ダスティ・ローズ
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基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | アラバマ州マシューズ |
生年月日 | 1927年5月13日 |
没年月日 | 2009年6月17日(82歳没) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 178 lb =約80.7 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1947年 |
初出場 | 1952年7月15日 シンシナティ・レッズ戦 |
最終出場 | 1959年9月27日 セントルイス・カージナルス戦 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ダスティ・ローズ(James Lamar "Dusty" Rhodes, 1927年5月13日 - 2009年6月17日)は、アメリカ合衆国・アラバマ州マシューズ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。
経歴[編集]
1947年にシカゴ・カブスと契約しプロ入り、1952年にニューヨーク・ジャイアンツ傘下のナッシュビルへ移籍した。同年7月15日にメジャーリーグデビューし、この年は67試合に出場し打率.250、10本塁打、36打点を記録した。
1954年のワールドシリーズ第1戦では延長10回の裏1死、走者1,2塁の場面でモンテ・アーヴィンに代わって起用され、後にアメリカ野球殿堂入りしたボブ・レモンからライトのポール際へ、サヨナラスリーランホームランを放った[1]。このシリーズでは第2戦でも途中出場で7回に同じく後に野球殿堂入りしたアーリー・ウィンから本塁打を放つなど、6打数4安打2本塁打7打点と活躍[1]、これによりベーブ・ルース賞を獲得するとともにワールドシリーズ制覇に貢献した。外野の控えや代打として1957年までメジャーでプレー。1958年はシーズン通してマイナーでプレーしたが、1959年にはメジャーに復帰した。メジャーでのプレーは同年が最後だったが、その後も1962年までマイナーリーグでプレーを続けた。
チームメートとともに、エキシビションゲームのために来日したこともある。メジャーリーグでの7シーズンで576試合に出場し、通算打率.253、54本塁打であった[1]。
2009年6月17日、糖尿病や肺気腫などを含む風邪により、ラスベガスで没した[1]。
記録・表彰[編集]
- メジャーリーグ
メジャーリーグ通算成績[編集]
試 合 |
打 数 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
得 点 |
打 点 |
盗 塁 |
三 振 |
四 球 |
死 球 |
犠 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
576 | 1172 | 296 | 44 | 10 | 54 | 146 | 207 | 3 | 196 | 131 | 3 | 4 | .253 | .328 | .445 | .773 |
脚注[編集]
外部リンク[編集]
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