ジェフ・バグウェル

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ジェフ・バグウェル
Jeff Bagwell
Jeff Bagwell batting.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 マサチューセッツ州ボストン
生年月日 (1968-05-17) 1968年5月17日(48歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手
プロ入り 1989年 ドラフト4巡目
初出場 1991年4月8日
最終出場 2005年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 2017年
得票率 86.2%
選出方法 BBWAA選出

ジェフリー・ロバート・バグウェルJeffrey Robert Bagwell, 1968年5月27日 - )は、MLBの元選手。ポジションは一塁手アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン出身。ニックネームは「Baggy」。

経歴[編集]

1989年のMLBドラフトボストン・レッドソックスから4巡目に指名を受け入団。1990年はAA級で打率.333・出塁率.422を記録するが、8月30日に1選手との交換トレードでヒューストン・アストロズに移籍。ボストン出身だけあって家族全員がレッドソックスファンであり、自身もカール・ヤストレムスキーの大ファンだった。それだけに、このトレードには非常に衝撃を受けたと後に語っている[1]

1991年は開幕メジャー入りを果たし、4月8日シンシナティ・レッズ戦でメジャーデビュー。元は三塁手だったが、三塁にはケン・カミニティがいたため一塁手にコンバートされる[1]。レギュラーを獲得し、打率.294・15本塁打・82打点を記録。球団史上初のルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した[1]。レッドソックスファンの間では、このトレードはベーブ・ルース放出以来の悲劇とも言われた[2][3]

1992年は5月終了時点で打率.230と低迷したが、その後復調。全試合に出場し打率.273・18本塁打・96打点を記録した[4]

1993年は5月に打率.412を記録し、プレイヤー・オブ・ザ・マンスを初受賞。9月12日フィラデルフィア・フィリーズ戦で左手に死球を受けて骨折し、以後は欠場するものの打率.320・20本塁打・88打点の好成績を挙げた。

1994年6月24日ロサンゼルス・ドジャース戦で、6回の1イニング2本塁打を含む3打席連続本塁打を記録[5]。6月は打率.394・13本塁打、7月は打率.409・11本塁打でプレイヤー・オブ・ザ・マンスを2ヶ月連続で受賞するなど前半戦で打率.348・27本塁打・82打点を記録し、オールスターゲームに初選出される。8月10日サンディエゴ・パドレス戦で再び左手に死球を受けて骨折。2日後に1994年から1995年のMLBストライキに突入し、そのままシーズンが打ち切られた。共に球団新記録でリーグ2位の打率.368・39本塁打、いずれもリーグトップの116打点・104得点・長打率.750・OPS1.201を記録し、最多打点のタイトルを獲得。MVPをリーグ4人目となる満票で受賞し[1]シルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞も初受賞した。

1995年5月28日アトランタ・ブレーブス戦で8回に本塁打を放ち、グレッグ・マダックスノーヒッターを阻止[6]。前年の活躍から一転して5月終了時点で打率が.200を切る不振に陥る。7月30日、前年と同じパドレス戦でまたも左手に死球を受けて3年連続で骨折し、1ヶ月の離脱。打率.290・21本塁打・87打点の成績だった。この頃からチームメイトのクレイグ・ビジオデレク・ベル英語版と共に「キラーB's(殺人蜂の意)」(3人のイニシャルがBなことに由来する)と呼ばれた。この呼び名は、後にベルが退団後もランス・バークマンカルロス・ベルトランを擁して受け継がれた。

1996年は5月に打率.360・10本塁打・31打点を記録し、4度目のプレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞。全試合に出場し打率.315・31本塁打・120打点、リーグトップの48二塁打を記録した。

1997年は打率.286、共にリーグ2位の43本塁打・135打点、31盗塁を記録し球団史上初、一塁手としては1987年ジョー・カーター以来2人目の30本塁打・30盗塁を達成[1]。チームの11年ぶり地区優勝の原動力となる。ブレーブスとのディビジョンシリーズでは12打数1安打と全く振るわず、チームは3連敗で敗退した。MVPの投票では3位に入った。

1998年は序盤は低調も徐々に持ち直し、打率.304・34本塁打・111打点を記録し、チームは地区連覇。パドレスとのディビジョンシリーズでは第2戦で3打点を挙げるが打率.143に終わり、チームは1勝3敗で敗退。

1999年は全試合に出場して打率.304・42本塁打・126打点・30盗塁、共にリーグトップの149四球・143得点で2度目の30本塁打・30盗塁を達成し、チームは地区3連覇。ブレーブスとのディビジョンシリーズでは打率.154とまたも振るわず、チームは1勝3敗で3年連続のディビジョン敗退となった。MVPの投票ではチッパー・ジョーンズに次ぐ2位。

打者有利の新球場エンロン・フィールドが開場した2000年は打率.310、共にリーグ3位の47本塁打・132打点、リーグトップの152得点を記録するが、チームは地区4位に終わった。

