ロン・ビローン

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ロン・ビローン
Ron Villone
ナショナルズ時代 (2009年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニュージャージー州イングルウッド
生年月日 (1970-01-16) 1970年1月16日(54歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
245 lb =約111.1 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 MLBドラフト1巡目(全体14位)でシアトル・マリナーズから指名
初出場 1995年4月28日
最終出場 2009年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ロナルド・トーマス・ビローン・ジュニアRonald Thomas Villone, Jr., 1970年1月16日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州イングルウッドの元プロ野球選手投手)。左投左打。

現役時代はメジャー12球団でプレーしたが、これはオクタビオ・ドーテルの13球団に次ぐ2位タイ(他にマイク・モーガンマット・ステアーズ)の記録である。

経歴[編集]

プロ入りとマリナーズ時代[編集]

マサチューセッツ大学アマースト校時代の1992年バルセロナオリンピック野球アメリカ代表に選出された。8月5日の日本との3位決定戦先発したが、小久保裕紀に先制タイムリーを許してKOされ、敗戦投手になった[1]。同年のMLBドラフトシアトル・マリナーズから1巡目(全体14位)指名を受け、プロ入り。

1995年4月28日デトロイト・タイガース戦でメジャーデビューを果たした。

パドレス時代[編集]

1995年7月31日アンディ・ベネスらとのトレードマーク・ニューフィールドらと共にサンディエゴ・パドレスへ移籍。パドレスではメジャー初勝利を挙げた。

ブルワーズ時代[編集]

前回の移籍からちょうど1年後の1996年7月31日、グレッグ・ボーンらとのトレードでニューフィールド、ブライス・フローリーと共にミルウォーキー・ブルワーズへ移籍。同年は2球団合計で44試合に登板し、翌1997年も50試合に登板した。

インディアンス時代[編集]

1997年12月8日マーキス・グリッソムジェフ・ジューデンとのトレードでマイク・フェターズベン・マクドナルドと共にクリーブランド・インディアンスへ移籍。

1999年4月2日に解雇される。

レッズ時代[編集]

1999年4月5日シンシナティ・レッズと契約。同年は規定投球回に達しなかったものの、先発ローテーションの一角に定着して9勝を挙げた。

2000年も規定投球回に達しなかったが、自身初の二桁勝利となる10勝を挙げた。

ロッキーズ時代[編集]

2000年11月8日にマイナー2選手とのトレードでコロラド・ロッキーズへ移籍。

アストロズ時代[編集]

2001年6月27日ジェイ・パウエルのトレードでヒューストン・アストロズへ移籍。同年は初めてポストシーズンでの登板を経験した。

パイレーツ時代[編集]

2002年2月16日ピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んだ。スプリングトレーニングでの好投ぶりを買われて開幕ロースター入りし、開幕投手も任せられた[2]。だが、先発したのは序盤戦だけで、大半はロングリリーフで投げていた。

ダイヤモンドバックス傘下時代[編集]

2003年3月29日アリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。5月15日に解雇された。

アストロズ復帰[編集]

2003年5月19日にアストロズとマイナー契約。6月にメジャー昇格すると、先発ローテーションに定着し、6勝を挙げた。同年オフには先発投手および左投手の補強を目指していたNPB横浜ベイスターズが新外国人投手の候補として、ビローンとスコット・マレンの2人をリストアップしていたが[3]、条件面で折り合いがつかなかったためビローンの獲得は断念し[4][5]、最終的にはマレンを獲得した[6]

マリナーズ復帰[編集]

2004年2月10日にマリナーズと契約。この年は先発・リリーフにフル回転で56試合に登板して8勝を挙げた。

マーリンズ時代[編集]

2005年7月31日にヨーマン・バザードマイク・フラネリーとのトレードでフロリダ・マーリンズへ移籍。同年は2球団合計で自己最多となる79試合に登板した。

ヤンキース時代[編集]

2005年11月16日にベン・ジュリアネルとのトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍。

2006年シーズン終了後にFAとなったが、2007年2月13日に再契約した。

カージナルス時代[編集]

2008年2月19日セントルイス・カージナルスと契約を結んだ。

ナショナルズ時代[編集]

2009年2月27日ニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだが、3月27日に解雇された。その後、4月10日ワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結び、5月に昇格。5月7日ロサンゼルス・ドジャース戦でのシーズン初登板から19試合連続無失点と奮闘した[7]。同年は主に左のワンポイントとして63試合に登板した。

2010年は、傘下のAAA級シラキュース・チーフスでプレーした。

独立リーグ時代[編集]

2011年は、アトランティックリーグサマセット・ペイトリオッツでプレーし、同年限りで引退した。

現役引退後[編集]

