阪急6回戦でウエスタン新記録となる1試合4本塁打を放つ[28]
  • 6月13日 - 西鉄は休養中の監督の中西太が14日の対南海戦から復帰すると発表[29]
  • 6月15日 - 中日の小川健太郎が後楽園球場での対巨人9回戦に先発し、王貞治に対し三回裏と六回裏に背面投げの変則投球[30]
  • 6月20日 - 南海対ロッテの10回戦が東京スタジアムで行われ、南海はロッテに0-6で敗れ球団新記録となる12連敗となる[31]

7月[編集]

  • 7月13日 - 阪神の権藤正利が甲子園での対中日12回戦に先発して1失点の完投勝利で4勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[32]
  • 7月22日 - 平和台球場でのオールスターゲーム第3戦、13回表の午後10時6分に球場の照明灯が全て停電し、試合が約53分中断[33]

8月[編集]

9月[編集]

  • 9月4日 - 阪急は西宮球場での対近鉄18回戦で、1回裏から4回裏まで4イニング連続で本塁打を記録し、パ・リーグ記録を作る[42]
  • 9月6日 - ロッテの前田益穂が日生球場での対近鉄23回戦の6回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[43]
  • 9月17日 - 阪神の吉田義男が甲子園球場での対ヤクルト22回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成[44]
  • 9月18日 - アトムズのデーヴ・ロバーツが甲子園球場での対阪神23回戦の3回表にこの日2本目となる32号本塁打を放ち、プロ野球通算100号本塁打を達成[45]
  • 9月23日 - 東映の大杉勝男が大阪球場での対南海17回戦の2回表に30号本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成[46]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

  • 12月1日 - 西鉄を退団した前コーチの仰木彬が、近鉄監督の三原脩から誘われ、近鉄に守備コーチとして入団が決定[65]
  • 12月4日 - 中日の球団社長の小山武夫江藤慎一に対しトレード要員とすることを通告[66]
  • 12月5日 - ヤクルトは桑田武の入団を発表。
  • 12月13日
    • 巨人の宮田征典が体力の限界を理由に球団に現役引退を申し入れ受理され、任意引退となる。
    • 中日の権藤博の退団が決定。
  • 12月15日
    • 中日はドラフト会議で一位指名した早稲田大学の谷沢健一と契約を結び、入団発表を行った。
    • 中日は田中勉に対してトレード要員とすることを通告。
    • 西鉄は球団社長に青木勇三の就任を発表。
  • 12月19日
    • 中日は田中勉に対し、「トレード先が見つからないため自由契約にする」と通告。
    • 田中勉は、『週刊ポスト』が10月24日号に「田中勉も一役?」と田中も八百長に絡んだという記事に対して、名誉棄損罪で東京地検に告訴。
  • 12月24日 - 阪神の吉田義男が大阪市北区の阪神電鉄本社にて球団社長の戸沢一隆と午後4時より会談し、6時に退団を表明[67]
  • 12月26日 - 中日の江藤慎一は球団からのトレードを拒否し、名古屋市内の江藤慎一事務所にて任意引退同意書にサイン。セ・リーグは即日任意引退選手として公示[68]

