1978年のワールドシリーズ

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1978年のワールドシリーズ
チーム 勝数
ニューヨーク・ヤンキースAL 4
ロサンゼルス・ドジャースNL 2
シリーズ情報
試合日程 10月10日 - 10月17日
MVP バッキー・デント(NYY)
ALCS NYY 3-1 KC
NLCS LAD 3-1 PHI
のちの殿堂表彰者 リッチ・ゴセージ(NYY)
キャットフィッシュ・ハンター(NYY)
レジー・ジャクソン(NYY)
トミー・ラソーダ(LAD/監督)
ドン・サットン(LAD)
チーム情報
ニューヨーク・ヤンキース(NYY)
監督 ボブ・レモン
シーズン成績 100勝63敗
ロサンゼルス・ドジャース(LAD)
監督 トミー・ラソーダ
シーズン成績 95勝67敗
ワールドシリーズ
 < 1977 1979 > 

1978年のワールドシリーズは、1978年10月10日から10月17日まで行われたメジャーリーグワールドシリーズである。

概要[編集]

第75回ワールドシリーズ。アメリカンリーグ西地区の覇者カンザスシティ・ロイヤルズを破り3年連続出場のニューヨーク・ヤンキースナショナルリーグ東地区の覇者フィラデルフィア・フィリーズ破り2年連続出場のロサンゼルス・ドジャースとの前年と同カードの対戦となった。結果も前年と同じく4勝2敗でニューヨーク・ヤンキースが2年連続22回目の優勝。打率.417(24打数10安打)・7打点の成績をあげたバッキー・デントMVP

ドジャースの打撃兼1塁コーチのジム・ギリアムがリーグ優勝決定翌日の10月8日に亡くなったため、ドジャースは現役時代から付けていた背番号19を永久欠番にするとともに、シリーズ期間中ユニフォームの左袖に19番のパッチを付けてプレーした。

試合結果[編集]

表中のR得点H安打E失策を示す。日付は現地時間。

第1戦 10月10日[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
ヤンキース 0 0 0 0 0 0 3 2 0 5 9 1
ドジャース 0 3 0 3 1 0 3 1 X 11 15 2
  1. : トミー・ジョン (1-0)  : エド・フィゲロア (0-1)  
  2. :  NYY – レジー・ジャクソン1号ソロ(7回ジョン)  LAD – ダスティ・ベイカー1号ソロ(2回フィゲロア)、デイビー・ロープス1号2ラン(2回フィゲロア)・2号3ラン(4回クレイ
  3. 観客動員数: 55,997人 試合時間: 2時間48分
ドジャースは2回に先頭ベイカーのソロで先制、さらに2死3塁から1番ロープスが左翼に2ランを放ち、ヤンキース先発フィゲロアをKO。ドジャースはさらに4回、2番手のケン・クレイを攻め1死1、3塁とするとロープスの2打席連続となる3ランで6-0。7点を追うヤンキースは7回にジャクソンのソロとデントの2点適時打でようやく3点を返すが、その裏ドジャースはビル・ノースリー・レイシーの連続適時打で3点を加え2ケタ得点。ドジャースは8回途中から先発ジョンをリリーフしたテリー・フォースターが9回も抑え、ドジャースが先勝。

第2戦 10月11日[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
ヤンキース 0 0 2 0 0 0 1 0 0 3 11 0
ドジャース 0 0 0 1 0 3 0 0 X 4 7 0
  1. : バート・フートン (1-0)  : キャットフィッシュ・ハンター (0-1)  S: ボブ・ウェルチ (1)  
  2. :  LAD – ロン・セイ1号3ラン(6回ハンター)
  3. 観客動員数: 55,982人 試合時間: 2時間37分
ヤンキースは3回にジャクソンの2点適時打で先制するが、ドジャースは4回にセイの中前打で1点を返すと、6回に2死1、3塁からセイが左翼に3ランを放ち逆転。一方のヤンキースは7回にジャクソンの2ゴロで1点差とすると、9回に2番手のフォースターを攻め1死1、2塁。ここでラソーダ監督は新人のウェルチをリリーフに起用。ウェルチはサーマン・マンソンを右飛に打ち取ると、続くジャクソンも9球全て直球という真っ向勝負の末空振り三振に仕留め、ドジャースがホームで連勝。

第3戦 10月13日[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
ドジャース 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 8 0
ヤンキース 1 1 0 0 0 0 3 0 X 5 10 1
  1. : ロン・ギドリー (1-0)  : ドン・サットン (0-1)  
  2. :  NYY – ロイ・ホワイト1号ソロ(1回サットン)
  3. 観客動員数: 56,447人 試合時間: 2時間27分
ヤンキースは1回、1死からホワイトが右翼ポール際にソロを放ち先制すると、続く2回にも1死1、3塁からデントの併殺崩れの間に2点目が入る。しかしヤンキース先発ギドリーは直後の3回にビル・ラッセルの内野安打で1点を返されると、その後も毎回走者を許し、5回と6回には2死満塁のピンチを背負うが、いずれも三塁手グレイグ・ネトルズの好守で無失点に切り抜ける。すると7回裏、ヤンキースはマンソンとジャクソンの連続適時打などで3点を加え突き放した。ギドリーは8安打7四球を許しながらも9回を投げきり、ヤンキースが1勝目。