2012年からはシカゴ・カブスの傘下マイナー球団で投手コーチを歴任しており、2012年はA級ピオリア・チーフス2013年はA級ケーンカウンティ・クーガーズ2014年はA+級デイトナ・カブス、巡回のコーディネーターを経て2019年はAA級テネシー・スモーキーズ2020年からはAAA級アイオワ・カブスで同職に就いている[8]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1995 SEA 19 0 0 0 0 0 2 0 -- .000 101 19.1 20 6 23 0 1 26 1 0 19 17 7.91 2.22
SD 19 0 0 0 0 2 1 1 -- .667 111 25.2 24 5 11 0 0 37 2 0 12 12 4.21 1.36
'95計 38 0 0 0 0 2 3 1 -- .400 212 45.0 44 11 34 0 1 63 3 0 31 29 5.80 1.73
1996 21 0 0 0 0 1 1 0 -- .500 78 18.1 17 2 7 0 1 19 0 0 6 6 2.95 1.31
MIL 23 0 0 0 0 0 0 2 -- ---- 104 24.2 14 4 18 0 4 19 2 0 9 9 3.28 1.30
'96計 44 0 0 0 0 1 1 2 -- .500 182 43.0 31 6 25 0 5 38 2 0 15 15 3.14 1.30
1997 50 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 238 52.2 54 4 36 2 1 40 3 0 23 20 3.42 1.71
1998 CLE 25 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 129 27.0 30 3 22 0 2 15 3 0 23 20 6.00 1.93
1999 CIN 29 22 0 0 0 9 7 2 0 .563 610 142.2 114 8 73 2 5 97 6 0 70 67 4.23 1.31
2000 35 23 2 0 0 10 10 0 1 .500 643 141.0 154 22 78 3 9 77 7 0 95 85 5.43 1.65
2001 COL 22 6 0 0 0 1 3 0 2 .250 222 46.2 56 6 29 4 1 48 2 0 35 33 6.36 1.82
HOU 31 6 0 0 0 5 7 0 4 .417 301 68.0 77 12 24 1 4 65 2 1 46 42 5.56 1.49
'01計 53 12 0 0 0 6 10 0 6 .375 523 114.2 133 18 53 5 5 113 4 1 81 75 5.89 1.62
2002 PIT 45 7 0 0 0 4 6 0 0 .400 399 93.0 95 8 34 3 5 55 1 0 63 60 5.81 1.39
2003 HOU 19 19 0 0 0 6 6 0 0 .500 449 106.2 91 16 48 1 5 91 1 0 51 49 4.13 1.30
2004 SEA 56 10 0 0 0 8 6 0 7 .571 523 117.0 102 12 64 3 12 86 6 0 64 53 4.08 1.42
2005 52 0 0 0 0 2 3 1 17 .400 178 40.1 33 2 23 1 5 41 2 1 14 11 2.45 1.39
FLA 27 0 0 0 0 3 2 0 4 .600 109 23.2 24 2 12 1 2 29 1 0 20 18 6.85 1.52
'05計 79 0 0 0 0 5 5 1 21 .500 287 64.0 57 4 35 2 7 70 3 1 34 29 4.08 1.44
2006 NYY 70 0 0 0 0 3 3 0 6 .500 365 80.1 75 9 51 9 4 72 5 0 48 45 5.04 1.57
2007 37 0 0 0 0 0 0 0 4 ---- 176 42.1 36 5 18 3 3 25 4 0 20 20 4.25 1.28
2008 STL 74 0 0 0 0 1 2 1 16 .333 229 50.0 45 4 37 2 2 50 2 0 27 26 4.68 1.64
2009 WSH 63 0 0 0 0 5 6 1 7 .455 228 48.2 54 6 29 4 2 33 1 0 25 23 4.25 1.71
MLB:15年 717 93 2 0 0 61 65 8 *68 .484 5193 1168.0 1115 136 637 39 68 925 48 2 665 614 4.73 1.50
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す

背番号[編集]

  • 33(1995年 - 同年途中)
  • 49(1995年途中 - 1997年)
  • 47(1998年、2004年 - 2005年途中、2006年 - 2007年)
  • 41(1999年 - 2000年、2009年)
  • 29(2001年 - 同年途中)
  • 39(2001年途中 - 同年終了)
  • 28(2002年)
  • 31(2003年)
  • 27(2008年)
  • 38(2011年)

脚注[編集]

  1. ^ 「ロン・ビローン」『パンチョ伊東のメジャー・リーグMLB選手名鑑2000』ベースボール・マガジン社 190頁
  2. ^ 「30球団マンスリー・リポート ピッツバーグ・パイレーツ 周囲の予想を大きく覆す好発進! "実績皆無の先発5人衆"が原動力」『月刊メジャー・リーグ』 2002年6月号 ベースボール・マガジン社 64頁
  3. ^ 横浜 本格左腕ビローン投手獲り目指す」『スポニチアネックス』スポーツニッポン新聞社、2003年11月4日。オリジナルの2003年11月5日時点におけるアーカイブ。
  4. ^ {Cite news|和書 |title=新人4人の入団を発表 ◆最下位脱出へ再建託す |newspaper=デイリーベイスターズ |date=2003-12-16 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03121601.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040217163149/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03121601.html |archive-date=2004年2月17日}}
  5. ^ 横浜 左腕ド軍マレン投手獲り狙う」『スポニチアネックス』スポーツニッポン新聞社、2003年11月14日。オリジナルの2003年11月19日時点におけるアーカイブ。
  6. ^ 横浜がマレン投手を獲得…沖縄生まれで日本行き希望」『SANSPO.COM産業経済新聞社、2003年11月19日。オリジナルの2004年4月6日時点におけるアーカイブ。
  7. ^ 「MLB30球団レポート&全選手個人成績 ワシントン・ナショナルズ 快投を続ける39歳のジャーニーマン」『月刊スラッガー』2009年8月号 日本スポーツ企画出版社 74頁
  8. ^ Iowa Cubs Announce 2023 Field Staff”. Iowa Cubs. MiLB.com (2023年2月10日). 2023年3月26日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]