ヤディアー・モリーナ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はモリーナ第二姓(母方の)はルシアーノです。
ヤディアー・モリーナ
Yadier Molina
セントルイス・カージナルス #4
Yadicatcher2014.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区バヤモン
生年月日 (1982-07-13) 1982年7月13日(35歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 2000年 MLBドラフト4巡目(全体113位)でセントルイス・カージナルスから指名
初出場 2004年6月3日 パイレーツ
年俸 $14,200,000(2016年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム プエルトリコの旗 プエルトリコ
WBC 2006年2009年2013年2017年
獲得メダル
男子 野球
プエルトリコの旗 プエルトリコ
ワールド・ベースボール・クラシック
2013 野球
2017 野球

ヤディアー・ベンジャミン・モリーナ・ルシアーノ(Yadier Benjamin Molina Luciano, 1982年7月13日 - )は、プエルトリコバヤモン出身のプロ野球選手捕手)。右投右打。MLBセントルイス・カージナルスに所属している。愛称はヤディ[2]

2008年から2015年まで8年連続ゴールドグラブ賞受賞、2009年から7年連続オール・スター選出、ワールドチャンピオン2度 (2006年2011年) の経歴をもつ。

長兄ベンジーと次兄ホセも同じくMLBで捕手をしている。

経歴[編集]

アマチュア時代[編集]

1982年7月13日、プエルトリコのバヤモンに出生。父ベンジャミンはプエルトリコのアマチュア野球リーグで強打の選手として活躍しており、プロからのオファーもあったという[3]。しかしベンジャミンは、息子のベンジーが9歳のときに現役を引退し、息子達に野球を教える道を選ぶ[4]。安定した生活を求めていたベンジャミンは引退後、毎朝6時に工場へ出勤[3]。ヤディアーによると、ベンジャミンは毎日午後3時55分に帰宅し、10分後には野球の準備を整えていた[4]

ベンジャミンは捕手ではなかったが、3兄弟は全員が捕手になった。ヤディアーは兄2人が捕手になったきっかけを知らないが、自身も15歳のときに初めて捕手をしてみて「すごく大事な場所だし、すべてのプレーのキーになるし、リーダーになるし、絶対このポジションでプレーするんだって思った」という[5]。当時の憧れの選手は、自身と同じプエルトリコ出身の捕手サンディー・アロマー・ジュニアだった[6]

カージナルス時代[編集]

2000年MLBドラフト4巡目(全体113位)でセントルイス・カージナルスに指名され、兄2人に続いてプロ入りを果たす。

マイナーリーグ時代から、ヤディアーの捕手としての潜在能力は兄2人を凌ぐと言われていた[7]2004年6月3日にメジャーデビューを果たし、この年51試合に出場。盗塁阻止率(47.1%)や捕手防御率(3.64)などで正捕手マイク・マシーニーの残した数字(29.6%、3.84)を上回った[7]。ヤディアーの才能を高く評価したカージナルスは、シーズン終了後にFAとなった正捕手のマシーニーとの契約を見送り、ヤディアーのためにポジションを空けている[8]

2005年7月8日のダイヤモンドバックス戦で8回にクラウディオ・バルガスから死球を受け、左手の骨折により故障者リスト入り[9]。このため約40日にわたって戦線離脱したものの、114試合に出場し、盗塁阻止率はリーグトップの64.1%と強肩を存分に披露した。

2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)プエルトリコ代表に選出された。同大会では2次リーグまでの全6試合が地元プエルトリコのヒラム・ビソーン・スタジアムで行われ、ヤディアーは4試合に出場。イバン・ロドリゲスがチームの正捕手となったため先発出場はなかったが、5打数3安打1打点を記録した。

シーズンでは打撃成績が前年より下降したが、ポストシーズンでは16試合で53打数19安打打率.368・2本塁打・8打点と一転して好成績を記録し、カージナルスのワールドシリーズ優勝に貢献。

