ハル・マクレー

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ハル・マクレー
Hal McRae
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州ハイランズ郡エイボンパーク英語版
生年月日 (1945-07-10) 1945年7月10日(73歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 指名打者外野手
プロ入り 1965年 MLBドラフト6巡目(全体117位)でシンシナティ・レッズから指名
初出場 1968年7月11日
最終出場 1987年7月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

ハロルド・エイブラハム・マクレーHarold Abraham McRae, 1945年7月10日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州ハイランズ郡エイボンパーク英語版出身の元プロ野球選手指名打者外野手)、のちに監督。右投右打。息子のブライアン・マクレー英語版も外野手としてメジャーリーグベースボールでプレーした。

来歴・人物[編集]

1965年MLBドラフト6巡目(全体117位)でシンシナティ・レッズより指名される。

1968年にメジャーに昇格。1969年マイナーリーグに留まり、1970年に再昇格するが、レッズは同年監督に就任したスパーキー・アンダーソン監督の下、「ビッグレッドマシン」と呼ばれる大リーグの歴史に残る最強チームへの道を歩む過程にあり、レギュラー定着を果たせなかった。

1973年に交換トレードで、カンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した[1]。移籍2年目の1974年には148試合に出場して打率.310、15本塁打、88打点の成績を残しレギュラーに定着。1975年1976年には2年連続でMLBオールスターゲームに選出される。1976年以後は指名打者としての起用が中心となるが、同年は自己最高の打率.332を記録して首位打者争いに加わり、22盗塁とアメリカンリーグ最高の出塁率.406を記録。1977年は21本塁打、92打点を記録。二塁打54はアメリカンリーグ最多であった。

1981年にはロイヤルズの一員として日米野球で来日。ジョージ・ブレットフランク・ホワイトらと共に日本のファンにもアピールした。 ベストシーズンは36歳の1982年で、打率.308、自己最多の27本塁打、133打点を記録し、アメリカンリーグ最多打点を獲得。二塁打46もリーグ最多で、指名打者としてシルバースラッガー賞に選出された。 前後するが、ワールドシリーズはレッズ時代の1970年1972年、ロイヤルズ移籍後の1980年と三度敗れたが、1985年に念願のチャンピオンリングを手に入れる。

1987年シーズン途中で現役引退し、そのままロイヤルズのコーチに就任。モントリオール・エクスポズの打撃コーチを経て1991年途中にロイヤルズの監督に就任。ストライキで打ち切りとなった1994年まで務める。 古巣レッズ、フィラデルフィア・フィリーズの打撃コーチを経て、2001年途中にタンパベイ・デビルレイズ(現在のレイズ)の2代目監督に就任。同じ1998年に創設されたアリゾナ・ダイヤモンドバックスが2001年にはワールドシリーズ優勝を果たしたのとは対照的に2年連続最下位に終わり[2]2002年限りで退任した。 2005年セントルイス・カージナルスの打撃コーチに就任し、2006年にチームはワールドシリーズ優勝を果たす。自身2個目のチャンピオンリングを獲得した。同職を2009年まで務める。

息子のブライアン・マクレー英語版1985年MLBドラフト1巡目(全体17位)でロイヤルズから指名され、プロ入り。当時ハルはロイヤルズの現役選手であった。1990年のロイヤルズを皮切りに1999年まで5チームでプレー。1992年のオープン戦では監督のハルが「現役復帰」し、非公式戦ではあるが親子同時出場を果たした。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1968 CIN 17 56 51 1 10 1 0 0 11 2 1 1 1 0 4 2 0 14 2 .196 .255 .216 .470
1970 70 182 165 18 41 6 1 8 73 23 0 2 0 1 15 2 1 23 6 .248 .313 .442 .756
1971 99 354 337 39 89 24 2 9 144 34 3 2 3 1 11 0 2 35 8 .264 .291 .427 .718
1972 61 105 97 9 27 4 0 5 46 26 0 0 0 4 2 0 2 10 5 .278 .295 .474 .769
1973 KC 106 382 338 36 79 18 3 9 130 50 2 2 1 3 34 2 6 38 7 .234 .312 .385 .697
1974 148 607 539 71 167 36 4 15 256 88 11 8 5 4 54 6 5 68 12 .310 .375 .475 .850
1975 126 547 480 58 147 38 6 5 212 71 11 8 6 10 47 7 4 47 18 .306 .366 .442 .808
1976 149 609 527 75 175 34 5 8 243 73 22 12 2 8 64 7 8 43 13 .332 .407 .461 .868
1977 162 720 641 104 191 54 11 21 330 92 18 14 2 5 59 5 13 43 12 .298 .366 .515 .881
1978 156 692 623 90 170 39 5 16 267 72 17 8 1 11 51 6 6 62 15 .273 .329 .429 .757
1979 101 444 393 55 113 32 4 10 183 74 5 4 1 7 38 0 4 46 6 .288 .351 .466 .816
1980 124 532 489 73 145 39 5 14 236 83 10 2 0 6 29 4 8 56 13 .297 .342 .483 .825
1981 101 433 389 38 106 23 2 7 154 36 3 4 3 5 34 3 2 33 11 .272 .330 .396 .726
1982 159 676 613 91 189 46 8 27 332 133 4 4 1 2 55 7 5 61 8 .308 .369 .542 .910
1983 157 654 589 84 183 41 6 12 272 82 2 3 0 5 50 7 10 68 18 .311 .372 .462 .833
1984 106 361 317 30 96 13 4 3 126 42 0 3 0 9 34 3 1 47 10 .303 .363 .397 .760
1985 112 369 320 41 83 19 0 14 144 70 0 1 2 2 44 3 1 45 12 .259 .349 .450 .799
1986 112 299 278 22 70 14 0 7 105 37 0 0 0 2 18 4 1 39 9 .252 .298 .378 .675
1987 18 37 32 5 10 3 0 1 16 9 0 0 0 0 5 1 0 1 1 .313 .405 .500 .905
MLB:19年 2084 8059 7218 940 2091 484 66 191 3280 1097 109 78 28 85 648 69 79 779 186 .290 .351 .454 .805
  • 各年度の太字はリーグ最高

監督成績[編集]

獲得タイトル他[編集]

背番号[編集]

  • 11(1968年、1970年 - 1987年、1991年途中 - 1994年、2002年)
  • 12(1990年 - 1991年途中、2005年)
  • 4(1995年 - 1996年)
  • 56(1997年 - 2001年)
  • 8(2006年 - 2007年)
  • 16(2008年 - 2009年)

脚注[編集]

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  1. ^ 2対2の交換トレードであったが、交換要員の一人に後に広島東洋カープに在籍するリッチー・シェインブラム(登録名シェーン)がいた。
  2. ^ デビルレイズは1998年球団創設以来、デビルレイズを名乗った2007年までの10シーズンは、唯一70勝をあげて地区4位となった2004年を除いて毎年地区最下位であった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]