ウィリー・メイズ

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ウィリー・メイズ
Willie Mays
Willie Mays and Roy Campanella NYWTS.jpg
ウィリー・メイズ(左)と ロイ・キャンパネラ(右)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アラバマ州ウェストフィールド
生年月日 (1931-05-06) 1931年5月6日(85歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手(主に中堅手
プロ入り 1950年
初出場 1951年5月25日
最終出場 1973年9月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1979年
得票率 94.68%
選出方法 全米野球担当記者協会選出

ウィリー・ハワード・メイズWillie Howard Mays, 1931年5月6日 - )はアメリカ合衆国アラバマ州ウェストフィールド出身のプロ野球選手中堅手)。ニックネームは「セイ・ヘイ・キッド(The Say Hey Kid)」。

メジャーリーグ史上最高の「コンプリート・プレイヤー」と称される。

経歴[編集]

ジャイアンツ時代[編集]

ニグロリーグでのプレーを経て、1950年、ニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)と契約。

1951年にAAA級のミネアポリス・ミラーズで35試合に出場して打率.477を記録し、同年の5月25日にメジャーデビューを果たした。当初は12打数連続で安打を放てずにいたが、13打数目でウォーレン・スパーンからメジャー初安打・初本塁打を記録[1]。このシーズンは121試合に出場し、打率.274・20本塁打・68打点を記録し、新人王に選出された。

1952年に34試合に出場した後、朝鮮戦争に従軍し、一時的に野球を離れる。

1954年に復帰。打率.345で首位打者のタイトルを獲得し、41本塁打・110打点の活躍でMVPに選出された。ジャイアンツはナリーグのペナントを制し、ワールドシリーズではクリーブランド・インディアンスを4連勝で下してワールドチャンピオンとなる。このワールドシリーズの第1戦で、メイズは「ザ・キャッチ」として語り継がれる伝説的ファインプレーを披露している[2]

1955年には51本塁打を放ち、最多本塁打のタイトルを獲得。また、24歳137日で達成したシーズン50本塁打2007年プリンス・フィルダー(23歳139日)に更新されるまでメジャー最年少記録だった[3]

1956年は36本塁打・40盗塁を記録。

1957年は35本塁打・36盗塁で2年連続して30本塁打・30盗塁を達成。

1957年シーズン終了後ジャイアンツは本拠地をニューヨークからサンフランシスコへ移転。新しいホームグラウンドのキャンドルスティック・パークはレフトからホームへ海からの強風が吹きこみ、メイズの引っ張った打球も強風で押し戻されることが多かったが[2]20-20-20を達成。

1962年にはシーズン49本塁打で2回目の最多本塁打のタイトルを獲得。

1965年には2回目のMVPに選出され、同時に自己最多の52本塁打を記録した。このシーズンの8月には17本塁打を放ち、月間本塁打のナ・リーグ新記録を樹立[4]し、9月13日に通算500本塁打を達成した。

1966年5月4日に通算512本目の本塁打を放ち、メル・オットのナ・リーグ通算最多本塁打記録を更新[4]

しかし、1966年以降はシーズン30本塁打や100打点を記録することはできず、成績は徐々に下降線をたどる。

1967年は不調が続き、スポーツ・イラストレイテッド誌は「メイズの両目の下にはクマができている。おそらく不振で眠れないのだろう。すでに36歳。エネルギッシュで颯爽としていたプレーは、過去のものとなってしまった」との記事を掲載した。これに対し、メイズは反論をせず、記事を認めるコメントをしている[2]。その一方で1970年1月17日に「スポーティング・ニュース」はメイズを1960年代最高の選手(Player of the Decade)に選出した[4]

メッツ時代[編集]

1972年5月12日にチャーリー・ウィリアムズと金銭50,000ドルでニューヨーク・メッツへトレード移籍[5]

引退後[編集]

1973年に現役を引退した。

メイズの背番号24」は1972年にジャイアンツの永久欠番となった[6]

1979年、432票中409票(94.68%)の得票で有資格初年度にアメリカ野球殿堂入りを果たした[7]

1979年10月29日に、カジノ経営に絡む企業の仕事を受けたとして、MLBコミッショナーのボウイ・キューンから追放処分を受ける。同様の処分は1983年にミッキー・マントルにも科せられていたが、1985年3月18日にMLBコミッショナーのピーター・ユベロスが2人の追放を解除している[8]

