ディック・アレン

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ディック・アレン
Dick Allen
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州ローレンス郡ワムパム英語版
生年月日 (1942-03-08) 1942年3月8日(76歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手三塁手
プロ入り 1960年
初出場 1963年9月3日
最終出場 1977年6月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

リチャード・アンソニー・アレンRichard Anthony Allen, 1942年3月8日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ローレンス郡ワムパム英語版出身の元プロ野球選手一塁手三塁手)。右投右打。愛称はWampum Walloper

兄のハンク・アレン英語版、弟のロン・アレン英語版もメジャーリーガーである。

経歴[編集]

プロ入りとフィリーズ時代[編集]

1960年フィラデルフィア・フィリーズと契約してプロ入り。1963年に傘下のAAA級アーカンソー・トラベラーズで33本塁打・97打点を記録し、9月3日ミルウォーキー・ブレーブス戦でメジャーデビュー。1964年は開幕から三塁のレギュラーに定着。全試合に出場し、打率.318・29本塁打・91打点、いずれもリーグトップの125得点・13三塁打・352塁打・138三振を記録。チームは残り12試合で2位に6.5ゲーム差を付けリーグ優勝をほぼ手中にしていたが、そこから10連敗を喫し2位に終わった。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では2位以下に大きく差を付けて受賞。1965年は自身初のオールスターに選出され、以後3年連続で選出。1966年は5月に故障者リスト入りするが、前半戦で21本塁打を記録。最終的に打率.317、ハンク・アーロンに次ぐリーグ2位の40本塁打、共にリーグ3位の110打点・112得点、共にリーグトップの長打率.632・OPS1.027の成績で、MVPの投票で4位に入った。1967年8月23日を最後に故障で離脱するが、共にリーグトップの出塁率.404・OPS.970を記録。1968年ウィリー・マッコビーに次ぐリーグ2位の33本塁打。1969年は故障で6月から約1ヶ月欠場するが、チームトップの32本塁打・89打点を記録した。

カージナルス時代[編集]

1969年10月7日カート・フラッドティム・マッカーバーら4選手とのトレードで、クッキー・ロハス英語版他1選手とともにセントルイス・カージナルスへ移籍した[1]

1970年は前半戦で25本塁打を放ち、3年ぶりにオールスターに選出される。後半戦でまたも故障し122試合の出場に留まるが、34本塁打・101打点を記録した。

ドジャース時代[編集]

1970年10月5日に2選手とのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。

1971年は怪我なくシーズンを過ごし、リーグ4位の93四球を記録したが、23本塁打・90打点とやや期待外れの成績に終わった。

ホワイトソックス時代[編集]

1971年12月2日トミー・ジョン他1選手とのトレードで、シカゴ・ホワイトソックスへ移籍した。

1972年は2年ぶりにオールスターに選出される。最終的に打率.308、いずれもリーグトップの37本塁打・113打点・99四球・出塁率.420・長打率.603・OPS1.023の大活躍でMVPを受賞した。1973年は6月まで打率.310・16本塁打と好調だったが、故障で離脱。7月末に復帰するがすぐに離脱し、レギュラー定着以後最少の72試合の出場に終わる。1974年は前半戦で26本塁打を記録し、3年連続でオールスターゲームに選出される。しかし同年シカゴ・カブスから移籍してきたロン・サントと衝突し、「奴はカブスにいた時のようにチームのリーダーを気取っている」などと発言した。9月8日を最後に欠場するが、リーグトップの32本塁打・長打率.563・OPS.938をマーク。12月3日に後日発表選手プラス金銭との交換トレードでブレーブスに移籍。

ホワイトソックス退団後[編集]

1975年3月7日に2選手プラス金銭とのトレードで、古巣・フィリーズに復帰した。この年は12本塁打・62打点、1976年も15本塁打・49打点と振るわなかったが、マイク・シュミットグレッグ・ルジンスキーなどの若手打者にアドバイスを送り、彼らの成長を手助けした[2]。オフにフリーエージェントとなり、1977年3月16日オークランド・アスレチックスと契約。4月は打率.313と好調なスタートを切るが、徐々に失速。6月19日を最後に離脱し、打率.240・5本塁打に終わる。1978年3月28日に解雇され、現役引退。

