マリアノ・リベラ
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ニューヨーク・ヤンキースでの現役時代 (2007年) | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
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| 出身地 | パナマ県パナマ市 |
| 生年月日 | 1969年11月29日(49歳) |
| 身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 195 lb =約88.5 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1990年 アマチュア・フリーエージェントとしてニューヨーク・ヤンキースと契約 |
| 初出場 | 1995年5月23日 |
| 最終出場 | 2013年9月26日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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| 選出年 | 2019年 |
| 得票率 | 100.0% |
| 選出方法 | BBWAA選出 |
この表について
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マリアノ・リベラ(Mariano Rivera, 1969年11月29日 - )は、パナマ出身の元プロ野球選手(投手)。MLBとしては珍しいフランチャイズ・プレイヤーの一人で、ニューヨーク・ヤンキースに所属していた。2013年に現役を引退し、コミッショナー特別表彰を受けた[1]。
歴代のメジャーを代表するクローザーの一人で通算セーブ数は歴代最多を誇る。敬虔なキリスト教徒として知られる。
背番号は『42』。この番号はジャッキー・ロビンソンの栄誉を称えメジャーリーグ全球団共通の永久欠番となっているが、この規則が制定された1997年以前から42番をつけている選手に関しては例外としてつけ続けることが認められていた。この特例が適用されている選手として最後までプレーしたのがリベラであり、リベラはメジャーリーグ全球団で最後の背番号42である。
目次
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
パナマ県パナマ市生まれ。父親は漁船の船長をしていたが、暮らしは決して裕福ではなかった。リベラが初めてのグローブを父に買ってもらったのは12歳の時である[2]。少年時代のリベラは友人とサッカーで遊ぶことも多く、野球は遊びとしてとらえており、プロになるという考えはなかった。高校卒業後は、父の船でイワシ漁やエビ漁の手伝いをしながら、アマチュアの野球チームでプレイしていた。
1988年当時、リベラのポジションは遊撃手であったが、ある日チームの投手があまりに不調であったため、自ら志願し代役としてマウンドに立った。このことがきっかけで、彼は投手に転向することになった。投手として本格的な指導を受けたことがないにもかかわらず、140km/hの球を投げるリベラを目にしたニューヨーク・ヤンキースのスカウトは、将来性に期待し彼をトライアウトに招待することに決めた。偶然にもその一年前、ヤンキースの別のスカウトがショートとしてのリベラの獲得を見送っていたため、投手としての彼をスカウトすることになったという事実はヤンキースの編成部内に驚きをもたらした[3] 。
プロ入りとヤンキース時代[編集]
母はプロ入りに反対であったものの、父の後押しを受けて1990年2月17日にドラフト外でヤンキースに入団[4]。
メジャーデビュー[編集]
1990年はルーキーリーグで52イニングを投げて1自責点、防御率0.17と大器の片鱗をのぞかせ、1991年からは先発投手として起用される。1992年には右ひじの内側側副靱帯を痛め、フランク・ジョーブの執刀でクリーニング手術を受ける(トミー・ジョン手術ではない)。
1995年5月23日のアナハイム・エンゼルス戦でメジャー初登板初先発するが、3.1回5失点と打ち込まれ、チームは0-10で敗戦を喫し、試合後にマイナーへ降格となった。当時のリベラは、打者にとっては打ちづらいスムーズな投球フォームこそ高く評価されていたが、最高球速が90mph(約144.8km/h)前後で変化球(チェンジアップとスライダー)もそこそこと、やや物足りない投手だった[5]。そのためデビッド・ウェルズ(タイガース=当時)とのトレード要員としてリストアップされたこともあったが、その直後に周囲の予想に反してリベラの球速が95mphに上がったため、交換要員リストからは外された。9月、スタミナの不安を理由にリリーフへ転向し、19試合のうち10試合に先発登板し、5勝3敗でメジャー1年目を終えた。
1996年は、抑えのジョン・ウェッテランドへ繋ぐ中継ぎとして61試合に登板して107.2回を投げ奪三振は130、防御率2.09を記録した。チームは15年ぶりにポストシーズンへ進出し、リベラは8試合に登板して自責点は1。18年ぶりのワールドチャンピオンに貢献した。中継ぎ投手として初のサイ・ヤング賞を、という声もあった程で[4]、その投票ではパット・ヘントゲン、アンディ・ペティットに次ぐ3位に入った[6]。
クローザーへ[編集]
1997年はウェッテランドがテキサス・レンジャーズへ移籍したことに伴い、その後任としてクローザーに配置転換されたが、開幕後6回のセーブ機会中4回を失敗。一時は自信を喪失していたが、監督のジョー・トーリと投手コーチのメル・ストットルマイヤーから「ここにいる限りはクローザーはお前だよ(As long as you are here, you'll be the closer)」と励まされて立ち直った[7]。