第4戦 10月14日[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 R H E
ドジャース 0 0 0 0 3 0 0 0 0 0 3 6 1
ヤンキース 0 0 0 0 0 2 0 1 0 1 4 9 0
  1. : リッチ・ゴセージ (1-0)  : ボブ・ウェルチ (0-1)  
  2. :  LAD – レジー・スミス1号3ラン(5回フィゲロア)
  3. 観客動員数: 56,445人 試合時間: 3時間17分
フィゲロアとジョンの投げ合いで無得点のまま迎えた5回、ドジャースは2死1、2塁からスミスが右翼に3ランを放ち先制。一方ヤンキースは6回、1死1、2塁からジャクソンの右前打で1点を返すと、続くルー・ピネラの打球は遊撃手ラッセルへのゴロ。ラッセルは自ら2塁を踏んだ後1塁へ送球するが、送球が1塁付近で立ち止まっていた走者ジャクソンに当たって逸れ、マンソンが2塁から生還し1点差。このプレーを巡り、ラソーダ監督が「ジャクソンの守備妨害だ」と激しく抗議したが判定は覆らず。ヤンキースはさらに8回、1死2塁からマンソンが左翼線に2塁打を打ちついに同点。このまま試合は延長に入り、10回裏、ヤンキースは8回途中から登板の3番手ウェルチから1死後ホワイトが四球で出塁。2死後、第2戦で三振に打ち取られたジャクソンが右前打を放ち1、2塁とすると、続くピネラが高めの直球を中前にはじき返しホワイトが生還、サヨナラ勝ちでヤンキースが2勝2敗のタイに持ち込んだ。

第5戦 10月15日[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
ドジャース 1 0 1 0 0 0 0 0 0 2 9 3
ヤンキース 0 0 4 3 0 0 4 1 X 12 18 0
  1. : ジム・ビーティー (1-0)  : バート・フートン (1-1)  
  2. 観客動員数: 56,448人 試合時間: 2時間56分
ドジャースは1回にスミスの適時打で先制、さらに3回にラッセルの2塁打で2-0とするが、その裏ヤンキースは無死1、2塁からホワイトの右前打でまず1点。さらにミッキー・リバースとホワイトが重盗を決め、続くマンソンの右前打で2者が生還し逆転。マンソンは右翼手スミスの本塁への悪送球で3塁まで進むと、1死後ピネラの適時打で生還し、ドジャース先発のフートンをKO。ヤンキースは続く4回にもリバースとマンソンの適時打などで3点を追加すると、7回にもドジャース3番手チャーリー・ハフの暴投やホワイト、マンソンの連続適時打で4点を加え2ケタ得点。大量の援護を受けたヤンキース先発ビーティーは悠々完投し、3連勝のヤンキースが王手。

第6戦 10月17日[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
ヤンキース 0 3 0 0 0 2 2 0 0 7 11 0
ドジャース 1 0 1 0 0 0 0 0 0 2 7 1
  1. : キャットフィッシュ・ハンター (1-1)  : ドン・サットン (0-2)  
  2. :  NYY – ジャクソン2号2ラン(7回ウェルチ)  LAD – ロープス3号ソロ(1回ハンター)
  3. 観客動員数: 55,985人 試合時間: 2時間34分
後がないドジャースは1回にロープスの先頭打者本塁打で先制するが、直後の2回にヤンキースは1死1、2塁から8番ブライアン・ドイルが左中間に2塁打を放ち同点とすると、続く9番デントの中前打で2者が生還し3-1と逆転。ドジャースは3回にロープスの適時打で1点差とするが、ヤンキースは6回、2死2塁からドイルがこの日3安打目となる中前打で2塁走者ピネラが生還、さらに続くデントも、サットンをリリーフしたウェルチからこれまた猛打賞となる左前打を打ち、2塁からドイルが生還し5-2。続く7回にはジャクソンが因縁のウェルチから第2戦のお返しとばかりに右翼へ特大の2ランを放ち、試合を決めた。ヤンキースは先発ハンターを8回途中から抑えのゴセージがリリーフする万全の投手リレー。9回裏2死、セイの捕邪飛がマンソンのミットに収まった瞬間、ヤンキースの2年連続22回目のワールドシリーズ制覇が決まった。

エピソード[編集]

  • 勝ったヤンキースの監督ボブ・レモンはこのシーズンの途中にシカゴ・ホワイトソックスの監督を解任され、その後解任されたヤンキースの監督ビリー・マーチンの後任監督に就任。同じ年に監督解任とワールドシリーズ優勝を経験した、現時点で唯一の監督である。ただし、翌1979年途中に解任され、後任には再びマーチンが就任した。
  • レモンは1981年にもシーズン途中でヤンキースの監督に就任し、ワールドシリーズに進出。この時も翌1982年に解任されている。

参考文献[編集]