引退後[編集]

引退後は趣味である馬の飼育に専念したり、フィリーズやホワイトソックスで打撃インストラクターを務めたが、あまり長続きしなかった[2]

2017年シーズン終了後からは、ミッキー・モランディーニと共にフィリーズの球団アンバサダーへ就任した[3]

人物[編集]

アクの強い性格で、現役時代のみならず引退後も有名。1966年にはヒューストン・アストロズの本拠地アストロドームに敷かれた人工芝について、「馬が食わない代物の上でプレー出来るか」と批判した。

ただし、

  • 「遅刻をしたことに対しては何度も罰金を科したが、試合を休むことはなく、チームメイトにも好かれていた。」―メジャーデビュー時、フィリーズの監督だったジーン・モーク英語版
  • 「若い選手の面倒をよく見たし、いつも懸命にプレーしていた。彼こそチームのリーダーだった。」―ホワイトソックス時代の監督だったチャック・タナー英語版

といった好意的な評価もある[2]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1963 PHI 10 25 24 6 7 2 1 0 11 2 0 0 0 1 0 0 0 5 2 .292 .280 .458 .738
1964 162 709 632 125 201 38 13 29 352 91 3 4 6 3 67 13 0 138 8 .318 .382 .557 .939
1965 161 707 619 93 187 31 14 20 306 85 15 2 6 6 74 6 2 150 13 .302 .375 .494 .870
1966 141 599 524 112 166 25 10 40 331 110 10 6 0 4 68 13 3 136 9 .317 .396 .632 1.027
1967 122 540 463 89 142 31 10 23 262 77 20 5 1 0 75 18 1 117 9 .307 .404 .566 .970
1968 152 605 521 87 137 17 9 33 271 90 7 7 2 7 74 15 1 161 7 .263 .352 .520 .872
1969 118 506 438 79 126 23 3 32 251 89 9 3 0 4 64 10 0 144 10 .288 .375 .573 .949
1970 STL 122 533 459 88 128 17 5 34 257 101 5 4 0 1 71 16 2 118 9 .279 .377 .560 .937
1971 LAD 155 649 549 82 162 24 1 23 257 90 8 1 1 5 93 13 1 113 23 .295 .395 .468 .863
1972 CWS 148 609 506 90 156 28 5 37 305 113 19 8 0 3 99 16 1 126 13 .308 .420 .603 1.023
1973 72 288 250 39 79 20 3 16 153 41 7 2 1 3 33 3 1 51 9 .316 .394 .612 1.006
1974 128 525 462 84 139 23 1 32 260 88 7 1 0 5 57 9 1 89 16 .301 .375 .563 .938
1975 PHI 119 481 416 54 97 21 3 12 160 62 11 2 1 4 58 4 2 109 19 .233 .327 .385 .712
1976 85 339 298 52 80 16 1 15 143 49 11 4 1 3 37 2 0 63 13 .268 .346 .480 .826
1977 OAK 54 200 171 19 41 4 0 5 60 31 1 3 0 4 24 0 1 36 4 .240 .330 .351 .681
MLB:15年 1749 7315 6332 1099 1848 320 79 351 3379 1119 133 52 19 53 894 138 16 1556 164 .292 .378 .534 .912
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 32(1963年)
  • 15(1964年 - 1976年)
  • 60(1977年)

脚注[編集]

  1. ^ フラッドがこれを拒否したため法廷闘争に及び(カート・フラッド事件)、翌年8月30日に2選手がフィリーズに移りトレードは完結した。
  2. ^ a b c 「殿堂入りしていない英雄列伝 第24回 ディック・アレン」『月刊スラッガー』2012年3・4月合併号 日本スポーツ企画出版社 67-69頁
  3. ^ Phillies Name Allen, Morandini Club Ambassadors” (英語). MLB.com (2017年11月30日). 2018年2月8日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]