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シェーン・マック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シェーン・マック
Shane Mack
1984年7月31日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州ロサンゼルス
生年月日 (1963-12-07) 1963年12月7日(62歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1984年 MLBドラフト1巡目
初出場 MLB / 1987年5月25日
NPB / 1995年4月7日
最終出場 MLB / 1998年7月30日
NPB / 1996年10月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

シェーン・リー・マック(Shane Lee Mack、1963年12月7日 - )は、アメリカ合衆国の元メジャーリーガー、プロ野球選手(外野手)。

来歴

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プロ入り前

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カリフォルニア州ロサンゼルス出身。カリフォルニア州立大学では1984年にロサンゼルス五輪に出場して銀メダルを獲得。

プロ入りとメジャーリーグ時代

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1984年のドラフト1位でサンディエゴ・パドレスに入団。1987年5月25日にメジャーデビューすると、センターのバックアップ役として105試合に出場した。

1990年にミネソタ・ツインズに移籍すると、翌1991年にレギュラーとなり、打率.310、18本塁打、74打点、13盗塁の活躍でワールドシリーズ制覇に貢献した。

1992年オフには、日米野球のMLB選抜代表として来日した[1]。

1994年は1994年から1995年のMLBストライキの影響で81試合にとどまったものの、打率.333、15本塁打の数字を残した。

巨人時代

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1994年から1995年のMLBストライキの影響もあって、1995年1月5日に2年総額8億円(推定)という当時としては破格の契約で読売ジャイアンツに入団。もっとも以前から巨人はマックに目をつけており、まだマックが学生だった1984年には、すでに契約を持ちかけていた他、ツインズ移籍前の1989年にも巨人が獲得する可能性があったという[2]。

1年目の1995年は開幕7番だったが、徐々に日本野球に慣れると4月中旬からは脚力を買われて1番打者に定着[3]。2年目の1996年には一転して3番・5番打者となり、9月1日から閉幕にかけては、故障離脱した落合博満に代わって第63代目の4番打者を務めた[4]。打撃ではメジャー時代から左キラーとして名を馳せており、対左打率.418を記録。俊足を活かした広い守備範囲で、ダイビングキャッチやフェンスに激突しての好捕など数々のファインプレーを見せた[5]。しかし、来日前に右肩を手術していたこともあって弱肩であり[5]、日本シリーズではその点を突かれて失点を許した。また、推定年俸4億円からの契約更新は困難となり、2年間の在籍後の1996年10月31日に退団が発表された。当時、同僚だった落合博満は現役引退直後に「現役時代に出会った中で最高の外国人選手だった」とマックを称賛した[5]。

巨人退団後

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1997年はボストン・レッドソックスで、1998年にはオークランド・アスレチックスを経て、カンザスシティ・ロイヤルズで外野の4番手としてプレー。同オフにFAとなってサンディエゴ・パドレスと契約したが、右肩痛の再発と椎間板ヘルニアを患って、1999年はプレーせずに現役引退した。

人物・エピソード

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巨人は1997年にマックの後釜として入団したルイス・サントスが期待外れに終わると、その後も外国人獲得の失敗を繰り返した。さらに、NPB他球団で実績を残した外国人野手を獲得することが補強策の基本線となったため、1996年のマック以降、他球団への在籍経験がない巨人の外国人野手が入団1年目で100試合以上に出場した例では、2007年のデーモン・ホリンズまで現れず、また規定打席に到達した例は2013年のホセ・ロペス、さらに入団1年目で20本塁打以上を記録した例は2016年のギャレット・ジョーンズまで現れなかった[6][7]。

練習熱心で真面目な性格であり、所謂メジャーリーグ出身の助っ人外国人にありがちな日本を見下すような態度も全く取らなかった[8]。かつて巨人時代にチームメイトだった元木大介に寄れば、打てなかった試合の後はすぐにベンチ裏で素振りをしていた他、当時同じくチームメイトであった落合博満から打撃について教えを乞う事もあったという[8]。因みに落合はマックを「私の現役時代に出会った最高の外国人選手」と評しており、「とにかく野球に対して真面目。試合でも練習でもよく悩んでいたが、その悩みのレベルも高く、悩みを解消するのも早かった。どんなに年俸が高くても置いておきたい選手だったが、お金持ちの巨人がなぜ彼を解雇してしまったのか」と最大級の賛辞を贈っている[6]。

2歳下の弟に元シアトル・マリナーズのクイン・マック(英語版)がいる[9]。

詳細情報

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年度別打撃成績

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年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1987 SD 105267238285711348625466218304711.239.291.361.652
1988 561401191329300321251311430212.244.321.269.590
1990 MIN 12535331350102104814444134602951697.326.385.460.845
1991 1434894427913727818234741392534617911.310.357.529.886
1992 15669260010118931616280752614112641511068.315.381.467.847
1993 1285535036613930410207611553241417613.276.331.412.742
1994 81347303551012121517161411532615111.333.393.564.957
1995 巨人 1205404777913118020209521290152410789.275.357.438.796
1996 1275344847114228022236751210341168317.293.354.488.842
1997 BOS 60146130134170357172122931243.315.359.438.798
1998 OAK 3221000000000000000.000.000.000.000
KC 6622920730581516932982011560366.280.327.449.777
'98計 6923120931581516932982011560366.278.324.445.769
MLB:9年 92332182857436853155288013043989043342025651650972.299.355.456.812
NPB:2年 2471074961150273460424451272410049351616126.284.356.463.819

記録

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NPB

背番号

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  • 23 (1987年 - 1988年)
  • 24 (1990年 - 1994年)
  • 12 (1995年 - 1996年)
  • 15 (1997年)
  • 24 (1997年)
  • 31 (1998年)
  • 15 (1998年)
  • 5 (1998年)

脚注

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  1. ↑ この時の試合で盛田幸妃から死球を受け、激昂する場面があった
  2. ↑ “3人退場の大乱闘で指2本骨折、落合博満はホメた“最高の外国人”「やっぱりクロマティになれなかった男たち」巨人助っ人“残念伝説”(4/5)”. NumberWeb (2022年6月1日). 2025年3月10日閲覧。
  3. ↑ 1995年 讀賣ジャイアンツ スタメンデータベース
  4. ↑ 1996年 讀賣ジャイアンツ スタメンデータベース
  5. 1 2 3 【長嶋巨人にやってきた男/マック】「最高の外国人選手」落合博満も絶賛した助っ人 だが、わずか2年で解雇 週刊ベースボールONLINE
  6. 1 2 “3人退場の大乱闘で指2本骨折、落合博満はホメた“最高の外国人”「やっぱりクロマティになれなかった男たち」巨人助っ人“残念伝説”(5/5)”. NumberWeb (2022年6月1日). 2025年3月10日閲覧。
  7. ↑ この傾向は野手だけでなく投手にも見られ、1996年にマックと同僚だったバルビーノ・ガルベスが1999年に規定投球回に到達して以降、NPB他球団への在籍経験がない巨人の外国人投手が規定投球回に到達した例は、2015年のアーロン・ポレダ、マイルズ・マイコラスまで現れなかった。ただしリリーフではそれ以前に、2012年に入団したスコット・マシソンが2013年に最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した例がある。
  8. 1 2 “元木大介氏の最強助っ人ベスト3…第2位はあの怪人右腕「若い子はあれくらい闘争心持って」”. Sponichi Annex (2024年6月8日). 2025年3月10日閲覧。
  9. ↑ Mack, Miller AA player of the week UPI.com 1991年7月22日掲載記事

関連項目

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外部リンク

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