ヒッポ・ボーン

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ヒッポ・ボーン
Hippo Vaughn
Hippo Vaughn.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ウェザフォード
生年月日 1888年4月9日
没年月日 (1966-05-29) 1966年5月29日(満78歳没)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 左投両打
ポジション 投手
初出場 1908年6月19日
最終出場 1921年7月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ヒッポ・ボーン(James Leslie "Hippo" Vaughn ,1888年4月9日 - 1966年5月29日)は、主に1910年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手テキサス州ウェザフォード生まれ。左投げ、スイッチヒッター。大柄でずんぐりした体型から"Hippo"(ヒッポ=カバ)のニックネームで呼ばれた。主にシカゴ・カブスで活躍し、1918年にナショナルリーグ投手三冠を獲得した。

経歴[編集]

ハイランダース時代[編集]

ボーンはテキサス州の石工の息子で、8人兄弟の一人として生まれた。地元の学校を卒業した後1906年にテキサスリーグにデビューし、プロの投手として投げ始める。翌1907年にアーカンソー州のリーグで好成績を上げ、同年ニューヨーク・ハイランダースが獲得、1908年にメジャーリーグにデビューしたが、この年は2試合に投げただけでマイナーに降格。1909年はメジャーで登板しなかったものの、マイナーリーグで無安打試合を2試合記録して、翌年再びハイランダースに昇格した。

1910年には13勝11敗と1点台の防御率を記録したが、その後好調は続かず、1912年のシーズン中にボーンはハイランダースから放出され、セネタースを経て再びマイナーリーグに降格する。しかしボーンは1913年にマイナーリーグのカンザスシティで再び無安打試合を達成、すぐにシカゴ・カブスがボーンを獲得し、カブスで7試合に登板したボーンは5勝1敗、防御率1.45の成績を挙げた。

カブス時代[編集]

カブスに移籍してからのボーンの活躍はめざましく、8年間の在籍期間で20勝を5度記録した。特に1917年5月2日にウィーグマン・パーク(現リグレー・フィールド)で行われた対シンシナティ・レッズ戦はボーンの登板試合として有名である。この試合ボーンはシンシナティのフレッド・トニーと9回までノーヒットで投げあう投手戦を演じた。しかし延長10回に入ってボーンが打ち込まれ、相手のフレッド・トニーはこの試合でノーヒットノーランを達成した。

翌1918年はピート・アレクサンダーがカブスに移籍したが、ほどなく第一次世界大戦に派兵されたため、ボーンが一人でカブスの投手陣を支えることになる。この年ボーンはナショナルリーグの最多勝最優秀防御率最多奪三振の3つの部門でリーグ最高の成績を収め、1919年には前年に続いて2年連続のリーグ最多奪三振を記録した。しかしカブスで活躍できたのは1920年までで、1921年には3勝11敗と不振に陥り、私生活での問題がメディアに取り上げられるなどしたことから、ボーンはこの年のシーズン途中でカブスを退団することになった。

引退後[編集]

メジャーリーグを離れた後、ボーンはマイナーリーグやセミプロのチームを転々とし、49歳まで試合に出場していた。選手を辞めた後は、シカゴで冷凍機械のメーカーに勤めていたそうである。1966年に死去。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1908 NYY 2 0 0 0 -- 0 0 0 -- ---- 10 2.1 1 0 4 -- 0 2 0 0 1 1 3.86 2.14
1910 30 25 18 5 -- 13 11 1 -- .542 869 221.2 190 1 58 -- 10 107 7 0 76 45 1.83 1.12
1911 26 19 10 0 -- 8 10 0 -- .444 618 145.2 158 2 54 -- 7 74 4 1 92 71 4.39 1.46
1912 15 10 5 1 -- 2 8 0 -- .200 288 63.0 66 1 37 -- 1 46 3 0 48 36 5.14 1.64
WSH 12 8 4 0 -- 4 3 0 -- .571 343 81.0 75 0 43 -- 4 49 8 0 33 26 2.89 1.46
'12計 27 18 9 1 -- 6 11 0 -- .353 631 144.0 141 1 80 -- 5 95 11 0 81 62 3.88 1.54
1913 CHC 7 6 5 2 -- 5 1 0 -- .833 235 56.0 37 0 27 -- 2 36 2 1 13 9 1.45 1.14
1914 42 35 23 4 -- 21 13 1 -- .618 1209 293.2 236 1 109 -- 8 165 13 1 119 67 2.05 1.18
1915 41 34 18 4 -- 20 12 1 -- .625 1121 269.2 240 4 77 -- 11 148 5 0 105 86 2.87 1.18
1916 44 35 21 4 -- 17 15 1 -- .531 1191 294.0 269 4 67 -- 7 144 6 0 94 72 2.20 1.14
1917 41 38 27 5 -- 23 13 0 -- .639 1216 295.2 255 3 91 -- 9 195 2 0 97 66 2.01 1.17
1918 35 33 27 8 -- 22 10 0 -- .688 1146 290.1 216 4 76 -- 7 148 4 2 75 56 1.74 1.01
1919 38 37 25 4 -- 21 14 1 -- .600 1224 306.2 264 3 62 -- 6 141 5 0 83 61 1.79 1.06
1920 40 38 24 4 -- 19 16 0 -- .543 1255 301.0 301 8 81 -- 8 131 3 1 113 85 2.54 1.27
1921 17 14 7 0 -- 3 11 0 -- .214 500 109.1 153 8 31 -- 5 30 1 1 90 73 6.01 1.68
通算:13年 390 332 214 41 -- 178 137 5 -- .565 11225 2730.0 2461 39 817 -- 85 1416 63 7 1039 754 2.49 1.20
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・記録[編集]

打撃成績[編集]

  • 通算成績:392試合、921打数159安打、本塁打3、打点61、打率.173

出典・外部リンク[編集]

先代:
ピート・アレクサンダー
ナ・リーグ最多勝利
1918年
次代:
ジェシー・バーンズ
先代:
フレッド・アンダーソン
ナ・リーグ最優秀防御率
1918年
次代:
ピート・アレクサンダー
先代:
ピート・アレクサンダー
ナ・リーグ最多奪三振
1918年 - 1919年
次代:
ピート・アレクサンダー