マイケル・ボーン

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マイケル・ボーン
Michael Bourn
アトランタ・ブレーブス #2
Michael Bourn on May 13, 2013.jpg
インディアンス時代(2013年5月13日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ヒューストン
生年月日 1982年12月27日(32歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2003年 ドラフト4巡目(全体115位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名
初出場 2006年7月30日
年俸 $12,000,000(2013年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

マイケル・レイ・ボーン (Michael Ray Bourn, 1982年12月27日 - ) は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身のプロ野球選手外野手)。右投左打。MLBアトランタ・ブレーブスに所属。

代理人はスコット・ボラス

経歴[編集]

プロ入りとフィリーズ時代[編集]

2000年6月5日に行われたMLBドラフトヒューストン・アストロズから19巡目指名を受けるが、契約を交わさずにヒューストン大学へと進学した。

2003年6月3日に行われたMLBドラフトフィラデルフィア・フィリーズから4巡目指名(全体115位)を受け、7月24日に契約を結んだ。この年は傘下のA-級バタビア・マックドッグスで35試合に出場して23盗塁を決めた。

2004年は、A級レイクウッド・ブルークローズで109試合に出場。打率.315・5本塁打・53打点と、打撃面で数字を残した一方、持ち前のスピードでも成功率91%で58盗塁を決めた。

2005年は、AA級レディング・フィリーズで135試合に出場。しかし、打率.268・6本塁打・44打点と打撃面で前年よりも低い成績に止まり、盗塁に関しても38盗塁、成功率は76%と成績がダウンした。

2006年7月30日フロリダ・マーリンズ戦でメジャーデビューを果たした。しかし、出場機会には恵まれず、17試合の出場で打率.125に止まった。また、持ち前のスピードも生かせず、1盗塁に対して盗塁失敗は2つ記録した。

2007年は大幅に出場機会を増やし、105試合に出場。打率.277・1本塁打・6打点という成績を残した。また、盗塁には19回チャレンジして18回を成功させるなど、マイナーリーグ時代を髣髴とさせる数字を残した。

アストロズ時代[編集]

2007年11月7日ブラッド・リッジエリック・ブラントレットとのトレードジェフ・ギアリーと、マイナーリーグ選手のマイク・コスタンゾと共にヒューストン・アストロズに移籍する事になった。

2008年は、アストロズで中堅のレギュラーに定着。138試合に出場して規定打席にも到達したが、打率.229・5本塁打・29打点という成績しか残せなかった。しかし、41盗塁を記録し、低い打率ながら持ち前のスピードを存分に発揮した。

2009年、前年の後半戦に残した打率.255・出塁率.323という成績から、この年も1番打者として起用される[2]。出場試合数を20近く増加させただけでなく、多くの部門で前年を上回る活躍を見せた。打率・打数・得点・安打・二塁打・三塁打・打点・盗塁・四球・出塁率・長打率・塁打数・犠飛の各部門で前年を上回る数字を記録し、特に盗塁に関しては61盗塁を記録してナショナルリーグ盗塁王のタイトルを獲得した。チームのMVPにもなった。[3]

2010年、打率は前年から低下したが、52盗塁を記録。オールスターにも初出場し、2年連続でナ・リーグの盗塁王になった。

ブレーブス時代[編集]

2011年7月31日ジョーダン・シェーファーら4選手とのトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍。この年も、61盗塁を決めて盗塁王になった (アストロズでは39回、ブレーブスでは22回を記録)[4]

2012年は、オールスターの最終投票の候補になったが、デビッド・フリースに敗れた[5]が、イアン・デズモンドの欠場で出場した[6]。オフにブレーブスからクオリファイング・オファー(QO)を受けたが、これを拒否してFAになった。FA外野手の目玉と見られていたが、新労使協定によるドラフト補償の影響でなかなか所属先が決まらなかった。

インディアンス時代[編集]

2013年2月11日クリーブランド・インディアンスと4年4800万ドルで合意した。5年目は1200万ドルのオプション[7]。中堅のレギュラーとして起用されたが、走攻守全てにおいてスランプに陥った[8]。特に走塁面では、ナ・リーグ時代に3年連続で盗塁王に輝いた頃の状態が見る影もなく、ア・リーグ加入1年目でモーションを読む事に苦戦し[8]、僅かに23盗塁に終わった。9月にハムストリングを手術した[8]

2014年は前年にも増して成績を落とした。まず出場試合数が106に留まり、2007年以来となる規定打席未達のシーズンとなった。打率は僅かに低下して.257だった。減少傾向にあった盗塁は更に半減以下となり、10盗塁に終わった。一方で、ア・リーグ最多の10三塁打を放ち、ある局面ではスピードの健在ぶりを見せた。不振は守備にも波及し、DRSは - 6に終わった。

ブレーブス復帰[編集]

2015年8月7日クリス・ジョンソンとのトレードで、ニック・スウィッシャーと共にブレーブスに移籍[9][10]

プレースタイル[編集]

最大の特徴は足の速さ。マイナーリーグ時代からも盗塁が多く、2008年も出塁率は.288と低いのにも関わらず、41盗塁を記録している。打者としては、高めを得意としており、パワーもあるが故に、フライを打ち上げる事や三振を喫することが多い[2]

中堅守備はメジャートップクラスで、2010年にはDRS+30、UZR+20.6、2012年はDRS+24、UZR+22.5を記録している。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2006 PHI 17 11 8 2 1 0 0 0 1 0 1 2 2 0 1 0 0 3 0 .125 .222 .125 .347
2007 105 133 119 29 33 3 3 1 45 6 18 1 1 0 13 2 0 21 1 .277 .348 .378 .727
2008 HOU 138 514 467 57 107 10 4 5 140 29 41 10 7 1 37 0 2 111 3 .229 .288 .300 .588
2009 157 678 606 97 173 27 12 3 233 35 61 12 5 2 63 1 2 140 1 .285 .354 .384 .738
2010 141 605 535 84 142 25 6 2 185 38 52 12 6 2 59 5 3 109 6 .265 .341 .346 .686
2011 105 473 429 64 130 26 7 1 173 32 39 7 2 1 38 2 3 90 5 .303 .363 .403 .766
ATL 53 249 227 30 63 8 3 1 80 18 22 7 3 3 15 1 1 50 1 .278 .321 .352 .674
'11計 158 722 656 94 193 34 10 2 253 50 61 14 5 4 53 3 4 140 6 .294 .349 .386 .734
2012 155 703 624 96 171 26 10 9 244 57 42 13 2 4 70 1 3 155 2 .274 .348 .391 .739
2013 CLE 130 575 525 75 138 21 6 6 189 50 23 12 5 3 40 0 2 132 2 .263 .316 .360 .676
通算:8年 1001 3941 3540 534 958 146 51 28 1290 265 299 76 33 16 336 12 16 811 21 .271 .335 .364 .700
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

背番号[編集]

  • 9 (2006年 - 2007年)
  • 14 (2008年)
  • 21 (2009年 - 2011年7月30日)
  • 24 (2011年7月31日 - 2015年8月7日)
  • 2 (2015年8月8日 - )

脚注[編集]

外部リンク[編集]