レッド・ラフィング

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レッド・ラフィング
Red Ruffing
RedRuffingGoudeycard.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州
生年月日 1905年5月3日
没年月日 1986年2月17日(満80歳没)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
初出場 1924年5月31日
最終出場 1947年9月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1967年
得票率 86.93%
選出方法 BBWAA[1]選出

レッド・ラフィングCharles Herbert "Red" Ruffing, 1905年5月3日 - 1986年2月17日)は、1930 - 1940年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手イリノイ州グランヴィル生まれ。右投げ右打ち。1930年代ヤンキースの主力として活躍、通算273勝を挙げた。

略歴[編集]

ラフィングは少年の時に、生まれ故郷のイリノイ州のコールトンで起きた鉱山事故に遭い、4本の足の指を失っていた。1923年、18歳の時にマイナーのダンヴィル球団からボストン・レッドソックスに入団。1924年にメジャーデビューし8試合に登板する。2年目には37試合に登板して9勝18敗、防御率も5点台だったが、年を追うごとに投球内容はよくなり、5年目の1928年には防御率3.89、自身初めて2桁の10勝を挙げるまでになっていた。だがレッドソックス時代は圧倒的に負け数の方が多く、勝ち星の倍以上負けるという成績が続いていた。

1930年シーズン中にレッドソックスはラフィングをヤンキースにトレードするが、当時ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらの強力な打線を味方につけたことで、ラフィングの成績は一変する。この年レッドソックスでは0勝3敗に終わったものの、ヤンキースに移ってからは、防御率4点台だったにも関わらず15勝5敗の成績を収める。

ヤンキースに移ってからラフィングの投手成績は更によくなる。1932年には防御率3.09、リーグ最多の190奪三振を挙げ、同年出場したワールドシリーズでも勝ち星を挙げる。1934年に初めてオールスターゲームに選出、1936年から1939年は4年連続で20勝を記録し、シーズン防御率も自身初の2点台まで下がってきていた。ワールドシリーズには1942年までに計7回出場し、1936年を除いて毎回勝利投手になっていた。またラフィングは投手でありながら打撃も得意で、通算打率は.269と野手に引けをとらなかった。1932年8月13日の試合では1-0の完封勝利を収めているが、決勝の1点は自らのホームランによるものだった。

戦争のため1943年と1944年は現役を中断。1945年に復帰したときは40歳で、既に主力としての活躍はできなくなっていた。1947年に現役を引退。通算勝利数は273勝だが、戦争による現役中断がなければ300勝に達していただろうといわれている。

1967年に記者投票によりアメリカ野球殿堂入り。1986年にオハイオ州で死去。ヤンキースは2004年に、ヤンキースタジアム内のモニュメント・パークにラフィングの額を飾るセレモニーを行った。

通算成績[編集]

投手成績[編集]
































W
H
I
P
548 536 4344.0 273 45 225 16 1987 4284 254 1541 58 46 1833 3.80 1.34

獲得タイトル・記録[編集]

打撃成績[編集]

  • 通算成績:882試合、1937打数521安打、本塁打36、打点273、打率.269
  • 通算打点数273は、投手が挙げた打点としてはメジャーリーグ最多
  • 通算本塁打36は、投手が打った本塁打数としてはメジャーリーグ歴代3位

出典・外部リンク[編集]