キャットフィッシュ・ハンター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
キャットフィッシュ・ハンター
Catfish Hunter
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ノースカロライナ州ハートフォード
生年月日 1946年4月8日
没年月日 1999年9月9日(満53歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1964年
初出場 1965年5月13日
最終出場 1979年9月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1987年
得票率 76.27%
選出方法 BBWAA[1]選出

ジェイムズ・オーガスタス・ハンターJames Augustus Hunter, 1946年4月8日 - 1999年9月9日)は、MLBの元選手。ポジションは投手アメリカ合衆国ノースカロライナ州ハートフォード出身。

「Catfish(ナマズ)」はオーナーのチャーリー・O・フィンリーが命名したもので、趣味がナマズ釣りだったことに由来する。

経歴[編集]

オークランド・アスレチックス[編集]

1964年6月8日カンザスシティ・アスレチックスと契約。マイナーリーグを経験せずに1965年5月13日シカゴ・ホワイトソックス戦で、19歳1ヶ月の若さでメジャーデビュー。8月25日デトロイト・タイガース戦でメジャー初完封[1]9月24日ボストン・レッドソックス戦では6回までノーヒットに抑え、2安打完封勝利を挙げる[2]など8勝を記録。1966年は初の開幕投手を務め、オールスターゲームに初選出された。後半戦は故障もあって1勝にとどまり、9勝11敗・防御率4.02の成績だった。1967年は防御率2.81・196奪三振を記録するが、援護に恵まれず13勝17敗と負け越した。球団がオークランドに移転した1968年5月8日ミネソタ・ツインズ戦で完全試合を達成。この試合は6回まで両チーム無得点だったが、7回に自ら先制の適時打を放ち3打点と投打に渡って活躍[3]。しかし同カードとなった次の登板では8失点を喫するなどやや調子の波が大きく、13勝を挙げたがリーグワーストの87自責点。1970年は前半戦で13勝を挙げ、3年ぶりにオールスターゲームに選出されるが、後半戦は5勝にとどまり、18勝14敗・防御率3.81の成績だった。

1971年は開幕直後は不調もその後8連勝。後半戦で防御率2.29と調子を上げ、21勝11敗・防御率2.96を記録し、チームの地区優勝に貢献。ボルチモア・オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦に先発し完投するが5失点を喫して敗戦投手となり、チームは3連敗で敗退した。1972年は21勝7敗、自己最高の防御率2.04を記録し、チームは地区連覇。デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発して9回途中1失点、第4戦では8回途中1失点と好投するが共に勝敗付かず。チームは1931年以来41年ぶりのリーグ優勝を果たす。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは第2戦に先発し、完封目前の9回2死から1点を失い降板するが勝利投手。最終第7戦では5回途中から登板して勝利投手となり、42年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。サイ・ヤング賞の投票では4位に入る。1973年は途中1ヶ月の離脱もあったが6月2日から13連勝。リーグワーストの39被本塁打ながら21勝5敗・防御率3.33の成績でチームの地区3連覇に貢献。オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦に先発し勝利投手。第5戦では5安打完封勝利を挙げてチームはリーグ連覇。ニューヨーク・メッツとのワールドシリーズでは第3戦と第6戦に先発していずれもトム・シーヴァーと投げ合い、第6戦では8回途中1失点で勝利投手となり、チームはワールドシリーズ連覇を果たした。サイ・ヤング賞の投票では3位。1974年は25勝12敗・防御率2.49、リーグトップのWHIP0.99を記録し、共に初の最多勝利最優秀防御率のタイトルを獲得する活躍でチームは地区4連覇。オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発するが5回途中6失点の乱調で敗戦投手。第4戦では8回途中無失点に抑えて勝利投手となり、リーグ連覇に貢献。ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは第1戦の9回2死からローリー・フィンガーズをリリーフしてセーブを記録。第3戦では8回途中1失点で勝利投手となり、チームは史上3度目のワールドシリーズ3連覇の偉業を成し遂げた。初のサイ・ヤング賞を受賞し、MVPの投票でも6位に入った。オフに「給料が契約通りに支払われなかった」と調停委員会に申し立てを行った結果、球団の契約違反により保留条項を含む全ての契約事項は無効であると認定され、史上初のフリーエージェントとなる。複数球団による争奪戦の結果、12月31日に5年総額375万ドルという当時としては破格の金額でニューヨーク・ヤンキースと契約。その際に使用したボールペンは野球殿堂博物館に展示されている。

ニューヨーク・ヤンキース[編集]

