マリーンズファン

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マリーンズファンとは、日本のプロ野球球団千葉ロッテマリーンズファンのことである。

概要[編集]

ビッグフラッグを掲げるファン(2005年、千葉マリンスタジアムにて)

千葉マリンスタジアム(2017年よりZOZOマリンスタジアム)のライト側外野席でのサッカーサポーターを参考にした応援パフォーマンスはマリーンズファンの最も大きな特徴の一つであり、しばしばマスコミでも取り上げられた。中でもライトスタンドのほぼ全てを覆い隠せるほどに大きな「26 MARINES IS MY LIFE」の横断幕(ビッグフラッグ)は千葉マリンスタジアムの名物となっていた。

ライトスタンドに座るためには早めに並ばなくてはならず、週末の試合ではレフトスタンドのセンター寄りもマリーンズファンの白で一杯になる。その際には試合開始前に、警備員がビジターのファンにレフトスタンドのセンター寄りに座ることを控えさせていた。2007年からは、レフトスタンドのセンター寄りもあらかじめホーム応援席として定義されるようになった(阪神戦を除く)。この他にも一塁側の内野指定席では平日でもほぼ満員、さらに三塁側でも阪神戦などを除き、ほぼ大半がマリーンズファンで占められるなど(三塁側のマリーンズファンは一塁側のチケットが取れなかった人がほとんどであり、一塁側のチケットは前売りでないと購入が難しかった)、かつての低迷期には考えられなかったことが起きた。2008年には球団記録となる160万人以上の観客動員を記録している。ただし2012年以降は観客動員が130万人を切っている。

ビジターにおいては、2005年に甲子園の阪神戦(交流戦)において、レフトスタンド上段をマリーンズファンの黒い集団が埋め尽くしたことで話題になった。2006年から甲子園ではビジター応援席が設定されたが、瞬く間に完売してしまったため2007年からマリーンズファンのためにビジター応援席が増席されている。甲子園では2010年を除いて2007年以降、ロッテのビジター応援席の範囲を最も広い巨人と同じものに設定している。

2009年に発生した問題(一部ファンの行動による軋轢参照)により、一部の応援団が撤退[1]2010年に、2004年までマリーンズの応援をリードしてきた元応援団員のジントシオが応援団長として復帰し、8割方の応援が変更され[2]、2015年までに2009年以前の応援歌はほぼ変更されていたが、2016年シーズンからMVP時代に作成された一部の選手応援歌やチャンステーマなどが復活することになった。(旧福浦、旧サブロー、レイジーボーン、エリーゼ、燃えろ千葉ロッテ、スキンヘッドランニング) しかし、結局シーズン途中で使用中止となった。(2016年からの応援スタイル参照)

応援スタイル[編集]

過去の応援スタイル[編集]

  • 川崎球場時代以前の応援には、大毎オリオンズ時代からの内野応援団長で、東京スタジアムでよく応援をしていた松本真一の意向が強く働いていた。
  • バッター登場時に小太鼓を使用して観客に三・三・七拍子の拍手をさせ、そのあとに紙吹雪を撒く、相手選手への洒落の利いた野次、プレー中の応援自粛、得点時には球団旗をかたどった応援旗を振って声援を送るなど、松本の作りあげた応援スタイルは多い。
  • また松本はロッテのアメリカ・ビトリアキャンプ(1971年)に同行して、サンフランシスコ・ジャイアンツとのエキシビションマッチ(日本で言うオープン戦)で、前述のスタイルによる応援をして、地元新聞に記事が載ったことがある。
  • ロッテの千葉移転以後も同様に内野席で小太鼓を使う応援スタイルを貫いた。(少なくても1994年以降、内野席で太鼓を使用する許可を球団から公式に得ていたのは松本のグループのみだった。){以上松本真一著・『私の応援人生』より引用}
  • 内野席での太鼓を使用した集団応援は、2007年に外野応援団により限定的にバス・ドラムを使用して復活した。
  • なお松本の内野応援団は、外野応援団の巨大化と一般ファンの支持、そして松本自身の体調悪化(のち逝去)もあり、自然消滅。しかしその残党は今でも内野席1階のシーズン席を購入して試合観戦している。
  • 東京オリオンズ時代には「東京音頭」を応援に取り入れていた。東京スタジアム閉鎖後は、ヤクルトスワローズの応援団にこのスタイルが継承された。
7回のイベント時のマリーンズファン

90年代から2009年までの応援スタイル[編集]

2009年までの彼らの応援スタイルは、ゲート横に陣取る応援グループ『Marines Victory Productions』と親交の深い『ウルトラス・ニッポン』のメンバーや、Jリーグ各チームなどのサポーターの影響を強く受けていると言われ、応援団自身も公式にサッカーやアメリカン・スポーツなどを参考にしたことを認めている。『bombonera』『Rabona』のような本来はサッカーのサポーターへ向けたファッション・ブランドからも、例外的にマリーンズ・ファンへ向けたファッション・アイテムが出回っているという側面もあり、サッカーの影響が色濃い。