選手としての特徴[編集]

通算660本塁打を放ち、引退当時はベーブ・ルースハンク・アーロンに次ぐ3位だった。1951年新人王ゴールドグラブ賞12回・本塁打王4回・盗塁王4回を獲得している万能選手である。「ライフルアーム」と呼ばれた強肩の持ち主であった。

オールスターにも1954年から1973年まで20回連続で出場した。テッド・ウィリアムスは「オールスターはメイズのためにつくられた」と述べている。

逸話[編集]

ザ・キャッチ[編集]

1954年のワールドシリーズはメイズ擁するニューヨーク・ジャイアンツとクリーブランド・インディアンスとの対戦で、第1戦は9月29日、ジャイアンツの本拠地ポロ・グラウンズで行われた。

2対2の同点で迎えた8回表、インディアンスは先頭のラリー・ドビーがフォアボールで出塁、続くアル・ローゼンのヒットでノーアウト一、二塁とチャンスを作る。ここで打席に立ったビク・ワーツが打った打球はセンターのメイズの後方への大飛球となる。この瞬間、誰もがインディアンスの勝ち越しを予期し、試合が決まったと思った。

しかし、この打球を懸命の背走で追ったメイズは、ほとんど振り向くことなく、全速力のままボールの落下点に到達。グラブを大きく開いたメイズは肩越しに捕球すると同時に反転、内野に送球すると勢いで前方に倒れこんだ。固唾を飲んで打球の行方を追っていた大観衆は、ヒット性の当たりがアウトになったことを悟り、大歓声をあげた。ジャイアンツが絶体絶命のピンチを脱した一方で、インディアンスは試合を決めるチャンスを逃した。結局この試合は延長戦にもつれ込み、最後はジャイアンツがサヨナラ勝ちを収めた。そのまま勢いに乗ったジャイアンツは、下馬評で有利と見られていたインディアンスを4タテ(スウィープ)してワールドチャンピオンに輝いた[2]

このメイズのファイン・プレーはシリーズの流れを決し、メイズがボールをグラブに収める瞬間を見事にとらえた写真が広まったこともあり、「ザ・キャッチ」として今も語り継がれている。

また、この打球を放ったワーツは後に、「あの打球が三塁打かホームランになったら、みな私の事など忘れているだろう」と語っていたという。

その他[編集]

「ザ・キャッチ」のプレーは有名だが、メイズは4度出場したワールドシリーズにおいて特筆すべきプレーは同プレーが唯一と言ってよく、その8年後に出場したニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは第1戦で3安打1打点を挙げるものの、第2戦以降は24打数4安打0打点であった。ワールドシリーズ通算でも打率.239、本塁打0本に終わっており、メイズはワールドシリーズで本来の実力が発揮出来なかった名選手の一人に挙げられている[9]

同時代に活躍したハンク・アーロンと比較されることが多かった。一時期は地味なアーロンに比べ華やかなメイズの評判が高かったが、1974年にアーロンがベーブ・ルースの通算本塁打記録を更新してからは評価が逆転した[2]。なお、殿堂入りの際に「あなたの現役時代においてもっともすぐれた選手は誰だったと思いますか」と問われたメイズは、「俺こそがそうだった」と答えている。

バリー・ボンズの名付け親としてもよく知られており、バリーがジャイアンツに移籍する際に、メイズの永久欠番である「24」をつけたいと依頼し、これにはメイズも快諾したが、周囲の強い反対を受けた。そのためバリーの父であり、メイズのチームメイトであったボビー・ボンズがつけていた隣の「25」をつけた逸話がある。

