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デーブ・キングマン

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デーブ・キングマン
Dave Kingman
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オレゴン州ペンドルトン
生年月日 (1948-12-21) 1948年12月21日(77歳)
身長
体重
6' 6" =約198.1 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1970年 ドラフト1巡目
初出場 1971年7月30日
最終出場 1986年10月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

デビッド・アーサー・キングマンDavid Arthur Kingman, 1948年12月21日 - )はアメリカ合衆国オレゴン州ペンドルトン出身の元プロ野球選手外野手)。ニックネームは「Kong」、「Sky King」。

経歴

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大学時代

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南カリフォルニア大学入学当初は投手だったが、後に外野手にコンバートされる。1970年には全米代表に選ばれ、同年チームをメンズ・カレッジ・ワールドシリーズに導く。同年の2次ドラフトでサンフランシスコ・ジャイアンツから1巡目に指名を受け入団。

サンフランシスコ・ジャイアンツ時代

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1971年7月30日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。翌日の同カードでメジャー初本塁打となる満塁本塁打を放つなど5打点を記録。翌日のダブルヘッダー第2戦でも2本塁打を放ち、最高のスタートを切る。打率.278、6本塁打を記録し、チームは地区優勝を果たす。ピッツバーグ・パイレーツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.111と振るわず、チームも1勝3敗で敗退。結果的にこれが自身最初で最後のポストシーズンとなった。1972年に29本塁打、83打点を記録するが、打率は.225だった。

ニューヨーク・メッツ時代

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1975年2月28日に金銭トレードでニューヨーク・メッツに移籍。1年目は36本塁打、88打点、1976年オールスターゲームに初めて選出され、先発出場を果たした。シーズンでも37本塁打、86打点を記録。1977年6月15日にボビー・バレンタインらとの交換トレードでサンディエゴ・パドレスに移籍。

1年で3度の移籍

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移籍後は11本塁打を放つなどまずまずの成績だったが、9月6日にウェーバー公示され、カリフォルニア・エンゼルスが獲得。しかし9月15日にトレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍する。チームは地区優勝を果たしたが、ポストシーズンの出場資格がなかったためロースター入りはできなかった。このシーズンは4球団でプレイ。しかも、ナショナルリーグ東地区所属のメッツ、同西地区所属のパドレス、アメリカンリーグ西地区所属のエンゼルス、同東地区所属のヤンキースと、両リーグの両地区(当時は東西2地区制)それぞれの所属球団でプレイした。オフにフリーエージェントとなり、11月30日シカゴ・カブスと契約。

シカゴ・カブス時代

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1978年は28本塁打、79打点だったが、打率は.266を記録。1979年は開幕から好調で、前半戦終了時に打率.290、29本塁打、69打点を記録し、3年ぶりにオールスターゲームに選出されるが出場機会はなかった。シーズン通算で打率.288、48本塁打、115打点、97得点、長打率.613を記録し、本塁打王のタイトルを獲得。1980年オールスターゲームに2年連続で選出されるが、故障がちで81試合の出場に留まった。

メッツ復帰

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1981年2月28日にトレードでメッツに復帰。1982年に37本塁打を記録し、2度目の本塁打王のタイトルを獲得するが、自己ワーストの156三振、打率.204。これは本塁打王を獲得した選手としてだけでなく、規定打席に到達した一塁手のシーズン打率としては史上最低の数字だった。1983年は打率.198、13本塁打に終わり、解雇された。

オークランド・アスレチックス時代

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1984年シーズン開幕直前の3月29日にオークランド・アスレチックスと契約。打率.268、35本塁打、118打点を記録し、カムバック賞を受賞する。1985年も30本塁打、91打点を記録。この2年で2つの"幻の本塁打"を放っている。1984年5月4日にメトロドームで行われたミネソタ・ツインズ戦で、打球が天井にはまってしまい二塁打扱いとなった。1985年は4月11日にキングドームで行われたシアトル・マリナーズ戦で、左翼に打った打球が天井から釣り下がっていたスピーカーを直撃し、落下してきたボールは捕球され、アウトとなった。1986年は打率.210ながら35本塁打、94打点を記録。オフにフリーエージェントとなった。

現役続行の予定だったが、当時は各球団のオーナーが共謀して高額フリーエージェント選手との契約を避けており(後に違法行為とされた)、どの球団とも契約できなかったボブ・ホーナーが翌シーズン途中にNPBヤクルトスワローズと契約したり、1986年のナ・リーグ首位打者ティム・レインズも旧所属球団モントリオール・エクスポズとの交渉解禁を待って復帰したりという「冬の時代」であった。1987年7月11日に古巣ジャイアンツとマイナー契約を結ぶがメジャー復帰は果たせず、引退となった。

尚、キングマンはMLB史上初の現役最終年のシーズン本塁打が30本以上であった選手である。2023年シーズン終了時点で同記録を持つのはキングマン以外にデービッド・オルティス(38本塁打)とカイル・シーガー(35本塁打)のみである。