具体的には、以下の点が特徴として挙げられる。

  • 従来応援に使われてきたメガホンを用いず、手拍子と指笛を主体とした声による後押しを行った。
  • 攻撃時の応援歌において野球応援では広く使われているトランペットの他、寸胴型のドラムなどの鳴り物を使用する。インチャ(バルサ)ホーンは2005年頃まで頻繁に使用しており、一時の自粛期間を経て2008年以降は応援団登録者に限って使われるようになっていた。
  • 応援歌は既存の曲をアレンジして歌詞をつけて使用している。原曲はスカや洋楽、邦楽、アニメソング、各国民謡、K-POP、ゲーム、パチスロのBGMなど多岐にわたった。
  • 試合開始の際にフェイスタオルや、マフラータオル、メッセージボード等を両手に広げ『オズの魔法使い』の『Over The Rainbow (虹の彼方に)』を大合唱した。
  • メッセージ性の強い両手持ちの旗「ゲートフラッグ(ゲーフラ)」を掲揚する。ただし、現在ではゲートフラッグの使用を許可する球場が少なくなってきて、現在で使用許可されている球場は、QVCマリンフィールド西武ドーム北九州市民球場のみ。
  • 「マーチ旗」「ミニフラッグ」と呼ばれる小旗を使用する。以前から自作で使われていたが、2007年に球団が売り出したことによって急速に普及した。基本的には試合開始前や相手投手交代時にテーマにあわせて球場全体で振っている。一部では、アルゼンチンサッカーのサポーター(インチャ)が使うような大きいパラソルを使用した。
  • 「ゲート横」「危険地帯」と呼ばれる一部ではジャンプをする際にはタスキ状の長い布「バンデーラ」を使用した。
  • 代名詞ともなっているタオル回しは「白いタオルとボールが重なってロッテ選手の打撃の妨害になる」「巨人応援団も流用している」などの理由からインプレー中は行われていないが(大量に点差がついて勝っている場合のみ例外)、未だにチャンステーマ時に回すものと誤解している人が多いため、以降チャンステーマの代わりにジャンプをするようになった。
  • レプリカユニフォーム・またはそれを模したウェア等を着用する。マリーンズファンの多くはホーム用及びビジター用のレプリカを所持していて、千葉マリンなどのホームではホーム用を、ビジターではビジター用を着用する。外野席は常にホームなら白、ビジターは黒一色となっている。レプリカユニフォームはファンクラブ有料会員の入会特典でもあり、種類は選択可能である。ただ、前述の縁起の良さからホームユニフォームでは「誠」を選ぶ人が2006年には急増した。2009年には、旧ロッテオリオンズ時代のレプリカユニフォームが製作されたこともあり、多くのファンが着用している。
  • MVP(Marines Victory Productions)ツアーというツアーが年に数回行われ、その観戦料の安さや特典等に惹かれ多くのマリーンズファンが参加した。

こうした応援スタイルは読売ジャイアンツなど他球団の応援スタイルにも影響を与えており、特にレプリカユニフォームを着ての観戦はプロ野球においてもすっかり定着している。大阪近鉄バファローズの名物応援「タオル回り」(後にオリックス・バファローズに引き継がれる)は、「タオル回しはカッコイイが、これをそのままやるとパクリになるから」という理由で始まった。近年の日本の高校野球でも、応援歌が新旧問わず頻繁に使用されている。

ジェット風船については、白色の風船に統一している(これはビジターでも同様)。勝利時にも飛ばす場合あり。

2010年からの応援スタイル[編集]

  • かつての応援団員ジントシオが復帰し、以降2015年まで団長として応援をリードした。応援歌をほとんど新曲にして、新たな応援が始まった。タオル回しを試合前テーマに使用するなど、過去の名物応援もあった。
  • 応援歌の原曲として、神戸拓光の応援歌に東方紅魔郷フランドール・スカーレットのテーマ「U.N.オーエンは彼女なのか?」やヒットテーマ2にアイドルマスターの「キラメキラリ」を採用。
  • ジントシオは何回かリサイタルを開いており、QVCマリン正面ステージだけでは無く、札幌など、主要都市でのリサイタルも開いている。ジントシオは2015で応援団を退団。2016年からは新体制となっている。

2016年からの応援スタイル[編集]

  • 新体制となり、決起集会で旧応援歌の復活が発表される。しかし、シーズン途中に使用を中止。団長は「試合よりも応援に集中が行く」旨をTwitterで発言した。
  • 復活した応援歌
    • スキンヘッドランニング(大チャンステーマ)
    • エリーゼ(得点テーマ)
    • 燃えろ千葉ロッテ
    • レイジーボーン(ヒットテーマ)
    • 旧福浦和也
    • 旧サブロー
  • この中でも選手応援歌は使われなかった。ただ、旧サブローはサブローの引退試合で流れている。

一部ファンの行動による軋轢[編集]

2009年シリーズ終盤、一部フロントの行動を「ファンに対する侮辱」と受け取ったファンによって、外野スタンドに、フロントを野次る横断幕が掲げられた。しかし、これらの横断幕の中には、フロントを名指しして「死刑」などという痛烈な言葉を使用したものもあった[3]

