バート・ブライレブン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バート・ブライレブン
Bert Blyleven
1987年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オランダの旗 オランダ
ユトレヒト州ゼイスト
生年月日 (1951-04-06) 1951年4月6日(73歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
207 lb =約93.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1969年 ドラフト3巡目
初出場 1970年6月5日
最終出場 1992年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 2011年
得票率 79.69%
選出方法 BBWAA選出

リック・アールバート・ブライレブンRik Aalbert Blyleven, 1951年4月6日 - )は、オランダ王国ユトレヒト州ゼイスト生まれのアメリカ合衆国の元プロ野球選手投手)。右投右打。

姓は右記のように様々な表記が見られるが、ブライレブン(発音:BLYE-lev-en)と読む。絶妙なカーブの使い手として知られ、「カーブボールの芸術家」とも言われた。

経歴[編集]

オランダ本土で生まれ、移住したカリフォルニア州南部で育つ。ロサンゼルス・ドジャースのファンで、サンディー・コーファックスの投げる試合をよく観戦していた。

1969年ドラフト会議ミネソタ・ツインズから指名され、入団。1年足らずのマイナーキャリアを経て、1970年6月2日にメジャーに昇格し、6月5日に初登板。この年10勝をあげてチームの地区優勝に貢献し、スポーティング・ニュース社の選ぶア・リーグ最優秀新人投手に選出された。翌年以後も16勝、17勝、20勝、17勝、15勝と活躍。この頃が成績的には絶頂期だが、当時はファンやマスコミとの関係もいまひとつで、決して恵まれた時期ではなかったという。

1976年6月1日にテキサス・レンジャーズに移籍。この年はツインズ時代とあわせて13勝。1977年9月22日のカリフォルニア・エンゼルス戦ではノーヒットノーランを達成し、14勝をあげた。シーズン終盤に鼠径部損傷の故障を発症すると、その年の12月8日に、史上初の4球団が絡むトレード[1]ピッツバーグ・パイレーツに移籍。1978年には14勝をあげ、1979年には12勝をあげて、チームのワールドシリーズ制覇に貢献。しかしチームに不安を持ち、1980年途中に移籍を希望し、かなわなければ引退すると発言した。

その年12月9日にクリーブランド・インディアンスに移籍。50日間に及ぶストライキでシーズンが短縮された1981年にも11勝をあげるが、1982年は肘の故障で4試合の登板に終わる。1983年もその影響で苦しいシーズンを送るが、1984年には19勝7敗と、自己2番目に多い勝ち星を記録。 1985年シーズン途中に、古巣ツインズに9シーズンぶりに復帰すると、今度は大きな声援に迎えられた。その年は両球団合計で17勝(16敗)を挙げ、奪三振206はリーグ1位であった。1982年に完成したツインズの本拠地メトロドームは打者に有利な球場で、球速の衰えたブライレブンには厳しく、1986年8月1日には、当時MLB史上10人目[2]通算3000奪三振を達成し、シーズンでも17勝14敗を挙げたものの、50本の被本塁打を喫した。1987年には15勝12敗の活躍でチームを地区優勝、リーグ優勝に導き、自身2度目のワールドシリーズに出場。第2戦では勝利投手となる。第5戦ではカージナルスが、シリーズでは1907年以来となる5盗塁を許し、ブライレブンは敗戦投手となるが、2勝3敗と追い込まれたチームは本拠地での第6戦、第7戦に連勝して、「Home Sweet Dome」での、そしてミネソタ移転後初のワールドチャンピオンを決めた。

1988年は被本塁打こそ21だが、防御率5.43と乱調で、10勝17敗に終わり、この年限りでカリフォルニア・エンゼルスに移籍。初年度の1989年には17勝5敗、防御率2.73と活躍し、カムバック賞を受賞するが、1990年は8勝7敗。回旋筋を痛めた1991年は1シーズン登板がなく、1992年に復帰するが8勝12敗に終わる。あと13勝に迫った通算300勝に意欲を持ち、42歳で1993年のスプリング・トレーニング[3]で古巣ツインズのトライアウトを受けるが契約には至らず、現役引退を発表した。