2001年7月7日カンザスシティ・ロイヤルズ戦で7打点、7月18日セントルイス・カージナルス戦でサイクルヒットを達成するなど7月に9本塁打・36打点を記録し、5度目のプレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞。キャリアワーストの135三振を喫したが、39本塁打・130打点・106四球・126得点を記録し、史上初の6年連続30本塁打・100打点・100四球・100得点を達成。3度目の対戦となったブレーブスとのディビジョンシリーズでは打率.429・5四球を記録するが、チームは3連敗でまたも敗退した。

2002年は31本塁打・101四球を記録するが、98打点・94得点で連続記録が途切れた。

2004年は右肩の故障を抱えながらも27本塁打を記録し、チームはワイルドカードを獲得。ブレーブスとのディビジョンシリーズでは第2戦でポストシーズン初本塁打を放つなど2本塁打・5打点と活躍し、3勝2敗で4度目の対戦にして勝利。カージナルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは王手をかけてから連敗し、悲願のリーグ優勝はならなかった。

2005年は5月から4ヶ月に渡って故障者リスト入り。復帰後は代打として出場し、チームは2年連続でワイルドカードを獲得。プレイオフでブレーブス、カージナルスを破り球団創設以来初のリーグ優勝を果たす。シカゴ・ホワイトソックスとのワールドシリーズでは打率.125に終わり、チームは4連敗で敗退した。

2006年は出場なしに終わり、12月15日に現役引退を発表。通算449本塁打・1529打点・1401四球、1999年の149四球、2000年に記録した47本塁打・152得点はいずれも球団記録である。

2007年からはアドバイザースタッフとして球団に残る。同年8月26日背番号5』が球団史上8人目の永久欠番に指定された。2010年途中から同年終了まで打撃コーチを務めた。

2017年1月18日、殿堂候補有資格7年目でアメリカ野球殿堂入りを果たした。381票は同年のトップ選出となった。

薬物疑惑[編集]

メジャー昇格前は長打力に乏しかったが、昇格後は次第にボディビルダーのような筋骨隆々の体になり、リーグを代表する強打者になったことから薬物使用を疑われることが多かったが、その度に使用を否定してきた[7]。それでも疑惑は残ったままで、アメリカ野球殿堂入りの得票率にも悪影響を与えている[8]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1991 HOU 156 650 554 79 163 26 4 15 242 82 7 4 1 7 75 5 13 116 12 .294 .387 .437 .824
1992 162 697 586 87 160 34 6 18 260 96 10 6 2 13 84 13 12 97 17 .273 .368 .444 .812
1993 142 609 535 76 171 37 4 20 276 88 13 4 0 9 62 6 3 73 20 .320 .388 .516 .904
1994 110 479 400 104 147 32 2 39 300 116 15 4 0 10 65 14 4 65 12 .368 .451 .750 1.201
1995 114 539 448 88 130 29 0 21 222 87 12 5 0 6 79 12 6 102 9 .290 .399 .496 .895
1996 162 719 568 111 179 48 2 31 324 120 21 7 0 6 135 20 10 114 15 .315 .451 .570 1.021
1997 162 717 566 109 162 40 2 43 335 135 31 10 0 8 127 27 16 122 10 .286 .425 .592 1.017
1998 147 661 540 124 164 33 1 34 301 111 19 7 0 5 109 8 7 90 14 .304 .424 .557 .981
1999 162 729 562 143 171 35 0 42 332 126 30 11 0 7 149 16 11 127 18 .304 .454 .591 1.045
2000 159 719 590 152 183 37 1 47 363 132 9 6 0 7 107 11 15 116 19 .310 .424 .615 1.039
2001 161 717 600 126 173 43 4 39 341 130 11 3 0 5 106 5 6 135 20 .288 .397 .568 .965
2002 158 691 571 94 166 33 2 31 296 98 7 3 0 9 101 8 10 130 16 .291 .401 .518 .919
2003 160 702 605 109 168 28 2 39 317 100 11 4 0 3 88 3 6 119 25 .278 .373 .524 .897
2004 156 679 572 104 152 29 2 27 266 89 6 4 0 3 96 6 8 131 12 .266 .377 .465 .842
2005 39 123 100 11 25 4 0 3 38 19 0 0 0 4 18 1 1 21 2 .250 .358 .380 .738
通算:15年 2150 9431 7797 1517 2314 488 32 449 4213 1529 202 78 3 102 1401 155 128 1558 221 .297 .408 .540 .948
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e The Ballplayers - Jeff Bagwell” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月29日閲覧。
  2. ^ The List: Readers Pick Most Lopsided Trades” (英語). ESPN.com. 2008年3月13日閲覧。
  3. ^ Worst deadline trades” (英語). ESPN.com. 2008年3月13日閲覧。
  4. ^ Jeff Bagwell 1992 Batting Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年9月29日閲覧。
  5. ^ Jun 24, 1994, Dodgers at Astros Box Score and Play by Play” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月19日閲覧。
  6. ^ May 28, 1995, Braves at Astros Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月19日閲覧。
  7. ^ Jeff Bagwell tires of steroids talk
  8. ^ Suspicion of Steroid Use Could Keep Bagwell and Piazza Out of Hall

外部リンク[編集]