選手としての特徴

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198cmの長身と長い腕を生かしたスイングで打球を遠くまで運ぶ才能に優れていた。通算で442本塁打を記録し、推定168mの本塁打や1試合3本塁打を5回記録するなど典型的なパワーヒッターだったが、反面三振が非常に多く打率は低かった。また強打者である割に四球は少なく、出塁率も低かった。現役を通じて7つのチームでプレーし、性格の面では気難しい部分があったようだ。メッツ時代のチームメイトは彼を公共の場で"切り株の様な性格と称し、本人もスポットライトを拒み孤独を好む性格の持ち主であった。彼の予期せぬ言動や反社会的行動、そして試合中の独断的プレーは頻繁にトレード対象となる理由の一つであった。

名言・迷言

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  • 「皆俺の三振の多さの事を話している。もし俺が毎日プレーしたら、もしかしたら400回位三振するかもしれない。けど、本塁打をどれ位打つかは俺にもわからない。毎日プレーした事はないからな。」―デーブ・キングマン、1975年。
  • 「彼を三塁手として見た時、私は好きではなかった。でも彼はベンチの中ではいい選手だし、クレオン・ジョーンズが活躍出来ない時のために我々にとって良い保険となる。」―メッツ監督時代のヨギ・ベラ、1975年。
  • 「俺はヨギに、もしデーブを150試合に出したら30から40位ホームランを打つと言ったんだ。そしてもし彼がレギュラーとして数年プレーする機会を与えたら、次に60本(本塁打)を打つのは彼かもしれない。」―ボビー・ボンズ、1975年。
  • 「あれはミルウォーキーまで飛んだ!」―シカゴラジオアナウンサールー・ブードロー、キングマンのリグレー・フィールドでの大ホームランを称して。
  • 「彼の人間性、守備的欠陥、そして高い三振率は"コング"が7つものチームでプレーした理由だ……。彼より高く遠く飛ばす人は誰もいない。」―ザンダー・ハランダー、1985年。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1971 SF 411281151732102664245003901352.278.328.557.885
1972 1355314726510617429218831660451241409.225.303.462.765
1973 11235130554621012414655851241321228.203.300.479.779
1974 12139335041781821815455882137231258.223.302.440.742
1975 NYM 1345435026511622136248887512345415313.231.284.494.778
1976 1235104747011314137240867403284513511.238.286.506.792
1977 582282112244709782832011333663.209.263.370.633
SD 5618716816409011823923231212483.238.292.488.780
CAL 103936472021540010101160.194.237.417.654
NYY 82724562042070100201130.250.333.8331.166
'77計 13248143947972002619578563428471436.221.276.444.720
1978 CHC 119448395651051742821479342639861113.266.336.542.878
1979 1455895329715319548326115420845741317.288.343.613.956
1980 812802553171801813357220421304410.278.329.522.851
1981 NYM 10041235340781132216159601255711059.221.326.456.782
1982 149607535801099137231994036599415611.204.285.432.717
1983 10027324825497013952921112211572.198.265.383.648
1984 OAK 14761354968147231352771182101444861197.268.321.505.826
1985 1586665926614116030247913228626211417.238.309.417.726
1986 1446045617011819035242943307333312616.210.255.431.686
MLB:16年 194174296677901157524025442319112108549167560872531816139.236.302.478.780
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別投手成績

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W
H
I
P
1973 SF 20000000------214 30600420449.002.25
MLB:1年 20000000------214 30600420449.002.25

年度別守備成績

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投手守備


投手(P)












1973 SF 20000----
MLB 20000----
内野守備


一塁(1B)三塁(3B)
























1971 SF 20149939.981-
1972 5640220539.98859541381410.932
1973 4625917423.9866054129187.910
1974 91680601366.98321938123.797
1975 NYM 5838638536.9881262831.919
1976 169180111.000-
1977 17112816.992-
SD 13921114.99023210.833
CAL 870525.974-
'77計 3827424415.98723210.833
1978 CHC 656224.967-
1980 216210.947-
1981 NYM 56462311339.974-
1982 1431232691888.986-
1983 5044328343.994-
1984 OAK 9552031.000-
1985 9501031.000-
1986 317022.895-
MLB 603457231173381.9851541263354821.906
外野守備


左翼(LF)右翼(RF)
























1971 SF 790001.000710010.909
1972 2242130.935-
1974 10000270001.000
1975 NYM 68125460.956350001.000
1976 57010.8751061941080.962
1977 2641010.9762036010.973
SD 2848321.96210000
CAL 230001.000-
'77計 5692331.9692136010.973
1978 CHC 100173842.978-
1979 13923911113.958-
1980 61105770.941-
1981 NYM 4884470.926-
1983 -570001.000
MLB 50787638426.95614425910100.964
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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表彰

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記録

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背番号

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  • 45(1971年 - 1972年途中)
  • 26(1972年途中 - 1977年途中、1981年 - 1983年、1986年途中 - 同年終了)
  • 10(1977年途中 - 同年途中、1978年 - 1980年、1984年 - 1986年途中)
  • 48(1977年途中 - 同年終了)

外部リンク

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