今ではリベラの代名詞ともなっているカッターだが、これは偶然をきっかけに習得されたものであった。抑えを任されるようになって数ヶ月したある日、ブルペンでラミロ・メンドーサを相手に投げていた際、ストレートのつもりで投げたボールがメンドーサから見て右にスライドしていった。リベラによれば、メンドーサはこのことにかなり立腹したそうである。数日後、デトロイトでキャッチボールをした際にも、ボールが右にそれる癖は抜けないままだった。そこで2人で話し合って「試合で投げたらどうなるか試してみよう」ということになった[7] 。
抑えとしての初年度は最終的にリーグ2位の43セーブを記録した。しかしポストシーズンではクリーブランド・インディアンスとのディビジョンシリーズ第4戦では、サンディー・アロマー・ジュニアに同点となる本塁打を打たれ[8]、結局チームはこのシリーズで敗退した。
1998年~2006年[編集]
1998年の春季キャンプ中、監督と投手コーチと何度も話し合い「プレーオフでの失敗を引きずるな」と言われ[7]、気持ちを切り替えてシーズンに臨んだ。4月5日に右脚の付け根を痛め15日間の故障者リスト入りとなるも[4]、36セーブに防御率1.91を記録。ポストシーズンは10試合に登板し無失点の活躍。チームは2年ぶりのワールドチャンピオンとなった。
1999年、レギュラーシーズンはリーグ1位の45セーブ、ポストシーズンは8試合に登板し無失点。2000年、リーグ4位の36セーブ。2001年2月には4年総額3,999万ドルで契約延長した[9]。この年、1986年にデイブ・リゲッティが記録した球団記録の1シーズン46セーブを塗り替える50セーブを記録。ポストシーズンでも好調を維持し、アリゾナ・ダイヤモンドバックスとのワールドシリーズ第5戦まで10試合に登板、14回2/3を投げて2勝5セーブ、防御率0.61とほぼ完璧な投球を見せていたが、第7戦では、2-1とリードした8回からマウンドに上がりながら、9回に自身のフィルダースチョイスなどでピンチを広げ、トニー・ウォマックに同点適時打、さらにルイス・ゴンザレスにサヨナラ安打を打たれ、負け投手となった。これは現在に至るまで、リベラがポストシーズンで敗戦投手となった唯一の機会であり、またこれによってポストシーズンにおける23連続セーブがストップした。
2002年は右肩の故障で3度の故障者リスト入りを経験[10]し、46試合の登板で28セーブとクローザー定着後最低の成績に終わったが、5月9日に通算225セーブ目を挙げ、デイブ・リゲッティの持つ球団通算セーブ記録を更新した[11]。
2003年は股関節の故障で開幕を故障者リスト入りで迎え、シーズン初登板は4月30日[12]と出遅れたが、その後は故障者リスト入りすることもなく64試合に登板し、防御率1.66で40セーブを記録。ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズは第7戦の延長11回までもつれ込み、アーロン・ブーンの劇的なサヨナラ本塁打で幕切れとなったが、歓喜のあまりマウンド上で倒れこむリベラの姿がファンに強い印象を与えた。このシリーズではMVPを獲得。この年のポストシーズン全体でも16イニングを1失点(1自責点)だった。
2004年開幕前の3月23日に2005年から2年総額2,100万ドル、3年目はオプションの契約を結んだ[13]。この年、53セーブで最多セーブのタイトルを獲得。ディビジョンシリーズでヤンキースがミネソタ・ツインズを破った直後、義弟であるビクター・ダリオ・アビラとその息子がプールに落ちてきた送電線による感電事故で亡くなったという訃報が届いた。リベラはすぐさま母国パナマへ帰国し、葬儀に参加[14]。自家用飛行機で引き返し、ニュージャージー州の空港へ降り立ち、ニューヨーク市警察のパトカーの先導でヤンキー・スタジアムについた[15]。ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズ第1戦に登板。セーブを挙げている。しかしこのシリーズでは4戦、5戦といずれもリードしてマウンドに上がりながら同点打を喫し、2試合ともチームは延長の末敗れた。ヤンキースはこのシリーズでMLBポストシーズン史上初となる3連勝からの4連敗を喫した。
2005年は43セーブと前年より10セーブ減少したが、自己最高の防御率1.38を記録するなど投球内容が良かったため、サイ・ヤング賞の最有力候補と目された[16]。しかし、投票数でバートロ・コローンに次ぐ2位に終わった[17]。2006年7月16日のホワイトソックス戦で史上4人目の400セーブを達成。
2007年~最多セーブ記録[編集]
2007年、当初はかつてない不調に見舞われた。4月は2試合連続でセーブ機会を失敗するなど7回1/3を投げて9失点を喫し、防御率は一時12.15にまで悪化した。しかし残りの5ヶ月はセーブ機会32のうち30で成功して防御率も2.26と復調した。最終的に、クローザーになって初めてシーズン防御率が3点台を記録したが、シーズン奪三振率は4年ぶりに9を上回った。シーズン終了後の11月には2008年から3年4,500万ドルで契約延長した。リリーフ投手として契約総額はB・J・ライアンの5年4,700万ドルを下回ったものの、年平均1,500万ドルはビリー・ワグナーの1,075万ドルを上回る史上最高額となった[18]。
2008年、肩の痛みを抱えながら投げ続け[19]、WHIP、被OPSで自己最高を記録した。4月27日のインディアンス戦で史上3人目の通算450セーブを達成。9月15日のシカゴ・ホワイトソックス戦で通算479セーブを記録し、リー・スミスを抜いて歴代2位のセーブを記録[20]。シーズン終了後の10月7日に肩の手術を受けた[21]。
