キング・ケリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
キング・ケリー
King Kelly
King Kelly 0554fu.jpg
1888年発行の野球カードより
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州トロイ
生年月日 1857年12月31日
没年月日 1894年11月8日(満36歳没)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手捕手
初出場 1878年5月1日
最終出場 1893年9月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1945年
選出方法 ベテランズ委員会選出

キング・ケリー(Michael Joseph "King" Kelly, 1857年12月31日 - 1894年11月8日) は、19世紀のアメリカメジャーリーグの選手。主なポジションは右翼手ニューヨーク州トロイ生まれ。右投げ右打ち。現役中に自叙伝を執筆するなど多才な選手であった。

略歴[編集]

1878年に当時のシンシナティ・レッズからデビュー。2年目の1879年に77試合に出場し.348の打率を残す。翌1880年にホワイトストッキングスに移籍し、1881年と1882年にリーグ最多の二塁打を記録するなど目だった活躍をし始める。

1884年からは4年連続で120得点以上を記録、同年リーグの首位打者となる。1886年には自身最高となる155得点、打率.388の高いアベレージを残し、2度目のリーグ首位打者となった。ホワイトストッキングス在籍時、ケリーは「ヒットエンドラン」の攻撃戦術や、「フックスライド(滑りながら、折りたたんだ側の足の先でベースを引っ掛けて止まる走塁法)」等の走塁技術、内野ゴロの際に捕手が一塁をカバーリングする守備戦術、投手と捕手の間のサインを使うことなど、次々といろいろな戦術や技術を編み出した。当時ホワイトストッキングスの監督をしていたキャップ・アンソンも、彼の賢さを賞賛していたという。ホワイトストッキングスは、この時期リーグを通算5度制覇、またアンソン自身何度も打点王になっており、その頃はケリーが出塁・盗塁してかき回し、アンソンが打って走者を還すという「得点パターン」だったことが推察できる。様々なゲーム戦術を考案する傍ら、抜け目のなさも一流で、審判が外野に気をとられている間に、相手走者のベルトホルダーを掴んで走塁を邪魔したり、自分の走塁の際は二塁ベースをショートカットして一塁から三塁へ走っていたという。

ファンサービスなどにもつとめ(「サインを書く」ことを広めたのは彼だと言われている)、社交的で人気選手となったケリーは、1887年に当時としては破格の1万ドルの金銭トレードでボストン・ビーンイーターズに移籍する。同年は84盗塁、120得点をマーク。盗塁はボストン移籍の前年の1886年から5年続けて50盗塁以上を記録していた(それ以前の盗塁数の記録は不明)。ボストンに移籍した翌年の1888年には、『Play Ball』というタイトルの野球の自叙伝を執筆し発表。またニューヨークにサロンを開くなど、フィールドの外での活躍もするようになっていた。ケリーは普段から煌びやかな服を着ていて、いつでもペットの猿を肩に乗せ、日本人のお供を従えていたこともあった。当時ボストンのアイリッシュ・サロンの殆どには、スライディングするケリーの絵が掛けられていたそうである。ケリーは飲酒の常習者でもあり、「ゲーム中に酒を飲んだりするのか?」と聞かれた時、「それはゲームの長さによる」と答えたという。ある試合ではボックス席のファンと一緒に酒を飲み始めてしまい、試合開始が遅れたこともあった。

1890年には新設されたプレイヤーズ・リーグで監督兼任となり、同年リーグ制覇を遂げるが、プレイヤーズ・リーグは1年で解散。彼はこのリーグを制した最初で最後の監督となった。1891年にはアメリカン・アソシエーションでシンシナティ・ポーカーズを率いたが、この頃ケリー自身はすでに監督としてチームを統率する気はなかったようで、シーズン途中でチームから放出されてしまった。1893年にジャイアンツに在籍したのを最後に選手を引退し、翌年の11月に、肺炎のため36歳で死去。担架で病院に運ばれる際、運んでいた人がバランスを崩し、彼は担架からすべり落ちてしまう。その時「これが人生最後のスライディングだな」と言ったという。

1945年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。

"Slide Kelly, Slide!"[編集]

「スライド、ケリー、スライド!」は、当時人気もあったキング・ケリーの走塁をファンが楽しむ時の掛け声が元で、1893年に歌詞が整えられた曲になり、シリンダー型のレコードに録音されたものがエジソン・スタジオから発売された。また同名の映画も1927年に製作された。

通算成績[編集]

打撃成績[編集]

※数字の後の"*"は、記録不明の箇所があることを示す。

































O
P
S
1455 5894 1813 359 102 69 1357 950 368* 418 549 12* -- .308 .438 .368 .806

獲得タイトル・記録[編集]

  • 首位打者:2回(1884、1886年)
  • 最多得点:3回(1884、1885、1886年)
  • 年間王者決定シリーズ出場:1885年、1886年、1892年
※ワールドシリーズの前身

投手成績[編集]

  • 登板数12、投球回45.2、2勝2敗、三振4、被本塁打5、防御率4.14

監督としての戦績[編集]



















1887 BOS NL 92 49 41 .544 5位 8月29日
1890 BSR PL 130 81 48 .628 1位
1891 CNP AA 102 43 57 .430 5位
通算成績:3年 324 173 146 .542

出典・外部リンク[編集]