伊良部メジャーリーグ移籍騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

伊良部メジャー移籍騒動(いらぶメジャーいせきそうどう)とは1996年オフに起こった千葉ロッテマリーンズ所属投手の伊良部秀輝によるメジャーリーグ移籍を巡る騒動。

概要[編集]

1996年、伊良部は3年連続で二桁勝利記録して勝率6割6分7厘で(3年連続の最多奪三振は逃したものの)三振奪取率は9.00超え2年連続の最優秀防御率を獲得し、日本プロ野球を代表する投手として名声をあげていた。しかし、1996年は所属先のロッテはレギュラーシーズン・パリーグ六球団中5位と低迷。また、KOされた試合後に広岡達朗GMから受けた「打たれるのは闘争心が無いからだ!!」という一言も要因となって、広岡GMらロッテ球団上層部と確執を起こしてしまう。

そこで「私はメジャーに挑戦したいんです!」と後日表明し、この年のオフに伊良部は中学時代からの夢であったメジャーリーグ挑戦・ニューヨーク・ヤンキース入団を実現すべく、ロッテ退団決意し熱望する。しかし、伊良部にはFA権がなく、ロッテ球団が持つ保有権が障害となった。(ただし、当時の制度では任意引退選手であれば、保有権は海外の球団には及ばなかった)

伊良部の熱意により、ロッテ球団はオーナー代行重光昭夫主導でサンディエゴ・パドレスと交渉し、シェーン・デニス投手、ジェイソン・トンプソン外野手の両選手と伊良部の交換トレードをまとめる。これにより伊良部の保有権がパドレスに譲る。

しかし、伊良部はあくまでもヤンキースとの契約を熱望し、代理人の団野村を通してパドレスへの入団を拒否。日米球界をまきこむ騒動となる。

この事態を受けパドレスは、2選手プラス300万ドルの金銭を交換条件に伊良部の保有権をヤンキースにトレードすることに合意。パドレスは伊良部とホーマー・ブッシュ英語版二塁手、ヤンキースはルーベン・リベラ外野手、ラファエル・メディナ英語版投手の2対2のトレードを成立させ、伊良部は三角トレードという形で念願のヤンキースに入団することとなった。(日本人初ヤンキース・メジャー契約選手

この騒動は他のMLB球団から機会均等を求める声が上がり、日本球界におけるポスティングシステムの確立に繋がった。

実際には生き別れとなった実父スティーブ・トンプソンを見つけるには、メジャー屈指の名門チームであるヤンキースでプレーするのが最善と考えていたためだが、伊良部本人はこのことを最後までかたくなに否定し続け、また、自身の実父がアメリカ人であることは知らなかったと虚偽の発言までしていた。

メジャーリーグでは、3球団間で選手の相互移動が行われる三角トレードは比較的ありふれたものであるが、日本球界では三角トレードは1996年時点では、1969年のプロ野球ドラフト会議における荒川尭(荒川事件)と1978年のプロ野球ドラフト会議における江川卓(江川事件)の2例しか前例が無く、この2つの事件を契機に「三角トレードに新人選手を含むことの禁止」がNPB野球協約に明記された事により、以後三角トレード自体が事実上タブー視されていた事も、日本においてこの一連のトレード劇が「移籍騒動」として認識される事に繋がってしまった。

関連書籍[編集]

  • 団野村『日出づる国の「奴隷野球」―憎まれた代理人・団野村の闘い』(文藝春秋)
  • 康奉雄「伊良部秀輝 孤独のマウンド」(早稲田出版)

関連項目[編集]