2009年6月28日のニューヨーク・メッツ戦で、トレバー・ホフマンに次いで史上2人目の通算500セーブを達成した[22]。またこの試合では9回表にフランシスコ・ロドリゲスから押し出し四球を選び、自身初の打点も記録した[22]。46度のセーブが記録される機会で失敗は二回のみのリーグ最高のセーブ成功率で、44セーブを記録し、地区優勝・世界一に貢献した。
2011年5月25日のトロント・ブルージェイズ戦で、史上初となる同一球団での通算1000試合登板を達成した。8月11日のロサンゼルス・エンゼルス戦で史上初となる9年連続30セーブを達成した。
9月13日のシアトル・マリナーズ戦で9回から登板、トレバー・ホフマンに次いで史上2人目の通算600セーブを達成した(イチローの盗塁失敗により試合終了)。
元チームメイトの松井秀喜は「すごいの一言。僕なんかがどうこう言う記録じゃないですよ」とコメントしている[23]。9月19日のツインズ戦で通算602セーブ目を挙げ、トレバー・ホフマンの601セーブを抜いてメジャー最多記録となり、ギネス世界記録に認定された[24]
怪我~引退[編集]
2012年、リベラは契約最終年ともあり今シーズン限りでの引退を示唆していた。しかし、5月3日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦、敵地カウフマン・スタジアムでの練習中に右膝を負傷[25]。ジェイソン・ニックスが打った打球を追いかけた際に、外野フェンス前の土の部分に倒れこんだ。とっさに異変に気づいた内野手のアレックス・ロドリゲスが監督のジョー・ジラルディに報告。病院でのMRT検査の結果右膝の十字靭帯と半月板の一部を損傷し、今季絶望となったことが明らかになり、2003年から9年間続いた60試合登板と30セーブの記録がストップし、9試合で5セーブとプロ入り後最少の登板数に終わった。
| 映像外部リンク | |
|---|---|
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この怪我のため、「このままでは引退できない」と翌年もプレーすることを表明[26]。
2013年3月に同年限りで引退する意志を表明した。会見で「現役最後の試合でワールドシリーズ最後の一球を投げられたらいいね」と語った。[27]。4月4日のレッドソックス戦で先発アンディ・ペティットの後を受けて1年ぶりの復帰登板を果たす。衰えをまるで感じさせない投球でヤンキースの初勝利を飾り、通算609セーブ目をあげた。7月16日、自身13度目にして最後のオールスターに出場し、アメリカンリーグの9番手として1イニングを無失点に抑え、MVP(最優秀選手)を受賞した[28]。
引退後[編集]
2019年1月23日、史上初の得票率100%でアメリカ野球殿堂入りを果たす[30]。
選手としての特徴[編集]
「95mph(約152.9km/h)で8インチ(約20.3cm)落ちる」[31]、「バットをへし折る電動ノコギリ」[32]ともいわれるカッター(カットボール、カットファストボール)を武器にする。キャリア全体を見回しても投球の8割以上がこのカットボールであり、現役中はほぼこの球種しか投げていなかった。そのため打者は狙いを絞りやすいが、手元(約10フィート)で鋭く変化するので、打者は非常に舌を巻く[33]。この球種だけで97年から(2002年を除いた)2011年までの14年間で全て30セーブ以上(その内6度は40セーブ以上、2度は50セーブ以上)と驚異的な記録を叩き出した。カッターしか投げない、MLB史上を見ても極めて稀な「1球種で成功したピッチャー」である。ESPNの「Sport Science」によると、カッターの回転数は1500-1600rpmであり、4シームと比較して8インチ(約20cm)も変化するという。そのため、バッターは芯を外して根本でとらえてバットを折られることも多い。2013年には同年で引退するリベラにミネソタ・ツインズより「折られたバットで作られた椅子」が贈られた。芯を外す投球に長けたグラウンドボールピッチャーであり、通算被本塁打率0.50は1995年から2013年までの期間で1000投球回以上投げた投手の中で最も低い率である[34]。
4つのコーナー全てに投げ分ける制球力も持ち、真ん中に投げることはほとんどなかった[33]。
力みのないモーションで投げるため、腕の故障などとは無縁である。1種類の球種しか投げないので、腕に負担もかかっていなかった[33]。
足さばきがうまく、守備力も優れていた[33]。
ポストシーズンには特に強く、96試合141イニングで8勝1敗42S、防御率0.70、WHIP0.76であり、登板数とセーブ数と防御率(30イニング以上)はポストシーズン記録である。
史上最多のセーブ数、カッターを生み出したことなど、史上最高のクローザーとして、現役時代から将来の野球殿堂入りが確実視されている数少ない選手の一人だった。2013年1月5日にはCBSスポーツ電子版が「現役選手で殿堂入りが確実な5人」を特集し、デレク・ジーター、イチロー、アルバート・プホルス、ジム・トーミの4人とともにリベラの名前が挙げられた[35][36]。また、2013年9月22日(現地時刻)、ヤンキースの背番号『42』が永久欠番に指定された。
現在のプロ野球投手の間では常識になっているアイシング治療には否定的考えを持っている[37]。
入場曲にまつわるエピソード[編集]
