アーバン・ショッカー

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アーバン・ショッカー
Urban Shocker
Urban Shocker.jpg
1925年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州クリーブランド
生年月日 1890年8月22日
没年月日 1928年9月9日(満38歳没)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
初出場 1916年4月24日
最終出場 1928年5月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

アーバン・ショッカーUrban James Shocker, 1890年8月22日 - 1928年9月9日)は、アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランド出身のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。

名前はニックネームではなく本名である。

経歴[編集]

1915年にカナディアンリーグからヤンキースに指名され入団、翌1916年にデビュー、12試合に登板し4勝3敗、防御率2.62の成績を残す。2年目の1917年のシーズンオフにヤンキースとセントルイス・ブラウンズ(現オリオールズ)との間で5対2プラス金銭の大型トレードが成立し、ショッカーはエディ・プランクデル・プラットと入替えにブラウンズに移籍した。

ブラウンズでは1918年に14試合の登板ながら防御率1.81と好投する。メジャーリーグでは1920年にスピットボールが禁止されたが、ショッカーには特例としてスピットボールを投げることが認められ、同年初めて勝ち星を20勝に乗せた。1921年にキャリア最高の27勝12敗を記録しアメリカンリーグの最多勝利投手となり、次の年の1922年にはリーグ最多となる149奪三振を記録、この年チームも過去最高のリーグ2位まで躍進した。

ブラウンズに1924年まで在籍した後、再びトレードでヤンキースに復帰、1926年には19勝11敗、1927年には18勝6敗と35歳を過ぎても高い勝率を維持していたが、1928年に1試合登板したところでヤンキースはショッカーを放出、そのままメジャーでのキャリアを終えた。ショッカーは、ヤンキースに在籍した投手の中で最後のスピットボーラーとなった。同年ショッカーは肺炎を患い、9月にコロラド州デンバーで亡くなった。

選手としての特徴[編集]

詳細情報[編集]

投手成績[編集]























防御率
412 317 2681.7 187 28 117 25 983 2709 126 657 37 20 945 3.17

打撃成績[編集]

  • 通算成績:412試合、798打数167安打、本塁打1、打点70、打率.209

タイトル[編集]

記録[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]