ESPN解説者として現場に立つブライレブン(2011年3月)

引退後はツインズ専属のコメンテーター(解説者)を務めている。2009年には、WBC オランダ代表の投手コーチを務めた。

通算287勝250敗、防御率3.31、奪三振3701と、アメリカ野球殿堂入りに相応しいと言える成績を残し、1998年に殿堂入りのための全米記者協会による選考投票を受ける資格(得票率が75%を超えると殿堂入りとなる)を得たが、なかなか殿堂入りを果たせなかった。特に通算奪三振は歴代5位で、3000奪三振は2010年終了時点で15人しか達成者がおらず、ブライレブン以外に野球殿堂入りの資格を得た選手は全て殿堂入りを果たしていた。2010年の記者投票の得票率は74.2%で、わずかな差で殿堂入りを逃した。

ブライレブンのツインズ在籍時の背番号「28」。
ミネソタ・ツインズの永久欠番2011年指定。

そして2011年の記者投票で79.7%の得票率を得て、14年目にしてようやく殿堂入りを果たした[4]。殿堂のプレートはツインズを選び、1月27日、古巣ツインズはブライレブンの殿堂入りと功績を讃え、在籍中に着けていた背番号『28』を永久欠番に指定することを発表し、同年7月16日に欠番表彰式が行われた。

2013年には前回大会に続いてWBC オランダ代表の投手コーチを務め、ベスト4進出に貢献。

2016年12月2日に第4回WBCオランダ代表コーチを務めることが発表された[5]

人物[編集]

1978年のパイレーツ時代に、ブレーブスボブ・ホーナー(後のヤクルト)にメジャー初本塁打を打たれた。また、1986年ツインズ時代には、当時インディアンスだったジェイ・ベルにメジャー初打席で、初球を本塁打された。

ダグアウトでチームメイトのスパイクの紐に火をつける「Hot foot」という悪戯を時折行っていた。これによって、「Flying Dutchman」(空飛ぶオランダ人、20世紀初頭の名遊撃手ホーナス・ワグナーをはじめとするドイツ又はオランダにルーツを持つ者に付けられる典型的な渾名)ならぬ「Frying Dutchman」(焼くオランダ人)というあだ名をつけられた。

投手としての球種はハードカーブ、チェンジアップ、スローカーブ(1983年頃開発、使用)、ラウンドハウスカーブ(普通のより大きく曲がるカーブ)、ドロップカーブ。 投球フォームはオーバーハンド。(米書 「guide to pitchers」より)

