キング・ケリー

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キング・ケリー
King Kelly
King Kelly 0554fu.jpg
1888年発行の野球カードより
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州トロイ
生年月日 1857年12月31日
没年月日 (1894-11-08) 1894年11月8日(満36歳没)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手捕手
初出場 1878年5月1日
最終出場 1893年9月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • ボストン・ビーンイーターズ (1897)
  • ボストン・レッズ (1890)
  • シンシナティ・ポーカーズ (1891)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1945年
選出方法 ベテランズ委員会選出

キング・ケリー(Michael Joseph "King" Kelly, 1857年12月31日 - 1894年11月8日) は、19世紀のアメリカメジャーリーグの選手。主なポジションは右翼手ニューヨーク州トロイ生まれ。右投げ右打ち。現役中に自叙伝を執筆するなど多才な選手であった。

経歴[ソースを編集]

1878年に当時のシンシナティ・レッズからデビュー。2年目の1879年に77試合に出場し.348の打率を残す。翌1880年にホワイトストッキングスに移籍し、1881年と1882年にリーグ最多の二塁打を記録するなど目だった活躍をし始める。

1884年からは4年連続で120得点以上を記録、同年リーグの首位打者となる。1886年には自身最高となる155得点、打率.388の高いアベレージを残し、2度目のリーグ首位打者となった。ホワイトストッキングス在籍時、ケリーは「ヒットエンドラン」の攻撃戦術や、「フックスライド(滑りながら、折りたたんだ側の足の先でベースを引っ掛けて止まる走塁法)」等の走塁技術、内野ゴロの際に捕手が一塁をカバーリングする守備戦術、投手と捕手の間のサインを使うことなど、いろいろな戦術や技術を次々と編み出した。当時ホワイトストッキングスの監督をしていたキャップ・アンソンも、彼の賢さを賞賛していたという。ホワイトストッキングスは、この時期リーグを通算5度制覇、またアンソン自身何度も打点王になっており、その頃はケリーが出塁・盗塁してかき回し、アンソンが打って走者を還すという「得点パターン」だったことが推察できる。様々なゲーム戦術を考案する傍ら、抜け目のなさも一流で、審判が外野に気をとられている間に、相手走者のベルトホルダーを掴んで走塁を邪魔したり、自分の走塁の際は二塁ベースをショートカットして一塁から三塁へ走っていたという。

ファンサービスなどにもつとめ(「サインを書く」ことを広めたのは彼だと言われている)、社交的で人気選手となったケリーは、1887年に当時としては破格の1万ドルの金銭トレードでボストン・ビーンイーターズに移籍する。同年は84盗塁、120得点をマーク。盗塁はボストン移籍の前年の1886年から5年続けて50盗塁以上を記録していた(それ以前の盗塁数の記録は不明)。ボストンに移籍した翌年の1888年には、『Play Ball』というタイトルの野球の自叙伝を執筆し発表。またニューヨークにサロンを開くなど、フィールドの外での活躍もするようになっていた。ケリーは普段から煌びやかな服を着ていて、いつでもペットの猿を肩に乗せ、日本人のお供を従えていたこともあった。当時ボストンのアイリッシュ・サロンの殆どには、スライディングするケリーの絵が掛けられていたそうである。ケリーは飲酒の常習者でもあり、「ゲーム中に酒を飲んだりするのか?」と聞かれた時、「それはゲームの長さによる」と答えたという。ある試合ではボックス席のファンと一緒に酒を飲み始めてしまい、試合開始が遅れたこともあった。

1890年には新設されたプレイヤーズ・リーグで監督兼任となり、同年リーグ制覇を遂げるが、プレイヤーズ・リーグは1年で解散。彼はこのリーグを制した最初で最後の監督となった。1891年にはアメリカン・アソシエーションでシンシナティ・ポーカーズを率いたが、この頃ケリー自身はすでに監督としてチームを統率する気はなかったようで、シーズン途中でチームから放出されてしまった。1893年にジャイアンツに在籍したのを最後に選手を引退し、翌年の11月に、肺炎のため36歳で死去。担架で病院に運ばれる際、運んでいた人がバランスを崩し、彼は担架からすべり落ちてしまう。その時「これが人生最後のスライディングだな」と言ったという。