本拠地ヤンキー・スタジアムにおけるリベラの登場曲としてヘヴィ・メタルバンドのメタリカの『エンター・サンドマン』が用いられており、冒頭の印象的なアルペジオが流れると、勝利を確信した球場は大いに沸く。これは1998年のワールドシリーズにおいて、対戦相手だったパドレスの守護神トレバー・ホフマンが、登場曲であったAC/DCの"Hells Bells" とともに熱狂的に敵地の観客に迎えられているのを見たスコアボード・スタッフの発案によるもので、リベラ自身は選曲に一切関わっていないが、今日ではファンにとって、カットボールと並ぶほどに、彼を象徴するものとなっている(もっとも、リベラ自身はヘヴィメタルのリスナーではなく、クリスチャン・ミュージックを好むという)[38]。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1995 | NYY | 19 | 10 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | -- | .625 | 301 | 67.0 | 71 | 11 | 30 | 0 | 2 | 51 | 0 | 1 | 43 | 41 | 5.51 | 1.51 |
| 1996 | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 3 | 5 | -- | .727 | 425 | 107.2 | 73 | 1 | 34 | 3 | 2 | 130 | 1 | 0 | 25 | 25 | 2.09 | 0.99 | |
| 1997 | 66 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 4 | 43 | -- | .600 | 301 | 71.2 | 65 | 5 | 20 | 6 | 0 | 68 | 2 | 0 | 17 | 15 | 1.88 | 1.19 | |
| 1998 | 54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 36 | -- | 1.000 | 246 | 61.1 | 48 | 3 | 17 | 1 | 1 | 36 | 0 | 0 | 13 | 13 | 1.91 | 1.06 | |
| 1999 | 66 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 45 | 0 | .571 | 268 | 69.0 | 43 | 2 | 18 | 3 | 3 | 52 | 2 | 1 | 15 | 14 | 1.83 | 0.88 | |
| 2000 | 66 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 4 | 36 | 0 | .636 | 311 | 75.2 | 58 | 4 | 25 | 3 | 0 | 58 | 2 | 0 | 26 | 24 | 2.85 | 1.10 | |
| 2001 | 71 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 50 | 0 | .400 | 310 | 80.2 | 61 | 5 | 12 | 2 | 1 | 83 | 1 | 0 | 24 | 21 | 2.34 | 0.91 | |
| 2002 | 45 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 28 | 2 | .200 | 187 | 46.0 | 35 | 3 | 11 | 2 | 2 | 41 | 1 | 1 | 16 | 14 | 2.74 | 1.00 | |
| 2003 | 64 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 40 | 0 | .714 | 277 | 70.2 | 61 | 3 | 10 | 1 | 4 | 63 | 0 | 0 | 15 | 13 | 1.66 | 1.01 | |
| 2004 | 74 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 53 | 0 | .667 | 316 | 78.2 | 65 | 3 | 20 | 3 | 5 | 66 | 0 | 0 | 17 | 17 | 1.94 | 1.08 | |
| 2005 | 71 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 4 | 43 | 0 | .636 | 306 | 78.1 | 50 | 2 | 18 | 0 | 4 | 80 | 0 | 0 | 18 | 12 | 1.38 | 0.87 | |
| 2006 | 63 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 34 | 0 | .500 | 293 | 75.0 | 61 | 3 | 11 | 4 | 5 | 55 | 0 | 0 | 16 | 15 | 1.80 | 0.96 | |
| 2007 | 67 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 30 | 0 | .429 | 295 | 71.1 | 68 | 4 | 12 | 2 | 6 | 74 | 1 | 0 | 25 | 25 | 3.15 | 1.12 | |
| 2008 | 64 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 5 | 39 | 0 | .545 | 259 | 70.2 | 41 | 4 | 6 | 0 | 2 | 77 | 1 | 0 | 11 | 11 | 1.40 | 0.67 | |