2007年は左手首の骨折や右膝の手術によって出場試合数は減少したものの、打撃では自己最高の打率OPSを記録。盗塁阻止率は54.0%だった。この年初めてフィールディング・バイブル・アワードを受賞。

2008年1月にカージナルスと4年1,550万ドルで契約を延長。監督のトニー・ラルーサは「長期契約には何のリスクもない」とヤディアーを高く評価した[10]。同年の目標をゴールドグラブ賞初受賞に定め、オフの間に体重を10-15 lb (約4.5-6.8 kg) 絞ってスプリングトレーニングに合流[11]。シーズンで成績を伸ばしたのは守備ではなく打撃だった。初めてシーズン100安打を達成し、打率やOPSなどで前年の自己最高をさらに上回る成績を残した。本人によれば「インパクトの瞬間までしっかりボールを見ることを常に心がけている。基本中の基本と言われるだろうが、自分はそれができていなかった」[12]。一方の守備では、失策数が初の2桁となる10を記録、盗塁阻止率も34.6%とこれまでと比べると低い数字に。それでも捕逸数は2005年以降の自己最少となる5個にとどめ、盗塁阻止率もリーグ順位では2位タイだった。そしてシーズン終了後、目標だったゴールドグラブ賞を受賞した[13]

2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCプエルトリコ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。同大会では3月9日のオランダ戦と16日のベネズエラ戦の2試合に先発出場。打撃では6打数1安打と振るわなかったが、守備では2試合18イニングで3失点と投手陣をリードした。

2010年は盗塁阻止率は48.5%でリーグトップ、守備防御点が現在でもキャリアハイの+20で、ゴールドグラブ賞とフィールディング・バイブル・アワードを同時に受賞した。

2011年は守備の数値が悪く、盗塁阻止率が29.2%と落ち込み守備防御点は-4と悪化。4年連続でゴールドグラブ賞は獲得したもののフィールディング・バイブル・アワードの受賞を逃したが、この年から創設されたプラチナ・ゴールド・グラブを受賞した。打撃面は好調で、打率、長打率、本塁打、打点、OPSでキャリアハイをマークした。またチームのワールドシリーズ優勝に貢献した。

2012年はさらに打撃が好調で、打率、出塁率、長打率、本塁打、打点、OPS、そして盗塁でキャリアハイだった。特に12盗塁はMLBの捕手の中では最多だった。守備でも守備防御点は2位のアレックス・アビラを10ポイントも上回る+16でトップ、盗塁阻止率47.9%がメジャー2位と復活し、一塁走者を刺す捕手けん制刺が5回で1位タイ。ゴールドグラブ賞を5年連続で受賞し、フィールディング・バイブル・アワードを2年ぶりに満票で受賞した[14]し、2年連続でプラチナ・ゴールド・グラブを受賞した。

2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCプエルトリコ代表に選出され、3大会連続3度目の選出を果たした。同大会では大会を通してレギュラー捕手・4番・チームリーダーを務め、チームの準優勝に貢献。大会ベストナインにも選ばれた。

シーズンで6年連続でゴールドグラブ賞を受賞した。

2014年オールスターゲームに選出されたが、7月10日に右手親指の故障で15日間の故障者リスト入りし[15]、出場を辞退することとなった。8月29日に復帰した。リーグチャンピオンシップシリーズの第2戦で再び右手親指を負傷し、第3戦以降は欠場したが、2004年のワールドシリーズ第3戦からポストシーズンで歴代最長となる83試合連続出場を記録した。オフには、7年連続となるゴールドグラブ賞を受賞したのと、2年振りとなるプラチナ・ゴールド・グラブを受賞した。

