ジョー・ケリー (1871年生の外野手)

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ジョー・ケリー
Joe Kelley
Stars players of the Baltimore Orioles3.jpg
ボルチモア・オリオールズ時代(1895年頃)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 マサチューセッツ州ケンブリッジ
生年月日 1871年12月9日
没年月日 1943年8月14日(満71歳没)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手
初出場 1891年7月27日
最終出場 1908年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • シンシナティ・レッズ (1902 - 1905)
  • ボストン・ダブス (1908)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1971年
選出方法 ベテランズ委員会選出

ジョセフ・ジェームス・ケリー(Joseph James Kelley、1871年12月9日 - 1943年8月14日)は、1890年~1900年代に活躍したアメリカメジャーリーグの選手。主なポジションは左翼手マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。右投げ右打ち。

経歴[編集]

1891年にボストン・ビーンイーターズに入団。デビュー当初は打率.240前後と目立つ選手ではなく、ボストンでは12試合に出場しただけだった。翌年はマイナーのオマハ球団を経てパイレーツに所属、同年さらにボルチモア・オリオールズにトレードされた。

1893年、投手-本塁間の距離が長くなるルール改訂をきっかけにして、ケリーの打撃成績は急上昇する。同年153本のヒットと120得点を上げ、初めて打率3割を超えると、翌1894年には199安打、打率.393の成績を残した。四球の数も100を超えており、この年の出塁率は.502に達する。出塁率の上がったケリーは走塁面でも活躍するようになり、1894年から4年続けて40盗塁以上を記録するようになった。1896年には、リーグ最多の87盗塁を記録し盗塁王にもなった。

1899年にオリオールズの球団消滅に伴いブルックリンへ移籍。盗塁数は減ってきていたが打率は依然として3割を保っていた。1902年からはレッズの監督を兼任しながらプレーを続け、1908年ボストンでのプレーを最後に選手を引退する。監督としては前年の1907年に、インターナショナルリーグのトロント球団の監督を勤めチームを優勝に導く。トロント球団の監督は1914年まで勤め、この間2度のリーグ制覇を達成している。

1943年にボルチモアで死去。1971年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。

通算成績[編集]

打撃成績[編集]

※数字の後の"*"は、記録不明の箇所があることを示す。

































O
P
S
1853 7006 2220 358 194 65 1421 1194 443 163* 911 82 140* .317 .402 .451 .853

獲得タイトル・記録[編集]

  • 盗塁王:1回(1896年)
  • 通算三塁打数:194 (歴代9位)

監督としての戦績[編集]



















1902 CIN N
L
60 34 26 .567 4位 7月31日
1903 141 74 65 .532 4位
1904 157 88 65 .575 3位
1905 155 79 74 .516 5位
1908 BOS 156 63 91 .409 6位
通算成績 669 338 321 .513

出典・外部リンク[編集]