ロッキー・コラビト

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ロッキー・コラビト
Rocky Colavito
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州ニューヨーク市
生年月日 (1933-08-10) 1933年8月10日(84歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1951年 クリーブランド・インディアンスと契約
初出場 1955年9月10日
最終出場 1968年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

ロッコ・ドメニコ・コラビトRocco Domenico Colavito, 1933年8月10日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

経歴[編集]

現役時代[編集]

1951年のシーズン前にクリーブランド・インディアンスと契約してプロ入り。1955年9月10日にインディアンスでメジャーデビューを果たした。この年は、5試合に出場して打率.444という数字を記録した。1956年は、メジャー2年目(実質1年目)にして21本塁打を記録。ルーキー・オブ・ザ・イヤーのタイトルこそ逃したものの、2位に付けた(1位は盗塁王のタイトルを獲得したシカゴ・ホワイトソックスルイス・アパリシオ)。続く1957年は規定打席に到達。1958年は更に勢いを伸ばし、打率.303、41本塁打、113打点という素晴らしい成績を記録。MVP投票で3位に付けた(1位は打率.286・35本塁打・122打点を記録したボストン・レッドソックスジャッキー・ジェンセン)。1959年6月10日には4打席連続本塁打を記録[1]。この年は前年並みの成績を残し、自身初の本塁打王を獲得。MVP投票でも4位に入っている(1位は打率.306・2本塁打・70打点を記録したホワイトソックスのネリー・フォックス。打撃成績を見るとMVPに相応しいと感じないが、1959年のフォックスは624打数でわずか13三振という少なさである)。

1960年4月17日デトロイト・タイガーストレードでで移籍(交換相手は首位打者を獲得した経験のあるハービー・キーン英語版[2]。移籍後のタイガースでは、打率.249ながら35本塁打を放ち、存在をアピールした。1961年は打率も.290に上昇。いずれも自己最高となる45本塁打・140打点を記録。しかしながら、MVP投票では8位止まりだった(1位は打率.269・61本塁打・142打点を記録したニューヨーク・ヤンキースロジャー・マリス)。

その後、1963年までタイガースで活躍したコラビトは、1963年11月18日ボブ・アンダーソン英語版、$50,000と共にカンザスシティ・アスレチックスへと移籍した(ジェリー・ランプ英語版エド・ラコー英語版デーブ・ウィッカーシャム英語版がタイガースに移籍している)。1964年も、例年通りの活躍を見せたコラビトは、1965年1月20日に大型トレードで、古巣のインディアンスに復帰(ホワイトソックスがキャム・キャリオン英語版をインディアンスに放出。ホワイトソックスがアスレチックスからジム・ランディス英語版マイク・ハーシュバーガー英語版を指名し、獲得。インディアンスがトミー・ジョントミー・エイジージョニー・ロマノ英語版をホワイトソックスに放出。ホワイトソックスがフレッド・タルボット英語版をアスレチックスに放出。)。復帰1年目の1965年は26本塁打ながら、108打点を記録して自身初の打点王を獲得した。翌1966年は30本塁打を記録するも、打率が急落。1967年も63試合で打率.241・6本塁打・21打点と不振に苦しんだコラビトはシーズン途中にホワイトソックスにトレードされた(ホワイトソックスがマーブ・ステイール英語版をホワイトソックスに放出。ホワイトソックスがジム・キング英語版を指名し、獲得)。しかし、移籍後も打率.211と苦しみ、シーズン通算123試合に出場したにも関わらず打率.231・8本塁打・50打点という散々なシーズンとなった。1968年3月26日に金銭と引き換えにロサンゼルス・ドジャースに移籍。しかし、1967年に引き続き、打率が.240さえ超えない状況が続いた。7月11日にドジャースを自由契約になったコラビトは、7月15日に最後の望みを託してヤンキースと契約し、復活を試みた。しかし、移籍前よりは良かったものの、目を覆いたくなるような不振から抜け出す事は出来ず、9月30日にヤンキースを解雇されてしまい、キャリアを終えた。

引退後[編集]