誕生[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 読売新聞1969年1月11日11面「プロ野球短信」読売新聞縮刷版1969年1月p255
  2. ^ 読売新聞1969年1月12日11面「プロ野球短信」読売新聞縮刷版1969年1月p276
  3. ^ 読売新聞1969年1月13日11面「プロ野球短信」読売新聞縮刷版1969年1月p302
  4. ^ 日刊スポーツ1969年1月19日1面「ロッテオリオンズ誕生 副会長・オーナーに中村氏 岸元首相の秘書」
  5. ^ 読売新聞1969年1月22日11面「プロ野球短信」読売新聞縮刷版1969年1月p555
  6. ^ 読売新聞1969年1月31日11面「スペンサー、阪急退団」読売新聞縮刷版1969年1月p817
  7. ^ 読売新聞1969年2月16日8面「14選手が契約 米の新プロ野球組織参加チーム」読売新聞縮刷版1969年2月p432
  8. ^ AP通信「ヤンキースのマントル引退」読売新聞縮刷版1969年3月p63
  9. ^ 読売新聞1969年3月15日15面「打球胸に浮け死ぬ 練習中の西鉄新人選手」読売新聞縮刷版1969年3月p441
  10. ^ 読売新聞1969年3月25日11面「告知板」読売新聞縮刷版1969年3月p705
  11. ^ 朝日新聞1969年4月9日13面「アトムズを正式名称に サンケイ・アトムズ」朝日新聞縮刷版1969年4月p281
  12. ^ 読売新聞1969年4月13日9面「中は三百盗塁」読売新聞縮刷版1969年4月p389
  13. ^ 読売新聞1969年4月23日9面「打球の判定めぐり53分中断 ロッテ・西鉄引き分け」読売新聞縮刷版1969年4月p689
  14. ^ 読売新聞1969年4月27日9面「広瀬、千五百試合出場」読売新聞縮刷版1969年4月p817
  15. ^ 読売新聞1969年4月28日9面「長島が三千塁打」読売新聞縮刷版1969年4月p841
  16. ^ 読売新聞1969年5月1日9面「阪急、開幕13試合連続ホーマー」読売新聞縮刷版1969年5月p9
  17. ^ 読売新聞1969年5月5日9面「長島、6人目の千打点」読売新聞縮刷版1969年5月p133
  18. ^ 読売新聞1969年5月11日9面「中が千五百本安打」読売新聞縮刷版1969年5月p281
  19. ^ 読売新聞1969年5月12日9面「田中(中日)が百勝」読売新聞縮刷版1969年5月p305
  20. ^ 読売新聞1969年5月14日8面「野村が千得点記録」読売新聞縮刷版1969年5月p372
  21. ^ 読売新聞1969年5月19日9面「史上初の代走本塁打」読売新聞縮刷版1969年5月p529
  22. ^ 読売新聞1969年5月23日9面「長島、三百号を達成」読売新聞縮刷版1969年5月p649
  23. ^ 読売新聞1969年5月24日9面「中西西鉄監督が休養 不振の責任とって 鬼頭コーチが代行」読売新聞縮刷版1969年5月p691
  24. ^ 読売新聞1969年5月26日9面「江藤兄、通算250号」読売新聞縮刷版1969年5月p741
  25. ^ 読売新聞1969年6月1日11面「中が千五百試合出場」読売新聞縮刷版1969年6月p11
  26. ^ 読売新聞1969年6月2日11面「近鉄、球団初の12連勝 第一 東映を封じ9勝」読売新聞縮刷版1969年6月p35
  27. ^ 読売新聞1969年6月4日11面「山本一(広島)通算百号」読売新聞縮刷版1969年6月p95
  28. ^ 読売新聞1969年6月5日10面「水谷(広島)1試合に4本塁打 ウエスタン新」読売新聞縮刷版1969年6月p126
  29. ^ 読売新聞1969年6月14日11面「中西監督 きょう復帰」読売新聞縮刷版1969年6月p407
  30. ^ 読売新聞1969年6月16日11面「小川、王に”背面投げ”」読売新聞縮刷版1969年6月p463
  31. ^ 読売新聞1969年6月21日11面「南海、球団初の12連敗 成田(ロッテ)が3安打完封」読売新聞縮刷版1969年6月p623
  32. ^ 読売新聞1969年7月14日11面「権藤が通算百勝」読売新聞縮刷版1969年7月p435
  33. ^ 読売新聞1969年7月23日15面「"夢の球宴"ハプニング いいところで真っ暗け 停電、ファン三万騒然」読売新聞縮刷版1969年7月p715
  34. ^ 読売新聞1969年8月2日11面「村山が奪三振通算二千個」読売新聞縮刷版1969年8月p45
  35. ^ 読売新聞1969年8月7日10面「毒島、三塁打のタイ」読売新聞縮刷版1969年8月p178