| 2009 | 66 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 44 | 0 | .500 | 257 | 66.1 | 48 | 7 | 12 | 1 | 1 | 72 | 1 | 0 | 14 | 13 | 1.76 | 0.91 | |
| 2010 | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 33 | 0 | .500 | 230 | 60.0 | 39 | 2 | 11 | 3 | 5 | 45 | 0 | 0 | 14 | 12 | 1.80 | 0.83 | |
| 2011 | 64 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 44 | 0 | .333 | 233 | 61.1 | 47 | 3 | 8 | 2 | 2 | 60 | 1 | 0 | 13 | 13 | 1.91 | 0.90 | |
| 2012 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 5 | 0 | .500 | 32 | 8.1 | 6 | 0 | 2 | 2 | 0 | 8 | 0 | 0 | 2 | 2 | 2.16 | 0.96 | |
| 2013 | 64 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 44 | 0 | .750 | 256 | 64.0 | 58 | 6 | 9 | 3 | 1 | 54 | 0 | 0 | 16 | 15 | 2.11 | 1.08 | |
| MLB:19年 | 1115 | 10 | 0 | 0 | 0 | 82 | 60 | 652 | 2 | .577 | 5103 | 1283.2 | 998 | 71 | 286 | 41 | 46 | 1173 | 13 | 3 | 340 | 315 | 2.21 | 1.00 | |
- 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB歴代最高
ポストシーズン投手成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1995 | NYY | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 20 | 5.1 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.75 |
| 1996 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 57 | 14.1 | 10 | 0 | 5 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0.63 | 1.05 | |
| 1997 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | .000 | 8 | 2.0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 4.50 | 1.00 | |
| 1998 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | -- | .000 | 47 | 13.1 | 6 | 0 | 2 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.60 | |
| 1999 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 6 | -- | 1.000 | 43 | 12.1 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.81 | |
| 2000 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | -- | .000 | 60 | 15.2 | 10 | 1 | 1 | 0 | 1 | 10 | 0 | 0 | 3 | 3 | 1.72 | 0.70 | |
| 2001 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 5 | -- | .667 | 64 | 16.0 | 12 | 0 | 2 | 1 | 1 | 14 | 2 | 0 | 4 | 2 | 1.13 | 0.88 | |
| 2002 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | .000 | 4 | 1.0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 | |
| 2003 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | -- | 1.000 | 55 | 16.0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0.56 | 0.44 | |
| 2004 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | -- | 1.000 | 47 | 12.2 | 8 | 0 | 2 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0.71 | 0.79 | |
