ケント・ハーベック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ケント・ハーベック
Kent Hrbek
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミネソタ州ミネアポリス
生年月日 (1960-05-21) 1960年5月21日(57歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1978年 ドラフト17巡目
初出場 1981年8月24日
最終出場 1994年8月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ケント・アレン・ハーベックKent Allen Hrbek, 1960年5月21日 - )は、MLBの元選手。ポジションは一塁手アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス出身。ニックネームは「Herbie」。

経歴[編集]

1978年MLBドラフトで地元のミネソタ・ツインズから17巡目に指名を受け入団。下位指名ながら早い時期に頭角を現し、1981年にA級で打率.379・27本塁打・111打点を記録し、低迷していたチーム事情もあって3階級特進でメジャー昇格。8月24日ニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビューし、延長12回に決勝点となる本塁打を放った。

新本拠地メトロドームが開場した1982年は開幕からメジャーに定着し、前半戦で打率.332・17本塁打・60打点を記録し、自身最初で最後のオールスターゲームに選出される。後半戦で失速したが、打率.301・23本塁打・92打点の好成績を残した。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票ではカル・リプケン・ジュニアに次ぐ2位に入った。1984年は打率.311・27本塁打、キャリアハイの107打点を記録し、低迷していたチームが終盤まで地区優勝争いを続ける原動力となり、MVPの投票でウィリー・ヘルナンデスに次ぐ2位に入った。

1987年はキャリアハイの34本塁打を記録し、チームの地区優勝に貢献。デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦でジャック・モリスから本塁打を放った。チームは4勝1敗でシリーズを制し22年ぶりのリーグ優勝を飾る。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズでは第6戦で満塁本塁打を放って勝利に貢献し、チームは4勝3敗でカージナルスを破りワシントン・セネタース時代の1924年以来、ミネアポリス移転後初のワールドチャンピオンに輝いた。

1988年はキャリアハイの打率.312を記録する。1989年は故障で109試合の出場に留まり、レギュラー定着以後初めて規定打席に到達できなかった。

1991年は20本塁打・89打点を記録し、チームは前年の地区最下位から地区優勝。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.143と不振だったが、チームは4勝1敗でシリーズを制し、4年ぶりのリーグ優勝。アトランタ・ブレーブスとのワールドシリーズでは第1戦で本塁打を放ったが、その後は不調。3勝3敗で迎えた第7戦では0-0の同点で迎えた8回に1死満塁のピンチを迎えるが、一塁ゴロを捌いたハーベックの素晴らしい処理で3-2-3の併殺を完成させ、ピンチを切り抜けた。試合はそのまま延長戦となり、10回にサヨナラで勝利を収め、ワールドチャンピオンとなった。同年ルー・ゲーリッグ賞を受賞。以後は故障がちとなり、1994年から1995年のMLBストライキによってシーズンが打ち切られた1994年に34歳の若さで現役を引退。

通算293本塁打は、球団[1]史上ハーモン・キルブルーの559本[2]に次いで現在でも歴代2位である。1995年に現役時代の背番号14』が球団の永久欠番に指定された。

地元出身ということもあってカービー・パケットと並んでファンから熱烈な人気を集めた。ゴールドグラブ賞の獲得こそなかったものの守備力にも優れ、新人時の監督ビリー・ガードナーは「私が27年間見た中で(一塁手としては)最高の守備の名手」と称えた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1981 MIN 24 73 67 5 16 5 0 1 24 7 0 0 0 0 5 1 1 9 0 .239 .301 .358 .659
1982 140 591 532 82 160 21 4 23 258 92 3 1 1 4 54 12 0 80 17 .301 .363 .485 .848
1983 141 582 515 75 153 41 5 16 252 84 4 6 0 7 57 5 3 71 12 .297 .366 .489 .855
1984 149 635 559 80 174 31 3 27 292 107 1 1 1 6 65 15 4 87 17 .311 .383 .522 .905
1985 158 666 593 78 165 31 2 21 263 93 1 1 0 4 67 12 2 87 12 .278 .351 .444 .795
1986 149 634 550 85 147 27 1 29 263 91 2 2 0 7 71 9 6 81 15 .267 .353 .478 .831
1987 143 566 477 85 136 20 1 34 260 90 5 2 0 5 84 12 0 60 13 .285 .389 .545 .934
1988 143 586 510 75 159 31 0 25 265 76 0 3 2 7 67 7 0 54 9 .312 .387 .520 .907
1989 109 434 375 59 102 17 0 25 194 84 3 0 1 4 53 4 1 35 6 .272 .360 .517 .877
1990 143 578 492 61 141 26 0 22 233 79 5 2 2 8 69 8 7 45 17 .287 .377 .474 .851
1991 132 534 462 72 131 20 1 20 213 89 4 4 3 2 67 4 0 48 15 .284 .373 .461 .834
1992 112 470 394 52 96 20 0 15 161 58 5 2 2 3 71 9 0 56 12 .244 .357 .409 .766
1993 123 471 392 60 95 11 1 25 183 83 4 2 3 4 71 6 1 57 12 .242 .357 .467 .824
1994 81 317 274 34 74 11 0 10 115 53 0 0 0 5 37 6 1 28 8 .270 .353 .420 .773
通算:14年 1747 7137 6192 903 1749 312 18 293 2976 1086 37 26 15 66 838 110 26 798 165 .282 .367 .481 .848

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 1960年までのワシントン・セネタース時代を含む。
  2. ^ キルブルーは他にカンザスシティ・ロイヤルズ在籍時に14本を記録しており、通算573本。

外部リンク[編集]