2015年9月20日のシカゴ・カブス戦で、本塁に突入してきたアンソニー・リゾにタッチしたときに左手親指の靭帯を部分断裂し、以後レギュラーシーズン閉幕まで欠場した。しかしながら、136試合に出場して2年ぶりに規定打席に到達し、打率.270・4本塁打・61打点という成績を記録。アーチは3年連続で減少したが、4シーズンぶりの三塁打を記録。守備面では、134試合で7失策守備率.994・DRS + 8・盗塁阻止率41%をマークし、8年連続でゴールドグラブ賞を受賞。プレーオフでは10月12日のディビジョンシリーズの第3戦で再び左手親指を負傷し、第4戦以降を欠場した。オフの10月15日に左手親指の手術を受けた。

2016年はキャリアハイの147試合に出場し好調を維持。3年ぶりの3割超えとなる打率.307・8本塁打・58打点・3盗塁・OPO0.787、リーグ9位タイとなる38二塁打を記録した。一方守備面では、146試合でマスクを被り、2失策・守備率.998だったが、DRSは + 2まで下がったほか、自慢の強肩でも盗塁阻止率が21%に留まった。シーズンオフのゴールドグラブ賞投票では、バスター・ポージーに賞をさらわれて、9シーズンぶりに受賞はならなかった。オフの12月5日第4回WBCプエルトリコ代表に選出され、4大会連続4度目の選出を果たした[16]

2017年開幕前に選出されていた第4回WBCに参加。3月22日の決勝アメリカ合衆国戦に敗戦し、2大会連続で準優勝となった[17]。ただ、大会最優秀捕手賞を受賞した[18]

選手としての特徴[編集]

守備面、特に肩の強さで評価が高い。通算盗塁阻止率は2012年終了時点で44.6%を記録しており、2007年にはカージナルス公式ウェブサイトがヤディアーの強肩を "Rocket launcher"(ロケットランチャー)と称した[19]。チームメイトのアダム・ウェインライトは「彼がマスクをかぶっていれば、走者に気を使う必要がない。打者にさえ集中していればいいんだ」とコメントしている[20]

捕球技術については、「ESPNマガジン」のインタビューで、投手の制球が悪い時はミットをずらさずに体だけ少しずらしてポケットで捕球すれば、ボール球を10~12個くらいストライクにできると語っている[21]

リードの能力が高く評価され、投手陣の信頼が厚い。アダム・ウェインライトは「こっちが何を投げたいかちゃんと分かっている。ワンバウンドのカーブをしっかりブロックしてくれるから、何のためらいもなくカーブを投げられるのもいい。彼との間には言葉で言い尽くせない信頼があるんだ」と言い、ハイメ・ガルシアは「彼の出すサインには1球1球意味がある。ぼくのピッチングは自分自身への信頼、自分の投げるボールへの信頼、彼への信頼の三位一体で成り立っているんだ。」と言う[22]

ビル・ジェームズジョン・デュワンなどの記録統計アナリストら10人によって選出される「フィールディング・バイブル・アワード」を、2007年から2013年までの間で、2011年を除き毎年受賞している。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2004 STL 51 151 135 12 36 6 0 2 48 15 0 1 2 1 13 3 0 20 4 .267 .329 .356 .684
2005 114 421 385 36 97 15 1 8 138 49 2 3 8 3 23 3 2 30 10 .252 .295 .358 .654
2006 129 461 417 29 90 26 0 6 134 49 1 2 8 2 26 2 8 41 15 .216 .274 .321 .595
2007 111 396 353 30 97 15 0 6 130 40 1 1 2 4 34 5 3 43 18 .275 .340 .368 .708
2008 124 485 444 37 135 18 0 7 174 56 0 2 3 5 32 4 1 29 21 .304 .349 .392 .740
2009 140 544 481 45 141 23 1 6 184 54 9 3 6 1 50 2 6 39 27 .293 .366 .383 .749
2010 136 521 465 34 122 19 0 6 159 62 8 4 2 5 42 6 7 51 19 .262 .329 .342 .671
2011 139 518 475 55 145 32 1 14 221 65 4 5 5 4 33 4 1 44 21 .305 .349 .465 .814
2012 138 563 505 65 159 28 0 22 253 76 12 3 3 5 45 4 5 55 10 .315 .373 .501 .874
2013 136 541 505 68 161 44 0 12 241 80 3 2 0 3 30 4 3 55 14 .319 .359 .477 .836
2014 110 445 404 40 114 21 0 7 156 38 1 1 1 6 28 4 6 55 14 .282 .333 .386 .719
2015 136 530 488 34 132 23 2 4 171 61 3 1 1 9 32 3 0 59 16 .270 .310 .350 .660
2016 147 581 534 56 164 38 1 8 228 58 3 2 0 2 39 1 6 63 22 .307 .360 .427 .787
MLB:13年 1611 6157 5591 541 1593 308 6 108 2237 703 47 30 41 50 427 45 48 584 211 .285 .338 .400 .738
  • 2016年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]