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1970 MIN 27 25 5 1 0 10 9 0 -- .526 675 164.0 143 17 47 6 2 135 2 3 66 58 3.18 1.16
1971 38 38 17 5 3 16 15 0 -- .516 1126 278.1 267 21 59 1 5 224 5 1 95 87 2.81 1.17
1972 39 38 11 3 0 17 17 0 -- .500 1158 287.1 247 22 69 7 10 228 7 1 93 87 2.73 1.10
1973 40 40 25 9 2 20 17 0 -- .541 1321 325.0 296 16 67 4 9 258 7 2 109 91 2.52 1.12
1974 37 37 19 3 2 17 17 0 -- .500 1149 281.0 244 14 77 3 9 249 3 0 99 83 2.66 1.14
1975 35 35 20 3 1 15 10 0 -- .600 1104 275.2 219 24 84 2 4 233 7 0 104 92 3.00 1.10
1976 12 12 4 0 0 4 5 0 -- .444 406 95.1 101 3 35 5 4 75 0 2 39 33 3.12 1.43
TEX 24 24 14 6 1 9 11 0 -- .450 819 202.1 182 11 46 1 8 144 7 0 67 62 2.76 1.13
'76計 36 36 18 6 1 13 16 0 -- .448 1225 297.2 283 14 81 6 12 219 7 2 106 95 2.87 1.22
1977 30 30 15 5 0 14 12 0 -- .538 935 234.2 181 20 69 1 7 182 8 0 81 71 2.72 1.07
1978 PIT 34 34 11 4 1 14 10 0 -- .583 1011 243.2 217 17 66 5 6 182 6 2 94 82 3.03 1.16
1979 37 37 4 0 0 12 5 0 -- .706 1018 237.1 238 21 92 8 6 172 9 0 102 95 3.60 1.39
1980 34 32 5 2 1 8 13 0 -- .381 907 216.2 219 20 59 5 0 168 2 1 102 92 3.82 1.28
1981 CLE 20 20 9 1 2 11 7 0 -- .611 644 159.1 145 9 40 1 5 107 3 1 52 51 2.88 1.16
1982 4 4 0 0 0 2 2 0 -- .500 89 20.1 16 2 11 0 0 19 0 0 14 11 4.87 1.33
1983 24 24 5 0 0 7 10 0 -- .412 660 156.1 160 8 44 4 10 123 5 1 74 68 3.91 1.30
1984 33 32 12 4 0 19 7 0 -- .731 1004 245.0 204 19 74 4 6 170 6 0 86 78 2.87 1.13
1985 23 23 15 4 2 9 11 0 -- .450 743 179.2 163 14 49 1 7 129 1 1 76 65 3.26 1.18
MIN 14 14 9 1 1 8 5 0 -- .615 460 114.0 101 9 26 0 2 77 3 0 45 38 3.00 1.11
'85計 37 37 24 5 3 17 16 0 -- .515 1203 293.2 264 23 75 1 9 206 4 1 121 103 3.16 1.15
1986 36 36 16 3 4 17 14 0 -- .548 1126 271.2 262 50 58 4 10 215 4 0 134 121 4.01 1.18
1987 37 37 8 1 0 15 12 0 -- .556 1122 267.0 249 46 101 4 9 196 13 0 132 119 4.01 1.31
1988 33 33 7 0 0 10 17 0 -- .370 895 207.1 240 21 51 1 16 145 5 3 128 125 5.43 1.40
1989 CAL 33 33 8 5 1 17 5 0 -- .773 973 241.0 225 14 44 2 8 131 2 0 76 73 2.73 1.12
1990 23 23 2 0 0 8 7 0 -- .533 578 134.0 163 15 25 0 7 69 6 0 85 78 5.24 1.40
1992 25 24 1 0 0 8 12 0 -- .400 568 133.0 150 17 29 2 5 70 3 1 76 70 4.74 1.35
MLB:22年 692 685 242 60 21 287 250 0 -- .534 20491 4970.0 4632 430 1322 71 155 3701 114 19 2029 1830 3.31 1.20
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB最高
  • 「-」は記録なし

年度別守備成績[編集]



投手(P)












1970 MIN 27 5 16 1 1 .955
1971 38 19 38 2 0 .966
1972 39 18 45 3 4 .955
1973 40 21 34 1 0 .982
1974 37 19 34 3 2 .946
1975 35 16 48 6 5 .914
1976 12 5 13 0 1 1.000
TEX 24 17 31 0 3 1.000
'76計 36 22 44 0 4 1.000
1977 30 10 35 1 4 .978
1978 PIT 34 11 41 1 4 .981
1979 37 14 20 0 0 1.000
1980 34 10 30 2 2 .952
1981 CLE 20 9 16 1 2 .962
1982 4 2 2 0 0 1.000
1983 24 7 26 1 3 .971
1984 33 21 30 2 2 .962
1985 23 11 19 0 0 1.000
MIN 14 6 13 0 2 1.000
'85計 37 17 32 0 2 1.000
1986 36 15 31 0 0 1.000
1987 37 17 43 4 3 .938
1988 33 12 22 1 3 .971
1989 CAL 33 14 38 0 6 1.000
1990 23 3 24 1 0 .964
1992 25 5 13 0 1 1.000
MLB 692 287 662 30 48 .969
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

コーチ歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 日本のプロ野球では3球団以上が絡むトレードは禁止されている。
  2. ^ 2011年シーズン終了時点での達成者は16人。
  3. ^ 日本のプロ野球でいう春季キャンプ。
  4. ^ ブライレブン氏とアロマー氏が米国野球殿堂入り
  5. ^ Hall of Famer Bert Blyleven in technische staf Koninkrijksteam Honkbalsite | Honkbalnieuws uit Nederland (オランダ語) (2016年12月2日) 2016年12月15日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]