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トニー・オリバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トニー・オリバ
Tony Oliva
2010年4月12日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地  キューバ
ピナール・デル・リオ州
生年月日 (1938-07-20) 1938年7月20日(86歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1961年
初出場 1962年9月9日 デトロイト・タイガース
最終出場 1976年9月29日 テキサス・レンジャーズ
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ミネソタ・ツインズ (1976 - 1977, 1985 - 1991)
殿堂表彰者
選出年 2022年
得票率 75.0%
選出方法 ベテランズ委員会選出

トニー・ペドロ・オリバTony Pedro Oliva , 1938年7月20日 - )は、キューバ共和国ピナール・デル・リオ州出身の元プロ野球選手外野手)。右投左打。

愛称"Tony-O"トニー・オー)。

経歴

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キューバでは父親や兄弟、近所の人と毎週のように農場近くの空き地で野球をプレーしていた。本人はキューバから離れることに消極的だったが、セミプロの元野球選手だった父の奨めもあり、MLBミネソタ・ツインズスカウトであるジョー・カンブリア1961年2月に契約を結んだ。彼に連れられ、アメリカ合衆国へ渡った。

新人時代のオリバ(1963年)

1962年9月9日にMLB初出場を果たし、同年は9試合に出場。翌1963年は9月9日から7試合に出場した。いずれも打席数はわずかであったが2年とも4割を超える打率を残した。もっともこの2シーズンは大部分をツインズ傘下のファームチームで過ごしており、着実に鍛えられていた。

1964年は開幕からMLBに定着、161試合に出場して打率.323を記録し、首位打者のタイトルを獲得した。また、リーグ最多となる109得点・217安打・43二塁打・374塁打を記録。オールスターゲームに選ばれ、アメリカン・リーグ新人王を受賞。新人王の投票では、20人のうち1人がウォーリー・バンカーに票を投じたため、満票での受賞はならなかった[1]オールスターゲームには1971年まで8年連続で選出された。これはジョー・ディマジオの6年連続を抜き、イチローに破られるまで最多連続記録だった [2]

1965年

1965年は打率.321を記録し、2年連続で首位打者のタイトルを獲得した。ワールドシリーズでは初戦で右翼手として最多タイとなる7刺殺を記録したが[3]、7試合の出場で打率.192に終わった。チームはロサンゼルス・ドジャースに3勝4敗で敗れた。シーズン終了後のMVPの投票では、チームメイトのソイロ・ベルサイエスに次ぐ2位に入った[4]

1966年に初めてゴールドグラブ賞を受賞した。

1969年アメリカ合衆国の市民権を取得した[5]

1971年は自己最高(規定打席以上)の打率.337を記録し、3度目の首位打者のタイトルを獲得した。しかし、6月29日の対オークランド・アスレチックス戦でジョー・ルディの打球をダイビングキャッチを試みた際に右膝を痛めた[6]。そのため、オールスターゲームに選出されたものの欠場[7]

1972年は右膝の怪我の影響で10試合の出場にとどまり、翌1973年以降は指名打者として起用された。

1976年コーチ兼任となり、シーズン終了後に現役を引退した。1977年シーズンはコーチに専念し、同年いったん退団する。その後1985年に再びツインズのコーチに復帰し、1991年まで務めた。

ツインズ打撃コーチ時代のオリバ(1987年)
オリバの背番号「6」。
ミネソタ・ツインズの永久欠番1991年指定。

1991年7月14日、オリバの現役・コーチを通じてつけていた背番号『6』はツインズ史上3人目の永久欠番に指定された[8]

2000年ツインズ野球殿堂入りを果たした[9]

2021年12月5日ベテランズ委員会の選出により、アメリカ野球殿堂入りを果たした[10]

プレースタイル

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打撃成績では首位打者争いの常連であったが、とんでもないバッドボール・ヒッターとして知られていた[11]。首脳陣から悪球を打たずに選球眼を磨けば打率4割も夢じゃないと何度も言われたが、悪球打ちこそ自分のバッティングと信じ、生涯変わることはなかった。また渡米直後からしばらくは英会話が苦手で何を言われても「最高だよ(That's great)」しか言えず、英語が分からないから悪球を打つんだと同僚達から何度もからかわれた。

人物

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書類の改竄

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1961年に渡米する際、オリバは1941年生まれの弟のペドロ・ジュニアのパスポートを使用し、書類はペドロ・ジュニアの名前と生年月日を示すように改竄された。しかし名前はそのまま使用され続け、オリバは1990年代後半にトニー・ペドロ・オリバと正式に改名した[12][13]