| 2005 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | -- | .000 | 11 | 3.0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3.00 | 0.67 | |
| 2006 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | .000 | 3 | 1.0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 | |
| 2007 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | .000 | 19 | 4.2 | 2 | 0 | 1 | 1 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.64 | |
| 2009 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | -- | .000 | 63 | 16.0 | 10 | 0 | 5 | 1 | 0 | 14 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0.56 | 0.94 | |
| 2010 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | -- | .000 | 22 | 6.1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.63 | |
| 2011 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | .000 | 4 | 1.1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00 | |
| 出場:16回 | 96 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | 42 | -- | .889 | 527 | 141.0 | 86 | 2 | 21 | 4 | 3 | 110 | 3 | 0 | 13 | 11 | 0.70 | 0.76 | |
- 赤太字はMLBポストシーズン歴代最高。
タイトル[編集]
- 最多セーブ投手:3回(1999年、2001年、2004年)
表彰[編集]
- 最優秀救援投手:6回(1997年、1999年、2001年、2004年、2005年、2009年)
- ローレイズ・リリーフマン賞:5回(1999年、2001年、2004年、2005年、2009年)
- DHL デリバリー・マン・オブ・ザ・イヤー:3回(2005年、2006年、2009年)
- DHL デリバリー・マン・オブ・ザ・マンス:2回(2008年4月、2009年7月)
- ピッチャー・オブ・ザ・マンス:1回(1999年8月)
- ワールドシリーズMVP:1回(1999年)
- リーグチャンピオンシップシリーズMVP:1回(2003年)
- MLBオールスターゲームMVP:1回(2013年)
- ベーブ・ルース賞:1回(1999年)
- コミッショナー特別表彰(2013年)
- カムバック賞:1回(2013年)
- プレイヤーズ・チョイス・アワーズ(2013年)
- マービン・ミラー賞:1回(2013年)
記録[編集]
背番号[編集]
- 42 (1995年 - 2013年)
関連情報[編集]
著書[編集]
- 『クローザー マリアノ・リベラ自伝』 金原瑞人、樋渡正人訳、作品社、2015年11月。ISBN 978-4861825644。
関連書籍[編集]
- フィル・ペペ 『コア・フォー ニューヨーク・ヤンキース黄金時代、伝説の四人』 ないとうふみこ訳、作品社、2015年12月。ISBN 978-4861825583。 ※コア・フォーとは、1990年代後半からの約10年間のヤンキースの黄金期を支えたデレク・ジーター、アンディ・ペティット、ホルヘ・ポサダ、リベラの4人の総称
脚注[編集]
- ^ http://hochi.yomiuri.co.jp/mlb/news/20131025-OHT1T00072.htm
- ^ Hermoso, Rafael (1998年8月31日). “Where Rivera goes for relief takes hat off to Panama”. Daily News. 2010年9月24日閲覧。
- ^ Curry, Jack (2009年7月5日). “Scout saw effortless ability in young Mariano Rivera”. New York Times. 2010年9月24日閲覧。
- ^ a b c 水次祥子「抑えの役割を誰よりも愛する ワールドシリーズMVP マリアーノ・リベラ[ヤンキース]」『月刊メジャー・リーグ』1999年12月号、ベースボールマガジン社、1999年、雑誌 08625-12、36 - 38頁。
- ^ 大冨真一郎「帝国の礎/リベラ[ヤンキース]」 『月刊メジャー・リーグ』2006年7月号、ベースボール・マガジン社、2006年、雑誌08625-7、14-17頁。
- ^ Baseball Awards Voting for 1996 - Baseball-Reference.com 2008年1月21日閲覧.