これに対し、ヒーローインタビューを受けることになった西岡剛が、インタビュー中に「子供の夢を壊すような横断幕は下げていただきたい」という旨のお願いを外野スタンドに向けて行った[4]。 しかし、これに反発した一部の応援団は、翌日の試合の西岡の打席中に、一部外野スタンドに西岡を中傷する横断幕(内容は「今日も狙って!!」 ・「祝 110本安打達成(笑)」 ・「二日酔いで試合サボり」 ・「夢を語るスピードスター」など[5])が掲げられ、一部の応援団は鳴り物応援を行わなかった[6]

ボイコットされた応援の代わりに、多くのファンから自発的に「剛」コールが湧き上がり、監督のボビー・バレンタインも剛コールに合わせて手を振る姿がテレビ中継で映し出された。ところが、試合が終盤にさしかかると、これらのコールも一部の応援団のトランペットの無関係な演奏に妨害されるようになった。一部の応援団は西岡以外の選手への応援は普段通り行っていたが、終いには全ての選手を対象にファンから「○○」コールがかけられ、完全に一部の応援団を無視しての応援が行われる事態にまで発展した。さらに、一連の妨害行為を繰り返した一部の応援団への「帰れ」コールが出るなど、終始異様なムードが漂う試合となっていった[7]

9月29日の西武戦(西武ドーム)では、西岡に対して通常の応援が行われ、ホームでの最終戦となる10月6日は不測の事態に備えて警備員が増員された[8]ものの心配された騒動は起こらず、球場に詰めかけた29,000人の声援の中、退団する監督のボビー・バレンタインのセレモニーが執り行われた[9]。この日の試合前には、千葉ロッテマリーンズ外野応援団は謝罪を行ったが、前述の事が引き金となり、結果的に外野応援団並びにM.V.Pは解散する結果となった。

マリーンズサポーターと袂を分かつことになった旧外野応援団並びにM.V.Pは社会人野球チーム「東京メッツ」(漫画「野球狂の詩」に出てくる東京メッツとは無関係。元ロッテ二軍監督の古賀英彦が監督を、お笑い芸人トータルテンボス藤田憲右が部長を務めており、またロッテの主軸選手であった愛甲猛の長男も在籍している)の応援団として活動している[10][11]

マナー[編集]

2000年代の初期には試合後のスタンドで身の回りの清掃を自発的に率先して行うなどし、地元からの表彰歴もあった。こうした動きは、ごみの分別収集処理をスタジアム運営側が主導するようになるまで継続されていた。

「マリーンズサポーター」[編集]

2000年代初頭を前後して、サッカーの影響を受けていることだけではなく、野球や選手に対する真剣な態度やマナーのよさから「応援するだけではなく、チームを支えている存在である(サポーター)」であるとされ、マスコミなどでは「マリーンズサポーター」と呼称したことがあった(現在でもこの呼称は一般的になっている)。日テレの対巨人戦で実況がレフトスタンド応援席のロッテファンのことを「ロッテサポーター」と呼んでいたこともある。

かつては敵味方を問わず、好プレーには賛辞の拍手を送っていたが、応援団を主導する『Marines Victory Productions』(以下M.V.P.と略)の「敵のプレーに拍手をする暇があるなら、味方の選手のプレーに拍手を送ろう」という方針から2009年までは自粛傾向にあった。

相手ピッチャーが牽制球をした場合にはかまわずブーイングをすることが、2005年の優勝時前後を皮切りに徐々に問題になっていた。かつては敵味方を問わず問題のあるプレーに対して行われた行為だったが、「ロッテファンは敵の牽制にブーイングするのが流儀」という誤解が広まり、緊迫した場面でのたった1球の牽制球であっても内野席のファンまでもが反応するような事態になっているという状況が起きた。こうした動きを受けて、2007年の「MARINES MATCH CARD PROGRAM」(=マッチデープログラム)には応援団からのお願いとして「牽制時のブーイングをやめよう」との呼びかけが掲載されるようになった。

応援団・ファンが受けた表彰[編集]

  • 2003年 毎日スポーツ人賞文化賞(毎日新聞社) - この賞金でビッグフラッグを作成。
  • 2005年 特別感謝状(千葉市) - 市から記念プレートの形で特別感謝状が贈られた。ライトスタンド入口に掲げられている。

この他、完全優勝記念碑でも「日本シリーズにおける34人目のプレイヤー」として扱われ、レリーフがはめ込まれている。

その他[編集]

  • 東尾修は西武監督時代にマリーンズファンを「ライトスタンドの白いオバケ」と評した。
  • 2005年のプレーオフ、日本シリーズは全てビジターでの優勝だったのでマスコミは彼らを「黒の軍団」と評した。
  • 2010年の正力松太郎賞の候補として受賞した西村徳文や西岡剛(2010年チームキャプテン)、球団と共に挙がったことがある。理由は「チーム全体を選出するのはどうか」と杉下茂中西太が提案したため。ファンも含め一丸となったことが評価され、「統率の取れた応援団にもどうか」との意見も出されたためでもある。なお、通常正力松太郎賞は選手・監督・コーチ・審判が対象になるため、特例措置ともいえる[12][13]

脚注[編集]