1945年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。

"Slide Kelly, Slide!"[ソースを編集]

「スライド、ケリー、スライド!」は、当時人気もあったキング・ケリーの走塁をファンが楽しむ時の掛け声が元で、1893年に歌詞が整えられた曲になり、シリンダー型のレコードに録音されたものがエジソン・スタジオから発売された。また同名の映画も1927年に製作された。

詳細情報[ソースを編集]

年度別打撃成績[ソースを編集]

















































O
P
S
1878 CIN 60 244 237 29 67 7 1 0 76 27 -- -- -- -- 7 -- -- 7 -- .283 .303 .321 .624
1879 77 353 345 78 120 20 12 2 170 47 -- -- -- -- 8 -- -- 14 -- .348 .363 .493 .855
1880 CHC 84 356 344 72 100 17 9 1 138 60 -- -- -- -- 12 -- -- 22 -- .291 .315 .401 .716
1881 82 369 353 84 114 27 3 2 153 55 -- -- -- -- 16 -- -- 14 -- .323 .352 .433 .786
1882 84 387 377 81 115 37 4 1 163 55 -- -- -- -- 10 -- -- 27 -- .305 .323 .432 .755
1883 98 444 428 92 109 28 10 3 166 61 -- -- -- -- 16 -- -- 35 -- .255 .282 .388 .669
1884 108 498 452 120 160 28 5 13 237 95 -- -- -- -- 46 -- -- 24 -- .354 .414 .524 .938
1885 107 484 438 124 126 24 7 9 191 75 -- -- -- -- 46 -- -- 24 -- .288 .355 .436 .791
1886 118 534 451 155 175 32 11 4 241 79 53 -- -- -- 83 -- -- 33 -- .388 .483 .534 1.018
1887 BSN 116 540 484 120 156 34 11 8 236 63 84 -- -- -- 55 -- 1 40 -- .322 .393 .488 .88
1888 107 475 440 85 140 22 11 9 211 71 56 -- -- -- 31 -- 4 39 -- .318 .368 .480 .848
1889 125 574 507 120 149 41 5 9 227 78 68 -- -- -- 65 -- 2 40 -- .294 .376 .448 .824
1890 BOS 89 394 340 83 111 18 6 4 153 66 51 -- -- -- 52 -- 2 22 -- .326 .419 .450 .869
1891 4 15 15 2 4 0 0 1 7 4 1 -- -- -- 0 -- 0 2 -- .267 .267 .467 .733
CKK 82 336 283 56 84 15 7 1 116 53 22 -- -- -- 51 -- 2 28 -- .297 .408 .410 .818
BSN 16 59 52 7 12 1 0 0 13 5 6 -- -- -- 6 -- 1 10 -- .231 .322 .250 .572
'91計 102 410 350 65 100 16 7 2 136 62 29 -- -- -- 57 -- 3 40 -- .286 .390 .389 .779
1892 78 320 281 40 53 7 0 2 66 41 24 -- -- -- 39 -- 0 32 -- .189 .288 .235 .522
1893 NYG 20 73 67 9 18 1 0 0 19 15 3 -- -- -- 6 -- 0 5 -- .269 .329 .284 .612
通算:16年 1455 6455 5894 1357 1813 359 102 69 2583 950 368 -- -- -- 549 -- 12 418 -- .308 .368 .438 .806
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・記録[ソースを編集]

  • 首位打者:2回(1884、1886年)
  • 最多得点:3回(1884、1885、1886年)
  • 年間王者決定シリーズ出場:1885年、1886年、1892年
※ワールドシリーズの前身

投手成績[ソースを編集]

  • 登板数12、投球回45.2、2勝2敗、三振4、被本塁打5、防御率4.14

年度別監督成績[ソースを編集]



















1887 BOS NL 92 49 41 .544 5位 8月29日
1890 BSR PL 130 81 48 .628 1位
1891 CNP AA 102 43 57 .430 5位
通算成績:3年 324 173 146 .542

出典・外部リンク[ソースを編集]