引退後はインディアンス(1973年1976年 - 1978年 )とカンザスシティ・ロイヤルズ1982年 - 1983年 )で打撃コーチを務めた。

2006年にはインディアンスの球団殿堂入りを果たした。

プレースタイル[編集]

バッティング面では、何と言っても凄まじいパワーが最大の特徴。40本塁打以上を記録した事が3度ある。また、選球眼の優れたバッターであり、通算三振は通算四球よりも少ない。走塁面での能力は平均以下。守備も、取り立てて書くほどのものではない。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1955 CLE 5 9 9 3 4 2 0 0 6 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .444 .444 .667 1.111
1956 101 380 322 55 89 11 4 21 171 65 0 1 4 3 49 0 2 46 4 .276 .372 .531 .903
1957 134 544 461 66 116 26 0 25 217 84 1 6 4 7 71 0 1 80 12 .252 .348 .471 .819
1958 143 578 489 80 148 26 3 41 303 113 0 2 0 3 84 6 2 89 16 .303 .405 .620 1.025
1959 154 664 588 90 151 24 0 42 301 111 3 3 0 3 71 8 2 86 13 .257 .337 .512 .849
1960 DET 145 616 555 67 138 18 1 35 263 87 3 6 1 3 53 4 4 80 17 .249 .317 .474 .791
1961 163 708 583 129 169 30 2 45 338 140 1 2 2 8 113 2 2 75 14 .290 .402 .580 .982
1962 161 707 601 90 164 30 2 37 309 112 2 0 1 7 96 7 2 68 18 .273 .371 .514 .885
1963 160 692 597 91 162 29 2 22 261 91 0 0 2 8 84 9 1 78 18 .271 .358 .437 .795
1964 KCA 160 681 588 89 161 31 2 34 298 102 3 1 1 4 83 4 5 56 16 .274 .366 .507 .873
1965 CLE 162 695 592 92 170 25 2 26 277 108 1 1 0 7 93 11 3 63 14 .287 .383 .468 .851
1966 151 614 533 68 127 13 0 30 230 72 2 1 0 2 76 4 3 81 25 .238 .336 .432 .768
1967 63 216 191 10 46 9 0 5 70 21 2 2 0 0 24 0 1 31 6 .241 .329 .366 .695
CWS 60 220 190 20 42 4 1 3 57 29 1 1 1 4 25 2 0 10 2 .221 .306 .300 .606
'67計 123 436 381 30 88 13 1 8 127 50 3 3 1 4 49 2 1 41 8 .231 .317 .333 .650
1968 LAD 40 129 113 8 23 3 0 3 35 11 0 1 0 1 15 1 0 18 6 .204 .295 .310 .605
NYY 39 106 91 13 20 2 2 5 41 13 0 0 0 0 14 0 1 17 1 .220 .330 .451 .781
'68計 79 235 204 21 43 5 2 8 76 24 0 1 0 1 29 1 1 35 7 .211 .311 .373 .684
MLB:14年 1841 7559 6503 971 1730 283 21 374 3177 1159 19 27 16 60 951 58 29 880 182 .266 .359 .489 .848
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

背番号[編集]

  • 38 (1955年 - 1957年)
  • 6 (1958年 - 1959年、1973年、1977年 - 1978年)
  • 7 (1960年 - 1964年、1976年)
  • 21 (1965年- 1967年途中)
  • 18 (1967年途中 - 同年終了)
  • 16 (1968年 - 同年途中)
  • 29 (1968年途中 - 同年終了)
  • 40 (1982年)
  • 8 (1983年)

脚注[編集]

  1. ^ 当時では史上3人目の記録だった(コラビト以前に達成していた選手はルー・ゲーリッグボビー・ロウ英語版。後にマイク・キャメロン2002年に、カルロス・デルガド2003年にそれぞれ記録している。また、この5選手は延長戦にはなっていない)。
  2. ^ コラビトが移籍した1960年からの34年間、インディアンスが上位争いから脱落しているが、クリーブランドではこれを「ロッキー・コラビトの呪い」として語り継がれている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]