妻との出会い

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渡米後の1962年キューバ危機が発生して帰国出来なくなったトニーはホテル暮らしをしていた。ある日、高校生の白人少女が写真を一緒に撮ってほしいと声をかけてきた。トニーはこの少女に一目惚れし、野球好きな彼女の弟も手伝い電話番号を交換した。家族旅行に来ていた彼女が後の妻ゴデッドである[2]。実は彼女、トニーのファンだったのでは無く、初めて見る黒人を珍しがって写真をねだったに過ぎなかった。しかし2人は電話だけの長距離恋愛を暖め、彼女が大学に進学してから真剣な交際を続けて1968年に結婚に至った。2人は子供を3人儲け、トニーは今も妻が一番だと言う[2]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1962 MIN 9 12 9 3 4 1 0 0 5 3 0 0 0 0 3 0 0 2 0 .444 .583 .556 1.139
1963 7 7 7 0 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .429 .429 .429 .857
1964 161 719 672 109 217 43 9 32 374 94 12 6 3 3 34 8 6 68 9 .323 .359 .557 .916
1965 149 647 576 107 185 40 5 16 283 98 19 9 2 10 55 12 4 64 8 .321 .378 .491 .870
1966 159 677 622 99 191 32 7 25 312 87 13 7 2 6 42 10 5 72 16 .307 .353 .502 .854
1967 146 615 557 76 161 34 6 17 258 83 11 3 1 5 44 12 8 61 9 .289 .347 .463 .810
1968 128 528 470 54 136 24 5 18 224 68 10 9 1 5 45 16 7 61 10 .289 .357 .477 .833
1969 153 692 637 97 197 39 4 24 316 101 10 13 2 5 45 12 3 66 10 .309 .355 .496 .851
1970 157 674 628 96 204 36 7 23 323 107 5 4 1 4 38 12 3 67 16 .325 .364 .514 .878
1971 126 518 487 73 164 30 3 22 266 81 4 1 0 4 25 8 2 44 21 .337 .369 .546 .915
1972 10 30 28 1 9 1 0 0 10 1 0 0 0 0 2 0 0 5 1 .321 .367 .357 .724
1973 146 624 571 63 166 20 0 16 234 92 2 1 0 4 45 14 4 44 13 .291 .345 .410 .754
1974 127 494 459 43 131 16 2 13 190 57 0 1 2 4 27 11 2 31 14 .285 .325 .414 .739
1975 131 515 455 46 123 10 0 13 172 58 0 1 0 6 41 15 13 45 10 .270 .344 .378 .722
1976 67 128 123 3 26 3 0 1 32 16 0 0 0 1 2 1 2 13 2 .211 .234 .260 .495
MLB:15年 1676 6880 6301 870 1917 329 48 220 3002 947 86 55 14 57 448 131 59 645 139 .304 .353 .476 .830
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル 

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表彰

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背番号

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  • 37 (1962年 - 1964年)
  • 6 (1964年 - 1977年、1985年 - 1991年)

脚注

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  1. ^ 1964 Awards Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2010年7月18日閲覧。
  2. ^ a b c 8年連続オールスター出場の名選手トニー・オリバ『週刊ベースボール』2012年4月16日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20443-4/16, 36頁
  3. ^ Zoilo Shows He's Best” (英語). Pittsburgh Press (1965年10月7日). 2010年7月18日閲覧。
  4. ^ 1965 Awards Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2010年7月18日閲覧。
  5. ^ Oliva, Tiant recall coming to U.S. in a simpler time” (英語). NewsPress. 2013年3月14日閲覧。
  6. ^ 10 Worst Moments in Minnesota Twins History” (英語). Bleacher Report (2009年3月19日). 2010年7月18日閲覧。
  7. ^ Al All-star Squad Raked By Injuries” (英語). Argus-Press. p. 10 (1971年7月9日). 2010年7月18日閲覧。
  8. ^ Retired Numbers: Tony Oliva” (英語). MLB.com. 2010年7月18日閲覧。
  9. ^ Twins Hall of Fame” (英語). MLB.com. 2013年6月17日閲覧。
  10. ^ Buck, Gil, Minnie among 6 elected to Hall” (英語). MLB.com. 2021年12月6日閲覧。
  11. ^ Tony Oliva” (英語). SABR.org. 2013年6月17日閲覧。
  12. ^ Tony Oliva” (英語). BaseballLibrary.com. 2007年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月17日閲覧。
  13. ^ Home BIO Stats FAQ Contact” (英語). Tonyoliva.com. 2013年6月17日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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