ジョニー・アレン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ジョニー・アレン
John Thomas Allen
基本情報
出身地 Flag of the United States.svgノースカロライナ州レノア
生年月日 1904年9月30日
没年月日 1959年3月29日(満54歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
初出場 1932年4月19日
最終出場 1944年9月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジョン・トーマス・アレン(John Thomas "Johnny" Allen、1904年9月30日 - 1959年3月29日)は、1930~1940年代に活躍したアメリカメジャーリーグの元野球選手。ポジションは投手ノースカロライナ州レノア生まれ。右投げ右打ち。主にヤンキースとインディアンズで、1936~1937年にかけて17連勝を記録するなどの活躍をした。通算勝率は.654を数える。

来歴・人物[編集]

1932年にメジャーにデビューしたのは27歳の時だったが、33試合に登板し17勝4敗の好成績を残す。この年のワールドシリーズにも登板したが、2/3回で4失点を喫した。1935年までヤンキースに在籍し勝率も高かったが、その気性の荒さからか同年オフにモンテ・ピアソンらとトレードされ、インディアンズに移籍した。

インディアンズ移籍後、アレンはヤンキース在籍時以上の活躍を見せる。1936年シーズンに20勝に到達しただけでなく、この年から翌1937年にかけて当時のアメリカンリーグ記録となる17連勝を達成、次の年の1938年にはオールスターゲーム出場も果たした。前述の17連勝は1937年にいったん途切れたのだが、アレンはその後再び1938年にかけて12連勝を記録している。

1939年以降のアレンは、年齢からかかつての勢いが衰え、1941年には2万ドルでセントルイス・ブラウンズ(現オリオールズ)に放出される。その後ブルックリン・ドジャーズで2度目のワールドシリーズ出場を果たし、このときはリリーフで3試合に登板し対戦相手のヤンキースを無失点に抑えている。また1942年には先発に戻り2桁勝利を挙げた。

1944年39歳で選手を引退した後は、マイナーのカロライナリーグの審判を務めていた。1958年にフロリダ州で54歳で亡くなっている。

アンダーシャツ事件[編集]

アレンは、勝利への強いこだわりからか、1938年6月7日のフェンウェイ・パークでの対レッドソックス戦において、珍事件を起こし退場処分を受けている。この試合のマウンドに登ったアレンは、打者の気を散らそうと奇妙なアンダーシャツを着てきたのである。シャツは右袖の布が垂れ下がり、投球の度にそれがバタバタとはためいていた。試合の主審だったビル・マゴワンが、アレンにシャツの袖を切るように命じたが、これを拒否したアレンはマウンドから降りてしまった。急遽代わりの投手を出す羽目になった監督のオスカー・ビットは、アレンに250ドルの罰金を言い渡したのだが、このシャツは、当時のインディアンズのオーナーアルバ・ブラッドリーが事件後すぐに250ドルで買い付け、親族が経営するデパートに展示された後、アメリカ野球殿堂に寄贈された。

通算成績[編集]

投手成績[編集]
































W
H
I
P
352 241 1950.1 142 17 75 18 1070 1849 104 738 38 68 813 3.75 1.33

獲得タイトル・記録[編集]

  • スポーティングニューズ誌年間最優秀選手:1937年
  • オールスターゲーム選出:1938年
  • ワールドシリーズ出場:2回(1932,1941年)

打撃成績[編集]

  • 通算:365試合、716打数124安打、本塁打4、打点64、打率.173

出典・外部リンク[編集]