若かりし頃の野村克也に「ムース」のあだ名をつけたのはメイズである。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1951 NYG
SF
121 524 464 59 127 22 5 20 219 68 7 4 1 -- 57 -- 2 60 11 .274 .356 .472 .828
1952 34 144 127 17 30 2 4 4 52 23 4 1 0 -- 16 -- 1 17 2 .236 .326 .409 .735
1954 151 640 565 119 195 33 13 41 377 110 8 5 0 7 66 -- 2 57 12 .345 .411 .667 1.078
1955 152 670 580 123 185 18 13 51 382 127 24 4 0 7 79 13 4 60 12 .319 .400 .659 1.059
1956 152 650 578 101 171 27 8 36 322 84 40 10 0 3 68 20 1 65 16 .296 .369 .557 .926
1957 152 668 585 112 195 26 20 35 366 97 38 19 0 6 76 15 1 62 14 .333 .407 .626 1.033
1958 152 685 600 121 208 33 11 29 350 96 31 6 0 6 78 12 1 56 11 .347 .419 .583 1.002
1959 151 648 575 125 180 43 5 34 335 104 27 4 0 6 65 9 2 58 11 .313 .381 .583 .964
1960 153 669 595 107 190 29 12 29 330 103 25 10 0 9 61 11 4 70 15 .319 .381 .555 .936
1961 154 659 572 129 176 32 3 40 334 123 18 9 0 4 81 15 2 77 14 .308 .393 .584 .977
1962 162 706 621 130 189 36 5 49 382 141 18 2 0 3 78 11 4 85 19 .304 .384 .615 .999
1963 157 671 596 115 187 32 7 38 347 103 8 3 0 7 66 5 2 83 15 .314 .380 .582 .962
1964 157 665 578 121 171 21 9 47 351 111 19 5 1 3 82 13 1 72 11 .296 .383 .607 .990
1965 157 638 558 118 177 21 3 52 360 112 9 4 2 2 76 16 0 71 11 .317 .398 .645 1.043
1966 152 629 552 99 159 29 4 37 307 103 5 1 1 4 70 11 2 81 13 .288 .368 .556 .924
1967 141 544 486 83 128 22 2 22 220 70 6 0 2 3 51 7 2 92 12 .263 .334 .453 .787
1968 148 573 498 84 144 20 5 23 243 79 12 6 0 6 67 7 2 81 13 .289 .372 .488 .860
1969 117 459 403 64 114 17 3 13 176 58 6 2 0 4 49 7 3 71 8 .283 .362 .437 .799
1970 139 566 478 94 139 15 2 28 242 83 5 0 0 6 79 3 3 90 7 .291 .390 .506 .896
1971 136 537 417 82 113 24 5 18 201 61 23 3 1 4 112 11 3 123 8 .271 .425 .482 .907
1972 19 67 49 8 9 2 0 0 11 3 3 0 1 0 17 1 0 5 4 .184 .394 .224 .618
NYM 69 242 195 27 52 9 1 8 87 19 1 5 3 0 43 5 1 43 5 .267 .402 .446 .848
'72計 88 309 244 35 61 11 1 8 98 22 4 5 4 0 60 6 1 48 9 .250 .400 .402 .802
1973 66 239 209 24 44 10 0 6 72 25 1 0 1 1 27 0 1 47 7 .211 .303 .344 .647
通算:22年 2992 12493 10881 2062 3283 523 140 660 6066 1903 338 103 13 91 1464 192 44 1526 251 .302 .384 .557 .941
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • NYG(ニューヨーク・ジャイアンツ)は、1958年にSF(サンフランシスコ・ジャイアンツ)に球団名を変更

タイトル[編集]

  • 首位打者 1回:1954年(.345)
  • 本塁打王 4回:1955年(51)、1962年(49)、1964年(47)、1965年(52)
  • 盗塁王 4回:1956年(40)、1957年(38)、1958年(31)、1959年(27) 

表彰[編集]

記録[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Stein, Fred; D. Renino, Christopherur. “The Ballplayers - Willie Mays” (英語). BaseballLibrary.com. 2009年2月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e 康煕奉 「スーパーメジャーな男たち第14回 WILLE MAYS ウィリー・メイズ」『スラッガー』1999年8月号、日本スポーツ企画出版社、1999年、雑誌05456-8、86 - 89項
  3. ^ Cardinals vs. Brewers - Recap - September 25, 2007” (英語). ESPN.com. 2009年2月20日閲覧。
  4. ^ a b c Willie Mays from the Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2009年2月20日閲覧。
  5. ^ Willie Mays Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年2月20日閲覧。
  6. ^ Retired Uniform Numbers in the National League” (英語). Baseball Almanac. 2009年2月20日閲覧。
  7. ^ HALL OF FAME VOTING: BASEBALL WRITERS ELECTION 1979 ELECTION” (英語). National Baseball Hall of Fame and Museum. 2009年2月20日閲覧。
  8. ^ 週刊ベースボール別刊桔梗号「大リーグ厳選の名場面100」92-93ページ
  9. ^ ベースボール・マガジン社刊 スポーツ伝説シリーズ22 メジャーリーグ「ワールドシリーズ伝説」67-68ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]