捕手 一塁
































2004 STL 51 256 16 2 1 .993 4 9 8 .471 -
2005 114 684 66 7 4 .991 8 14 25 .641 1 0 0 0 0 .---
2006 127 734 79 4 6 .995 7 37 29 .439 4 5 0 1 1 .833
2007 107 582 63 6 8 .991 7 23 27 .540 1 1 0 0 0 1.000
2008 119 653 70 10 7 .986 5 34 18 .346 2 13 3 0 1 1.000
2009 138 884 82 5 6 .995 4 32 22 .407 6 10 1 0 2 1.000
2010 135 895 79 5 10 .995 7 35 33 .485 7 7 0 0 2 1.000
2011 137 857 67 5 5 .995 7 35 33 .485 2 3 0 1 0 .750
2012 136 962 88 3 12 .997 6 38 35 .479 3 11 2 0 0 1.000
2013 131 976 63 4 11 .996 3 26 20 .435 5 17 1 0 1 1.000
2014 107 810 56 2 10 .998 3 23 21 .477 1 10 1 0 0 1.000
2015 134 1064 56 7 9 .994 4 37 26 .413 -
2016 146 1113 60 2 5 .998 8 67 18 .212 2 10 1 0 0 1.000
通算 1582 10470 845 62 94 .995 72 421 301 .417 34 87 9 2 7 .980
  • 2016年度シーズン終了時

表彰[編集]

MLB
プエルトリコ代表

記録[編集]

兄弟選手としての記録[編集]

兄のベンジー(ジャイアンツ)と対戦するヤディアー

2004年にヤディアーがデビューしたことで、先にデビューしていた2人の兄とともに、3兄弟が同時期にメジャーでプレイすることとなった。これは "クルーズ3兄弟"(ホセトミーヘクター)が1977年に揃ってメジャーでプレイして以来のことだった[8]。また、兄2人が所属していたロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム2002年に、ヤディアーの所属するカージナルスは2006年に、それぞれワールドシリーズを制覇したため、3兄弟全員がチャンピオンリングを所有している。これはMLB史上初であり[23]、3兄弟2つずつ合計6つのチャンピオンリング所有の記録(長兄のベンジーは2010年シーズン途中にサンフランシスコ・ジャイアンツからテキサス・レンジャーズトレードされ、2010年のワールドシリーズでレンジャーズはジャイアンツに敗れたにも関わらず、チャンピオンリングを受け取った)ギネス世界記録にも認定された[24]

2人の兄は2001年から2005年までの5シーズンにわたりエンゼルスに一緒に所属していた。兄弟がともに捕手として同一チームに同時期に所属していたのは、1901年以降では史上初のことだった[3]。これに対して、ヤディアーは兄とチームメイトになったことはなかったが、2013年WBCにてプエルトリコ代表に選出され、同じ捕手で次兄のホセも選出され初めてチームメイトとなった。

背番号[編集]

  • 41 (2004年 - 2005年)
  • 4 (2006年 - )