  36. ^ 読売新聞1969年8月17日11面「成田(ロッテ)ノーヒットノーラン 阪急を3四球に 今季初」読売新聞縮刷版1969年8月p483
  37. ^ 朝日新聞1969年8月19日1面「決勝きょう再試合 全国高校野球三沢ー松山商戦 延長18回で初の引分け」朝日新聞縮刷版1969年8月p543
  38. ^ 読売新聞1969年8月19日11面「白熱の攻防18回、引き分け 太田、井上力投また力投」読売新聞縮刷版1969年8月p535
  39. ^ 朝日新聞1969年8月19日夕刊1面「松山商 四度目の優勝 健闘三沢、涙のむ 全国高校野球 熱戦二日間、4-2」朝日新聞縮刷版1969年8月p569
  40. ^ 読売新聞1969年8月27日11面「高木守、プロ入り百号本塁打」読売新聞縮刷版1969年8月p775
  41. ^ 読売新聞1969年9月1日11面「張本が千五百本安打」読売新聞縮刷版1969年9月p11
  42. ^ 読売新聞1969年9月5日11面「阪急、四イニング連続ホーマー パ・リーグ新」読売新聞縮刷版1969年9月p133
  43. ^ 読売新聞1969年9月7日11面「前田(ロッテ)が千本安打」読売新聞縮刷版1969年9月p201
  44. ^ 読売新聞1969年9月18日11面「吉田(阪神)が二千試合出場 山内についで2人目」読売新聞縮刷版1969年9月p537
  45. ^ 読売新聞1969年9月19日11面「ロバーツ プロ入り百号」読売新聞縮刷版1969年9月p569
  46. ^ 読売新聞1969年9月24日夕刊8面、読売新聞縮刷版1969年9月p710
  47. ^ 読売新聞1969年10月7日11面「王、通算千打点」読売新聞縮刷版1969年10月p203
  48. ^ 読売新聞1969年10月8日15面「西鉄 永易投手が八百長」読売新聞縮刷版1969年10月p243
  49. ^ 読売新聞1969年10月9日夕刊1面「正力松太郎読売新聞社主死去 言論と政治に大きな足跡」読売新聞縮刷版1969年10月p281
  50. ^ 読売新聞1969年10月10日1面「巨人が五年連続優勝 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1969年10月p293
  51. ^ 毎日新聞1969年10月10日15面「巨人が5年連続優勝 長島、痛烈な先制29号 7試合残し、中日に快勝」毎日新聞縮刷版1969年10月p295
  52. ^ 読売新聞1969年10月11日11面「金田、史上初の400勝 城之内を救援、5回投げ切る プロ20年目で達成」読売新聞縮刷版1969年10月p339
  53. ^ 読売新聞1969年10月13日11面「榎本、二千試合出場」読売新聞縮刷版1969年10月p394
  54. ^ 日刊スポーツ1969年10月18日2面「メッツ初優勝ついに奇跡呼ぶ ワールドシリーズ最終戦」
  55. ^ 毎日新聞1969年10月19日15面「王が400号ホーマー」毎日新聞縮刷版1969年10月p583
  56. ^ 毎日新聞1969年10月20日13面「阪急、不屈の三年連続優勝」毎日新聞縮刷版1969年10月p609
  57. ^ 読売新聞1969年10月22日11面「高橋一に『沢村賞』」読売新聞縮刷版1969年10月p687
  58. ^ 朝日新聞1969年10月23日13面「中西退団本決まり 西鉄」朝日新聞縮刷版1969年10月p737
  59. ^ 読売新聞1969年10月23日11面「上田コーチ(広島)退団」読売新聞縮刷版1969年10月p719
  60. ^ 読売新聞1969年10月31日11面「岡村浩、シリーズ史上初の退場」読売新聞縮刷版1969年10月p983
  61. ^ a b 朝日新聞1969年11月5日13面「最優秀選手に王・長池 新人王は田淵・有藤」
  62. ^ 朝日新聞1969年11月6日13面「"マスクかぶりさい配" 昇格の野村新南海監督」朝日新聞縮刷版1969年11月p169
  63. ^ 毎日新聞1969年11月29日15面「永易をプロ球界から永久追放」毎日新聞縮刷版1969年10月p905
  64. ^ 朝日新聞1969年12月1日13面「金田 引退を表明 数々の記録を残し」縮刷版p13
  65. ^ 読売新聞1969年12月2日11面「球界ルポ 仰木が近鉄入り」読売新聞縮刷版1969年12月p39
  66. ^ 朝日新聞1969年12月5日13面「中日、江藤兄を放出」朝日新聞縮刷版1969年12月p149
  67. ^ 毎日新聞1969年12月25日15面「吉田、阪神を退団 任意引退へ 米国へ野球留学」毎日新聞縮刷版1969年12月p771
  68. ^ 読売新聞1969年12月27日11面「江藤兄の"引退"公示」