アル・オース

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アル・オース
Albert Lewis Orth
Al Orth.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 インディアナ州ティプトン
生年月日 (1872-09-05) 1872年9月5日
没年月日 (1948-10-08) 1948年10月8日(76歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1895年
初出場 1895年8月15日
最終出場 1909年9月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

アルバート・ルイス・オースAlbert Lewis Orth 1872年9月5日 - 1948年10月8日)は、アメリカ合衆国インディアナ州ティプトン出身のプロ野球選手投手)。

カーブを一切投げなかったことから、カーブレスワンダー(The Curveless Wonder)と呼ばれた

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

インディアナ州ティプトンに生まれたオースは、デポー大学卒業後の1895年、フィラデルフィア・フィリーズに入団した。

プロ入り後[編集]

ルーキーイヤーの1895年は8勝1敗、防御率3.89とし、以後主力投手に定着。1899年には14勝3敗で、非公式ながらリーグ最高勝率に輝いている。

その後、1902年にワシントン・セネターズ(現ミネソタ・ツインズ)に移籍し、1904年シーズン終了後にはニューヨーク・ハイランダーズ(現ニューヨーク・ヤンキース)に移籍。

ハイランダーズでジャック・チェスブロスピットボールを教わってからオースは大きく成績を伸ばし、1906年には27勝17敗防御率3.95でナショナルリーグの最多勝投手となった。

しかし翌1907年は14勝したものの、リーグ最多敗戦となる21敗を喫してしまい、その後はひざの故障等での痛みで登板機会が減り、1909年に現役を引退した。

引退後[編集]

引退後はメジャーリーグやマイナーリーグ、大学で監督やコーチを務め、また、ナショナルリーグの審判も務めた。

1948年、バージニア州リースバーグで死去。

選手としての特徴[編集]

制球力に優れ、ほとんどのシーズンで与四球率は1点台で推移しており、2回リーグトップの数字を記録している。

球速を自在に変えられるいわゆるチェンジオブペースの投手で、カーブを一切投げなかったと言われているが、通算204勝を挙げている。

投手ではあったが打撃が非常によく、しばしば打撃3割を記録し、投手として歴代7位の359安打を記録している。

その打力を買われて78回代打に出たことがあり、他にも外野手として55試合、遊撃手として8試合に出場している。

詳細情報[編集]

タイトル・記録[編集]

アメリカンリーグ最多勝1回:(1906年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]