アリエル・プリエト

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アリエル・プリエト
Ariel Prieto
オークランド・アスレチックス コーチ #59
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 キューバの旗 キューバ
ハバナ
生年月日 1969年10月22日(45歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1995年 ドラフト1巡目
初出場 1995年7月2日
最終出場 2001年5月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴


アリエル・プリエトAriel Prieto , 1969年10月22日 - )は、キューバ共和国ハバナ出身の元プロ野球選手投手)。現在はMLBオークランド・アスレチックスでコーチを務めている。

経歴[編集]

選手時代[編集]

キューバのファハード大学を卒業後、プエルトリコへ渡りウィンターリーグでプレイ、カリビアンシリーズにも出場した。

その後、セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルに戻った後もMLBでプレイしたいという希望はあったが、才能の流出を恐れたキューバ政府によりビザは発行されなかった。

その為、プリエトは1994-95の国内リーグでわざと酷い投球を続け仮病を訴え、周囲の評価を落とすことに務めた。[1]

それが功を奏しビザが発行され、夫婦で共に米国へ渡り、独立リーグのパームスプリング・サンズで数試合プレイした後に1995年のMLBドラフトオークランド・アスレチックスからドラフト1巡目全体5位で指名され入団。入団当初は28歳と発表され、後から実は24歳だったと訂正。暫くしてまた28歳と言われ、地元サンフランシスコの新聞では「キューバでは時と場合によって年齢が変わるらしい。猫の目のようにね。果たしてプリエトは何歳なのか。我々は正しい記事を書くのに困っている。真実を知っていたら誰か教えて欲しい」と皮肉混じりに書かれている[2]

1995年の7月にメジャーデビューし、2001年にはトレードでタンパベイ・デビルレイズへ移籍した。

2005年までマイナーでプレイしたが2001年以来のメジャー昇格は果たせず引退。

コーチ時代[編集]

2009年から2011年までアスレチックスのマイナー機関でピッチングコーチを務める。[3]

2012年からはチームに新しく加わったヨエニス・セスペデスの通訳としてアスレチックスのコーチに就任。[4]

キューバ代表[編集]

1990年から1994年までキューバの代表チームに所属していた。

1990年ニカラグア戦ではキューバの代表記録となる一試合20奪三振を記録し、国際試合では11勝0敗と無類の勝負強さを発揮した。[5]

人物[編集]

フロリダマイアミに自宅があり、妻との間に二人の娘がいる。

脚注[編集]

外部リンク[編集]