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バリー・ラーキン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バリー・ラーキン
Barry Larkin
ムンバイ・コブラス GM
2017年3月22日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州シンシナティ
生年月日 (1964-04-28) 1964年4月28日(60歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1985年 MLBドラフト1巡目
初出場 1986年8月13日
最終出場 2004年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
五輪 1984年
殿堂表彰者
選出年 2012年
得票率 86%
選出方法 BBWAA[:en]選出
オリンピック
男子 野球
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
1984

バリー・ルイス・ラーキンBarry Louis Larkin, 1964年4月28日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ出身の元プロ野球選手遊撃手)。右投右打。ベースボール・ユナイテッドムンバイ・コブラスのGMを務める。プロ入りから19年間すべてのシーズンをシンシナティ・レッズで過ごしたフランチャイズ・プレイヤーである。

9歳下の実弟スティーブン・ラーキン英語版も元メジャーリーガー。息子のシェーン・ラーキンはバスケットボール選手。

経歴

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プロ入り前

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子供の頃は地元シンシナティ・レッズの遊撃手であるデーブ・コンセプシオンが憧れの選手だった。1982年MLBドラフト2巡目(全体51位)でレッズから指名を受けるが契約せず、ミシガン大学へ進学。1984年には第13回日米大学野球選手権に出場[1]、さらにロサンゼルスオリンピックアメリカ合衆国代表として出場し、銀メダルを獲得した。

プロ入りとレッズ時代

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1985年MLBドラフト1巡目(全体4位)で再びレッズから指名され、プロ入り。

1986年はAAA級デンバー・ゼファーズで打率.329、10本塁打、10三塁打を記録し[2]8月13日サンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビュー[3]。憧れだったコンセプシオンを押しのけてショートのレギュラーに定着し、8月17日サンディエゴ・パドレス戦でラマー・ホイトからメジャー初本塁打を放つ[4]など打率.283、3本塁打の成績。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では1ポイントを獲得した[5]

1988年11月には日米野球グレッグ・マダックスラファエル・パルメイロらと共に来日。打率.476を記録しMVPに選ばれている。

1990年にはチームの中心選手としてワールドシリーズ制覇に貢献。

1995年には打率.319、15本塁打、66打点の成績だったが、本塁打・打点の二冠王ダンテ・ビシェットを抑えてナショナルリーグMVPを受賞。成績以上にチームリーダーとしての役割が評価されての受賞だった。

1996年には33本塁打、36盗塁を記録し、遊撃手としては史上初の「30・30」を達成した。さらに彼はヒスパニックのチームメイトと関係を構築するためにスペイン語を学んだ。

1997年、チームではコンセプシオン以来となるキャプテンに就任。

1998年、シーズン最終戦の9月27日に弟のスティーブン・ラーキン英語版が1試合だけ一塁手で出場し、兄弟同時出場が実現した。この試合で、当時レッズに所属していたブレット・ブーンアーロン・ブーン兄弟もそれぞれ二塁手三塁手で出場し、史上初の兄弟2組同時出場が実現した。

2000年8月21日にピート・ローズ、コンセプシオン、ジョニー・ベンチに次いで球団史上4人目の通算2000本安打を達成。

2004年10月2日に引退式が予定されていたが、まだ引退の意思が無かったため辞退した。

引退後

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2005年2月に正式に引退を表明。その後、ワシントン・ナショナルズGM特別補佐に就任した。

2012年1月9日に全米野球記者協会の投票により86%の得票率を得てアメリカ野球殿堂表彰が決定した[6]

ラーキンの背番号「11」。
シンシナティ・レッズの永久欠番2012年指定。

また、同年8月に古巣レッズはラーキンの現役時代につけていた背番号11永久欠番に指定することを発表した。9月20日にブラジル野球連盟はラーキンが第3回WBC予選のブラジル代表の監督に就任したことを発表した[7]

2014年に南米野球を普及強化するため行われた『エリートキャンプ』にコーチとして参加した[8]

2016年9月に行われた第4回WBC予選に、前大会に引き続きブラジル代表監督を務めた[9]

2021年からレッズの専属解説者を務める[10]

2022年7月26日にマリアノ・リベラと共にステークホルダーとしてインド、パキスタン、中東にてユナイテッド・インターナショナル・ベースボール・リーグ の発足を発表した[11]

2023年5月22日にベースボール・ユナイテッドムンバイ・コブラスのGMに就任した[12]

選手としての特徴

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スピードとパワー、ずば抜けた運動能力を持ち合わせ、「1990年代ナショナルリーグを代表するベスト・ショートストップ」と評される[13]。19シーズンに及ぶ現役生活において通算2340安打、198本塁打、379盗塁と言う数字を積み重ね、シルバースラッガー賞に9度、ゴールドグラブ賞に3度輝いた。

