チーフ・ベンダー

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チーフ・ベンダー
Chief Bender
Charles Albert Bender 1910.jpg
チーフ・ベンダー
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミネソタ州クロウ・ウイング郡
生年月日 1884年5月5日
没年月日 1954年5月22日(満70歳没)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1902年
初出場 1903年4月20日
最終出場 1925年7月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1953年
選出方法 ベテランズ委員会選出

チーフ・ベンダー(Charles Albert "Chief" Bender, 1884年5月5日[1] - 1954年5月22日)は、1900~1910年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手ミネソタ州クロウ・ウイング郡ブレーナード生まれ。右投げ右打ち。球種の一つであるスライダーを開発した投手と言われている。

略歴[編集]

ニックネームの"Chief"(酋長)は、彼がアメリカ・インディアンオジブワ族出身であることからつけられたもの。彼は現役生活の中で、インディアンに対する差別を受け続けた。ペンシルベニア州カーライル・インディアン工業学校を卒業したベンダーは、1902年にフィラデルフィア・アスレチックスに入団、翌年1903年にメジャーリーグにデビューする。1年目から36試合に登板、17勝14敗の成績を上げたが、一方で25もの与死球(リーグ最多)を記録している。デビューから3年目の1905年にはワールドシリーズに初めて出場、2試合を投げて2試合とも完投し、1試合を完封する好投を見せた。 1914年までアスレチックスに在籍し、うち1908年から1910年は3年連続で防御率1点台という安定した成績を残す。特に1910年から1914年にかけて高い勝率を挙げ続け、この間チームも5年間で4度のワールドシリーズ出場を果たしている。ベンダーは当時通常のカーブのほかに、「ニッケルカーブ」と呼ばれる、後のスライダーに相当する変化球を投げていたとされている。

1915年に創設されたフェデラル・リーグに移るも、所属したボルチモア・テラピンズが振るわず(47勝107敗)、自身も4勝16敗と大きく負け越してしまった。翌年フェデラル・リーグ解散を受け、フィリーズに移籍。1917年には8勝2敗、防御率1.67と健在ぶりを示した。1918年、第一次世界大戦の間ベンダーは野球を離れ造船所に努める。後年、ホワイトソックスのコーチとして現場に復帰し、1925年に1試合だけ試合で投げている。その後はマイナーリーグのニューヘブン、ジョーンズタウン等の監督なども勤めていた。

1953年にベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出。翌1954年に癌のためフィラデルフィアで死去。

通算成績[編集]

投手成績[編集]



































W
H
I
P
459 334 3017.0 212 40 127 34 1711 2645 40 712 102 72 823 2.46 5.10 1.11

獲得タイトル・記録[編集]

打撃成績[編集]

  • 通算成績:507試合、1147打数243安打、本塁打6、打点116、打率.212

脚注[編集]

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  1. ^ 出生年は1884年とされているが、正確ではなく、資料によりバラツキがある。

出典・外部リンク[編集]