- ^ a b c Mel Antonen, "Yanks' Rivera continues to learn," USATODAY.com, October 9, 2006.
- ^ “October 5, 1997 American League Division Series (ALDS) Game 4 at Jacobs Field Box Score and Play by Play” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年8月11日閲覧。
- ^ Olney, Buster (2001年2月17日). “Yanks and Rivera Agree on $39.99 Million Deal” (英語). The New York Times. 2009年10月15日閲覧。
- ^ Kepner, Tyler (2002年8月20日). “Rivera Is Out With Injury For 3rd Time” (英語). The New York Times. 2009年10月15日閲覧。
- ^ Kepner, Tyler (2002年5月10日). “Rivera Sets a Yankee Record With His 225th Save, but Not Without a Scare” (英語). The New York Times. 2009年10月15日閲覧。
- ^ Kepner, Tyler (2003年5月1日). “Mondesi's Slam and Rivera's Debut Frame Victory” (英語). The New York Times. 2009年10月15日閲覧。
- ^ Associated Press (2004年3月23日). “Deal includes $10.5M team option for 2007” (英語). ESPN.com. 2009年10月15日閲覧。
- ^ Associated Press (2004年10月11日). “Rivera says he will be back for Game 1” (英語). ESPN.com. 2009年10月15日閲覧。
- ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』 廣済堂出版、2005年、39頁。ISBN 978-4-331-51093-3。
- ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』 廣済堂出版、2006年、24頁。ISBN 978-4-331-51146-6。
- ^ Baseball Awards Voting for 2005 - Baseball-Reference.com 2008年1月21日閲覧.
- ^ ESPN.com news services (2007年11月20日). “Rivera becomes highest paid closer with Yankees' deal” (英語). ESPN.com. 2009年10月15日閲覧。
- ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』 廣済堂出版、2009年、70頁。ISBN 978-4-331-51370-5。
- ^ Associated Press (2008年9月15日). “New York begins probable final week at Yankee Stadium with win over ChiSox” (英語). ESPN.com. 2009年10月15日閲覧。
- ^ Associated Press (2008年10月7日). “Yanks' Rivera has shoulder surgery” (英語). MLB.com. 2009年10月15日閲覧。
- ^ a b “Rivera takes place in history with No. 500 Yankees' closer just second player to hit saves milestone”. MLB.com (2009年6月29日). 2009年6月29日閲覧。
- ^ Sports Graphic Number vol.827(2013年5月9日号)
- ^ “Most saves in an American League baseball career” (英語). Guinness World Records. 2014年3月6日閲覧。
- ^ http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20120503&content_id=30328258&vkey=news_mlb&c_id=mlb
- ^ http://newyork.yankees.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20121103&content_id=40163634&vkey=news_nyy&c_id=nyy
- ^ http://espn.go.com/new-york/mlb/story/_/id/9027790/mariano-rivera-new-york-yankees-retire-season-sources-say
- ^ MLB Notebook: MVP Mo keeps on rolling
- ^ Mariano Rivera in Israel Israel Baseball (英語) (2015年6月18日) 2015年11月1日閲覧
- ^ “Mo 1st unanimous Hall electee; 3 others voted in” (英語). MLB.com. 2019年1月23日閲覧。
- ^ "It's hard enough to hit a guy throwing 95mph. But to hit a guy 95 with eight inches of cut?" - Chipper Jones, 2003 topps Baseball Card #67 Mariano Rivera
- ^ 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』P34 ISBN 9784331512135
- ^ a b c d 『SLUGGER』2004年No.11
- ^ http://www.fangraphs.com/leaders.aspx?pos=all&stats=pit&lg=all&qual=1000&type=8&season=2013&month=0&season1=1995&ind=0&team=0&rost=0&age=0&filter=&players=0&sort=11,a Fangraphs
- ^ http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/01/07/kiji/K20130107004923590.html
- ^ http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130107-1068891.html
- ^ [1]
- ^ MLB.com (2011年9月15日). “Cue the 'Sandman': Mariano, song synonymous” (英語). MLB.com. 2012年10月15日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- Mariano Rivera stats MiLB.com (英語)
- MarianoRivera.com
- Rivera Foundation (@MarianoRivera) - Twitter
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