人物

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松井稼頭央とは面識があり、2013年のワールド・ベースボール・クラシックでは練習の際に「カズ!」と自ら呼びかけ抱擁と握手を行った[14]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1986 CIN 41 169 159 27 45 4 3 3 64 19 8 0 0 1 9 1 0 21 2 .283 .320 .403 .723
1987 125 488 439 64 107 16 2 12 163 43 21 6 5 3 36 3 5 52 8 .244 .306 .371 .677
1988 151 652 588 91 174 32 5 12 252 56 40 7 10 5 41 3 8 24 7 .296 .347 .429 .776
1989 97 357 325 47 111 14 4 4 145 36 10 5 2 8 20 5 2 23 7 .342 .375 .446 .821
1990 158 681 614 85 185 25 6 7 243 67 30 5 7 4 49 3 7 49 14 .301 .358 .396 .754
1991 123 527 464 88 140 27 4 20 235 69 24 6 3 2 55 1 3 64 7 .302 .378 .506 .884
1992 140 609 533 76 162 32 6 12 242 78 15 4 2 7 63 8 4 58 13 .304 .377 .454 .831
1993 100 440 384 57 121 20 3 8 171 51 14 1 1 3 51 6 1 33 13 .315 .394 .445 .839
1994 110 501 427 78 119 23 5 9 179 52 26 2 5 5 64 3 0 58 6 .279 .369 .419 .788
1995 131 567 496 98 158 29 6 15 244 66 51 5 3 4 61 2 3 49 6 .319 .394 .492 .886
1996 152 627 517 117 154 32 4 33 293 89 36 10 0 7 96 3 7 52 20 .298 .410 .567 .977
1997 73 276 224 34 71 17 3 4 106 20 14 3 1 1 47 6 3 24 3 .317 .440 .473 .913
1998 145 626 538 93 166 34 10 17 271 72 26 3 4 3 79 5 2 69 12 .309 .397 .504 .901
1999 161 687 583 108 171 30 4 12 245 75 30 8 5 4 93 5 2 57 12 .293 .390 .420 .810
2000 102 447 396 71 124 26 5 11 193 41 14 6 2 0 48 0 1 31 10 .313 .389 .487 .876
2001 45 185 156 29 40 12 0 2 58 17 3 2 0 0 27 2 2 25 2 .256 .373 .372 .745
2002 145 567 507 72 124 37 2 7 186 47 13 4 6 7 44 9 3 57 13 .245 .305 .367 .672
2003 70 265 241 39 68 16 1 2 92 18 2 0 1 0 22 0 1 32 7 .282 .345 .382 .727
2004 111 386 346 55 100 15 3 8 145 44 2 0 2 3 34 1 1 39 16 .289 .352 .419 .771
MLB:19年 2180 9057 7937 1329 2340 441 76 198 3527 960 379 77 59 67 939 66 55 817 178 .295 .371 .444 .815

年度別守備成績

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遊撃(SS) 二塁(2B)
























1986 CIN 36 47 119 4 21 .976 3 4 6 0 1 1.000
1987 119 168 358 19 72 .965 -
1988 148 231 470 29 67 .960 -
1989 82 142 267 10 31 .976 -
1990 156 254 469 17 86 .977 -
1991 119 226 372 15 65 .976 -
1992 140 233 408 11 67 .983 -
1993 99 159 281 16 56 .965 -
1994 110 178 312 10 62 .980 -
1995 130 192 341 11 72 .980 -
1996 151 230 426 17 80 .975 -
1997 63 77 171 5 33 .980 -
1998 145 207 361 12 79 .979 -
1999 161 220 401 14 77 .978 -
2000 102 153 249 11 43 .973 -
2001 44 65 108 9 23 .951 -
2002 135 191 370 12 89 .979 -
2003 60 71 159 9 36 .962 -
2004 85 106 216 4 33 .988 -
MLB 2085 3150 5858 235 1092 .975 3 4 6 0 1 1.000

表彰

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記録

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背番号

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代表歴

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代表でのコーチ歴

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代表での監督歴

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脚注

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  1. ^ 第13回 日米大学野球選手権(2018年10月1日閲覧)
  2. ^ Barry Larkin Minor League Statistics & History” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年7月21日閲覧。
  3. ^ 1986 Batting Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年7月21日閲覧。
  4. ^ Career Home Runs” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年7月21日閲覧。
  5. ^ NL Rookie of the Year Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年7月21日閲覧。
  6. ^ ラーキン氏、米野球殿堂入り 90年代を代表する遊撃手 朝日新聞 2012年1月10日閲覧
  7. ^ ブラジル監督にラーキン氏…WBC - スポーツ報知、2012年9月20日配信、2012年9月22日閲覧
  8. ^ メジャーリーグ=50年先見て指導 - ニッケイ新聞、2014年10月21日閲覧
  9. ^ [1] (英語) 2016年10月25日閲覧
  10. ^ Hall of Famer Barry Larkin to join Reds broadcast team”. WCPO.com (2021年2月16日). 2021年4月24日閲覧。
  11. ^ “United International Baseball League to serve Middle East, India and Pakistan”. Gulf News. (July 26, 2022). https://gulfnews.com/sport/uae-sport/united-international-baseball-league-to-serve-middle-east-india-and-pakistan-1.89522596 
  12. ^ BARRY LARKIN NAMED HONORARY GM OF BASEBALL UNITED’S MUMBAI FRANCHISE” (英語). Baseball United (May 22, 2023). June 19, 2023閲覧。
  13. ^ Barry Larkin” (英語). The Baseball Page.com. 2009年6月16日閲覧。
  14. ^ 松井「覚えていてくれた」WBCで懐かしい再会 - YOMIURI ONLINE、2014年10月21日閲覧

関連項目

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外部リンク

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