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Yadier Molina Contract Details, Salaries, & Earnings” (英語). Spotrac. 2016年6月19日閲覧。
  2. ^ Cards' Players Weekend nicknames explained MLB.com (英語) (2017年8月24日) 2017年9月20日閲覧
  3. ^ a b c 樋口浩一 「ベンジー・モリーナ&ホゼ・モリーナ/エンゼルスの本塁を兄弟で共有する感覚」 『月刊メジャー・リーグ』2004年7月号、ベースボール・マガジン社、2004年、雑誌08625-7、24-25頁。
  4. ^ a b Jack Curry, "3 Weeks to Pitchers and Molinas," New York Times, January 29, 2007. 2008年11月23日閲覧。
  5. ^ 阿部寛子 「連載企画 MLB TALK SHOW ヤーディアー・モリーナ[カージナルス]」 『月刊スラッガー』2006年11月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-11、67-69頁。
  6. ^ Jorge L. Ortiz, USA TODAY, "Cards' Molina making Puerto Rico proud," USATODAY.com, October 23, 2006. 2009年11月1日閲覧。
  7. ^ a b 友成那智村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』 廣済堂出版、2005年、304頁。ISBN 978-4-331-51093-3
  8. ^ a b 出村義和野球一家の血統に期待高まる今シーズン。」 『Number Web』、2005年6月9日。2008年3月15日閲覧。
  9. ^ Matthew Leach / MLB.com, "Molina out after being hit by pitch / Catcher's status unknown after leaving in the eighth," stlcardinals.com, July 8, 2005. 2009年2月22日閲覧。
  10. ^ Associated Press, "Yadier Molina gets four-year, $15.5 million contract with Cardinals," ESPN.com, January 21, 2008. 2008年11月23日閲覧。
  11. ^ Derrick Goold, "Molina is set to pursue his golden dream," St. Louis Post-Dispatch, February 14, 2008. 2008年11月23日閲覧。
  12. ^ 澤田敏典 「MLB30球団レポート&全選手個人成績 セントルイス・カージナルス/STL もはや守るだけの捕手ではない」 『月刊スラッガー』2008年9月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-9、86頁。
  13. ^ Matthew Leach / MLB.com, "Molina honored with first Gold Glove / Catcher's long-recognized defense finally nabs top NL award," stlcardinals.com, November 5, 2008. 2008年11月23日閲覧。
  14. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2013』 廣済堂出版、2013年、354頁。ISBN 978-4-331-51711-6
  15. ^ Cardinals place Molina on 15-day D.L.; recall Perez from Memphis”. MLB.com Cardinals Press Release (2014年7月10日). 2014年7月11日閲覧。
  16. ^ 24 All-Stars among initial confirmed players for 2017 World Baseball Classic MLB.com Press Release (英語) (2016年12月5日) 2016年12月15日閲覧
  17. ^ American Beauty: USA dominates PR in final World Baseball Classic (英語) (2017年3月22日) 2017年3月23日閲覧
  18. ^ Yadi, Balentien among All-Classic Team standouts World Baseball Classic (英語) (2017年3月22日) 2017年3月23日閲覧
  19. ^ Matthew Leach / MLB.com, "Cardinals Opening Day outlook / Club to address some offensive issues early in season," stlcardinals.com, March 30, 2007. 2008年11月23日閲覧。
  20. ^ 出野哲也 「4人の若き司令塔たち 頭文字M」 『月刊スラッガー』2008年6月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-6、12-16頁。
  21. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2010』 廣済堂出版、2010年、331頁。ISBN 978-4-331-51439-9
  22. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011』 廣済堂出版、2011年、345頁。ISBN 978-4-331-51518-1
  23. ^ Chris Haft / MLB.com, "Molina brothers may unite in Classic / Giants have seven on provisional rosters for world tournament," MLB.com, January 19, 2009. 2009年11月1日閲覧。
  24. ^ Most siblings to win the baseball World Series” (英語). Guinness World Records. 2014年3月6日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]