移籍1年目の1975年は開幕3連敗を喫するなど4月は不調も、その後復調。23勝14敗・防御率2.58、いずれもリーグトップの328.0イニング・30完投・WHIP1.01を記録し、リーグ史上4人目の5年連続20勝を達成[4]ジム・パーマーと並んで2年連続の最多勝利を獲得し、サイ・ヤング賞の投票ではパーマーに次ぐ2位に入った。1976年はリーグワーストの28被本塁打・117自責点ながら17勝を記録し、チームの地区優勝に貢献。カンザスシティ・ロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発し1失点完投勝利。第4戦では3回途中5失点で敗戦投手となるが、チームは12年ぶりのリーグ優勝を果たす。レッズとのワールドシリーズでは第2戦に先発するが、トニー・ペレスにサヨナラ安打を浴びて敗戦投手となり、チームは4連敗で敗退した。1977年は故障もあって9勝9敗・防御率4.71に終わる。チームは地区連覇を果たすが、ロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは登板なし。ドジャースとのワールドシリーズでは第2戦に先発するが3本塁打を浴びて3回途中5失点で敗戦投手。チームは第6戦でレジー・ジャクソンの第3打席連続本塁打もあって15年ぶりのワールドチャンピオンとなった。1978年は開幕から不調が続き、故障離脱もあって7月まで3勝・防御率6.51だったが8・9月で9勝・防御率2.23と持ち直し、12勝を挙げる。チームはレッドソックスとのワンゲームプレイオフを制して地区3連覇。3年連続の対戦となったロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦で先発し、リードした状態で降板するがリリーフが打たれて勝敗付かず。ドジャースとのワールドシリーズでは第2戦に先発するが敗戦投手。第6戦では7回2失点の好投で勝利投手となり、チームのワールドシリーズ連覇に貢献した。1979年は開幕5連敗を喫するなど2勝に終わり、33歳の若さで現役引退。

1987年アメリカ野球殿堂入り。1993年にアスレチックス時代の背番号27」が球団の永久欠番に指定された。2004年からアスレチックスは「キャットフィッシュ・ハンター賞」を制定し、優れた人格の選手に贈っている。

1999年9月9日に筋萎縮性側索硬化症により、故郷ノースカロライナ州で死去[5]。53歳没。

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

  • サイ・ヤング賞 1回:1974年
  • 最多勝利 2回:1974年, 1975年
  • 最優秀防御率 1回:1974年
  • 完全試合 1回:1968年5月8日
  • MLBオールスターゲーム選出 8回:1966年, 1967年, 1970年, 1972年 - 1976年

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1965 KCA
OAK
32 20 3 2 0 8 8 0 -- .500 567 133.0 124 21 46 5 2 82 2 1 68 63 4.26 1.28
1966 30 25 4 0 0 9 11 0 -- .450 740 176.2 158 17 64 4 2 103 2 2 87 79 4.02 1.26
1967 35 35 13 5 0 13 17 0 -- .433 1053 259.2 209 16 84 6 2 196 4 1 91 81 2.81 1.13
1968 36 34 11 2 3 13 13 1 -- .500 968 234.0 210 29 69 10 4 172 0 1 99 87 3.35 1.19
1969 38 35 10 3 0 12 15 0 -- .444 1002 247.0 210 34 85 1 5 150 8 0 99 92 3.35 1.19
1970 40 40 9 1 1 18 14 0 -- .563 1116 262.1 253 32 74 3 9 178 6 1 124 111 3.81 1.25
1971 37 37 16 4 3 21 11 0 -- .656 1109 273.2 225 27 80 7 4 181 2 0 103 90 2.96 1.11
1972 38 37 16 5 3 21 7 0 -- .750 1148 295.1 200 21 70 6 3 191 3 0 74 67 2.04 0.91
1973 36 36 11 3 0 21 5 0 -- .808 1040 256.1 222 39 69 1 1 124 2 0 105 95 3.34 1.14
1974 41 41 23 6 7 25 12 0 -- .676 1240 318.1 268 25 46 2 4 143 1 0 97 88 2.49 0.99
1975 NYY 39 39 30 7 4 23 14 0 -- .622 1294 328.0 248 25 83 4 5 177 7 0 107 94 2.58 1.01
1976 36 36 21 2 3 17 15 0 -- .531 1210 298.2 268 28 68 5 3 173 6 0 126 117 3.53 1.13
1977 22 22 8 1 0 9 9 0 -- .500 608 143.1 137 29 47 3 3 52 2 1 83 75 4.71 1.28
1978 21 20 5 1 0 12 6 0 -- .667 477 118.0 98 16 35 0 1 56 2 0 49 47 3.58 1.13
1979 19 19 1 0 0 2 9 0 -- .182 460 105.0 128 15 34 0 1 34 2 0 68 62 5.31 1.54
通算:15年 500 476 181 42 24 224 166 1 -- .574 14032 3449.1 2958 374 954 57 49 2012 49 7 1380 1248 3.26 1.13
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • KCA(カンザスシティ・アスレティックス)は、1968年にOAK(オークランド・アスレティックス)に球団名を変更

脚注[編集]

  1. ^ 1965 Pitching Gamelog” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月6日閲覧。
  2. ^ Sep 24, 1965, Red Sox at Athletics Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月6日閲覧。
  3. ^ May 8, 1968, Twins at Athletics Box Score and Play by Play” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月7日閲覧。
  4. ^ それ以前はウォルター・ジョンソン(10年)、レフティ・グローヴ(7年)、ボブ・フェラー(5年)の3人。
  5. ^ 「アメリカ野球雑学概論」『週刊ベースボール』2009年4月20日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20445-4/20、68頁。

外部リンク[編集]